2011年10月12日

続・お尻と〈屁〉のコラボが侮辱になるのは何でだろ〜ヵ

 人を侮辱する身体表現はいろいろあるが、相手にわざと尻を突き出し〈屁〉を一発ブウとこくのは人として最大の侮辱行為ではないか。まあ、最大は言い過ぎであるとしても、「尻(を向けて)と屁(をこく)」の結びつきのその瞬間には、激しく強く感情が揺れ動かざるを得ないだろう。こいた方もこかれた方もねェ。

 さて、前回整理したようにその身体表現の基本形はこうであった。
(1)お尻を向ける
(2)お尻を突き出す
(3)お尻を突き出し〈屁〉をこく

 このように次第に(1)から(3)へとエスカレートしていく様子を観察すれば、それは視界に音とニオイを配置して強化される、侮辱の意志や意図の表出になっているのだね。

 このポーズの基本形は(日本で)古代から意識(記録)されてきたのだが、そもそもなぜそれは侮辱行為になるのだろうか。尻を突き出し〈屁〉をこく行為は顔(表情)を見せずに、下半身の身体表現だけで侮辱を表出するものだ。そして、それを言葉ではなく生の〈屁〉の音(とニオイ)で際立たせるのだ。

 もちろん、これが侮辱行為であると断定できない場合も多い。いつも悪ふざけで(1)〜(3)をやっている人はいるし、無意識にボオッとしてそういうポーズになっている紛らわしい人もいる。人に向かっておどけてデカイ〈屁〉をこいて喜んでいても、相手を侮辱する気などさらさらない馬鹿者もいる。

 だから(1)〜(3)のポーズは実は多義的であり、侮辱であるかどうかは相互の判断を待って決定されることになる。一方が侮辱のつもりでも、もう一方が侮辱と思わない場合や、その逆もあるわけで、にわかには判断できない状況というものがいろいろ出てくるのだ。

 ところで、ちょっと話が迂回するが、侮辱(した・されたという思い)とはどういうときに生起するのだろうか。そこには心的な条件があり、相手を貶める・相手に貶められたという心的運動が発動しているのだった。そして侮辱された方が侮辱と感じない限り侮辱にはならないのである。侮辱の場面の基本は次の4つのケースに分けられる。

(ア)両者が侮辱(した・された)と思っている
(イ)一方だけ(仕掛けられたと思った方)が侮辱されたと思っている
(ウ)一方だけ(仕掛けた方)が侮辱したと思っている
(エ)両者が侮辱と思っていない

 特に問題になる(物議を醸してしまう)のは(ア)と(イ)の場合であり、侮辱されたと感じる被害感の申し立てや苦情によって、侮辱が成立してくるわけだね。(イ)では侮辱を意図していない相手のポーズに一方的に侮辱を感じてしまうケースで、案外これは多いかもしれない。(ウ)の場合は仕掛けられた方が〈屁〉とも思っていない(侮辱とは感じないとか、侮辱と感じても却下できる心的余裕がある)ので侮辱が成立してこないのである。

 侮辱のあるなしには相手との関係性が影を落としているわけだが、侮辱する方にしたら、根拠はともかく相手が馬鹿にすべき理由を持っていると感じられる存在になっていて、それは相手との不信・対立・断絶関係にある場合が多いだろう。(条件1)

 相手との関係性は、相手と向き合ったときの自己の意識のあり方を決めている。自己の意識は相手に対して高位、対等、低位という高低ランクを常に付随させており、〈屁〉が臭いなどと相手を馬鹿にしたり侮辱するのは当然ながら、自己の意識が相手より高位にあるからだ。俗にいう上から目線って奴である。(参照

     自己の意識=高位―対等―低位

 もともと我々は〈屁〉に限らず他者に対していつも自己の意識の高低ランクを生起させている。何につけそのつど生起する意識の高低ランクが相手の社会的立場(評価)に対して常にリンクしているのである。相手を侮辱する条件としては、自己の意識が相手より高位にある必要があるわけだ。(条件2)

 社会的立場(評価)とは、自他の社会的地位や職位などのように外からの評価ばかりではない。身に備わっている経歴・属性・性癖によっても評価される。さまざまの生活場面でいろいろな観点から相手との距離を常に測って多元的に評価する。そこで例えば、次のようなものも何かと評価の対象になるね。

     能力=優秀―月並―無能
     容姿=別嬪―人並―ぶす
     学校=一流―二流―三流
     運動=上手―通常―下手
     知識=豊富―凡庸―貧弱
     品性=優良―普通―下劣
     体力=頑強―平凡―虚弱
     貧富=金持―平均―貧乏
     屁臭=無臭―曖昧―猛臭

 馬鹿にしたり侮辱したりするのは「無能でぶすで三流で下手で貧弱で下劣で虚弱で貧乏で屁が臭い」というような極めて低評価の場合である。(条件3)

 しかし、人間がまったく無価値ですべて低評価ということはないわけで、多くは「一流の学校に通っているが、ぶす」「運動が上手だが、品性が下劣」「知識は豊富だが、学校は三流」「体力は頑強だが、運動は下手」「別嬪だが、屁が臭い」など、ある一面だけがほとんど言いがかり(難癖)に近い感じで抽出されるのである。

 さらによくあるのは、完璧に「無能でぶすで三流で下手で貧弱で下劣で虚弱で貧乏で屁が臭い」のであれば、絶対に馬鹿にされ侮辱されるのかというと、そういうわけでもないんだね。かえってそれがいとおしくて愛される場合もある(らしい)のが人間界の不思議である。

 その不思議は自分が「優秀で別嬪で一流で上手で豊富で優良で頑強で金持で屁が臭くない」というような高位にある(と思っている)傲慢な人にしばしば出現するアンビバレントな現象の一つだ。あるいはそれが当たり前すぎて、つゆ自分が高位にあるなどとはとんと自覚していない天真な人にも出現する。

 しかしまあ一般に「優秀で別嬪で一流で上手で豊富で優良で頑強で金持で屁が臭くない」と自分を思っているような人は「月並で人並で二流で通常で凡庸で普通で平凡で平均で屁が臭いような臭くないような」という(どうでもいいと見なす)人にはほとんど関心が向かないのに、必ずや「無能でぶすで三流で下手で貧弱で下劣で虚弱で貧乏で屁が臭い」というような人を毛嫌いする。これは自分の高位が必ずしも完璧でないところからきていて、「一流の学校に通っているが、ぶす」の人が「知識は豊富だが、学校は三流」の人を馬鹿にして侮辱するというような関係構造が潜むのである。

 こう見てくると、侮辱行為はまずは条件1〜3が有効に絡み合って実践されるものだ。つまり(1)何らか不信・対立・断絶関係にある相手に対し(2)自己の意識が高位にあり(3)相手に低評価のターゲットがある――そういうときに、侮辱が生起してくる契機があるということになるのである。そしてさらに、そこでは(4)自分の不完全性(不完全な自信)を意識・無意識している――ということが必要にして重要なのだ。

 どうやら相手への侮辱行為は、意識的であってもなくても、自分自身(の低評価なターゲット)への苛立ちを潜在させているものであるらしい。それが相手を貶めようとする動機であり、そうすることによって自分の(高位の)基盤をより固めようとする。

 ところが完璧に傲慢な人(強者)は侮辱には走らない(多分そんなこと思いつかない)し、完璧に天真な人(聖者)も同様なのだ。それは意識しようがしまいが自己評価が(なぜか)パーフェクトな人たちなのである。(まあ、真にそうである人は滅多にいないでしょうけど。ときどき勘違いの人や図々しい偽りの僭称者はいます)

 一つ注意すべきは、侮辱の条件になっている相手との関係性は極めて主観的なものだということである。相手との対立関係、自己の意識の高低、自他の評価などは自己保存の心的運動によって主観的に構成されるのだ。もちろん、客観性や共同性の裏付けとなる事実やデータや現象がインプットされるにしても、結果は人それぞれに過大な自己評価を中心に身勝手に関係性を思い描いているのが実相である。

 そういう意味では侮辱行為は誰にでも与えられている振る舞いであり、しかもかなり人間的(観念的)な営為なのだ。一般の動物はどんなに威嚇的であっても侮辱行為とは無縁なのである。

 さて、侮辱の心的構造の考察はここまでにして、再び〈屁〉の侮辱の身体表現においてエスカレートする基本形(1)〜(3)に戻ろう。理由は何であれ、お尻と〈屁〉がコラボするポーズは、時と場合によって強烈な侮辱になり得るのであるね。

 しかし、考えてもみよう。尻を突き出して〈屁〉をこくという恥ずかしい行為が、何で相手への侮辱になるのだろうか。それをやっている本人はちっとも恥ずかしくはないし、やられた方は最大の侮辱を感じるのである。そのときの〈屁〉とは何ぞや?


