2012年04月21日

続続続続続続・〈屁〉が文化となる一瞬の光芒

 古代からの「民話」という物語は、近代の「小説」のような物語とはどこか違うね。例えば、日本の〈屁〉の民話は「屁ひり嫁」「屁ひり爺」などが代表的だが、そこでは特定される個人(個性)という発想(想定)はないのである。つまり「嫁」や「爺」は共有されている(どこにでもいる)存在なのであり、そういう存在が〈屁〉で突出する(目立ったことをするまれな)話となっている。

 もちろん、どんな話も何かしらモデルから出発するものである。しかし、古代から伝わる民話のモデルとなると(時代をさかのぼるほど杳として)個人の存在などはうかがえないのだが、「屁ひり嫁」はモデルの存在が具体的に指摘されている稀少な例だ。「屁ひり嫁」とは、屁こきの嫁が離縁されるものの、屁でまわりを圧倒して富を得るや、復縁して幸せになる話である。

 日本の昔話を調査・研究した稲田浩二は『日本霊異記』中巻の「力女、強力を示す縁第二十七」の話にある「力女」と「屁ひり嫁」との類似性を示し、さらに力女の起源を『続日本紀』や『延喜式』などに出てくる「諸国の貢(たてまつ)れる力婦」や「贅力ある婦女」の存在に見出している。もとを辿れば実在の人物が記録されているというのである。(男と同様の力のある婦女を古代は優遇した。そういう婦女が諸国から中央に貢がれ、その力を褒められて田畑を与えられたという。詳しくは過去のエントリを参照

 稲田の指摘から、実在のモデルの存在が説話や民話に昇華していった筋道がうかがえる。それはモデルの具体的な個性が消えていった過程なのであり、人々は異能者の(どこの誰だという)個性や事実性よりも、異能を共有する(つまり〈屁〉を我が物として富を得たい)願望を物語に託したのである。

 多くの民話には何かしらモデルがあったに違いないが、作話の過程で「屁ひり嫁」の話と同様に個性や事実性はあまり顧慮されず、それらは時とともに消えて(忘れて)いったのだと考えられる。

 ところが、近代の小説では逆に個性や事実性が評価されるようになってくるね。この違いは物語(言語表現)する人々の共同体との関わり方や境遇の変遷を通じて、物語に向かっていく我々の心的な姿勢が段階を経て次第に進化・深化していった結果といえる。

 ともあれ個的なモデル(どこかの誰かの振る舞い)が集団的な民話へと昇華していく過程で、突出した異能の〈屁〉が深い意味を持っていく例が「屁ひり嫁」の物語なのである。

 さて、江戸の〈屁〉の潮流は屁放男という個性的なモデルの出現によって、大きく転換することになったのだった。屁放男の登場までに〈屁〉は面白可笑しく詩歌に組み込まれて論じられ、これまた面白可笑しく芸道に比肩する表現や作法がまとめられていたが、まあこれはトチ狂ったように花開いた高尚な(?)屁談義というわけである。

 ここまでの〈屁〉の扱われ方は個的なモデルというものはないに等しいね。というのも〈屁〉は誰もが抱え込んでいる現象であるがゆえに、そしてそれが極力隠蔽される点において非個性の存在を装うのであるから、そもそも個的なモデルを回避しようとしているのである。まあ、隠蔽が破れれば否応なしに個性化してしまうが、我々の屁談義の発展は(どこの誰ともわからぬよう)個的な生々しいモデルを消したところに花開く性向を持つのだ。(少なくとも言語表現域においては)

 このことは「モデルはどこの誰か」「どこの誰がそれを語ったのか」がわからなくなった民話の事情と似ている。これは「誰だかわからない」という一つの共有の形態であって、わからないから共感している(つまり、誰であってもよい=私であってもよい)のである。

 しかしながら、作話にあたってのこういう昇華の様子は、民話と〈屁〉とでは出発点が大きく違っていることに気づかねばならない。なぜならば、そもそも民話はそれを表現したいのであるが、そもそも〈屁〉はそれを隠蔽したいのであるからね。

 我々の〈屁〉は最初から生々しいモデル化を回避して表現(理屈化)の道を辿っている。〈屁〉を隠蔽したい我々の心的運動の性向に即しているのだ。民話は表現したいから表現する過程で非モデル化の道を辿っていったのだが、〈屁〉は隠蔽したいけど表現するという出発点から非モデルが既定路線なのである。

 少々モデルの理屈が長くなったが、ここで指摘しておきたいのは、江戸・両国に現れた屁放男はモデル不在の〈屁〉の世界に、明確に見えるモデルとして登場したのだということである。

「民話」=表現したいし表現する→モデルから非モデル化へ
 〈屁〉=隠蔽したいが表現する→非モデルからモデル化へ

 この〈屁〉のモデル化は近代における個性や事実性を重んじる精神の潮流とも一致して、本来は隠蔽したいゲテモノであっても「個性や事実性」をそのままに発露させて面白がる芸事としての枠組みを用意していた。当時は芸事の爛熟期でもあり、何でもありとは言えないが、伝統芸はもちろん新興の見世物から大道芸まで幅広く(表現され)演じられ、屁放男も斬新な一芸として受け入れられたのだろう。

 そのインパクトは平賀源内の『放屁論』などでわかるわけだが、そこでの議論は両国の屁放男という実在の人間を認識して展開している。もちろん、その影響(事実性)は川柳、狂歌、小咄などの創作ものにも波及しているのである。

 とりわけ音成が注目するのは、その結果、〈屁〉の物語が本格的に生み出されたことだ。別に屁放男の出現を待たずに物語があってもいいようなものだが、実際にはこの時期以降に目立って創作されることになる。

 ここでいう〈屁〉の物語とは、もちろん民話レベルの物語ではない。民話が「モデル→非モデル」であるのに対して、江戸の〈屁〉物語は「非モデル→モデル」の経路を辿っているのだ。古代の「力女」は非モデル化して物語(民話)の中に転生し、江戸の「屁放男」は(屁談義が)モデル化して物語(大衆本)の中に転生したのである。

 目には見えない〈屁〉が芸事の枠組みで生身の一人の男の振る舞いとして見える形で形象化された瞬間、多くの人がインスパイアされたことであろう。まずは「自分にもできるワ」と同調の二番手が登場してくるのがわかりやすい反応だが、ついには「おお、これは物語(になるの)だな」というインスパイアが戯作者の琴線に強く触れたに違いない。

 源内が冷静に観察し、大絶賛した「屁放男」は人々にとって、一人の人物(の芸)として実にわかりやすいリアルなものだった。そして源内の『放屁論』に記録されたその男は、『続日本紀』や『延喜式』などに記述された男勝りの女性に匹敵する、モデルのハッキリした記録なのである。

 人間の認識にはモデルが大きな役割を持つことがあるね。例えば、まだ子供のいない夫婦でも、これから生まれてくる(自分の)子供のことを(喜怒哀楽しつつ)何らか想像できるのは、この世間には広く子供のモデルがいるからだ。ひるがえって近代の物語の作者にとって、ユニークでリアルなモデルを得ることはとても大事なことである。新鮮なモデルの抽出は、個性や事実性を重んじるすぐれた観察家や芸術家からもたらされるだろう。

 そういう意味で『放屁論』は〈屁〉の表現の歴史では特筆すべき著作なのだ。少なくともそこにはリアルに〈屁〉の芸人が活写されていた。先に紹介した恋川春町の『芋太郎屁日記咄』も『放屁論』の影響下にある。描かれた曲屁の趣向はこうだ。「東西々々、扨てこの芋食ひしまひまして、屁をひりまするところが、第一番に三番叟屁、その次に至りまして淀の川瀬の水車屁、獅子のほら入りほら返へし屁、猿猴(えんこう)の梢屁、ひだるいところへ食つたらよかん屁、腹の張る時ひつたらよかん屁、よかん屁よかん屁、曲屁の始まり、東西々々」などとあって、その調子は源内の記述を彷彿とさせるね。

 しかし何と言っても、描かれたモデルの核心的にポイントとなるところは、本当に「一人の生身の人間が〈屁〉で芸をする」という点である。この事実から想像力は諸国修行の旅に出る波瀾万丈の〈屁〉物語へと飛躍して展開するわけだが、これは〈屁〉で芸をするのみならず〈屁〉という異能によって世間と切り結ぶ起承転結の物語になっていくのである。

 〈屁〉で芸をする〈屁〉で世間と切り結ぶ

 こう可視化された〈屁〉が確かな手応えで(リアルなものとして)実感される(見世物として〈屁〉が成立した)時代の空気がそこにはあった。早くから花鳥風月や、人間の色恋とか政治などの権謀術数の所業が物語になっていったのに対して、やっとのこと〈屁〉が(民話レベルを突き抜けて)堂々と題材に浮上したのである。

 春町の『芋太郎屁日記咄』には芋太郎という〈屁〉でユニークな一人の人物が描かれる。それはそれまでの〈屁〉談義とは違う。人物(モデル)を描くことにおいて、アホらしいかもしれないが(物語の題材として)受け入れられたのだ。読者のこういう新作の受け入れは屁放男の芸を実地に見て熱狂した江戸の人々と重なっている。

 芋太郎は諸国修行の旅に出て(曲屁や剛胆な屁をこいて)勇名を馳せるが、屁放男もまた各地を巡業したのである。屁放男というモデルの行動性も物語にそのまま踏襲されている。

 ちょっと時代が下がって、山東京伝の『諺下司話説(ことわざげすのはなし)』は『芋太郎屁日記咄』をまるまる意識して書かれている作品だが、物語の結構は堂々として複雑になり、天下国家の陰謀あり恋の道行きありの波瀾万丈が描かれる。ここでも主人公の諸国流離は基本のパターンになっている。
 昔々あつたとさ、フツポン国放屁の国の片辺(かたほと)りに、爺と婆があつたとさ、夫婦掛向(かけむか)いの遠慮なき暮しゆへ、心置きなく屁をひるばかりが楽しみにて、ある日、爺は山に臭(くさ)がりに行き、婆アは厠(かわや)に屁をひりに行、前の川にて手を洗はんとしける折節(おりふし)、川上より一つの芋が流れて来りしかば、拾(ひろい)取りて家に帰りけり。

 爺が言ふ、「お婆がおならをすかしたそふな。さてさて臭い屁だ。ここまで匂ふ。これがほんの爺は山へ臭がりに行くのだ」
「も一つ流れて来い。お爺におまそ(=あげよう)」

 夫婦、かの芋を食しけるより、不思議や、俄(にわか)に若くなり、女房はただならぬ身となりて、程なく臨月になりければ、薩摩芋(さつまいも)の如く太りたる男の子をやすやすと産み落としける。然るに、此子(このこ)、生れ落ちると直様(じきさま)、鼻と尻とに指差して、天上天下唯我屁く尊(てんじょうてんかゆいがへくそん)と言ひつつ、スイと一つおならをすかしける。その臭き事、韮・大蒜(にら・にんにく)といふども、中々(なかなか)及び難し。これすなはち、芋を食べて身籠りし子なるゆへ、名を芋太郎と付け、夫婦掌中(しょうちゅう)の握屁(にぎりべ)の如く愛し育てけり。

「ヲヲ臭い臭い、なんの赤子がおならをするもんだ。こちの人、ひり隠しをさしやんすな」
「大僭妄(だいせんもう)、俺ではない、此(この)赤子だ」
「アアラ怪しや、鼬(いたち)は最後にいたりて屁をひり、我が子は生るるに臨んで、おならをする。生死流転の屁の如しといふ道理なるが、何にもせよ、アア臭い臭い」
「おぎやおぎや、ブブブプウ」

 その頃、放屁の国の主を臭屁(くさべ)の判官(はんがん)尻元(しりもと)の音義公(おとよしこう)と申奉り、北の方を屁玉御前と申けるが、音義公、殊の外(ことのほか)屁を弄(もてあそ)び給ひ、ブイブイといふ音は、琴三味線よりも賞美し給ひ、悪臭(わるくさ)き匂ひは、伽羅・真南蛮(きゃら・まなんばん)の如く尊(たっと)み給ひければ、臣下の面々、いずれも屁学に尻(おいど)をさらし、もつぱら屁道を励みける。ここに又、北海の尻の方に壱(ひと)つの国あり、名付けて屁臭国(へくさいこく)といふ。此国の大王を放屁皇帝と申けるが、これも又、屁を好み給ひ、かねてより臭屁(くさへ)家の屁徳を慕ひ、此度(このたび)、はるばる使者をもつて、放屁の玉といふ名玉、玉屁箱といふものを贈る。まことにかかる屁国までをひり靡(なび)け給ふ事、ひとへに尻の面目(めんぼく)、屁の冥加(みょうが)と申べし。
我が君、屁を好み給ひ、みづからよくひり給へ共、我がひつた屁は臭くなきものなりとて、常々、臣等に命じ、ひらせ楽しみ給ふなり。