ラベル: 侮辱
posted by 楢須音成 at 11:09| 大阪 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 断片考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月05日

お尻と〈屁〉のコラボが侮辱になるのは何でだろ〜ヵ

 表情とかポーズとかの身体表現で人を侮辱することがあるね。子どもがおどけて友だちをからかったり馬鹿にしたりしているのを見ると、それが懸命の全身表現であるのに気がつく。そのしつこさは、まあよくやるよとあきれてしまうくらいのものである。

 これが〈屁〉に関連する侮辱の身体表現といえば、相手にお尻を突き出して一発ブウと放つことだろうねえ。その見るにたえぬポーズたるや、まことに無礼千万である。そんなこと女性は(多分)決してしないだろうし、相手を侮辱するとはいえ実に恥ずかしい身体表現でもあるのだね。江戸の川柳にこういうのがある。

 尻を出す伊企儺(いきな)新羅を屁ともせず
             (尻と屁の結び)

 伊企儺は『日本書紀』に出てくる人物。欽明天皇のときの新羅征討の将軍で、難波の紀男麻呂の副将として新羅を攻めたが、敗れて捕らわれ殺された。こういう背景の事情がわからないと、尻を出すとは何のことやらわからないが、『日本書紀』では次のように描かれている。6世紀くらいの話である。
 同じときに捕虜にされた調吉士伊企儺(つきのきしいきな)は、人となりが猛烈で最後まで降伏しなかった。新羅の闘将は、刀を抜いて斬ろうとした。無理に褌(はかま)をぬがせて、尻を丸出しにし、日本の方へ向けさせて大声で、「日本の大将、わが尻を喰え」と言わせようとした。すると叫んで言った。「新羅の王、わが尻を喰え」と。責めさいなまれても前の如く叫んだ。そして殺された。その子の舅子(おじこ)も、また父の屍を抱いて死んだ。伊企儺の言葉を奪えぬことこのようであった。諸将もこれを惜しんだ。その妻の大葉子(おおばこ)も、また捕虜にされていたが、悲しみ歌って、

 カラクニノ キノヘニタチテ オオバコハ ヒレフラスモ ヤマトヘムキテ
 韓国の城の上に立って大葉子は、領巾(ひれ=肩にかけた飾りの白布。これを振るのは惜別の行為)をお振りになる。日本の方へ向って。

 ある人がこれに和して歌った。

 カラクニノ キノヘニタタシ オオバコハ ヒレフラスミユ ナニハヘムキテ
(全現代語訳『日本書紀』講談社学術文庫)

 伊企儺が捕虜になりハカマをぬがされ、日本に向かって尻を突き出して「わが尻を喰らえ」と言わされようとしたが、抵抗して「新羅の王。わが尻を喰らえ」と叫んで殺されたという故事である。

 敵にハカマをぬがされるという仕打ちは、自由を奪われ臀部露出を強制される屈辱だが、これに加えて尻を突き出し「わが尻を喰え」と言わされる侮辱行為も強要されているわけだ。しかし、新羅軍はこうやって捕虜を使って日本への侮辱を表現しようとして、逆に侮辱されてしまった。伊企儺は屈することなく尻と言葉の矛先を新羅に向けたからである。このため伊企儺は(子と妻も)殺された。

 こういう背景で川柳はできあがっているんだね。ここに〈屁〉が出てくる。まあ、伊企儺が〈屁〉をこいたという確証があるのではなく、新羅なんぞ〈屁〉とも思わなかったという表現で〈屁〉が出てきているのだが、ここで〈屁〉をこいても効果的な侮辱なのだね。

 さて、その場の状況にもよるが、相手に対して(意識的に・意図して)尻を向けることが失礼な行為であることは古代から意識されていたようである。まして尻を突き出すとかすれば、それは行為の悪意ある誇張と見なされる。

 これは単に背を向けるのとは違うね。背を向けるだけでは拒絶という意味合いだけで(失礼かもしれないが)あまり侮辱ということにはならないだろうが、意識して尻を突き出しているのなら侮辱になってしまう。いやまあ、向けているのが背中なのかお尻なのかわからない曖昧な後ろ向きの人はいるけどね。

 ともあれ、キッパリ尻を向けるのは大体において失礼ないしは侮辱ににじり寄る行為の始まりであろうし、尻を突き出すのは行為の誇張であるから意図を相手に示して侮辱に突入しており、そんな姿勢で〈屁〉の一発をこいたらもうハッキリ侮辱なのである。

 もっとも、音成がこういう行為を妻に向かってやったとしてもそれは侮辱ではないぞ。別に愛情とはいわないが、冗談ぐらいには妻は思ってくれるに違いない(はずだ)。侮辱が成立するには相手との信頼関係の欠如や対立関係が必要なのであるから。

 ここでもう一つ民話の事例を紹介してみよう。『知覧むかしむかし』(飯野布志夫著、2007年、高城書房刊)という本に鹿児島県知覧地方の民話が集められている。採録した民話を通して日本の神話と南薩摩の民俗との関わりを探っている本だ。
 むかしむかし、我が家(え)の辺りに、ヘノカガッショドン(屁の嗅がせよ殿)という方がおられました。この方は大変勇ましい方で、神様たちに向って尻を丸出しにして屁を一発かましたそうです。しかし、怒った神様たちは村へ攻めてきてヘノカガッショドンを退治して息の根をとめてしまいました。
 *ヘノカガッショドンはヘンカガッショドンと発音する場合もある。「へ」は『屁』、着物の裾をまくることを南九語で「カッショ」と言い、裾をまくったうえにさらに尻を丸出しにして後ろ向きになって臭いを嗅がせることを「カガッショ」と言う。よって、ヘノカガッショとは『臭い屁を相手に向けて一発かまして嗅がすこと』である。

 この民話と神話との関連だが、『日本書紀』神代編の神が次のように指摘されている。
 この民話の主は、支配者(神)に向って尻を丸出しにして一発屁をかまして徹底抗戦した反逆の神と考えられる。これに対応すると考えられる神話が日本書紀で伝えられているのが面白い。
 それによれば、高天原朝廷の天孫ニニギの命が猿田彦の道案内で中つ国へ進攻して、中つ国の神々を次々と成敗されていくのだが、最後の最後まで徹底抗戦して軍門に降らなかったのが星神香香背男(ほしのかみかがせお)と呼ぶ神である。その部分を日本書紀神代編より抜粋してみよう。
『一書に曰く、皆(みな)已(すで)に平(む)け了(お)へぬ。其の服(うべな)はぬ者(かみ)は、唯(ただ)星神香香背男(ほしのかみかがせお)のみ。故、加(くわえて)倭文神(しづりかみ)、建葉槌命(たけはつちのみこと)を遣(つかわ)ししかば服ひぬ。故、二神、天(あめ)に登るといふ。倭文神、此には斯図梨俄未(しづりかみ)とも云ふ。果(つい)に以ちて復命(かえりこともう)しき』
(以下略)

 高天原の天孫ニニギの命に徹底抗戦した星神香香背男(ほしのかみかがせお)が民話のヘノカガッショドンに相当するというわけだ。『日本書紀』ではお尻や〈屁〉のことなど明快に記述されてはいないが、ホシノカミカガセオ(星の神、香香背男)とは何ともそれらしい名前ではないかな。背中を向けてイヤなニオイを放っている連想がふくらむよ。

 この辺でまとめておくとこうなる。
(1)お尻を向けることは人に失礼な行為である。
(2)お尻を突き出すことは失礼を通り越して人を侮辱する行為である。
(3)お尻を突き出し〈屁〉をこくことは人を強く侮辱する行為である。
(4)以上の「尻と屁」の結びつきは古代から意識されてきた侮辱行為である。
(5)人間にとって最大の侮辱行為は尻を丸出しにして人に〈屁〉を嗅がすことである。

 いや、ちょっとまとめきれなくて表面的になっているな。つまり、なぜ(背中ではなく)お尻を向けることが侮辱につながっていくのか。いやいや、お尻を丸出しにして〈屁〉をこくという恥ずかし〜い行為をすることが、なぜ相手への侮辱になってしまうのか。疑問は解消されていない。伊企儺やホシノカミカガセオの気持になってみる必要があるな〜。
posted by 楢須音成 at 01:51| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 断片考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月01日

香ばしき〈屁〉の「にほひ」

 ふと自分の〈屁〉の臭さに気がついた瞬間は恥ずかしいものであるが、そもそも臭気(悪いニオイ)というのは相対的なものではあるし、無臭というものを知らないで辺り一面が悪臭の環境にいる限りはしぶとい耐性ができるのであろうし、井の中の蛙と同様に、そのゾッとする臭味もごく普通と思ってしまう人もいるのである。

 こうなると蛙の面にナントヤラであって、無臭ないしは微臭が標準になっている人には強烈過ぎるくっさい〈屁〉が漂う中で、まったく平気の平左で息を吐くがごとくに普通に重ねて〈屁〉をこくわけで、その鈍感ぶりにまわりはあきれるばかりである。

 しかしまあ、それはそれとして、まだ未開の国ヘッポンに黒芋船が来航したとき、あまりの臭さに民衆は最初は驚き辟易したものだったが、船は悪びれるところもなくブオーブオーと勇ましく黒い屁気を吐き出すものだから、これぞ天地開闢の香ばしき「にほひ」と思って受け入れたものである。

 受け入れるということは一種の耐性の発生であり、最初は毒でもそのうち無毒化していき黒芋を賞味して我が物(つまり、自在な放屁)としつつ、屁国強屁(屁の国は強く屁をこく)をめざして黒芋の大規模農園経営に乗り出していったのだが、黒芋に飽食するとその星では次第に〈屁〉は飽きられ、ついに忌み嫌われるようになり、やがて実はもともと〈屁〉は下品下劣なもの(否定すべきもの)だったのだという者もあらわれたのである。