「此(この)玉は放屁の玉とも、おいどう臭いの玉とも申ます。又、この箱は、世界の人が巍々登壇(ぎぎとうだん)としたる場所にて、ふととり外したるおならを集め、此内へ封じ込め、玉屁箱と名付けたる一品でござります」
「なるほど珍物茶屋にもない珍しい宝じゃ」

 冒頭は桃太郎の話に出てくる爺婆をパロディにして芋太郎が誕生する場面。芋太郎は後に花咲男と名乗って重要な役回りをするのだが、物語は冒頭の場面から一足飛びに、まずは音義公の放屁国のお家騒動から描いていくのである。諸国を旅していた花咲男が音義公に召しかかえられ、最後に〈屁〉によってお家騒動の悪人たちを一掃してハッピーエンドになるというのが粗筋だ。(詳しくはこちら参照

 芋太郎がすべて前面(主役)に出てくる恋川春町の『芋太郎屁日記咄』と違って、山東京伝の『諺下司話説』はお家騒動や姫の恋の道行きが先行する筋の運びで、肝心の花咲男(芋太郎)は何だか取って付けたように助っ人として登場してくる。花咲男は物語の完全なる主役ではないのである。

 もちろん、時代によって物語の結構は自由にはばたいていくものだから、いつまでもいつでも、芋太郎的なものが主役である必要はないね。そうではあるが、当時の花咲男の造型は「一人の生身の人間が〈屁〉で芸をする」「曲屁の伝承者」という一線を守って登場するのがリアリティであった。
 かくて握屁の臭右衛門、すい屁のポン兵衛、二人の敵役(かたきやく)滅び、紛失の放屁の玉も出でければ、音義公、右近之介も放屁之介両人の勘気(かんき)を許し、皆々喜びのおならをすかしてさざめけり。
 花咲男が屁の威光によつて悪人滅びしゆへ、平康といふ事は、この時よりぞ、又久しいものさ。花咲男は此(この)喜びに、いざやとて、扇おつとり立上り、すでに曲屁を奏でける。
 その曲屁には何々ぞ、すい屁に山茶花(さざんか)、つまむ鼻、砧(きぬた)、すががき、鶏屁(にわとりべ)、ひり捨て梯子屁(はしごべ)、三番叟(さんばそう)、鴨(かも)のすかし屁、水車(みずぐるま)、鴫(しぎ)の屁返し向ふづけ、アリヤリヤリヤ、ブフトセイ、四十八屁も、なを足らで、百(もも)屁を砕ひてひつたりけり。
 さてまた放屁之介は、花咲男に屁道の奥儀を譲られ、今は並びなき屁道の達人となりければ、音義公、かの高札の表の如く放屁之介を婿となし、吉日を選み、おならの前と祝言させ、臭屁の家、富栄へけり。

「それ鼓(つづみ)は屁の音に似たれども、わづかに三つの調子あつて、五音に通ぜず、今、花咲男がひる屁は、十二の調子を備へて自由をひる。ハテ、珍しい尻(おいど)じやナア」
 
 こんな調子で物語の締めの部分は、花咲男の曲屁を賞美しつつ終わる。
 江戸の〈屁〉の物語は芋太郎の系譜ばかりではないが、いずれの物語も、もとを辿れば江戸の町に登場した「屁放男」のインパクトによって誕生したのだった。それは「一人の生身の人間が〈屁〉で芸をする」というインパクトであり、そのとき人々の想像力が(荒唐無稽でありながらも)リアルに〈屁〉が世間と切り結ぶモデルを獲得したのであった。


posted by 楢須音成 at 02:18| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月02日

続続続続続・〈屁〉が文化となる一瞬の歴史の光芒

 目撃談というのは単なる噂話とは違うね。目撃という我々の視線に捕捉された現実(つまり「見ました」という現実提示)は何にも増して確固たる「現実」となるのである。

 思うに、人間にとって「聞きました」とか「嗅ぎました」という現実の把握は「見ました」よりも下位の現実把握なのであり、視覚が伴わないと、我々の認識は(他人に主張する場合)どうも根拠薄弱になってしまうのだ。(ここは嗅覚や触覚や聴覚や味覚などに特化している動物とは違うところである。視覚は言語表現に直結していく)

 古来から〈屁〉が(基本的に)視覚を伴わない現象であることは論を待たないが、見えない・見ないままに「聞きました」とか「嗅ぎました」という現実把握であるために、実にうろんな現象なんだね。ひと言でいえば、見えないまま〈屁〉は異音異臭で存在を強く主張してしまうのであり、その異音異臭は他人を憤激せしめる嫌悪、自分を責めさいなむ絶望を呼び覚ますのである。

 ここでは、そういう〈屁〉にまつわる嫌悪や絶望はともかくとして、我々の〈屁〉が見えない現象であることに注目したい。例えば、同様の異音異臭であっても、明確に〈糞〉と相違する点は、見えるか見えないかという存在のあり方なのである。

 この存在の見える見えないは、人間の行為に現象するとき心的運動(認識)に傾向をもたらす。同じ肛門から出てくる〈屁〉と〈糞〉に対する我々の態度は明確に違うわけだが、これについては前に考察した(参照)。要するに〈屁〉は見えないことによって存在を隠しており、物的概念の形象ができにくい。

 つまり、見えないことによって〈屁〉は誇大な妄想やあらぬ空想など(擬視覚的な)視覚前の観念までは至るにしても、網膜に視覚化した〈糞〉のようにリアルで分析的な概念化まで至りにくいのである。(しかも、見えないままに嫌われてしまう否定性の現象である〈屁〉は嫌悪、絶望、邪推、隠蔽といった否定性の情緒・情念的な方向へと陥っていく)

 江戸期における〈屁〉の台頭は、このような見えない〈屁〉が一歩踏み出してより明確な形象(概念)化の過程を辿ろうとした流れにあったと見なすことができる。表現が詩歌(川柳、狂歌)から散文(擬批評)化へと辿ったのはすでに見てきたが、ここに突如、実地の目撃談があらわれてくる。屁放男の登場であった。

 それは単に〈屁〉をこくというのではない。あたかも完成した一個の芸事として登場したのである。それを見た平賀源内はこう誉めた。
「──扨(さて)つくづくと案ずれば、かく世智(せち)辛き世の中に、人の銭をせしめんと、千変万化に思案して新しいことを工(たく)めども、十が十(みな)餅の形、昨日新しきも今日は古く、固(もと)より古きは猶(なお)古く、此(この)放屁男(へっぴりおとこ)計(ばか)りは咄(はなし)に有りといへども、このあたり見る事は我(わが)日本神武天皇元年より此(この)年安永三年に至(いたっ)て、二千四百三十六年の星霜を経るといへども、舊記(きゅうき)にも見えず、いひ伝(つたえ)にもなし。我(わが)日本のみならず、唐土(もろこし)朝鮮をはじめ、天竺(てんじく)阿蘭陀(おらんだ)諸(もろもろ)の国々にもあるまじ。於戯(ああ)思付たり能(よく)放(ひっ)たり」と誉(ほむ)れば、一座皆感心す。

 源内の言わんとするところは、あれこれビジネスを計画しても新しいものはなかなか生み出せないが、この屁放男だけは別格だというのである。神代の旧記にもなければ、言い伝えにもなく、諸外国にも例がないであろうオリジナリティだと手放しで誉め上げた。

 これに対して頭の固い堅物が「扨々(さてさて)苦々敷事(にがにがしきこと)を承る物かな」と、銭儲けのため人中で屁をこくなど言語道断と反論するのだが、源内の称揚はとどまるところを知らない。
 斯(かく)ばかり天地の間に無用の物と成果(なりはて)、何の用にも立たざるもの(屁)を、こやつめが思ひ付にて、種々の案じさまざまに撒(ひ)りわけ、評判の大入、小芝居なんどは続くべき勢(いきおい)ならず。富三(とみさ)一人が大当りは菊之丞が余光も有り、屁には固(もと)より余光もなく、惚(ほれて)人もなく贔屓(ひいき)もなし。実に木正味(きしょうみ=そのもの実質)むき出しの真剣勝負、二寸に足らぬ尻眼(しりのあな)にて、諸(もろもろ)の小芝居を一まくりに撒(ひり)潰す事、皆屁威光(みなへいこう=みな閉口のしゃれ)とは此事(このこと)にて、地口(じぐち=しゃれ)でいへば屁柄者(へがらもの=手柄者のしゃれ)也(なり)。されば諸(もろもろ)の音曲者(おんぎょくしゃ)いふべき筈の口、語るべき筈の咽(のんど)を以て、師匠に随(したが)ひ口伝を請け、高給金はほしがれども、声のよしあしは生れ付、月夜烏(つきよがらす)や五位鷺(ごいさぎ)のがあがあと鳴くがごとく、古き節の口真似はすれども、微塵(みじん)も文句に意(こころ)なく、序破急(じょはきゅう)開合(かいごう)節(ふし)はかせ(=楽譜)の塩梅(あんばい)をしらざれば、新浄瑠璃の文句を殺し、面々家業の衰微(すいび)に及ぶ。しかるに此(この)屁ひり男は、自身の工夫計(ばか)りにて、師匠なければ口伝もなし、物いはぬ尻分(しりわか)るまじき屁にて、開合呼吸の拍子を覚え、五音十二律自(おのず)から備り、其(その)品々を撒分(ひりわけ)る事、下手浄瑠璃の口よりも尻の気取(=性質)が抜群によし。奇とやいはん妙とやいはん。誠に屁道(へどう)開基(かいき)の祖師(そし)也。

 源内は言葉を尽くしているね。確かに〈屁〉は無用の存在で何の役にも立たぬが、そういうものを自分の工夫でブウブウ放り分けて大当たりをとったのは、伝統芸の音曲の担い手たちの凡庸で下手糞な口真似芸に比べたら、何と素晴らしいものかというのである。さらに源内は学者、医者、歌人、文人などをも、伝統にあぐらをかいてマンネリで工夫才覚がない心得違いがまかり通っていると痛罵して、屁放男の登場の斬新さを持ち上げるのだ。

 このような源内の絶賛ぶりは戯作の誇張だとばかりは言い切れない。源内は屁放男の登場を見て感動しているのであり、時代を画期する風を感じているのである。その風とは芸をまとった〈屁〉であり、それまで日陰の存在だった〈屁〉が見える形で表にリアルに登場したのであった。

 源内は伝統の枠を超える工夫(独自のオリジナリティ)を強調するのだが、我々がここまでに見てきた江戸の〈屁〉的な社会現象の流れからすれば、すでに耕されていた〈屁〉の理屈の実技として位置づけられるね。芸という意匠をまとった〈屁〉の視覚化がビジネス(銭儲け)として成功したのだ。

 まったく無用の〈屁〉は、理屈の段階では(面白可笑しく)あれこれ語ることができる自由(屁談義の拡張)を獲得していたものの、必ずしも〈屁〉のリアルな実技を現実のもの(可能なもの)と想定しているのではなかった。ありそうでなさそうな、その実技とは妄想であり空想であることによって成立する擬似的な芸であった。そこに登場したのがホンモノの実技者である屁放男というわけなのだ。川柳には、

 両国へ屁を嗅ぎに行く五里四方

 近頃評判の両国の屁放男──源内のみならず江戸の人々は男の〈屁〉の芸を実見し堪能した。まさに〈屁〉で芸をする芸人がいる事実(現実)が評判となって駆け巡ったのである。リアリストである源内の観察は芸そのものの評価もさることながら、それが(1)個人芸である(2)ビジネスとして成功した─ことに注意を払っている。それが〈屁〉において成立していることに感動したのである。

 このことは〈屁〉が一般の芸事と同じ水準へと昇華したことを意味する。ならば「自分もできる」という人たちが出てくる社会現象になるのはスプーン曲げと同じである。そこにはプロもいればアマチュアも輩出したであろう。何しろそれを鑑賞する理屈は十分耕されていたのである。『薫響集』はその理論書の一つだね。