 ヘッポン国の哲学者ヘガクッサによれば〈屁〉が臭いのは多分に精神的なものであるといい、臭いと思えば臭いが臭くないと思えば臭くないのであり、そこが貴殿の〈屁〉がひどく臭くても俺の〈屁〉は絶対に臭くない真理だと強く主張して放屁自殺してしまったのだが、多分にこれは黒芋の過食による考え過ぎが原因といわれているのである。

 惜しむべき哲学者ヘガクッサの崇高なる自殺は自らの浄化(無臭性)を願う切なる煩悶からきているわけだが、何しろ日頃ぶくぶく飽食してにおうので、どう薄めても飢餓の国から見れば幸福過ぎる飽食国民であるのは歴然としており、これがため(自省的・自虐的に)悶絶のやむなきに至ったものと考えられていて、その煩悶の一つが〈屁〉武装中立の国家体制への憎悪である。

 深く思弁を好む哲学者ヘガクッサは「にほひ」立つ〈屁〉武装中立などは絶対に認められなかったのであって、そういう屁和(へーわ)国家などありえないのであり、かくして〈屁〉の無臭性にこだわるあまりに精神は追い立てられていったが、その真っ直ぐな愚直さと類似の正義派はいたわけで、例えば隣国の新興〈屁〉武装行進国ハンリュの黒芋カオーのコマーシャルばかりを流して黒芋三昧だったオダイベテレビは、黒芋を憎むデモ隊に本社を十重二十重と囲まれて往生していたのである。

 こうした民衆の行動を〈屁〉の「にほひ」をめぐる混迷戦であると納得したのは哲学者ヘガクッサの息子で黒芋商人のヘガモットクッサである。

 黒芋商人ヘガモットクッサは、飽食して悪臭の〈屁〉をこきつつも〈屁〉を憎んだ父親の矛盾を強く強く感じて育ったこともあり、いつしかアンチな〈屁〉に引き寄せられてむしろ〈屁〉が大好きになってしまい、父親は軟弱にも「にほひ」を過大に妄想して自他に及ぼすその悪臭(妄想)に苦しんだのだと批判的に考えるに至ったのである。

 父親はしかし、単に苦しんだのではなく、無臭という倫理(観念)の高み(理想)にのぼることによって現実構成力(正義)を獲得しようとしたのであり、放屁自殺は純粋倫理の実現であったのであり、それはそれで自らの消滅と引き換えの美しい至誠の心ばえだった──と息子にして黒芋商人ヘガモットクッサはむしろ父親を尊敬したのである。

 ただし、オダイベテレビを取り囲んだ正義派(A派)は「にほひ」は忌避しても本当は黒芋(ハンリュ産ではなく国産)が大好きなのであり、激しくおのれの〈屁〉をにおわせているにもかかわらず国産の「にほひ」を極小に妄想することで至誠(無臭)を夢見ていたのであるから、決して放屁自殺などしない楽天な人々である。

 そもそも隣国ハンリュの廉価な黒芋カオーは食用のみならず〈屁力〉発電の有力な燃料になっており、〈屁力〉に依存するヘッポン国はその黒芋を大量に輸入してまかなっていたわけだが、一方で黒芋カオーがもたらす〈屁〉は正義派(A派)から「安かろう不味かろう臭かろう」の三拍子と評価されており、オダイベテレビが朝から晩までコマーシャルを流し続けたものだから、国民の脳が洗われ三拍子が日常化される危機とされたのである。

 だからといって、どっぷりと黒芋カオーのうま味に染まったオダイベテレビが視聴者洗脳を気にするわけもなく、「はいはい嫌なら食うな」「ブウブウうるさいだけ」「あれは精神的にアレだな」「仮想敵国を作ってうれしいか」「まるでミステリーな連中だな」「超右翼のレイシスト」とか、まったく取り合うこともなかったので正義派(A派)は切屁扼糞(せっぴやくふん=悔しくて切なくて屁をこき糞をにぎにぎ)したのである。

 このオダイベテレビの屋上にあるのが〈屁力〉による自家発電所で、独特の球形の発電体が黒芋カオーを燃料にして電力を生んでいて、それをもとに強力な電波を発していたのであるが、うかつにも正義派(A派)に取り囲まれたその騒ぎの最中に〈屁〉の猛臭の漏出事故を起こしてしまったのである。

 これはオダイベテレビによる意図的な漏出だともいわれているが、あまりの猛臭に驚き慌てた正義派(A派)は散り散りに飛散し、なかには鼻粘膜をただれさせ血を流し入院までする者も続出し、この惨劇に憤激して危機感を募らせた〈屁力〉発電反対の正義派(B派)が続々と全国から集結し「そ〜ら、そらそら、いわんこっちゃない、かねてより危険を警告していたはずだ」と示威の防臭マスクを付け、何はともあれオダイベテレビへの抗議行動に打って出たのである。

 黒芋商人ヘガモットクッサの観察によれば、こちらの正義派(B派)はあらゆる黒芋を全否定することにおいて父親の哲学者ヘガクッサと極めて似ているが、A派と同様おのれの無臭性の欠如(臭気)に対する自覚に乏しいまま黒芋を摂取する一方で「あらゆる黒芋を全否定している」ことに至誠を感じており、すべて悪いのは(自分ではなく)黒芋なのだから、決して放屁自殺することなど(黒芋を全否定しているがゆえに)あり得ない楽天な人々である。

 黒芋商人ヘガモットクッサは黒芋の市場原理に忠実な現実主義者であり、全国民の黒芋需給と価格のバランスにそって絶妙の商売繁盛の渦中にあったが、現実主義者としてこうした人々の動向に父親の自壊した姿を重ねつつ、だいたい三つの商品を使い分けて黒芋を売りまくってきたのである。

A派向け=国産の黒芋(歴史正統性)
B派向け=国籍不明にした黒芋(世界理念性)
オダイベテレビ向け=ハンリュ黒芋カオー(経済貪欲性)

 まあどれにしても当面、黒芋がないと人々は立ち行かない(黒芋が主食である)のであるから、そこに黒芋商人ヘガモットクッサは深く深く付け入って販売戦略を盤石にしているのである。

A派への戦略=「にほひ」を純潔化して〈屁〉の万世固有を称揚するアジテーション
B派への戦略=「にほひ」を理念化して〈屁〉を普遍性へと昇華するアジテーション
オダイベテレビへの戦略=黒芋カオー売り込みと引き替えにする〈屁〉のスポンサー

 踏んだり蹴ったりのオダイベテレビだが、何しろ利にさとい商業マスコミであるから当面この道はどこまでも続くと、大量の黒芋カオーをバラまきながら同伴文化人や芸能人を動員して狂乱のオダイベ祭りを開催中である。

 もちろん黒芋にまつわる楽天な人々を取り込んでいる黒芋商人はほかにもいて競争も激しいので、ヘガモットクッサは「にほひ」に手を加えるため研究を重ね、これまでの黒芋モダン焼から一歩抜け出た新商品の開発に取り組んでいるのである。

 ──名前だけは決まっていてその名は、ポストモダン焼。キャッチは、芋を喰らわば皮まで。
posted by 楢須音成 at 02:32| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 独舌漫語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月19日

ガセネタの〈屁〉の真面目

 ガセネタというのは昔からあるわけだが、〈屁〉のガセネタというのはこれまた多い。巷にはウソかホントかわからないような話が充満していて、このブログで取り上げる幾多の〈屁〉の話も、事実性よりは虚構性が極めて高いものばかりといえるだろう。あるいは事実が針小棒大な話になっているのかもしれない。

 しかし、あなたにも私にも〈屁〉は厳然として存在するので、眉唾な話の中にも人生の真実味を感じてしまう、まったりとした味わいがあるね──まあ、こんなことを言うと、屁も〈屁〉の話も嫌う知人からは異常者と見なされるが、一般には〈屁〉の話はみんな好き(なはず)よねェ。

 福富織部の『屁』に著者自身がある〈屁〉の噂に関して警察に問い合わせた手紙が収録されている。これに対して回答があったのである。
 埼玉県下忍町(おしまち)に屁の営業を免許された者があると聞いて、早速照会して見た。

益々御清栄之段奉大賀候(ますますごせいえいのだんたいがたてまつりそうろう)、小生は大正五年に東京府立農林学校を卒業し、爾来(じらい)屁の研究に没頭致し居る愚人に有之候(これありそうろう)。仄聞(そくぶん)する所に依れば、今より六七年前に貴管内に屁にて歌を謡ふ名人あり、貴署より屁放りの営業を免許せられし由に候が、事実にて候や否や、乍御手数御回報相煩度(おてすうながらごかいほうあいわずらわしたく)、此段及照会候也(このだんしょうかいにおよびそうろうなり)。若(も)し事実とすれば、その出生地姓名許可証の写(うつし)等御承知致し度く候。
福富織部
忍警察署長殿

 これに関し下記の通り回答があつた。

 回答
本日十九日付ヲ以テ御照会ニヨル放屁名人当署管内ニハ差当リ(さしあたり)該当者無之(これなし)、従テ営業免許等ナシタル事実更ニナシ。尚(なお)貴殿ニハ農林学校を卒業シ、屁ノ研究ヲセラルゝ趣ナルモ、当忍町ニモ大分希望者有之候條(これありそうろうじょう)、貴殿研究事項大要折返シ御回報相煩度、此段及回答候也。
 追テ添付二銭切手一枚本件ニ使用ス