 かくして源内の態度は観察という段階に達しているわけだが、大評判をとって〈屁〉が見える形で広まったのだから認識レベルが理屈の段階を超えていくのは当然のこと。源内が〈屁〉をもとに当時の芸能人や知識人への批評(皮肉)にまで踏み込んでいく(説得力を持ってくる)のも、現実になった〈屁〉を観察した段階にあるからだ。

 人間にとって視覚化された認識は(ハッキリ見えれば見えるほど)強固になる。裁判において「証拠」がないと罪は証明できないが、証拠とは物的で視覚化された認識である。モノの提示や「見たよ」という目撃は何より強い確証なのだ。(録音だってテープという物証がないとダメだね)

 源内によって〈屁〉は個人芸として称揚され、ビジネスとして称賛された。そこには人が見え、人の動きが見える──個人やビジネスが入り込んだ現実の世界に〈屁〉が昂然と登場することによって、これまた人はまた別の刺激を受けてしまう。新たな「物語」の世界が開けることになっていった。
posted by 楢須音成 at 00:20| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月03日

続続続続・〈屁〉が文化となる一瞬の歴史の光芒

 人が何かに目覚めるとき、心的運動はある方向に活性化し狂躁状態になる(ことがある)わけだが、これが集団化(集団的に心的同調化)すれば、社会現象として否が応でも顕在化する。

 例えば四十年ほど前にトイレットペーパー・パニックというのがあった。中東の原油価格の急騰が日本中の主婦をなぜか(不足してもいない)トイレットペーパーの買い占めに駆り立てたのである。

 江戸の〈屁〉の大評判は、このような身に迫る被害感に駆り立てられたトイレットペーパー・パニックとは違って「パニック」ではないものの、集団の同調行動という点では同じである。人々は我先にと見物に出かけた。ただ、ここでは被害感は期待感に置き変わっているわけだ。(このように社会現象の心的運動には正と負の方向がある)

 さて、期待感というのは「見たい」「聞きたい」「言いたい」という心的運動を惹起している肯定性の興奮状態だね。その高ぶりが爆発した振る舞いは、個的には「のぼせ」となり、集団的には「熱狂」となる。なぜこうなるかは、突然のトイレットペーパー・パニックと同様に本当のところよくわからないのである。

 しかしまあ、わからないなりに時代背景の解説はするわけで、興奮が始まる心的状態は何の脈絡も動機もない突発的な事態かというと(多分)そうではないはずだ。意識しようがしまいが(たいていの場合は無意識に)期待値を高める前提条件がすでに心的に耕されているとみていいのである。

 だから江戸の民衆が屁放男の登場を(無意識に)期待していたというのは、まあ言い過ぎとは思わないのだね。江戸で〈屁〉的なものが流行した時代背景そのものが(本流とはなりえないものの)屁放男の登場を待っていたと考えてよいのだと音成は思う。

 つまり当時、狂歌や川柳に題材として〈屁〉が跋扈し、ついに散文領域にまで屁談義の集大成みたいな『薫響集』の類があらわれる、時代の流れというものがあったのだ。それは我々の〈屁〉の表現やその受容力がある方向付けで耕され成熟していた段階の時代相であった。そこに屁放男が登場したのだ。どういうことかというと、つまりこういうことだ。段々くどくなるが、もう一度その図式を掲げておく。

 屁談義を擬論理的に思弁して擬体系化した『薫響集』の登場=理屈化(情緒的and理屈的)
        ↓
 屁談義を実現するワザを実見して思弁した『放屁論』の登場=観察化(理屈的and現実的)
        ↓
 屁談義・実技・思弁から擬現実を妄想した『芋太郎』の登場=物語化(現実的and空想的)

 歴史的にみた場合〈屁〉が狂歌や川柳に扱われたのは情緒的な段階である。もともと他愛ない屁談義などは古代からあったであろうから、この時代の情緒的とは、つちかわれた詩歌の精神で〈屁〉を歌った(カタチ=表現を与えた)のである。一方では屁談義の小理屈(論理性)も台頭していた。まあ、小理屈だって昔からあったであろうが、この時期の〈屁〉の理屈は詩歌の精神を受容し、思弁を重ねて複雑になっていた。その指標は体系化をめざすことであり、その集大成の画期的な成果の一つが評論的な『薫響集』なのである。音成はこれを「理屈化」の段階とする。

 理屈化というのはいろいろあるが、〈屁〉における理屈化は異音異臭の連想に連想を重ねて奇抜なものが多くなる。例えば、花鳥風月に〈屁〉を加え詩歌の道を追求して実作や理論を示す一方で、芸事として人の面前で〈屁〉を演ずる曲目を編み出すといった見立てが出てくる。古くから梯子(はしご)屁とか数珠(じゅず)屁などと形容するのは、カタチのない〈屁〉を形態模写する素朴な見方(分類)であるが、これに理屈の手が込んでくる。『薫響集』では次のように理屈を構築して〈屁〉の世界に芸道の指標を示した。
 生きとしいけるもの屁をひらざるはなし、といへども、わきて心にかくるとかけざるとにて面白くも聞え、また臭くいやしきものともなるなり。まづ食前・食後・雪隠(せっちん)もどり、この三つの時を違へず放(ひ)るを表三箇条の伝とす。さて、言下(ごんか)・袖摺(そですり)・見返し・行違い・三つ地・六地(むつじ)、この六箇条を裏として、それより梯子屁・指曲舞(くせまい)・楽の拍子・小歌の清掻(すががき)・浄瑠璃(じょうるり)の三重、これを中段の五箇の伝とす。また許(ゆるし)の曲は蘇合の楽能にては乱(みだれ)・石橋(しゃっきょう)・道成寺(どうじょうじ)、また三弦の手は砧(きぬた)さらしゆりかんを太極の位として免状を送り、門弟取扱ひを許すなり。かくまで功者に至ること、たとへば高き山も麓のちり泥(ひじ)よりなりて、雨雲たなびくまでおひのぼれるが如くに、屁の道も執行(しゅうぎょう)し侍らば、誰の人か屁の妙を得ざるべき。よって初心のため心得のこと一つ二つ記し侍りぬ。然(しか)はあれど、屁は腹中のよしあしによるものなれば、人々わが生まれつきをよくよく自ら考へて学ぶべきことなり。

 ここでは邦楽の演目や段位になぞらえて芸道ならぬ〈屁〉の道を説いて、達人になるには一から修行に励まなければならないとしているわけだが、〈屁〉というものは努力ばかりでなく「腹中のよしあし」が大きいので、「生まれつき」を考えて学べとも説いている。つまり〈屁〉の道は努力してもなかなか一筋縄ではいかぬ(至難の道)との指摘である。

 さらに理屈化の構築は続いて〈屁〉の奥義が諄々と語られる。剣道とか柔道とかのような秘技の手ほどきではあるまいに、しかし妙に細かく行き届いたリアルな屁道の指南ではある。
 屁は射術に似て、身の構へ菊座(きくざ=尻の穴)の放(はなれ)を第一とするなり。兆(きざ)すとそのまま放つを早気(はやけ)とて嫌ふなり。保ち過ぐれば、弱々として悪しく、常に屁を貯へるとなく、また、気をはなさず、時に遇うて早速の働きを専ら心にかくるなり。侍は就中心にかくべきことなり。古歌にも、
     さむらひはわきて屁の道たしむべし
          なべてその名をぶしといはずや
 と詠みしも宜なることぞかし。
 初心の輩(ともがら)、屁を放らんと思ふときは、先ず心を静めて、腹中のよしあしを考へ、空腹ならば、何にても少々冷えたるものを食ふべし。さて脇腹を両手して押せば自ら催するなり。手拭を水に浸して、下帯の光結(みつい)に挟(はさ)むもよし。音を厳しく放(ひ)たきときは、板の上にて放るべし。戸へ尻をあてて放るもよし。常に放るときは、片膝を立て、少し前へかかりて放るべし。
 屁の勢ひを見するには、鞠懸(まりがか)りの砂を塗折敷(ぬりおしき)に薄く入れて放るなり。三、四寸より七、八寸までも放(ひり)散らすことあり。即興のときは、延紙(のべがみ)を玉子の如くして放飛ばすなり。二、三間あるひは二丈ばかりも飛ぶものなり。蝋燭の火消しやうは、尻をもっ立て、燭台の許へさし寄り、燃ゆる火を下より放消すなり。三十目掛(めかけ)・五十目掛は功者のことなり。初心にては用捨(ようしゃ)あるべきなり。
 握屁(にぎりべ)は勢ひこみて短く放るべし。長きは手のうち漏れて損あり。なべての屁、ともに長きはあしく、丸く放るを要とするなり。

 こんな調子で延々続くのだが、要するに〈屁〉の道を師伝する奥義書として、うんちく傾けた理屈(理論)を構築しようとしているのである。

 狂歌や川柳から歌論や芸道の指南へと〈屁〉がぬけぬけと表現領域に跋扈していく当時の風潮は、世界史的にも群を抜く江戸の出版文化の興隆に支えられてもいたのだろうね。(まあしかし、〈屁〉はあくまで本流にはなれなかった傍流ですが…)

 このように理屈化をたどった〈屁〉の世界に、それを実践する実技者が突如あらわれることになる。それが安永の屁放男で、昔語花咲男(むかしがたりはなさきおとこ)、福屁曲平、霧降花咲男などと名乗って人々の注目を集めたわけである。

 人々の衝撃は口先だけの理屈に、いきなり実践が伴ったことにあったと考えてよかろう。可視化の衝撃である。例えば噂に城のお姫さまは絶世の美女だと聞くとする。このとき熱く姫を語る幾千万の美女の形容と賛辞を聞いて驚嘆したとしても(多分)姫を目の前に実見して得る感動には及ばない。もちろん、姫が噂と期待に違えず真実の美女であるとしての話である。そのとき言葉は無力にも現実の前に吹き飛んでしまう(はずである)。

 もちろん、姫への幾千万の形容と賛辞が効力を失ったわけではない。現実が先を行った(言葉にならぬほど美人である)だけのことで、観念世界ではむしろ的確な形容と賛辞は現実に裏打ちされて(それなりに)燦然と輝くのである。現実に照射されたそういう言葉から、より優れた表現こそが末永く選択され生き残る(伝説になる)ことになる。姫と〈屁〉では比較にならぬが、まあまあ似たような言葉と現実の関係じゃないか(な?)。

 ともあれ、江戸に登場した屁放男は噂に聞いた「理屈」の実現だったのだ。嘘か真かわからぬ噂も目の前の現実となれば、我々の視線は熱く注がれる。評判が評判を呼ぶ。平賀源内も出かけていった。(以下の『放屁論』からの引用は音読がおすすめ)
──さいつ頃より両国橋のあたりに、放屁男(へっぴりおとこ)出(いで)たりとて、評議とりどり町々の風説なり。それつらつら惟(おもん)みれば、人は小天地なれば、天地に雷(いかづち)あり、人に屁あり、陰陽相(あい)激(げき)するの声にして、時に発し時に撒(ひ)るこそ持ちまへなれ。いかなればかの男、昔よりいひ伝へし梯子(はしご)屁、数珠(じゅず)屁はいふもさらなり、砧(きぬた)すががき三番叟(さんばそう)、三つ地七艸(ななくさ)祇園囃(ぎおんばやし)、犬の吠声(なきごえ)鶏屁(にわとりべ)、花火の響きは両国を欺き、水車の音は淀川に擬(ぎ)す。道成寺(どうじょうじ)菊慈道(きくじどう)、はうた、めりやす、伊勢音頭、一中(いっちゅう)、半中(はんちゅう)、豊後節(ぶんごぶし)、土佐、文弥(ぶんや)、半太夫、外記(げき)、河東(かとう)、大薩摩(おおさつま)、義太夫節の長き事も、忠臣蔵(ちゅうしんぐら)矢口渡(やぐちのわたし)は望(のぞみ)次第、一段ずつ三絃(さみせん)浄瑠璃(じょうるり)に合せ、比類なき名人出たりと聞くよりも、見ぬ事には咄(はなし)にならず、いざ行きて見ばやとて二、三輩(はい)うち連(つれ)て、横山町より両国橋の広小路、橋を渡らずして右へ行けば、昔語花咲男(むかしがたりはなさきおとこ)と、ことごとしく幟(のぼり)を立て僧俗(そうぞく)男女押し合いへし合ふ中より、まず看板を見れば、あやしの男尻もつたてたる後ろに、薄墨に隈取りてかの道成寺三番叟なんど、数多(あまた)の品を一所に寄(よせ)て画(えがき)たるさま、夢を描く筆意に似たれば、この沙汰(さた)知らぬ田舎者の、もし来かかりて見るならば、尻から夢を見るとや疑わんと、つぶやきながら木戸をはいれば、上に紅白の水引(みずひき)ひき渡し、かの放屁漢(へっぴりおとこ)は囃方(はやしかた)とともに小高き所に坐す。その人となり中肉にして色白く、三ケ月形(みかづきなり)の撥鬢奴(ばちびんやっこ)、縹(はなだ)の単(ひとえ)に緋縮緬(ひちりめん)の襦袢(じゅばん)、口上(こうじょう)爽やかにして憎気なく、囃(はやし)にあわせまず最初がめでたく三番叟屁、トッパヒョロヒョロピッピッピツと拍子よく、次が鶏(にわとり)東天紅をブブブウーブウと撒り分け、そのあとが水車、ブウブウブウと放りながら己が体を車返り、さながら車の水勢に迫り、汲(く)んではうつす風情あり。サア入替り入替りと打出しの太鼓とともにたち出で、朋友の許にたち寄り、放屁男を見たりといへば──