 つひにこの問答は要領を得ずにしまつたが、該警察の労を多とする。

 織部が〈屁〉で音曲を奏する人物がいると聞いて問い合わせをしたわけである。地元の警察から営業免許を貰ったというのだから、天幕興行でもしていたのだろうか。まあとにかく、そういう屁芸の人物がいたという噂を織部は聞きつけ、その者の出生地、姓名、許可証の写しを欲しいと大真面目に申し込んだ。

 織部は随分期待して回答を待っていただろう。しかし警察署の回答は、そういう人物はいないというものだった。傑作なのは、逆に織部に問い合わせをしていることだね。農林学校を卒業して屁の研究をしているそうだが、忍町にもそういう希望者が大勢いるから、研究内容の概要を回答して欲しい、というのである。

 警察署長の関心は屁の研究に向かったわけで、どういう根拠か織部を説得するように希望者多数と言ってはいるが、署長自身が興味津々の様子だ。(あるいは、単にあやしい奴と思ったのか)

 織部はこのほかにも、伊藤国太郎という浜松の芳川村に実在したと思われる屁芸の名人について村長に問い合わせている。このときは実在は確認したが、村長は「放屁云々はいざ知らず」と回答している。伊藤国太郎は屁国先生とも呼ばれたというが、織部は直接会って記述しているわけではない。(この屁国先生については1990年代に松沢呉一が取材を試みている=参照

 さて、〈屁〉で芸をする人についてはこれまでに何回か取り上げてきたのだが、過去において日本ではどの人も詳しい人物像はわからないのである。ビジネスになった〈屁〉の芸人は洋の東西ではフランス人のジョゼフ・ピュジョール(19世紀)、日本人の福屁曲平(18世紀)が世界歴史の記録に残る双璧のようだが、フランスの場合は人物が特定されて医学研究まである。日本では平賀源内ほかが記述して実在はしたらしいものの、本名すらわかっていないのである。(参照

 日本で歴史上の〈屁〉の芸人は、名前や芸風については伝わっていても、実在の特定や詳細はわからないのはなぜだろう。〈屁〉の話題(の人)は屁のように立ち消えになってしまう。(参照

 現代日本にも〈屁〉の芸人はいて、佐藤清彦の『おなら考』(1994年)で元新聞記者の著者が取材している。これはこれまでの〈屁〉の芸人についての記述の中では最も具体的で詳しいものだろう。テレビなどにも登場し(音成は観ていない)、最近まで活動されていたようであるが、やはり〈屁〉だけでビジネス芸の確立は難しいようだ。

 ──話がそれてきた。
 あちらに〈屁〉の芸人がいると聞けば早速、問い合わせるのが織部の探求心なのだった。織部が『屁』をまとめるにあたっては、噂の真偽を直接確かめる探求心(取材)が所々に発揮されている。

 そういう真面目がまた笑いを誘うのも〈屁〉というものの姿なのだな。つられて署長も反応してる。ガセネタの〈屁〉に二人とも腹の中では笑ってたのかもしらんが。
ラベル: ガセネタ 芸人
posted by 楢須音成 at 01:38| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月10日

続・仇討ちの〈屁〉

 物語の結構というのは、作者がよくよく思案して作り上げるものなんだろうねェ。特に結末はそこで世界が切れてしまうのだから、何やら余韻を持たせるとか、奇想天外な結末にするとか、少しばかり謎めかすとか、思い切り泣かせるとか──要は深浅はあっても感動(読んで良かった〜という思い)を誘う仕掛けが細工される(ことがある)わけだろう。

 さて、いよいよ『臭気靡放屁倉栄(くさきもなびくひりくらべ)』は完結へと向かう。この世界の曾我兄弟も父を殺した仇敵、工藤祐経に深い恨みを抱いているのである。〈屁〉の世界では〈屁〉で仇討ちをするわけなんだろうが、結末やいかに──。
 光陰矢の如くはや月も下旬になったので富士の裾野に陣屋を建て、放(ひ)り場の切手(札)を出して入場を許した。仁田の四郎忠綱(ただつな)は大勢を相手に屁を放りたいと思っていたのだが、ちょうどそのとき、荒れて大暴れのイノシシが真一文字に駆けてきた。これを大勢で放り倒さんとしたところ、イノシシ大いに怒って電光石火に矢のような屁を放ったから、人々は怖れて逃げ回る。ヤアこしゃくなイノシシめ、と忠綱は満身の力を尻に込めウンと気張るや、即座にイノシシを放り倒す。あっぱれ古今まれに見る屁放りやな、と感じ入らない者はなし。かくて鎌倉の諸大名、我も我もと放り争う音に天地も鳴動し、三国一の富士山も霧が立ったようになって、その臭いこと筆に及ばず。
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 時まさに五月二十八日の夜のことである。曾我兄弟は音もなく工藤の陣屋に忍び入り「父、河津ノ三郎祐康(すけやす)を放りつけた工藤左衛門祐経(すけつね)、今こそ兄弟が恨みの屁、いざ受け止めよ」というままに続けて放りに放りつけたので、心地よかりし次第であった。かくて兄弟、思うがままに祐経に放りつけたので、それではこれから陣屋という陣屋へ押し入り一つ一つ放りつけて手並みを見せてやろうと、まずは一番たいらくの平馬、しょうあんさい黒弥、五竹の下などなど、ことごとく放りつける。これを兄弟十番放りという。かくして十郎祐成(すけなり)は最後まで放りつけたが、少し疲れているところに仁田四郎忠綱が駆けつけ、祐成に放りつけた。一方、五郎時致(ときむね)は血気にまかせて放りつけていたが、もはや屁種も尽きた頃、御所の五郎丸が女のいでたちで時致のそば近くに寄ってきたのを、女だと思い油断してしまう。折しも時致をうかがうように寄ってきて放りつけたのだが、時致が少し躊躇したその隙に、大勢が押し寄せて放りつけ時致は無残な次第となった。
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 さてさて富士の裾野の放りくらべ首尾よく済んで頼朝公、ことのほかお喜び遊ばされる。また諸大名の武威の盛んなることをお感じになり、それぞれに御褒美を賜った。なかにも曾我兄弟の働きまことに前代未聞なり、と特別に感じなさったのである。兄弟はいろいろ御褒美を頂戴し末永く栄えたのだった。
 放りくらべを仕切った重忠と工藤の二人も御加増を賜り、めでたき春を迎えた。
 夢ならばここで覚めるところである。まことに曾我兄弟をのちに両社の神に祭り、ほうひ大明神と申すそうだ。俗に屁放りの神というのはこれである。信心して行いを正せば霊験があるだろう。詳しいことは誰ぞにお聞き。

 何という結末であろうか。これを四方が丸く収まるハッピーエンドというわけだろうね。それにしても、もとの話とは随分違う結末ではないか。仇討ちはどこにいってしまったのか。敵も味方もなく誰も死ぬこともないのである。曾我物語を期待して読んだ読者には「何じゃこりゃ」の肩透かしであろう。いや音成もいささかガックリきたけどね。

 しかしまあ、これが〈屁〉なんだな。出そうで出ない、出なさそうで出る──こういう〈屁〉の裏切りはいまに始まったことではないが、正調の曾我物語に対して肩透かしの〈屁〉にまみれた、俗調の物語が放り出されたわけだ。

 まあしかし、この屁話の眼目は最後の結末にあるだろうさ。頼朝公が重視するのはお尻が放つ「武威(ぶい)」なのであるが、武威の高揚こそがこの屁話の一貫した価値基準なのである。武威に優れたる者こそめでたけれ。武威は勧善懲悪を超える。正調では仇討ちが至高の価値だったが、これが俗調では武威なのだ。つまり、仇討ちは添え物になっている。

 そう見てくると、登場する一人一人の武威がちゃんと描き分けられているではないか(な?)。かくして曾我兄弟は仇討ちではなく、仇討ちの〈屁〉が前代未聞と称揚されることになるのである。だからこそ兄の十郎祐成は死ななくてもいいのだし、仇敵の工藤祐経が死ぬこともなく(放りくらべを仕切って成功させ武威を高めた功績で)加増されるのだね。

 いやはや、曾我兄弟がほうひ大明神とはなあ。ここは結末に感動(?)を残さんとする浅薄なこじつけにしか思えないが、そもそも〈屁〉の武威とは何なのだろう。ただの〈屁〉を武威にまで高める志こそが頼朝の願いだったんだろうけどねェ。
posted by 楢須音成 at 23:39| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月07日

仇討ちの〈屁〉

 そもそも〈屁〉とは何ぞやということは、そもそも〈芸術〉とは何ぞやという問いにに匹敵する(答えにく〜い)人生の問題であろう(か?)。バ〜カ、んなわけねえよ、と一蹴されるのがオチであっても、なぜに人はしばしば〈屁〉に拘泥するのであろうかねェ。

 昔の人は書きました、うんちく傾けた〈屁〉の物語を──それはとても芸術とはいえないまでも、うんちく(や人生の皮肉)を語ることに、何やら〈屁〉をこく爽快感がみなぎっているんだよね。とてもじゃないが、身から出る〈屁〉が嫌いではできない。