 前評判につられて源内が出かけてみると確かに見事に屁をひり分けていたのである。犬、鶏などの声帯模写、見えないながらも音による梯子、数珠、花火、水車などの形態模写、あらゆる邦楽の演奏・伴奏を難なくこなしていたというわけだ。

 細かな芸の様子も面白いが、この描写からうかがえるのは、押し合いへし合いして入場させサッサと芸を見せたら入れ替えを急ぐ人気小屋の興行の息づかいだ。音成は子供の頃に押し合いへし合いして「蛇女」の見世物小屋に入ったことがある。その小屋では、蛇女どころか単に蛇を操るだけの人間の女を見せ、観客の失望と不満をためないようアッという間に入れ替えていたものだ。しかし源内は十分満足して帰っているし、芸の質は高かったものと思われる。噂通りに目の当たりに見た曲屁の余韻は外に持ち出されて、大いに評判になったのだろう。

 誰かに喋らずにはいられない源内も友人のもとに立ち寄って、あれはインチキか否かという論議をやっている。衆議は一決しないが、源内はホンモノだと主張しているのである。そして、たとえインチキであったとしても、数万の人の目にさらされて仕掛けがわからぬのならば、ホンモノと同じと断じている。

 こうした源内の行動は、ナマの現実である〈屁〉に向き合って視線を注いでいるわけである。その〈屁〉とはまさに『薫響集』が説いたの芸の道を地で行って実践した(かのような)ものであった。ブウブウと〈屁〉に彩られた邦楽百番を繰り出す屁放男の芸は、上から下まで江戸の人たちに多大なインパクトを与えたのである。

 かくして江戸の〈屁〉は「理屈化」の段階から「観察化」の段階へと進んだのであり、現実のものとなった〈屁〉という芸の道は全国にたくさんの屁放男を出現させた。人々の視線の先に〈屁〉があった。
posted by 楢須音成 at 18:48| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月04日

続続続・〈屁〉が文化となる一瞬の歴史の光芒

 四十年ほど前にユリ・ゲラーという人物があらわれて超能力ブームを引き起こした。スプーン曲げなどの真贋をめぐって世間は大騒ぎしたものである。テレビがブームを引っぱった。

 花のお江戸に突如あらわれたのは屁放男(へひりおとこ)。安永三年(1774年)のことだった。人気を博した〈屁〉の名人はフランスにもあらわれたが、こちらは江戸の名人から100年以上たっての登場だから、江戸の先進性は注目してよかろう。とにかく二人は江戸とパリに〈屁〉で社会現象を引き起こしたのだった。

 そもそも〈屁〉が受け入れられて大衆化したビジネスとして成功するには、江戸とかパリとか、都市と文化の成熟(まあ一種デカダンな享楽への憧憬に対する許容・享受)が必要なのだろう。何しろ万国共通の作法破りのアンチな〈屁〉なのだからね。

 国文学者、興津要の『江戸娯楽史』(1983年、作品社刊)には江戸の見世物の一つとして「屁ひり」が取り上げられている。
 はなし好きなお姫さま腰元中へ、「なんと、ちと、めづらしいはなしはないか」とおつしやるに、おそばの腰元衆、「このごろ、両国へ花咲き男と申して、屁にて、いろいろの曲をひります」と、申し上げれば、お局、そばから、「おつと、へのはなしまではよけれども、この字はならぬぞよ」(安永四年刊、『豊年俵百噺』)

 へのはなしならばよかろうが、〈へのこ(睾丸、転じて陰茎)〉のはなしは、お姫さまには厳禁。
 武家屋敷にまでうわさがひろまった屁ひり男とは、両国広小路に、安永三年四月から登場した「昔語花咲男(むかしがたりはなさきおとこ)」と名乗る曲屁の名人のことだった。

 当時の川柳にも「両国へ屁を嗅ぎに行く五里四方」などとあって、屁放男の興行の評判ぶりを伝えているし、平賀源内は「放屁論」「放屁論後編」でこれを話材にしたわけである。興津の『江戸娯楽史』の引用を続ける。
 江戸笑話本流行の水先案内の役割を果たした名著『鹿の子餅』(明和9年正月刊)の著者でもあり、狂歌師でもあった木室卯雲(きむろぼううん、狂名白鯉館卯雲)も、「両国に放屁の妙なる見世物出で、大入りのよし聞き」と前置きして「音のたび、いよ玉やとやほめぬらん、へさきへ向ふ両国の人」という狂歌を詠んだが、これは、場所が両国だけに、川開きの花火のさいの「玉屋!!」という掛け声を配し、さらに、舟の舳先(へさき)と屁さきとをかけていた。

 この屁放男のインパクトは当時、かなりのものだったと考えられるのだ。文人で狂歌師の大田南畝の『半日閑話』にも記録があり、屁放男の出現によって「放屁論」や絵双紙が出版されたことを伝えている。
○放屁見世物 四月、此頃両国に放屁男を見世物にす。霧降花咲男(きりふりはなさきおとこ)といふ。大に評判あり。[割注]放屁論といふ書出る、平賀鳩渓作、絵草紙花咲男といふ絵草紙出る。

 屁放男は江戸のあと大阪にも出て興行していた。大阪の文人で本草学者の木村蒹葭堂(きむらけんかどう)は『蒹葭堂雑録』の中で記録した。
○安永三年東武より曲屁福平といへる者、浪花に上り道頓堀において、屁の曲撒(ひ)りを興行し、古今無双の大当なりし。尤(もっとも)屁の曲といへるは、昔より言伝へし階子(はしご)屁、長刀(なぎなた)屁などいへるものは更なり。三絃(さみせん)、小唄、浄瑠璃にあはせ、面白く屁を放わけたり。実に前代未聞の奇観なり。委(くわし)くは風来山人の放屁論に見へたり。─放屁論の引用略─是は浪華へ上る以前、江戸両国橋の辺にて興行せし評判なり。右にて其芸品の大概を推て知べし。尤大入大繁盛にて、諸々の芝居を撒(ひり)潰せしよし、同書に見へたり。─放屁論の引用略─

 源内はこの放屁男の芸を実見して『放屁論』の中でルポルタージュしたのである。この実見し(そして記録し)たというところが凄いところなのだ。後にも先にも源内の『放屁論』は〈屁〉の芸人の日本で最初の実見記である=参照。これは鳥羽絵の『放屁合戦絵巻』が日本で最初の放屁絵であるのと同様に画期的なのだね。片や文筆、片や絵筆によるのだが、何はともあれ我々の〈屁〉が明確に表現の対象としてとらえられた段階を踏んでいる。目には見えない〈屁〉なのに、絵筆が五百年〜六百年先んじているのが面白い。

 かつてユリ・ゲラーがスプーン曲げをしたとき、自分もできるという人が続出した。音成もそれを目の当たりに見て仰天したものだ。同様に江戸の両国に屁放男が登場してほかの見世物を凌駕して人気を博するや、日本全国あちこちに(芸をする)屁放男が出現したのである、多分。

 何しろ放屁が人目を引く特技(芸)であるという社会的観念が生まれ共有されたのである。これは一つの芸が市民権(人気)を得たことを示すわけで、上流階級から下々までを巻き込んで現象した。「このごろ、両国へ花咲き男と申して、屁にて、いろいろの曲をひります」とかなんとか、武家の娘の話題に出るのである。芸事としての浸透ぶりは次のような当時の尾張藩の記録にもあらわれている。
△屁の名人   奥御坊主 山田寿悦
此山田氏は、生質屁をひる事に妙を得て、或時源明様の御前に於て御好みあり。このとき屁を太鼓とし、口笛に合て神楽などの囃子をなし、屁をひりければ、君大いに御笑悦遊れしとぞ。
屁の銘に曰 絹糸 碇綱 蛙の筒入 九つ桟子 鶯
 此外にも種々ありとぞ。
(『金鱗九十九之塵(こんりんつくものちり)・巻第八拾三』)

 源明というのは徳川宗睦(尾張徳川家九代藩主)のことで、1761年に29歳で藩主になって1799年に亡くなっている。ということは、だいたい40代の時期に両国に屁放男が登場しているわけで、この山田寿悦という人もこれを契機に特技を認められたのではないかと考えられるのである。城内にまで〈屁〉の芸は伝播して鑑賞されたのだ。

 もっとも、殿様の前で〈屁〉の芸をして御褒美をもらうという民話のパターンがその昔からある。そもそも殿様は〈屁〉が好きなのかねえ。全国に〈屁〉が妙音を奏でる屁放爺の民話が散らばっているのだが、殿様に所望され見事な〈屁〉をこいて金持になるというハッピーエンド。しかし、これは民衆の致富願望が昇華した話である。

 まあ、古代から山田寿悦のような特技の爺がいたのだろうけど、民話の表現は事実の記録性よりも創作の意図性にウエイトがかかるし、江戸の屁放男のように〈屁〉のビジネスショーが成立する社会背景を背負っていたわけでもない。要するに山田寿悦は、昔からの民話が生まれる背景とは無縁のところから(花のお江戸の屁放男に誘発された社会現象として)登場している。それは超能力をビジネスにしたユリ・ゲラーに続いてたくさんの超能力者が出現したのと同じだ。(民話の屁放爺については別に考察する予定)

 ここで再び整理しておこう。江戸の〈屁〉の文化現象の流れを前回、次のように図式化してみたのだった。

 薫響集=理屈化(情緒的and理屈的)
        ↓
 放屁論=観察化(理屈的and現実的)
        ↓
 芋太郎=物語化(現実的and空想的)

 この〈屁〉の散文表現のカオスの流れは、音成に言わせれば、実に発展的に人間の心的運動を展開していると見えるのである。そして、江戸の屁放男は『薫響集』と『放屁論』の間に強烈な触媒のようなインパクトとして登場しているんだよね。
posted by 楢須音成 at 01:25| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月12日

続続・〈屁〉が文化となる一瞬の歴史の光芒

 放屁は個人的な生理の身体現象の一つであるが、それが社会(文化)現象になる段階とはどういうものであろうか。少なくともそこでは〈屁〉が他人どもを巻き込んで人口に膾炙(評判になる)しなければならない。たとえ口にしなくても暗黙の(正負の)評判というものが共有されないと社会現象にはなれないね。

 我々の〈屁〉が言葉で表現が結ばれるようになって久しいが、これは〈屁〉といえども個人の単なる異音異臭にとどまらず、社会現象化への道筋をたどっていったわけなのだ。やがて〈屁〉は江戸時代になって狂歌・川柳や黄表紙などの戯作へと大きく進出した。

 そもそも言葉の世界で〈屁〉は冷遇(無視)され、生理現象として最も蔑まれ、美意識においても花鳥風月とは最も遠い存在だった。それでも、それまで下々の民話や説話の世界では〈屁〉は滑稽味の要素として珍重されてはいたのだが、我々が〈屁〉をこいて笑ったり、恥ずかしがったり、興ざめしたり、怒ったり──といった、なぜだかわからないが〈屁〉が醸してくるストレートな感情がそこにはあったのである。