 1789年に刊行された草双紙(青本)に『臭気靡放屁倉栄(くさきもなびくひりくらべ)』という屁話がある。福富織部の『屁』に収録され紹介されている。調べてみたら東京都立図書館の加賀文庫に刊本の所蔵があった。織部が引用している版とは違うようだが、原文は同じ。ただし、作者などの紹介に織部とは異同がある。ここでは加賀文庫の奥付から紹介しておく。作者は錦森堂軒東(馬喰町にあった書肆の主人)、絵は勝川春朗とある。(この春朗という人はどうも北斎のようなのだが、こんなの描いてたのか)

 話は鎌倉時代にさかのぼって作者のうんちくが爆発する。キーワードは「曾我兄弟」「仇討ち」「巻狩」などで、これがまたことごとく〈屁〉で染まる〜。音成のテキトー訳で紹介する。
上の巻
 世の中が落ち着いているときに乱れることを忘れないのが良い武将である。かくて右大将頼朝公はおごる平家を放(ひ)り潰し、相州鎌倉に御所を構え、勢いある龍が水を得たごとく、なびかぬ草木もないありさまであった。さて頃は建久四年のこと、鎌倉の諸大名を召し集めて仰せられることには「われ今、天下を治めて四海ことごとく平穏である。これはみなわが武威(ぶい)のなすところだが、その武威のもとを尋ぬれば屁だ。ことに今は鎌倉に居住しておるが、カマとはつまり尻の異名。かれこれ屁に縁があるのだから、今度諸大名に申し渡して、屁の放りくらべを行おうと思う。どうじゃ」と意見を求めた。和田、北條、畠山などが言葉を合わせて「よろしいですな〜」と申し上げる。頼朝公、大いに喜びなさり、まず重忠を奉行と相定め、工藤祐経(すけつね)に諸事御用掛を仰せつけられる。重ねて頼朝公、屁術に達している者がおれば大小名に限らず申し出るよう命じなされた。

 そうこうするうち祐経(すけつね)は諸事御用掛ゆえ、まず近江八幡に申し付けて関八州の芋をことごとく積み出させ、旗下の面々へ知行に応じて分け渡した。芋、ごぼうなど隠し置いたり内々に売買する者がいれば、重大なる不正であると国々へ書状で直に申し渡しもした。こうして日夜、おびただしい数の芋船が着船した。また鎌倉の諸大名は屁術に励むように仰せられたので、我も我もと屁術の稽古を始めた。その音は百千の雷のようであり、あまりに大層な音なのであった。また一説にはその頃鎌倉に黄なる雲気が立ったという。これは諸大名が放(ひ)った屁が空に立ちのぼったものであろうか。作者も知らん。といって、新開の荒次郎が所領(現深谷市)の名物ごぼうのゆえとて屁までやったというのではあるまいし。

 このとき和田義盛は老後の慰みとして、九十三騎を引きつれ大磯にて三日三夜屁の放りくらべを催した。梶原もこの様子を聞き、何としても思う存分に放らんとて芋をしたたか食い込み、勢い込んで来たのだが、ちょうどそのとき曽我十郎祐成(すけなり)が馴染みの遊女、虎のところにやって来ていた。梶原は日頃から虎に心を懸けていたものだから、この様子を聞いてひどく腹を立て、祐成を引きずり出して大勢集まって屁を放りつけた。祐成は黄疸病さながらの無残な有様だったが、色男だけに大食もしないので、屁を放り返すことができずに無念がった。

 大薩摩文太夫が去ってから、曽我五郎時致(ときむね)はこの世に生かしてはおけぬ不倶戴天の仇敵(きゅうてき)、工藤祐経(すけつね)をただ一放(ひ)りに放りつけんと芋を洗っているうち、折しも眠気が襲ってきた。とろとろとまどろむ夢の中、不思議にも兄十郎が忽然と現れドロドロが打ち響く。──これこれ時致、今宵図らずも大磯にて梶原の連中に放り負かされ、思いも寄らぬ難儀に陥った。早く助けに来てくれよ。そのうえ仇(かたき)の祐経も一座にいる。他年の本望今宵の中、起きよ起きよ、という声の、夢うつつに耳に入るや、時致すっくと起き上がり逆沢瀉(さかおもだか)の鎧(よろい)を引っさげ飛び出した。
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下の巻
 その場所に時致(ときむね)は兄の難儀を救わんと慌てて駆けつけたのだった。朝比奈すかさず屁を放りつけ、およそ阪東八ヶ国に放屁自慢をする者は朝比奈よりほかにおらんわ、などと広言吐いて放り回れば、時致大いに怒って、憎き朝比奈が広言かな、と溜めに溜めたる怒りの屁、次々に放り出して対抗した。これを今に伝えて「草摺引(くさずりびき)」という──放り上げた逆沢潟(さかおもだか)ではチト無理かいの。いや、そんなことより時致は仇の祐経(すけつね)に対面し、思うままに放りつけんと思っていたのだが、最前の朝比奈のあまりの広言に溜め込んだ屁を思い切り放りつけたので、もはや出ない。無念がった。余裕の祐経は対面のしるしに「へがきの短刀」に短冊を添えて兄弟に与え追い返した。祐経のその歌。

さつきまで腹はいつしか芋消えて
    そのさみだれを待つてひれかし
(さつきまでで腹のお芋はいつしか消えた
    五月雨の長雨みたいな屁を待ってひれよな)

 急に詠んだので歌意はなはだこじつけである。

 この騒ぎのあと、いよいよ話は仇討ちの場面へ。下敷きになっているのは、歌舞伎の演目にもなっている曾我兄弟の仇討ちの話なのだ。登場人物が脈絡を欠いて説明なくいきなり登場したり引っ込んだりするのはその下敷きがあるから。分かる人には分かるエピソードが(ごちゃ混ぜになって)展開しているわけである。

 細かいところは省く(音成はあまり知らん)が、曾我兄弟(十郎祐成、五郎時致)の父は争いの巻き添えで工藤祐経の配下によって殺されている。兄弟は仇討ちのチャンスをうかがっていたのだが、祐経はすでに頼朝について御家人になっていたから、そう簡単には手が下せない。一度は祐経に手をかけようとするチャンスもあった。しかし、そのときは祐経に赤木柄の短刀を与えられて追い返される。それから艱難辛苦の幾年月、あるとき頼朝が富士の裾野で巻狩を催した。ここで曾我兄弟は寝所に押し入って祐経を討ち取るのである。兄の十郎祐成は戦闘で死んで、五郎時致は捕まって処刑される──大体そういう流れになっている。

 吾妻鏡にも出ているこの事件は、遊女の虎が口伝えに語り伝えて広まったとも言われていて、日本の三大仇討ちの一つとされている。

 さあ、この屁話の後半だが、思い知るのか〈屁〉の威力、音成も固唾をのんで読み進む〜。
posted by 楢須音成 at 14:10| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月28日

嫁は屁をこく果報者

 なぜだか、歴史的に見ても女性の〈屁〉には格別の視線が向けられてきたようだ。その根底にあるのは、それは「あるまじきこと」ゆえに、恥に絡む倫理観の生態やら余儀なくタブーを犯してしまった女性のエロチシズム(恥じらい)やらが、とりわけ男の視線でピックアップされてきたのである。

 例えば、民話の世界の屁話。女性がどう〈屁〉に扱われているかは、これまでにも考えてきたんだけどね。古来こんなことがテーマの一つになったのも、女性の〈屁〉に格別の意味があったからだと思うのだ。そして、なぜだか特に「嫁」にスポットがあてられているね。

 民話は同じパターンの話が筋立てを変え、いろいろ変種を生んで全国に流布している。女の〈屁〉の話も同様だ。少し長いのだが、『みちのく艶笑談』(平野直編、1977年、オハヨー出版刊)から「ひとつき屁」という話を引用してみよう。

 この話は展開部が三つあって一つの話として完結している。登場するのは女性の中でも「嫁」という立場の女である。三つの展開はそれぞれがパターンとなっており、別々の独立した笑話として流布しているケースも多い。
(1)昔コの中には、屁ばなしが多い。今その中の三つ四つを語ろうと思うが、あまり臭い顔をせずに、きいてたもれ。
 ある村の若い者が、山一つ越えた隣り村の娘を見染め、なにがなんでもと、仲人を立てた。
 貰いに行くと、
「どうも家の娘には、悪いくせが一つあるので…」
 と、先方の親が渋った。
「わるいくせとはまた」
 と、きくと、
「屁をひるのが、玉に疵でがんす。ひらんでおりよすとな、顔コが青うなって、腹ぐりぐりめく、まことにお恥ずかしいくせで…」
「ほ、どれほどひられる」
「さ、まだ試したことはないようでがんすが、多分、ひと突き一つぐらいでは─」
 仲人がひと突きを一月と、ききちがえた。
「なに、一月に一屁ぐらいなら、少ない方でがんすべ。このはなし、まとめましょう」
 と、いうことになった。
 婚礼も、滞りなく終って、部屋入りとなる。さて、これからが大変なことになった。床演技が始まると、なにせひと突きひと屁なのだから堪らない。ブースカブースカ、部屋中は屁だらけで、嗤(わらわ)せっぽくなってきた。たまげるやら嗤せるやらで婿どのも方図をなくして、途方にくれた。
 次の日嫁ごは、とてもお恥しくて、身のおきどころもなかったので、
「何もいわず、お暇(ひま)をけてくなんせ」と、涙ながらに願った。
 婿どのは、ことがことだが、なにしろ自分が望んだ嫁だから、出しとうもない。といって、止める言葉にも困った。