 江戸の〈屁〉はそういう感情をベースに(近代化の萌芽になる)人間観察と観念(思弁)化によって再構成されたものだった。

 黄表紙の創始者にして代表的な作家と目される恋川春町の『芋太郎屁日記咄』(1779年)は〈屁〉を題材にした作品。代表作ではないにしても注目作くらいにはなるだろう(か?)。国文学者の森銑三の感想混じりの要約を引用してみる。
 箕輪金杉の町はづれに住む芋売十兵衛と、その女房おゑごとが、或日うたゝ寝して、その昔の枯木に花咲き男から一子を授けられると夢見て懐妊する。おゑご栗の子芋のやうな男子を生み落す。「然るに不思議や、此子盥(たらい)の中ににて尻をもつ立て、一とひりぶつと屁をひりしに、その臭きこと限なし、金輪際までにほひける。その時此子盥の内にて、天に指さして、屁上屁我唯可屁糞尊と高らかに唱へる」その文句は、お寺の和尚に読んで貰ったら、「屁は上屁、わがたゞ屁糞尊かるべし」といふのであった。
 その子、生れ落ちてより五穀を食せず、たゞ里芋ばかりを食べて成人する。それで名も芋太郎と付けられる。長じて芋太郎は屁国修行に出づる。そこでお定りの道行の文句となるが、その文句が実にいい。
「まづ行き先を斬らんと、へたちの国の鹿島に詣で、行先屁臭い屁ん命と、丹誠芋に銘じて祈り、それより赴く国々は、芋ふさ、上総、芋づけや、佐野への小橋打渡り、屁ち前、屁ち後、甲斐、屁なの、屁なのなる浅間が嶽に立つ屁むり、屁むりくらべる富士の山、田子の浦屁を打過ぎて、岡屁、藤屁だ、だんだんと、長き梯子屁ひり上り、くさ津の宿に着きにける」
 そこで伯母を訪ふことがあつて、その地に逗留の間に、人々の持ち運ぶ芋の山を、おつ肌脱ぎて平らげた上、なほ曲屁をして見せる。
「東西々々、扨てこの芋食ひしまひまして、屁をひりまするところが、第一番に三番叟屁、その次に至りまして淀の川瀬の水車屁、獅子のほら入りほら返へし屁、猿猴(えんこう)の梢屁、ひだるいところへ食つたらよかん屁、腹の張る時ひつたらよかん屁、よかん屁よかん屁、曲屁の始まり、東西々々」
 一言注意して置くが、この作中の芋は、前にも見えていたやうに里芋であつて、薩摩芋ではない。安永の江戸には、薩摩芋はまだまだ里芋の上越すものとは、なつてゐなかつたのである。
 芋太郎くさ津で、三万三千三百三升の芋を食つて、一ひりすると、その勢の物凄さに、里人三人が屁くさい国まで吹飛ばされる。屁くさい国は百済国(ひゃくさいこく)のもぢりである。
 その屁くさい国での出来事は省略して、その国のあるじ王仁は芋太郎のことを聞いて、はるばる日本に渡来して、持参の品々を宮中に献じ、そこへ召されて至つた芋太郎が陽春白雪屁という曲をひると、その屁の暖かみで、帝の御秘蔵の浪華の梅が開く。王仁とりあへず、

 なには屁にさくやこの花冬ごもり
             今を春屁とかぐやこの鼻


 芋太郎は功に依つて北面の侍になされる。「されば今の世までも、うら屁、いん屁、ものの屁とて、子孫に苗字を残しける」
 かくしてまた芋太郎は、みことのりを奉じて、曲らぬ筆にて趣向をこぢつけ、上下二冊の草子として、世間に広める。この草子は皆屁のことばかりなので、これを屁草子と呼び、また臭草子とも呼んだが、あまりにその名がむさいというので、後にはいひ換えて、絵双紙、草双紙と呼ぶやうになつた。
 品のよくない題材を扱つて、他の作者だつたらどうにもならぬところであらうが、そこを春町が春町らしいものに仕上げてゐるのを及びがたしとする。これはこれで罪のない好作品を成してゐるのを珍重したい。
(「春町作黄表紙の鑑賞」から)

 芋太郎の物語は〈屁〉を滑稽味で捉えているだけではない。いにしえのうんちくを傾け言葉を重ねて遊びつつ、飾り立てた〈屁〉のストーリーへと駆り立てていく新興のエネルギーが充満している。幼稚な草双紙から一歩踏み出した黄表紙としての作品性を獲得しているのである。それも〈屁〉において仕上げているわけだから当時、結構受けた(社会現象化した)のではないだろうかねェ。

 前回紹介した『薫響集』(1757年)から平賀源内の『放屁論』(1774年)へと流れて『芋太郎屁日記咄』(1778年)へと至る江戸は、多分に〈屁〉が高揚し充満していたようなのであるよ。この段階の〈屁〉をめぐる視点は、ただの屁談義に対して時系列で次のように切り込み、再構成して展開させている。

 薫響集=理屈化(情緒的and理屈的)
 放屁論=観察化(理屈的and現実的)
 芋太郎=物語化(現実的and空想的)

 このカオスの流れの核心にあるのが、江戸の町に突如あらわれた曲屁をする屁放り男なのである。いやはや実際『放屁論』はその屁放り男の素晴らしいルポルタージュになっているのだ(参照)。その記録性の高さは特筆ものである。

 ところで『芋太郎屁日記咄』に出てくる王仁の歌は、古今和歌集の仮名序にある歌のもじり。渡来人の王仁が仁徳天皇に贈ったとされる元歌はこうである。

 難波津に咲くやこの花冬ごもり
            今は春べと咲くやこの花

 冬ごもりしていた花が春になって咲いたよ、という大意であるが、今年は日本が明るく花咲く年であってほしいと思う。
posted by 楢須音成 at 02:04| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月14日

続・〈屁〉が文化となる一瞬の歴史の光芒

 激しく好き嫌いが分かれ韓流とか独裁(橋下流)とか連呼される社会現象というのは実に不思議だ。何かの出現に人はなぜ二派に分かれ、一様にそれぞれ二派の反応にうつつを抜かすのであろうか。それを社会の病理というのか心のビョーキというべきか、社会現象という老若男女の隠微なる狂態は一気に盛り上がったりするわけだ。そしてついに人気が失せ盛り下がってしまうと、好きも嫌いも長い眠りについて盛り上がることがなかったりする。

 こういう社会現象はときに支持(好き)派と不支持(嫌い)派が表裏でくっついていて、どちらにも痛くのぼせた人たちが跋扈する現象が見られる。面白いのは韓流や独裁のようにそれを毛嫌いする人たち(アンチ)が目立ってしまったり、逆にツイッターや子役人気のように大好きな人たち(ファン)ばかりが目立つものがあることである。

 まあ要するに、嫌いな人やモノが(跋扈するのが)許せないという衝動に駆られる人というのがいる一方で、たとえ嫌いでもそんなことはどうでもいい(無視していい)という人もいるわけなんだね。これを社会現象(流行)に対するアンチの中の関心派と無関心派と捉えると、どちらが優勢になるかは興味深いところだが、そもそも社会現象というのは、そういうアンチと一途なファンの総体なのである。

 そこで社会現象としての〈屁〉なのだが、もともと〈屁〉というものは、人前でこかないのは至極当然なのであり、声を出して〈屁〉と口にすることすら隠蔽してきたのであった。いわば〈屁〉はそもそもがアンチなのである。だから〈屁〉は表現(文字)の対象になることが極めて少なかったし、上流の上品な婦女子に及んでは〈屁〉をちょっとでも話題にするなど、とんでもないことだった(であろうな)。

 思うに〈屁〉にアンチがいるとして、それは関心派なのか無関心派なのかは微妙だね。一般にアンチは、口を極めて排斥するか徹底的に無視するかの二極を振幅するのであるが、どうも〈屁〉になると口にするのは恥ずかしく無視するにはとても看過できぬ現象(やむにやまれぬあの異音異臭)なので困る。もちろん、ファンというものはいるわけで、そういう「屁好き」がいないことには、このブログだって成立しないわけであるが、まあ何というか、人類の〈屁〉の歴史とは、日陰者のやめられない手遊びみたいなものよ。

 ともあれ進化とともに〈屁〉は少しばかり意識的な表現の言の葉に引っかかるようになるんだね。先に見てきたように〈屁〉の表現史は説話や民話の段階から連歌や誹諧を経て狂歌や川柳へと展開したのである。これは笑いをふまえて〈屁〉がほかの素材と同格の扱いを受けるようになったことを意味し、花鳥風月ではあるまいに生活実感の表現上の重要な素材へと昇格した。アホな、そんな大袈裟な素材であるはずがないと言う向きもあるだろうが、少なくとも以前より〈屁〉は素材としての多様性や存在感を増した。

 そこをふまえて〈屁〉は散文化されたのだ。説話や民話が(語りの次元では)単なる滑稽譚に終わるのに対して、この時期の散文は手が込んできた。というか、粋人が入念な理屈を用意して面白がっている。巷の屁談義を掻き集めて再構成するのである。この〈屁〉に向かっていく構成力が素晴らしい。つらつら考えてみるに狂歌も川柳も五音七音の一定の様式美を備えた構成力によって成立しているわけであるが、散文化された〈屁〉も入念に再構成されている。(もっとも、その入念さは速やかに陳腐化するのだがね…)

 さて、そういう一書が前回紹介した井本蛙楽斎(いもとあらくさい)の『薫響集(くんきょうしゅう)』(1757年)なのである。「薫」も「響」も何を意味するかは明らかだ。佳きカホリや良きヒゞキという花鳥風月(向き)の言葉を〈屁〉に用いる諧謔精神で成立しているのだが、全体は〈屁〉をあたかも風雅と見立てた歌論(もどき)というべき内容になっている。

 この『薫響集』は平賀源内の『放屁論』にも影響を与えたとされる。例えば冒頭の書き出しから飛び出す〈屁〉のもじりや、うんちく傾けた語りの調子は同類パターンである。このような諧謔は広くあったのだろうが、多くの同類ネタのバリエーションが当時の類書に出てくる。

 格調(?)高い『薫響集』の全体は「序」「古今放屁集」「屁放様(へひりよう)の伝」という三つの構成。漢文で著した「序」で〈屁〉を言祝いで伝を記す決意を語り、古今和歌集をもじった「古今放屁集」で〈屁〉をとらえる歌の極意を微妙に論じ、最後に「屁放様の伝」で後世に伝えるべき〈屁〉の作法を授けん―というものである。

 当時の古典の知識と巷の屁談義が混じり合って、まことにとぼけた論が展開する(参照)。注釈はしないが、例えばこんな感じ。(引用は『新編薫響集』読売新聞社刊から)
 ――そもそも、屁のさま六つなり。唐土(もろこし)の屁とてもかくぞ放(ひる)べき。そのむくさみのひとつには、
 添へ歌
  元日に匂ふこたつ屁冬ごもり
   いまを春べと放るやこたつ屁
 二つには数え歌
  われながら知らず放る屁のあやぞなき
   身にいたつきの疝気ゆえとて
 三つにはなぞらへ歌
  君にけさ貰ひし芋を煮て食へば
   恋しさごとに屁をや放らなん
 四つには(たと)へ歌
  世のなかに屁だねはつきじ蟻の穴の
   端の真砂は放り飛ばすとも
 五つには徒事(ただごと)
  あしき香のなきものならばいかばかり
   人の放る屁のうれしからまし
 六つには祝ひ歌
  この道にむべも富みけり小つづみの
   三つ地六つ地の曲放りをして
 といへるなるべし。

 古今集などの歌を下敷き(パロディ)にし〈屁〉の六つの様態に即して歌を示している。かくも細やかに生活感あふれる〈屁〉の観察にもとづいて「畏くも雲の上人より、賤山賤(しずやまがつ)までこの道を楽しむ」となるわけだ。そして今の世、学ばん人のための歌体の十体(じってい)をこう示している。
 幽玄の体(ゆうげんのてい)
  思ほえず寝る夜に放りし春の屁の
   おぼろに匂ふねやのあけぼの
 長高き体(たけたかきてい)
  風に放る野路のすかし屁空に消えて
   行方も知らぬわがかほりかな
 有心体(こころあるてい)
  小便に起きて放りたる折しもあれ
   月も山辺に有明のそら
 麗しき体(うつくしきてい)
  こらへかね芋かひ行けば冬の夜の
   尻風寒み屁をぞ放るなり
 事可然体(ことしかるべきてい)
  秋の夜にはだかのをのこ風寒み
   ひるや放屁(ひるへ)のくさみをぞ思ふ
 面白き体(おもしろきてい)
  やよおならいろいろ曲のなかりせば
   人の好みに何を放らまし
 濃やかなる体(こまやかなるてい)
  つつめども隠れぬものはすかし屁の
   もれてほのぼの匂ふゑり袖
 見る体(みるてい)
  小夜寒み雪に隠れて帰るさの
   道に梯子屁放るぞいみじき
 有一節体(ひとふしあるてい)
  寝がへりしまたも放り見んぬるま屁を
   小島の夜着に匂ひもらすな
 挫鬼体(おにをとりひしぐてい)
  板間屁はあたり厳しくひびくめり
   小袖も綿の中やたえなん
 この心持にて執行し侍るなり。放りやうは別に伝へ侍るなり。