(2)いよいよ嫁ごが土間に下りて、掃きおとしから出て行こうとすると、若者はその出口に立ちはばかって、
「これさ、ここからは出てはならぬ。ここはおらの出口だ」という。
 そこで嫁ごは、常居(じょい)の縁側から出ようとすると、
「そこもおらの出口だから、出ることかなわぬ」という。
 ではと、座敷の方にまわると、
「いやいや、そこも駄目ね。お客人の出入口だ」と、首をふった。
 そうこうしているうちに、嫁ごの顔がまっ青になり、
「とても我慢がならなくなったス。なにさかつかまっていてくなんせ」と、泣き声を立てたと。
 それそれと、婿どのを炉ぶちにたもつかせたあと、嫁ごは一発、思いっきりのをぶっ放した。
 これはまた、聞きしにまさるもので、家の天井裏を吹きぬき、屋根をつきぬいて、あろうことか、大切な大切な婿どのまで、吹っとばしてしまった。
「あやや、ことなことになったや…」
 嫁ごは、われながらわが屁に吃驚にして、婿探しに家をとび出した。

(3)山の方をたてて行ったが、更に婿どのの姿は見えなかった。泣き泣き行くうち、山の一本松のところに来かかると、お城に移し植えるのだといって、その松の大木に七匹の牛、七はづなをかけて、うんすやんすと、根っこがえしさせているところに行きあった。したが、七七、四十九頭もの牛でひいても、松の大木は、びくとも動かなかった。
 それと見た嫁ごは、
「あやや、なんたらじくなし(いくじなし)なお人たちばりだべな。おらならば、屁一つで、こんな木、根っこがえしにして見せるのにな」
 と、笑った。
「なんとまた、屁で根っこがえしさせるとは、大口たたく女ごだべ。ようし、もしもほんとにやれるものならば、一つなぎ七頭、七はずな七七、四十九頭の牛、みんなそなたさ、くれてやる」
 と、牛方の親方がいったと。
「あれ、ほんとスか」
「ああ、ほんとだとも、うそと坊主の頭、ゆったことがない」
 と、居丈高になった。
「なら、ごめんなんしょ」
 お尻をぐるっとまくると嫁ごは、一発ぐわんと鳴らしたけが、さしもの大松も、ゆっさゆっさどしんと、根っこがえりした。
 すると、その上さまた、何やら落ちてきたものがあったので、よくよく見ると、さっき吹きとばした婿どのであった。
「あや、探してい申した」
「嫁ごか。してこの場の仕儀は─」
「はい、私の屁で四十九頭の牛持ちになりあんした。二人でひいて帰りますべ」
 もはやこののちは、ひとつきひと屁もあまり苦にならず、これをお囃子音ときいて、次つぎと子宝に恵まれ、婿どののたもつく炉にはがっしりした縁をつけて、「ゆるぎぶち」と名づけ、尚屋敷の名までが「ゆるぎ屋敷」といわれる長者になったとせ。

 次第に実力を発揮していくとんでもない果報者の嫁だね。最後は長者になるという致富譚はよくある民話の大きなパターンの一つであるが、そこに〈屁〉が絡んでいるわけである。(その理由というか、背景については前にこちらで考察した=参照

 さて、この嫁の〈屁〉の特徴は、制御の観点からみれば、こうなる。

(1)一つ突かれ(やむなく)一発=受動→羞恥
(2)我慢できず(やむなく)一発=不能→呆然
(3)自由自在に(ねらって)一発=能動→元気

 こうみると、名誉挽回(逆転)の一発が最後に放たれているのだが、(1)から(3)への展開は、嫁が男勝りの元気へと脱皮していく流れになっている。笑話になってしまう核は、

(1)最中に律儀に屁をこく
(2)夫まで吹きとばす巨大な屁をこく
(3)並み居る男どもをやりこめる屁をこく

 ということが(やっぱりというか、意外にもというか)次々に判明していくところにあるのだが、これは同じ〈屁〉をこくにしても、やがて制御を手に入れていく過程になっているのだ。そもそも〈屁〉を制御することは大変難しいのである。嫁が(3)において放った〈屁〉は単に大きな威力だけでなく、うまく大松を根っこがえりさせる技術(制御)と自信(確信)が備わっていたということを見落としてはならない。

 致富譚は民衆の(決してかなわぬ)致富願望であって、話のハッピーエンドとは裏腹である。現実には、純朴で健気な嫁に〈屁〉などは似つかわしくないばかりか(あってはならぬ恥であり)裕福になるのに何のタシにもならないものだろうねェ。嫁と〈屁〉の関係性は「恥」以外の何物でもない。(いやまあ、第三者からは愛嬌とかエロとかの妄想・艶笑は出てくるにせよ)

 しかし、背反する「嫁と屁」の関係だからこそ、ことさらに〈屁〉なのである。尋常でない〈屁〉の烙印を与えて嫁を貶めつつ(3)の逆転劇が用意される。逆転とは〈屁〉の制御の獲得であり、それによって嫁は成果を得て輝かしい「(嫁の)立場を得る」のである。

 民話の結末の多くは世間的であり、よりよい世間性の獲得(例えば致富)が目指(願望)される。しかし世間は厳しい。厳しさの中で葛藤せざるを得ない。そのときの絶望感はまるで止まらぬ底なしのおびただしい〈屁〉だ。ならば、それをあやつり(制御し)活用して財をなせたらどんなに面白かろう。ああ、そんなの無理だけどさ。

 この話のリアルさはかくして〈屁〉によって裏打ちされているのだね。ときどきブーブー破綻するにしても〈屁〉は制御されることで、この世で危うい世間性を獲得する道理なわけだ。

 この嫁の健気さには不思議に励まされるが、夫の存在の影は薄く、指揮権はカカア天下に傾斜していったと思われ、ならばそれは制御の行き過ぎよ。まあ、一番ダメなのは中途半端な〈屁〉をこく奴ということになるんだけどね。
ラベル: 致富
posted by 楢須音成 at 17:35| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月11日

〈屁〉が導く忘我の境地

 我々は身体上に生起する(生理的な)現象について把握しており、我身に何が起こっているか自覚しているね。まあ、単純だが一発〈屁〉をこいて無意識ということはなく、大体において自覚できるものだ。しかし。錯覚とか思い違いはままあるわけで、我身に何かが起こっていることを錯覚するようなことは、例えばこういうことがある。福富織部の『屁』から引用する。
 詩人国府青崖(こくぶせいがい)が、曾(かつ)て飯田町に寓居(ぐうきょ)した。隣は、歌人落合直文、そこで両家の便所が、垣根一重をへだてゝ相対していた。
「想をねるは、昔から厠上(しじょう)枕上(ちんじょう)鞍上(あんじょう)とある、便所に入つてやれ」
 苦吟(くぎん)の態(てい)で、便所に入り、折角(せっかく)想をこらしてゐた。すると、ブーツと、前触(まえぶれ)の法螺貝(ほらがい)の響(ひびき)、つゞいて、ポチヤーンと甕(かめ)の中に落ちたものがあつた。
「しめた、いゝ心持になつたぞ」
 帰つて、机に向かつたが、まだ何やら腹の中で、つかへてゐる。それも其の筈(はず)、ブーツブツ、ポチヤーンといふのは、隣の便所で落合直文がしてのけたのだつた。青崖は、只(ただ)一念、句を練り想を凝らすに急にして、自他の区別がつかなかつたので。
 隣の便所の戸が開いて、誰が出てゆくらしい足音を聞きつけ、やつとそれと気がついたとは、是はいや早、いや早是は。

 他人の屁糞を自分がやったと思い込んだ事例である。織部はあきれているが、この状況は詩人の一心不乱の芸術への姿勢を示しているともいえる。まあ、そこまで言わずとも、ボーッとしていて「あれ、今の屁は俺かお前か」という、ある種のとぼけた混乱は我家でもないことはない(かな?)。

 青崖の状況は必死になって詩文の想を練っているときに「ブーツ」「ポチヤーン」を聞きつけ、自分の生理的要求は満たされたと考えたのである。実際には隣人の落合直文の屁糞だった。これを織部は青崖が「自他の区別がつかなかつた」状態といっている。一定の忘我の心境になってくると、他人の行為も自分の行為も区別がなくなるといっているわけだ。

 考えてみると、この境地とは随分と奥深い。それが出現するのは「昔から厠上枕上鞍上」である。これを「三上」といっているが、寺田寅彦が随筆集の中で考察しているので紹介しよう。(適当に行を入れている)
「三上(さんじょう)」という言葉がある。枕上(ちんじょう)鞍上(あんじょう)厠上(しじょう)合わせて三上の意だという。「いい考えを発酵させるに適した三つの環境」を対立させたものとも解釈される。なかなかうまい事を言ったものだと思う。しかしこれは昔のシナ人かよほど暇人でないと、現代では言葉どおりには適用し難い。
 三上の三上たるゆえんを考えてみる。まずこの三つの境地はいずれも肉体的には不自由な拘束された余儀ない境地である事に気がつく。この三上に在る間はわれわれは他の仕事をしたくてもできない。しかしまた一方から見ると非常に自由な解放されたありがたい境地である。なんとならばこれらの場合にわれわれは外からいろいろの用事を持ちかけられる心配から免れている。肉体が束縛されているかわりに精神が解放されている。頭脳の働きが外方へ向くのを止められているので自然に内側へ向かって行くせいだと言われる。