 かくして作法に則る〈屁〉の放り方へと筆は進んでいくのだが、その筆法は例えば次の如し。
 ――貴人の御所望などありて放るときは、座より三足膝行して畏りながら放るべし。さて、裾のふはつかざるやうにして、勝手口まで膝退し、匂ひを払うべし。そのまま座に就き候やうにご挨拶ありとも達て退くべし。
 遠方へ屁を遣はすときは、一両日前なり五葷(ねぎ、にらなど臭い野菜)の類食ふべし。これ、匂ひを専らとする故なり、器は鳥の子紙を蝋打ちにして、わらび糊にて袋にすべし。放り入れやうに伝あり。
 屁種となるものは ―云々― (略)

 ナントまあ〈屁〉もいたく高尚(?)に語られるようになったものだ。今も昔も巷には屁談義が尽きないが、当時こういうふうに古典の知識なども動員し理論(理屈)をつけて語るところに道を見出していたのである。そして、これがまた面白可笑しい屁物語へとストーリー化の道にも進んでいた。筋の運びという結構にのせて〈屁〉が語られるときには、もちろん昔の物語をひねってパロディするのは必然だね。

 そのようなご時世においては〈屁〉は文芸の一潮流になっていたんだろうかねェ。そこまではいかぬ知識人の手遊びであったとしても、少しばかり話題や耳目を集めた社会現象として評価してもいいのではないか。嫌がられたり無視されたりする〈屁〉が何だかエヘンと輝いているみたいな…。
posted by 楢須音成 at 00:45| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月30日

〈屁〉が文化となる一瞬の歴史の光芒

 不倫は文化だと言った人がいたけれど、そんなことを言うのだったら、かつて〈屁〉だって文化になった時代があったのだよ。それはまあ、日本の〈屁〉の歴史の一瞬の光芒だったと思うのだが、それが18世紀半ばから19世紀にかけてのこと。それは〈屁〉が人々にもてはやされた希有な時代だった。

 江戸中期に諧謔的な文学が髏キした中で〈屁〉もまた一つの題材として注目されて、それは狂歌や川柳に脈々と流れていた。そもそも〈屁〉は口にするのもはばかられる事象であり、あえて言葉や文字で表現し(たく)ないものだが、これに言及する視点が確立しているのだ。

 屁をひつておかしくも無い一人者(柳多留三篇)

 いつそ屁をひると箕の輪へ返す也(柳多留十一篇)

 さらりと〈屁〉を話題にしているね。独身者が一人で〈屁〉をひっても何の動揺も感動もないのだし、臨時に雇った禿(かむろ=遊女に使われる童女)が〈屁〉ばっかりすれば閉口して箕輪(現在の台東区三ノ輪。遊女屋の寮などがあった)に返さざるを得ない。どちらも表現の底意は笑いにあるわけだが、その〈屁〉の笑いにのせて孤独や無邪気の振る舞いを描いてみせている。

 狂歌になると言葉遊びが過剰に出てくる。まあ、字数が多いぶん状況描写に肩入れするわけだから、少しばかり凝ってうんちくも傾ける。

 すかし屁の消易(きえやす)きこそあはれなれ
       みはなき物と思ひながらも(紀定麿)

 山ざとにしりごみしつゝ入しより
     うき世のことは屁とも思はず(四方赤良)

 おはしたの龍田がしりをもみぢばの
      うすくこく屁にさらす赤はぢ(蜀山人)

 紀定麿は「消えやすくかすかな透かし屁はおもむきがあるよなあ、実(み)はないんだけれど、身のおきどころもない」と、どうでもいいことに感動してみせ、ここでは〈屁〉の実体(?)である「実」と自分自身の「身」を重ねた複合縁語になっている。まるで〈屁〉を風流なもののように見立てて遊んでいる。

 四方赤良も蜀山人も同じ人(大田南畝)の別名だが、この人も随分〈屁〉にはこだわっている。「しり」と「屁」が縁語で「ためらいながら山里に入ったが、そもそも浮き世のことなんか何も気にしてはいないのだ」と(気にしていることを)あえて自省したり、秋をつかさどる祭神である龍田姫に縁づけて「龍田という名の女中が尻をもみもみして薄くも濃くもそっと屁をこく、秋も盛りのもみじ葉みたいな赤恥だなあ」と笑い飛ばす。「しりをもみ・もみじ葉」「うすくこく屁・薄く濃く屁」とか複合縁語を連想させ重層させて遊んでいる。

 こういう傾向は次第に散文に向かっていく。もちろん〈屁〉の話は古来から散見されるわけだが、大体において失敗(屁の粗相)談にみられるような素朴な滑稽味が主眼である。川柳や狂歌の表現性は滑稽味を前面に出しながらも、やがて〈屁〉を生活や人生や風流や言葉遊びの重要な切り札のように扱い始め、散文に向かった。

 この浮かれた世間で〈屁〉というものがどのように機能しているのか――そのような明確な意識化ではないにしても、うっすらと〈屁〉は観察の対象になっていく。この過程が散文化への方向を示していくんだね。次第に〈屁〉に対する言及が批評的になり、他方ではストーリーを夢想して物語っていくファンタジーへと方向をとっていったのである。

 江戸の〈屁〉の散文化には中国笑話をネタとして影響を受けた小咄もあるが、ここで注目するのは批評的な散文の登場である。そして、江戸後期にかけて想を練った本格的(?)な屁物語も登場してくる。これらの動きを年表風に並べてみる。◎は物語の類である。

 1753年  「放屁志」
 1757年  「薫響集」(井本蛙楽斎)
 1774年  「放屁論」(平賀源内)
 1777年  「放屁論後編」(平賀源内)
 1778年  「芋太郎屁日記」◎(恋川春町)
 1786年  「屁生物語」◎
 1798年  「臭気靡放屁倉栄」◎(錦森堂軒東)
 1796年  「諺下司話説」◎(山東京伝)
 1800年前後「屁法之巻」
      「河童の尻子玉」◎(十返舎一九)

 とまあ、こんな感じなのだが、もちろん有象無象の類書がたくさんあったのだろう。これだけ見ても同じ屁談義ネタの使い回しも多く、面白いとなればホイホイ広まるのが〈屁〉なんだね。現代的な著作権の意識はない。それまでの狂歌流の屁談義の集大成みたいな『薫響集(くんきょうしゅう)』では歌論の展開(かなり噴飯物である)がなされているが、ここに盛り込まれているネタは広く影響を与えている。

 そんな中で批評性が高く、他書にないオリジナリティにあふれて登場したのが、文才ある科学者だった平賀源内の『放屁論』である。当時流行の〈屁〉の記録(観察)がいきいきと埋め込まれているし、社会批評や自分語り(自己省察)といった近代性への萌芽までを含む。そして何が凄いって、そこでは現実に江戸の両国にあらわれた放屁男(へっぴりおとこ)が描かれたのだ。
posted by 楢須音成 at 14:48| 大阪 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月17日

補遺・お尻と〈屁〉のコラボが侮辱になるのは何でだろ〜ヵ

 いくら自分が相手を侮辱しようと思っても、相手がそれを感じてくれないことには、まったく意味がないだろう。相手のことなどお構いなしに、こちらに侮辱の意図があるだけで成立するものではない。何事につけ自分だけがご満悦している一方通行というのはよくあるのだが、侮辱に関しては、相手が保持している自己評価(立場)を毀損する示威に無理やり直面させてこそ意味があり、相手に被害性の心的動揺を発生させないと侮辱にはならないのである。

 このような一方通行がある場合には、相手が侮辱にいたく鈍感であるようなこともあるだろうが、侮辱する者が行為に及ぶ条件を独りよがりに主観的に構築していて相手に通じていないこともあるだろう。前回までに見てきたように、侮辱行為とは次の条件があって発生すると考えてきたね。

(1)不信・対立・断絶関係にある
(2)自己の意識が相手より高位である
(3)相手の社会的立場(評価)が低い
(4)自分の不完全性を意識または無意識している

 一般に侮辱するときは、相手の弱点(評価)をさらに貶める言葉や行動によって、相手の全体評価の毀損をめざしている。特に相手の羞恥心をかき立てる(恥をかかせる)ことにおいて顕著な行為である。それは相手次第で行為の意味合いが変わり、よくあるのは相手が強者なら当てつけ、対等なら意趣返し、弱者なら威圧といったいろいろな形をとるわけだ。

 そこでは自己の評価を貶めてはならないことが原則であり、陰に陽に常に自己の評価(立場)を高めたり誇示することが望ましい。つまりは相手を(バカにしたりコケにして)できるだけ否定することが必須なのである。

 こう見てくると、相手に尻を向け、突き出し、さらに〈屁〉をこくという侮辱行為は奇抜であり、どう転んでも恥ずかしくもあり可笑しくもある危うい行為だね。平時においては、そもそも人前で〈屁〉をこくなど自分の評価を下げ価値を貶めるだけなのだ。しかし、それが相手への侮辱になるという場合には(やっていることは変わらないのに)相互に心的な転位現象が起こっているわけで、当事者間の葛藤は並々ならぬものがあるといわねばならない。

 さて、恥ずべき行為を侮辱へと転位させる核心にあるものとして前回、侮辱する者の「自己の意識」の高位を動機づける次の三点を指摘したのだった。

(1)反撃の明確な動機
(2)貶める強力な意思
(3)誇れる完璧な制御

 例えば、日本書紀にある神話の世界の星神香香背男(ほしのかみかがせお)の状況をもう一度確認してみることにしよう。

 土着の神、星神香香背男は高天原の天孫ニニギの命の進攻を受ける。徹底抗戦するが、如何せん戦況は不利である。多分、滅ばされる。このとき星神香香背男は天孫ニニギの命に向けて尻を突き出し〈屁〉を嗅がせるポーズで侮辱したのであった。

 この構図はすべてに勝るニニギの命に対する星神香香背男の反抗である。神格も武力も劣勢にある弱者という立場においては、何が何でも自分を奮い立たせないと徹底抗戦も侮辱行為も不可能だが、このときは絶対に「自己の意識」を相手より高位に保たねばならない。(これは、いわゆる「自己意識」ではなく、他者に向けて自己を対峙させるときに必ず位置設定する意識の高低である。俗にいう「目上―対等―目下」というような関係性も一つの高低差)

 我々は相手が強者(つまり、自分が弱者)であっても、侮辱で相手を見下す(自己の意識の高位を保つ)ことができる。そのために必要な条件が(1)動機(2)意思(3)制御――の確保なのであるが、恥ずかしい振る舞いが侮辱的威圧になるためにはこれらは必須であり、なかでも重要な条件が(3)である。

 我々が〈屁〉をこいて相手を侮辱しようとして、恥ずかしがっては(自己の意識を低下させては)話にならないわけだが、自己の意識を高位に保つ条件となる「動機」「意思」「制御」のなかでも、羞恥に深く関与してくるのは「制御」なのである。

 もちろん、お尻を突き出して〈屁〉をこく侮辱行為の「制御」とは、お尻の制御つまり〈屁〉を(こいたりこかなかったり)コントロールできる確固たる自信をいうわけである。

 例えば勝負事は、やってみないと勝つか負けるかわからない(ので勝負する)のだが、強い奴は確かに強い。そういう強い奴ほど確固たる自信に満ちている。逆にいえば(露わになっていようが秘めていようが)自信に満ちていなければ弱いのである。この「強い」というのは勝負師の「強力な制御」のことであり、たとえ分野は限られても対象を支配下に治め、その分野をコントロールできる、身に備わった能力(制御力)である。勝つか負けるかは結果だが、強い弱いの真贋はこの制御力を保持する加減にあるのだ。

 これが羞恥心に関与してくるのは、負ければ恥ずかしく感じることからもわかるだろう。その恥ずかしさは自分が強ければ強いほど(つまり、制御力が強いほど)激しく感じるはずだ。相撲の横綱が格下の相手に負けるのは恥ずかしい。

 しかしその横綱も、体力や気力が衰えて制御力がなくなると、恥ずかしさを感じなくなる。弱くなって引退する横綱は(むしろ穏やかで)恥ずかしがっているようには見えないだろう。制御力がなくなると負けても当たり前なのであるから、勝たねばならぬと思い詰めたときほど恥ずかしさを感じなくなるのだ。しかしまあ、周囲や自分が体力や気力の衰え(制御力の喪失)を認めるまでは悩んだりもするのだろうけどね。

 ひるがえって〈屁〉はどうか。老人が〈屁〉をブリブリこいているのはよく見かけるよねえ。これは好んでワザとやっているのではなく、むしろ老化によって抑止する機能が身体的に衰えているのである。そして老人は、身体の衰えに見合って〈屁〉の羞恥心も薄れているのだ。若者の場合は〈屁〉をブリブリこくことは(老人より)恥ずかしい。若者は〈屁〉を我慢する制御力が体力・気力ともに旺盛だから、意識的にも無意識的にも〈屁〉などこかないのが当然なのである。

 制御力があるとなぜ恥ずかしさが募るのか。制御力があると〈屁〉は(こきたくても)隠蔽できるわけだが、そもそも普段から〈屁〉は表に出すべきものではない存在だね。健康な若者は誰だって普通のこととして〈屁〉を我慢しているはずである。高い制御力を保持して自在に〈屁〉を我慢している(やたら人前でこかない)のが当然の、若者らしい態度だ。このように高い制御力を保持しているにもかかわらず〈屁〉を取り外してしまう粗相は不用意の極みで実に恥ずかしい。特に美男美女の若者が最も恐れることである。

 誰だって美男美女は自他ともに完璧(高い制御力)が求められているから普段から〈屁〉などこかぬような顔をしているわけで、実際〈屁〉を人前でこかぬだろう。しかし、万が一〈屁〉を粗相しようものなら、美男美女は香ばしきあるまじき物体の発生元として羞恥の坩堝に突き落とされる。

 このことからわかるのは、高い制御力を持つということは反面、マナー、道徳、仁義、常識、美意識、宗教などなど――人生や世間のいろいろな意味(観念)が絡まってきて、それを「要求されている」ということでもあるんだね。制御力とは単なる身体的の機能ではなく、それによって観念的な目標を(世間から)要求されていることでもあるのだ。要求に応えられぬ逸脱は恥ずかしいわけである。(まあ、要求レベルの低い醜男醜女の〈屁〉になると自他ともにどうでもいいレベルであり、一向に関心が持たれなかったりする…)

 かくして人間の制御というものは羞恥に関与していることがわかるのだが、話をもとに戻そう。他人に侮辱行為をしようとするときには、自己の意識が高位でなければならなかったね。しかしこのとき、お尻を突き出していつもは恥ずかしく感じる〈屁〉をこくのである。では、何ゆえに制御力があれば〈屁〉は恥ずかしくないのか。

 ときに恥知らずなヘコキ男というような人が世間にはいるね。そういう人は〈屁〉をこくときどんな様子であろうか。観察すれば態度振る舞いに「私はこれから〈屁〉をこきますよ〜」というアピールがある。端的な動きとしては、お尻を突き出すとか、片尻を持ち上げてみたりするのである。あるいは「ドッコラ〜ショ」とか「一発いかが〜」とか、聞く方が恥ずかしくなるような狂態のかけ声をかけたりする。

 彼らはまさにこれから(自分の意思で)こくことを明示的にアピールしているのである。これはウッカリ粗相するのに比べたら恥ずかしくない。まさに制御力(ワザとやる)の誇示による無恥化なのだ。このとき〈屁〉は口笛がメロディーをコントロールするのと同じような扱いになっている。いやまあ、メロディーというわけではなく、ただ単に出すか出さぬかの制御なのであるが、もちろん〈屁〉で音曲を奏でられたら大いに自慢であろうさ。つまり、制御が精緻(完璧)になるほどに自慢であり恥ずかしくないのだ。

 しかし繰り返すのだが、制御が崩れたとき(粗相)の〈屁〉はたちまち反動的に恥ずかしい。完璧であればあるほど、崩れたときの羞恥は極点をめざすことになる。全勝の横綱が全敗の平幕にスッテンコロリンと不様に敗れるなどは、最悪の恥ずかしさの極みであろう。制御には(制御できない→失敗するかもしれない、という)表裏の関係の危機感が常に張り付いているのである。意識的にも無意識的にも、制御力の強い人ほど強い失敗の危機感(羞恥の奈落)が潜在しているのだ。
 
 ごく単純なレベルから、心身の制御というのは何かにつけ動物や人間を理解する原初的なキーワードなのである。それは些細なことでも、制御の失敗の危機感によって人間の羞恥にも関与してくる。制御できれば恥ずかしくはないが、制御できないと恥ずかしいという心的運動は表裏の関係で強くも弱くも機能している。

 ともあれ完璧な制御を手にしていれば何事も恥ずかしくはない(はず)。いわんや〈屁〉においてをや。粗相した〈屁〉は恥ずかしいが、ワザとこく〈屁〉は恥ずかしくないのである。

 さてさて、恥ずべき行為を侮辱へと転位させるためには恥ずかしがってはいられない。絶望的な状況の中で、新羅を侮辱した伊企儺(いきな)やニニギの命を侮辱した星神香香背男の行為は、まさに完璧な無恥化において遂行されねばならないのである。

 そもそも異臭異音の〈屁〉は不快で無作法であるがゆえに嫌われ忌避される。それはまるで不浄で性悪な疫病のようにおぞましがられ、耳を塞がれ鼻を背けられ隠蔽される。人間の行為の中でも〈屁〉は(意味ありげだが)まったく無益に意味のないものであって、清浄で潔癖な精神性からは遠い遠い存在なのだ。(といって〈屁〉が塩酸か硫酸のような劇物であるかというと、実際にはそれほどのことはないわけで、大半は少々の異臭異音であるに過ぎないのだが…)

 とにかくまあ、伊企儺や星神香香背男の追い詰められた状況下、そのとき所持している(意思的に制御できる)ものの中では〈屁〉が最も下劣なものであるには違いない。だから、そういうものを相手に投げつけることは侮辱以外の何物でもない。このとき平時においては単に無作法で恥ずかしい行為である〈屁〉が無恥化され、相手を脅かすものとなって位置づけられる。(相手もまたその状況下で最も下劣なものを向けられたと察知するのであるから、被害感をかき立てられる…)

 彼らは十分な反撃の動機のもと相手を貶める強靱な意思をもって〈屁〉を制御するパフォーマンスを演じる。自己の意識の高位を不動のものとする核心的裏付けになるのは制御力の保持である。まるで〈屁〉を完璧にコントロールしているかのように振る舞うのだ。このとき動機・意思・制御は渾然となって自己の意識の高位を保ち、自分の〈屁〉を相手に叩きつける意味(侮辱)を持つのである。

 そのときの自己の意識の高位とは、窮鼠が猫を噛むというのではなく窮地に陥った猫が反撃に一発放つて噛みつくような心的境位であろうか。しかし、現実の客観情勢は圧倒的に不利な弱者の立場にあり、反撃手段の選択幅は狭まって絶望的な手詰まり状態なのである。だがしかしその窮地ゆえに、相手を侮辱する手段として〈屁〉があやしい輝きを帯びてくるのだ。もうそれしかない(ように思う)のだからね。

 かくして、この段階で〈屁〉が完璧な制御下にあれば〈屁〉は相手に対する侮辱行為として羽ばたくことができるのだ。これこそ(自ら恥をかくような行為で)相手に恥をかかせる究極の侮辱である。平時にそんなことをするのは絶対にありえない勇者や聖人であるような人が、あえてそれを行えば最大の侮辱行為として相手を脅かすのである。

 ──以上、ここまで理論的に説得しても決してそんなことはしない勇者や聖人はいるだろう。まあ、相手が嫌がるものをさらけ出して侮辱的に振る舞う場面はいろいろあるが、この場合は何しろ〈屁〉なのであるし、深刻さという点ではチト迫力に欠けるかもしれない。この世に完璧さというものはなかなか得がたいのだから、確かに〈屁〉による侮辱は物笑いの種になる余地を残すだろうねえ。しかしだね、そこで生まれてくる笑いがあるなら、それは世間に未練を残している凡人の証であ〜る。
ラベル: 侮辱 制御
posted by 楢須音成 at 15:05| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 断片考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月04日

最終・お尻と〈屁〉のコラボが侮辱になるのは何でだろ〜ヵ

 他者との関わりの中でも侮辱は人間に独特のものである。そこには人間につきまとう自己保存の心的運動(観念化)が独特な形で現れている。そして人が人を侮辱する行為の中に格別なものがあるとすれば、これはその一つになるのではないかねェ。

(1)お尻を向ける
(2)お尻を突き出す
(3)お尻を突き出し〈屁〉をこく

 この一連のポーズはただの動作ではないのだ。動作を続けることで次第にエスカレートする侮辱の表現になっている(場合がある)のであった。このポーズの意味するところは、こうだ。

(1)礼儀を無視しワザと尻を向ける侮辱
(2)狙って尻を近づける強く無礼な侮辱
(3)近づけた尻で放屁する超無礼な侮辱

 尻から出てくる糞のような汚穢は誰もが嫌うものであり、そんなものを相手に突きつけたり投げつけたりするのは、相手に対する侮辱になってしまう。同じ尻から出て嫌がられる点では、兄弟分の〈屁〉も同じということになる。そこで糞やら〈屁〉は普段は人前ですることは御法度だし、理由の如何を問わず決して表には出さないものなのであるね。

 しかし、糞やら〈屁〉を粗相すると恥ずかしいのである。なぜだろうか。まあそれは、誰もが嫌がる糞や〈屁〉の発生元(原因)になってしまうからだね。これは犯罪における犯人になるようなもので、倫理道徳にもとるという心的動揺を世間的には刺激される結果をもたらすことになる。

 このときの恥ずかしいという思いは心的運動を一定の方向へ動機づけることになる。恥ずかしさをまぎらす処理に我々は日頃から大変苦労しているね。大事な場面で〈屁〉をうっかりこいてしまおうものなら、これはもう千年に一度の不覚になりかねない。我々は恥ずかしさを逃れるために、心身ともに反応せざるを得ないのである。

 ここで糞と〈屁〉の違いを少し触れておきたい。糞と〈屁〉では恥ずかしさの構造が違うのであるが、ここでは次のことを指摘しておこう。

」=「糞」自体ではなく粗相が恥ずかしい
〉=〈屁〉自体も粗相も両方が恥ずかしい

 一般に糞は(屁より)臭いしバッチイし嫌悪の対象になるのであるが、だからといって糞自体は否定されていないのである。糞は人間の排泄物として(嫌々ながらも)有意味な存在として、処理され、観察され、活用される。このように人間の視野に入って意味を与えられ体系化される存在は、どんなに臭くてバッチクても存在自体は有意義なのである。だからこの場合、根源的な恥ずかしさの根拠は粗相という振る舞いにある。

 しかし〈屁〉は一般に存在自体がほとんど否定されている(何に役立っているのか、とんと無意味である)ので、まともに顧みられることがない。同じ臭さでありながら、糞のように有意味で臭いのと〈屁〉のように無意味で臭いのは天と地ほどの相違がある。根拠もなく不快を巻き散らす存在自体が恥ずかしいのだ。そんなものを身体に抱え込んでいることは生理上(万人共通だから)仕方ないにしても、そんな無意味なものを粗相しては恥ずかしさも倍加する。

 まあ、周囲の被害性というか鼻をつまむ度合い(嫌悪)は、固体で目にみえる糞の方が実害が大きいかもしれないね。何もしないといつまでも残っている糞と違って、やがて速やかに自然消滅していく〈屁〉の実害は小さいだろう。にもかかわらず、

意味のある「糞」=粗相すると(どこか体が悪いかと)人は心配をしてくれる
意味のない〈屁〉=粗相すると(我慢できないのかと)人のヒンシュクを買う

 という場面があるのは、存在の意味のあるなしによるからなのだね。かくして嫌悪は糞に軍配が上がるにしても〈屁〉は恥ずかしさで糞に絶対負けない。

 糞と〈屁〉の違いはともかく、他者の目を気にして恥ずかしいとき、我々の自己の意識は低位にある。これは他者が感じる不快を意識して忸怩たる思いになっている心的状態である。〈屁〉における恥ずかしさの根源は「他者の不快」の意識なのだ。このとき自己の意識は低位(眉をひそめた他者の視線を「感じる」状態)になっているのである。