 現代の一般の人について考えてみるとこの三上には多少の変更を要する。まず「枕上」であるが、毎日の仕事に追われた上に、夜なべ仕事でくたびれて、やっと床につく多くの人には枕上は眠る事が第一義である。それで眠られないという場合は病気なのだからろくな考えは出ないのが普通である。
「厠上」のほうは人によると現在でも適用するかもしれない。自分の知っている人の内でも、たぶんそうらしいと思われるほどの長時間をこの境地に安住している人はある。しかし寝坊をして出勤時間に遅れないように急いで用を足す習慣のものには、これもまた瞑想に適した環境ではない。
 残る一つの「鞍上」はちょっとわれわれに縁が遠い。これに代わるべき人力や自動車も少なくも東京市中ではあまり落ち着いた気分を養うには適しないようである。自用車のある場合はあるいはどうかもしれないが、それのない者にとっては残る一つの問題は電車の「車上」である。

 電車の中では普通の意味での閑寂は味わわれない。しかしそのかわりに極度の混雑から来た捨てばちの落ち着きといったようなものがないでもない。乗客はみんな石ころであって自分もその中の一つの石ころになって周囲の石ころの束縛をあきらめているところにおのずから「三上」の境地と相通ずる点が生じて来る。従って満員電車の内は存外瞑想に適している。机の前や実験室では浮かばないようないいアイディアが電車の内でひょっくり浮き上がる場合をしばしば経験する。

「三上」の三上たるゆえんの要素には、肉体の拘束から来る精神の解放というもののほかにもう一つの要件があると思われる。それはある適当な感覚的の刺激である。鞍上と厠上の場合にはこれが明白であるが枕上ではこれが明白でないように見える。しかしよく考えてみると枕や寝床の触感のほかに横臥(おうが)のために起こる全身の血圧分布の変化はまさにこれに当たるものであると考えられる。問題の「車上」の場合にはこの条件が充分に満足されている事が明白である。ただむしろ刺激があり過ぎるので、病弱なものや慣れないものには「車上」の効力を生じ得ない。この刺激に適当に麻痺したものが最もよく「車上」の能率を上げる事ができるものらしい。
(『寺田寅彦随筆集』1947年、岩波書店刊)

 物理学者の寅彦によれば、「三上」は(1)身体を拘束された余儀ない状態だが(2)外から用事を言われる心配はない状態──である。つまりこれは、身体が何らか束縛されているかわりに精神が解放されている状態であると指摘している。このとき意識の運動は外に向かうのを止められているので、自然に内に向かうことになる。なるほどね。便所で坐っている状態はまさにそういうこと。(急ぎの便所は別としてね)

 寅彦の指摘はまだあって、「三上」にはもう一つ要件があるという。そこには(3)適当な感覚的の刺激が加わっている──というのである。つまり、感覚上のある種の身体的な緊張が強いられている状態だ。便所にこもっている場合は、便意やそれによる力みに相当するだろうね。そういうものが一体になって前述の忘我状態を現象させているわけだ。(枕上や鞍上、車上については寅彦の記述をたどっていただきたい)

 そこには発想が湧き出る奥義が潜んでいると、昔から観察されてきたが、こうした一定の条件下での微妙な忘我状態については、寅彦が指摘した(3)の条件が重要だろう。要するに(1)や(2)だけでは単に部屋にこもっている凡々たる状態なのである。便所にいて便意や力みがあってこそなのだ。

 さて、ここで〈屁〉である。織部は便所では「自他の区別がつかなくなる」と指摘していたね。つまりは(1)〜(3)の条件が整うと、自他の区別がつかなくなる忘我へと至ってしまうのか。青崖は詩文を練って力みつつ便所にこもったのだった。そして忘我の中で「ブーツ」「ポチヤーン」と音を聞いて(我に返り)自分の屁糞が出たと思ったのだった。

 そもそも屁糞(という刺激)は身体の内在的な現象だね。そういう刺激の内在性の強弱は「三上」においてこう観察されるだろう。


    (刺激が内在的) ←厠上ー枕上ー鞍上→(刺激が外在的


 厠上という状況は刺激の内在性が一番強いのである。そして刺激の内在性が強いほど自他の区別がなくなりやすいことが考えられるのだ。それは心的運動が刺激に向かって純粋に内向きになっているから、自他のないより深い忘我状態をもたらすことができる。この点こそが厠上(つまり屁糞)において特徴的な現象ではないか。
 
 ともあれ厠上における〈屁〉は、発想を豊かにする忘我の契機を与える現象に違いない。しかし便所の外で自他の区別をなくした〈屁〉は大問題になるわけよねェ。
posted by 楢須音成 at 18:45| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月27日

なぜか〈屁〉とは言いたくない

 恥ずかしい行為はあまり口にしたくない。それを言葉にして発声することは、恥ずかしさに直結しているのである。もちろん〈屁〉もそうだ。かりに〈屁〉はこいていなくとも、他人様の前では単に「屁」と発声することすら憚られる。恥ずかしい単語なのだ。

 まだしも「おなら」という方が恥ずかしさは緩和されるかな。上品で教養もあるような人が〈屁〉などと口にすると野卑に感じるが、「おなら」なら許せるかもしれない。「おなら」というと、まるで〈屁〉が他人事のように勝手に鳴っている感じがする(よね?)。行為の連想から少しは遠ざかるわけだ。まあ、女性は〈屁〉とはあまり発声しないようだしねェ。こうした背景には羞恥心の微妙な動きがある。

 フランスの小話を一つ。
 パリへ女中に行っていた娘が三人、田舎に帰ってきて、やがてざんげしなければならなくなったが、タクシーの運ちゃんやバーのボーイや肉屋の御用聞きなんかといたずらをしたことは云いずらい。そこで、なんとかうまくごまかす方法はあるまいかと考えて、「トラッタッタをした」といおうときめた。
 牧師は何のことやら分からなかったが、パリの新語だろうと思って、二人目までは聞き流しておいた。が、三人目も同じことをいうので、これはくさいと勘づき、嵩にかかっておどかしてみると、簡単に白状してしまった。そこで、三人は改めてざんげ所に呼び込まれ、さんざん油をしぼられた。
 三人の娘はほうほうのていで教会から逃げ出したが、百メートルばかり来ると、知り合いのマルチーヌ婆さんに出会った。
「お婆さん、どこへ行くの」
「教会さ行くんだよ。どういうもんだか、このごろ屁ばっかりでてね、やりきれないんだよ、もしかしたら悪魔がとっついてるのかもしれねえので、牧師さんに相談ぶつべえと思うだよ。だけど、屁が出て仕様がねえともいいにくいでのう、思案してんのさ。なにかうめえ文句はあんめえかねえ」
 娘たちは顔を見合わせて、
「それじゃ、トラッタッタをするといいなさいよ、いまパリじゃ、そういってるんだから」
「そうかね、そりゃありがてえ。トラッタッタだね」
 婆さんは教会へいって、そのとおりにいった。牧師はびっくりして、
「いやはや、お婆さん、お前の年になっても、まだそんなことをするのかね! あきれたものだ!」
 婆さんは真顔で答えた。
「でも、仕方がねえですよ、牧師さん。おしりばかりはなかなか云うことをききませんでのう!」
(田辺貞之助『ふらんす風流さんげろく』1957年)

 娘たちが都会の男と(セクシャルな行為して)遊んだことをごまかすために「トラッタッタ」という意味不明の言葉を作り出して使い、それを〈屁〉にも流用させたのである。

 人間の〈性〉や〈屁〉は恥ずかしくて(ときには罪なものとして)隠蔽されようとするのだが、この話は〈屁〉的な観点からいうと、人間のそういう心的運動の何とも象徴的で対比的な展開になっているんだよねえ。ここで対比されているのは次のようなことなのだ。

娘たちの性的放縦への罪悪感→(あるかに見えて)実際は罪悪感なし
婆さんの屁的放縦への罪悪感→(あるかに見えて)確かに罪悪感あり

 つまりは〈性〉と〈屁〉の対照的な関係が展開されているのである(関連参照)。キリスト教の文化的背景から、ここは羞恥心というよりは罪悪感が表に出ているのであるが、一般に懺悔所などない日本においては、文化的には表層に羞恥心が出てくるだろう。(人間の心的運動では羞恥心と罪悪感はともに行動抑止の振る舞いを主導する)

 ここでは行動抑止(自己規制)という観点から、羞恥心も罪悪感も同じ(ようなもの)として扱うことにする。そこで娘たちも婆さんも教会の存在が倫理基準となって陰に陽に自己規制しているわけだが、両者は自らの行為の罪悪感(≒羞恥心)によって告白を強いられているね。

 しかし〈性〉と〈屁〉ではその心的な背景が違っていると考えられるのだ。結論をいえばこうなる。

〈性〉=肯定性の罪(≒恥)
〈屁〉=否定性の罪(≒恥)

 もともと〈性〉というものは動物の機能として生殖から喚起されているもので、原初的な否定性はないうえに、相手との身体的な「快」をもたらす究極の相互性を持つ現象である。ただ、観念妄想(つまり人間の文化現象)によって「快」が暴走して「快楽」へと突入しているため規制が必要になっている。例えばここでは教会がある。娘たちは教会を意識したとたんに罪を強いられるのである。

 一方の〈屁〉は動物の機能としてはほとんど無意味に属するもので、原初的な肯定性(根拠)は曖昧だし、ただただ相手への異音異臭の「不快」をもたらす最悪の相互性を持つ現象である。もちろん、他者への異音異臭のバラまきは観念妄想をふくらまして相互の「不快」が暴走する。根拠なき〈屁〉は忌むべき存在である。制御できない〈屁〉は悪魔の所業(悪魔が取り憑いた)とでもいうほかないのである。

 恥ずかしい行為(を示す言葉)を口にしたくない人間の習性から娘たちや婆さんの意味不明な「トラッタッタ」は生まれた。しかし、このように〈性〉と〈屁〉の心的背景の構図には違いがある。どちらも直接的な行為を示唆する言葉を避けようとするのは、深層はともかく表層の罪悪感や羞恥心を隠蔽するためだが、言い換えによって生まれる心的な状態は次のようになっているだろう。

娘たちのトラッタッタ=もともと肯定性があるので解放感が生まれる→〈性〉の擬似的自由を取得
婆さんのトラッタッタ=もともと否定性があるので遮断感が生まれる→〈屁〉からの擬似的隔絶を取得

 この話では〈性〉と〈屁〉が入れ替わる喜劇になってしまっているわけだが、牧師は娘たちの(にやけた下心の)トラッタッタのつもりで婆さんのトラッタッタをあきれて聞いている。実際には、婆さんのトラッタッタは〈屁〉から顔を背けたい一心の呪文なのである。婆さんの言訳は深刻だ。「でも、仕方がねえですよ、牧師さん。おしりばかりはなかなか云うことをききませんでのう!」という言葉は能天気に言っているわけではなく、真摯に止まらぬ〈屁〉を懺悔しているに違いないのである。

 ──つまりは〈屁〉の方が存在論的に罪深い現象なのであ〜る。
ラベル: 羞恥心 罪悪感
posted by 楢須音成 at 00:14| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月17日

屁糞という虚実の間

 室町末期の武将、太田道灌(1432-1486)の「山吹の里」のエピソードは有名だ。鷹狩りに出かけた道灌がにわか雨に遭い、農家に駆け込む。蓑(みの)を借りたいと申し出ると、幼い少女が「七重八重花は咲けども山吹のみ(実)のひとつだになきぞかなしき」と古歌を詠んで山吹の花の小枝を差し出したというのである。道灌は何のことだかわからない。結局、蓑は借りることができなかったわけだが、歌の意味をあとで知った道灌は、自分の教養のなさを深く恥じて歌道に精進したという。晩年には主家の抗争に巻き込まれて暗殺されたといわれている。

 この話がネタになって格好の屁話になっているのである。次の「似屁(にへ)物語」もそんな話の一つ。読みやすく句読点を付けて引用する。
昔(むか)し太田道灌となん云へる豪穴(ごうけつ)はすぐれて屁道を熟(じゅく)されけるが、一日(あるひ)の事(こと)狩に出(いで)られ腹のすきたる儘(まま)弁当をシコ玉(たま)食(くら)へ込(こま)れしゆゑ、腹はりて大便頻(しきり)に萌(きざ)し来(きた)れど、然(さら)ばとて野雪隠(のせっちん)とやらんも如何(いかが)なり。然(しか)るべき厠(かわや)は無きかと尋ね廻られけるとき、山の麓に細小(ささやか)なる白屋(くさや)ありければ、道灌は打よろこび尻をモヂモヂとして飛入り給ひ「俄(にわか)に用事にて難儀いたす。厠あらば借(か)し候へ」と音信(おとづれ)しかば、内より美しき少女(おとめ)立出でつ。「見そなはす如き見苦しき場所なれど厭(いと)ひ給はざれば沢山(したたか)垂(たれ)させたまへ」と応答(いらへ)しにぞ「得たりや応」と厠の中へ飛び込(こま)れ矢庭(やにわ)に尻をまくりてウンと気張れど、如何(いか)がなしけん大便は少しも出ず、大なる屁の七ツ八ツも放(はな)たれける。今や為方(せんかた)なしと衣(ころも)を下(おろ)して立(たち)たまふを、少女は何おもひけん、籬(まがき)に咲ける山吹の花一枝おり取(とり)て道灌の前へ捧げしかば、道灌は不思議におもひ「如何なる心にや」と問はざれければ、少女は恥かし気(げ)に、
  七屁八屁鼻にうげども山吹の
         実の一ツだに出ぬぞおかしき
と答へたるに道灌は赤面して恥入り「我身(わがみ)屁道のみを知つて歌道を知らざるが故に斯(かか)る辱(はずか)しめを得たり」と、其後(そのご)は只管(ひたすら)に敷島(しきしま)の道のみに心をよせ名歌あまさ詠み出でられぬ。後に到りて主人上杉氏の為に忌(いま)れ浴室(ゆや)にて毒屁あまた放掛(ひりかけ)られて殺されんとなしけるとき、少しも驚かず、
  斯(かか)る時さこそお屁(なら)のくさからめ
         かねて鳴る屁とおもひ知らずば
これを一生の最後屁として敢(あえ)なく屁をすぼめけるとなん。
(痩々亭骨皮道人編『楽み草誌』1889年)

 もとのエピソードと同じ趣向なのは、歌を突きつけられ歌道を知らないのを痛感してしまい、その後は発奮して歌道に精進したというところである。道灌が突きつけられる歌は後拾遺集にある「七重八重花は咲けども〜」の歌だが、「山吹のみのひとつだに」の解釈(もじり)がポイント。

 屁話の「似屁物語」では、もじり(山吹の実→黄色の糞)がなかなか強力なパターンになっている。虚実という言葉があるが、〈屁〉が虚ならば「糞」は実。ここには「屁糞」の現実を見据えた「虚実」の認識があるわけだ。

 前にも紹介したが、「屁糞」の「虚実」をパターンにしたこの歌のパロディには、すでに四方赤良(大田南畝)による狂歌があった(参照)。「実」を「糞」としている点は同じである。そもそも赤良がヒントになっている「似屁物語」である。では、本歌と「屁糞」の歌を比べてみよう。

(本歌)七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞかなしき(中務卿兼明親王)

(1)七へ八へ屁をこき井出の山吹のみのひとつだに出ぬぞよきけれ(四方赤良)

(2)七屁八屁鼻にうげども山吹の実の一ツだに出ぬぞおかしき(似屁物語)

 まあ、昔から「七重八重」つまり「ななえ(へ)やえ(へ)」が〈屁〉を連想させたのは間違いない。本歌は言葉の意味通りに「たくさん重なって」という情景だが、(1)や(2)では〈屁〉が前面に出た〈屁〉の歌になってしまう。ただし(1)と(2)では若干情景が違うね。

(1)たくさん〈屁〉をこいても「糞」が出ないのはめでたいなぁ→糞は出てほしくないから

(2)たくさん〈屁〉が出て鼻をうがつが「糞」が出てこないのは可笑しいなぁ→糞が出てほしいのに

 同じパターンでもちゃんとヒネリがあって中身が違うわけだ。二番煎じにはなっていない。さらに「似屁物語」はもとのエピソードのパロディによって道灌の暗殺までを〈屁〉で締めくくるという趣向になっている。道灌は一生の最後屁の辞世で「このような時こんなにも屁は臭かったのか。前からいつも鳴っていた(主君の)屁がこんなとは思いもしなかったよ」と嘆じている。

 さて、先の(1)と(2)が歌い込んだ「屁糞」の「虚実」であるが、〈屁〉を虚とし「糞」を実とするのは一般的に受け入れられるものだろう。見えない実体なき〈屁〉が虚であるのは仕方がないね。しかし、(1)にしても(2)にしてもただの虚ではないところが〈屁〉の〈屁〉たるゆえんだ。〈屁〉の虚とは、まあいかにも思わせぶりな虚なのであるね。

 虚(A)=糞かなと思わせて(糞でなく)屁
 虚(B)=屁かなと思わせて(屁でなく)糞

 今回は〈屁〉が主役になる虚(A)が該当する。出てきたのが〈屁〉であるのが虚(A)だね。この虚(A)で「糞」を望まず〈屁〉を望んだのが(1)であり、「糞」を望んだのが(2)である。出てきたのが〈屁〉である虚(A)の世界は、あまり実害がないのが特徴になっている。ブウブウと〈屁〉が鳴っても世界はそんなに変わるものではないからね。

 しかし、虚(B)になると多分に実害が生じるケースが多いはずだ。放置すればよい〈屁〉と思って糞が出ては処置に困る。『今物語』に〈屁〉と思って糞を粗相する法師の話があったよね(参照)。

 幸いなことに我々は事前に〈屁〉が出るのか「糞」が出るのかを概ね察知することができるので、虚(A)や虚(B)の状況になることはあまりない。それだけに、いきなり制御不能の〈屁〉の虚(A)や虚(B)になると心的動揺(あるいは感動)は大きいものとなる。他人からみれば、それは滑稽であるし、可笑し味を喚起する状況である。

 ──狂歌や屁話(つまり芸術のようなもの?)が虚実の間に成立するとは、まるでそこなんだねェ。
ラベル: 山吹
posted by 楢須音成 at 01:58| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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