 さて、侮辱行為としてのお尻の三拍子(1)向ける(2)突き出す(3)屁をこく――も、そこに侮辱の意図がなければ何とも恥ずかしい振る舞いになるものだ。ここで侮辱の四条件を確認しておくと、次の通りであった。
(1)不信・対立・断絶関係にある
(2)自己の意識が相手より高位である
(3)相手の社会的立場(評価)が低い
(4)自分の不完全性を意識または無意識している

 お尻の三拍子が侮辱行為になるとすれば、すでに見てきたように(弱者が強者を侮辱するときでも)この四条件は成立していなければならないのである。ということは、恥ずかしいという心的状態の「自己の意識の低位」と条件(2)の「自己の意識の高位」とが相反していることになるね。

 羞恥=自己の意識は低位にある
 侮辱=自己の意識は高位にある

 かくして、恥ずかしいお尻の三拍子を侮辱行為にするために、我々の自己の意識は低位から高位への転位をおこなっていることになるのである。

 では、何が原動力になって意識の転位が実現しているのだろうか。そもそも恥ずかしいというのは、粗相をしたことに発しているわけだが、この粗相とは身体的な制御不能に一時的に陥ってしまった状態なんだね。

 ちょっと話がそれるが、動物には自分の身体を制御する機能が備わっている。それは外界にも向けられるわけで、人間においてはそこに観念化の心的運動が起動してしまっているのである。例えば「制御」という機能は「支配」いう観念と置き換えられて語られたりするわけだ。

 我々の〈屁〉の羞恥はそういう観念化の心的運動の渦中にあり、そこでは〈屁〉を「制御できる/できない」という意識のシーソーゲームが繰り広げられている。とりわけ〈屁〉における制御は重要なのであって(なぜなら屁は自他に不快を与えるから)、こくのを我慢できるかできないかは人生の生き方・生き様・覚悟・克己などにかかわる(意識的にも無意識的にも)重大な関心事になるのである。

 この制御というものの喪失(粗相)が恥ずかしさの源泉になっているのだ。普通は我々は人前で〈屁〉をしないのが礼儀であり、たとえこきたくても我慢する克己心を持っているものだ。このとき我々は(あまり意識しないが)自己の意識が高位にある。ところが制御からの逸脱(うっかり粗相)があると、克己心は裏切られるね。このとき我々は深い喪失感にとらわれるが、それは自己の意識が低位に沈み込む落下感なのだ。

 目には見えず異音異臭である〈屁〉は他者に不快を与える。はなはだ不快な上に〈屁〉には人生における建設的な意味は何もない。自分がそういう〈屁〉の発生元、つまり〈屁〉そのものと化した状態が粗相(放屁)の瞬間である。それは他者の不快を意識する(他者の目線を感じる)奈落に落ちていく瞬間であり、奈落の底からは地獄の羞恥が吹き上げてくる。

 とまあ、どこぞの恥知らずのオヤジがブイブイこき出す〈屁〉の軽さからすれば、ちょっと大袈裟な説明かもしれないが、羞恥の基本構造としてはそういうことになる。以前に引用した話だが、羞恥が引き起こす我々の行動は時に事件となるのだ。
 ある良家の娘さんが結婚しました。晴れの結婚式で、花嫁になったその人が、放屁したのです。
 『出ものはれもの所きらわず』の諺もありますが、緊張したせいもあったでしょう。だいいち場所がわるかった。仲人などが、おやっと思う間もなく。花嫁の姿は席に見えない。花嫁姿のまま抜け出して、一目散に走りつづけ、木曽川に飛びこんだのです。
 岐阜というところは、織田信長に縁の深い町ですが、早くから城下町ではなくなり、町人の町になりました。四角ばったところもなく、自由の気があふれ、人情もよく、暮らしやすい。そんな町に起きた事件なのです。
 とにかく、花嫁さんはもとより、関係者にとっては、あきらめきれぬ、意外な出来ごとだったのです。
 昭和十五年の春でした。
(山名正太郎『屁珍臭匂臭(まるへちんぷんかんぷん)』1986年、泰流社刊)

 かくして、制御を失った〈屁〉の悲惨の中に、侮辱に転位する〈屁〉のヒントがある。すなわち制御があるうちは、花嫁だって美しく毅然と花嫁を演じることができたのである。自己の意識は高位に保たれたのである。戦争で制空権があれば攻撃の意識が高揚するのと同じだろう。これが制空権を失うと戦局は一変してしまうのだ。では〈屁〉を制御できて自己の意識が高位にあれば恥ずかしさはなくなるのか。

 結論からいえば、なくなる。なかには〈屁〉を制御できないのに自己の意識が高位にある(恥ずかしいとは思わない)人もいないわけではないけどね。しかし何はともあれ、制御できるのであれば〈屁〉に関して自己の意識の高位は保つことができる(はずだ)。

 要するに、制御していれば〈屁〉は出ない(こかない)のであるね。まあ、これなら自己の意識が高位に保てるのは当たり前といえば当たり前。腹に〈屁〉を溜めているなど誰も知らないわけだし、誰に迷惑をかけるわけでもないさ。

 ここで侮辱の四条件戻ろう。恥ずかしい〈屁〉では「自己の意識が相手より高位」という条件が合わなくなるのだったが、無様に〈屁〉をこいてなおかつ「自己の意識が相手より高位」であるためには、制空権ならぬ〈屁〉の制御権をしっかり保持していなくてはならないということなのである。

 そもそも侮辱というものが明確な(挑発的な)意思表明だね。その意思を〈屁〉の制御と一体化させることによって、あえて不浄の〈屁〉を相手に投げつけるのである。普段は恥ずかしい行為も、制御を手にしている(完璧にワザとやっている)という確信によって(このとき自己の意識は高位なので)侮辱の覚悟を示すことになる。普段は、意図しては絶対やらないこと(放屁)をあえてやるのだから、それは強烈な意思表明だ。

 お尻の三拍子はより強い意思表明へとエスカレートしていく過程である。侮辱の意思を相手に示している。それは別段、恥ずかしさを押し殺してやっているわけではない。主観的には何の羞恥もなく相手に向ける明確な侮辱行為なのだ。

 そして「喰らえ!」とばかり投げつけるものが〈屁〉であるということは、それがその辺にころがっている石ころであること以上の意味もある。何しろ相手がそれ自体を生理的に嫌がる異音異臭の〈屁〉なのである。

 しかし万が一、ここで〈屁〉の侮辱の最中に一点でも羞恥が紛れ込んでくると大変なことになる。お尻を突き出した自分にハタと気がついて「お、俺は何をやってるんだ!」という自意識が増殖し、相手に向けている侮辱の動機を圧倒してしまい、死ぬほどの羞恥にまみれるかもしれない。だから我々にとって〈屁〉で侮辱を成し遂げることは、我を忘れるほどの強い動機を必要とする困難な行為でもあるのだ。

 神話の中の伝説になった伊企儺(いきな)や星神香香背男(ほしのかみかがせお)の行為は勇猛で超人的なものだったに違いない。だからこそ下劣な〈屁〉によって侮辱が強烈に示される。こういう侮辱行為において〈屁〉の恥ずかしさから無縁になっているのは、次の三つを内外に強く示しているからだ。

(1)反撃の明確な動機
(2)貶める強力な意思
(3)誇れる完璧な制御

 このとき自己の意識は高みにあって下界を見下ろしているわけだが、そこには時々難点が生じてくる。動機・意思・制御に導かれるのは侮辱ばかりではないのである。お尻の三拍子がただの「お笑い」なのか痛烈な「侮辱」なのか、とんと区別がつきにくい状況もあるのである。それにまた、その場の侮辱に反応する当事者でもない限り、情景は滑稽化して物笑いの種になってしまう危険がある――。
 
 いやはや残念ながら、それが巷によくある〈屁〉の罪つくりなところであ〜る。
ラベル: 侮辱
posted by 楢須音成 at 22:40| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 断片考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月23日

続続・お尻と〈屁〉のコラボが侮辱になるのは何でだろ〜ヵ

 誰かを侮辱する(したい)というのは誰にでもある性癖ではあるが、とにかく相手を見下し貶めて恥ずかしい思いをさせようとする行為である。まあ、陰湿に目立たないようにやる人もいれば、ド派手に手段を選ばない人もいるし、誉めているようで実は貶しているという何とも嫌味な人もいれば、小出しにジクジクとしつこくいつまでも続ける人もいる。

 これを〈屁〉の侮辱に当てはめてみると、尻を突き出して陰湿にすかす奴もいれば、ド派手にぶっ放す奴もいるし、こいてないようで実はこいているという嫌味な奴もいれば、小出しにブブ、ブブといつまでもこき続ける奴もいるという感じだね。つまり〈屁〉のスタイルが無限にあるように侮辱のスタイルは無限なのだ。

 こうした場合、その侮辱(の内容)が正しいとか正しくないとかは問題ではなく、侮辱する人にとってはその行為自体に価値があるのである。要するに侮辱する人はそれをやって必ず溜飲を下げている。溜飲(酸っぱい胃液)を下げると、なぜかすっきり心が澄み渡るんだよね。その身勝手な気持ちよさ。経験あるね。

 侮辱する立場からいえば、とにかく相手を困らせ辱めることが重要である。侮辱する論理内容が正しければそれに越したことはないが、それは必須ではなく、態度振る舞いが重要になっていて、言葉の意味よりは強圧的な響きだったり威圧的な行動だったりするわけである。逆に、そうやって溜飲を下げない侮辱なんてあり得ないのである。侮辱行為に思い入れが強ければ強いほど溜飲は下がりスッとするだろう。

 このように侮辱してスッとした気持になってしまうのは〈屁〉をこいてスッとするのと同様であり、尻を突き出して〈屁〉をこけば、これはもう二重にスッとするさ。侮辱の身体表現においてエスカレートしたこの「尻と屁」の基本形で気持と身体がスッとするとすれば(するほど)これはなかなかに強烈な侮辱行為といえるのである。

 もっとも、いくら侮辱する気持があっても相手がそれを認識してくれないのでは、溜飲を下げることにはならない。侮辱とは相互作用であり、また少なくとも相手または自分に被害意識が生起している状態でなければならない。

 さて、前回紹介した伊企儺(いきな)や星神香香背男(ほしのかみかがせお)の侮辱行為もまた相手を貶めることによって溜飲を下げる振る舞いである。

 伊企儺は新羅軍の捕虜となり無理やり尻をむき出しにされ日本にむけて「わが尻を喰らえ」と言わされる侮辱を受けるのだが、逆にその尻を新羅軍に向け「わが尻を喰らえ」とお返しの侮辱をしたのである。

 星神香香背男は高天原の天孫ニニギの命に攻められ徹底抗戦するが、このとき強大な敵方に尻を出して〈屁〉を嗅がせ(るポーズで)侮辱したのである。

 つまりこれらは、不利な状況下での反逆的な行為なのだよね。それも絶望的に不利なのだ。しかし(状況は変わらないが)まるで起死回生の一発(のよう)に振る舞っている。

 これは状況的には弱者による侮辱行為だね。立場の弱い者が強者に対して捨て身の侮辱行為をしているわけである。ここで疑問だが、侮辱とは相手を見下す必要があったのではないのか。強者は弱者を見下すが、弱者はどうやって強者を見下すのか。侮辱の条件とはこうだった。

(1)不信・対立・断絶関係にある
(2)自己の意識が相手より高位である
(3)相手の社会的立場(評価)が低い
(4)自分の不完全性を意識または無意識している

 このうち(1)はクリアするね。また(2)も状況は相手に圧迫されているとはいえ部分的・主観的には可能だろうと思われる。そこで、その自己の意識を高位に保っている根拠を検討しなければならない。それは(3)につながる構図になっているわけだが、伊企儺や星神香香背男は弱者の状況なのに強者を低く見る(評価する)ことによって、自分の高位を確保しようとしているケースなのである。

 伊企儺は捕虜になり敵の支配下(弱者の立場)にあるのだが、新羅を攻めている(征服しようとしている立場の)意識があり、新羅を(文化的弱者あるいは日本軍にいずれ撃滅される軍事的弱者と)見下していると考えられる。前提になるそういう潜在的優位性があれば逆境でも自己の意識を高位に保つことはできるだろう。

 相手を鬼畜と見なすような差別的な心情、自分が誰よりも高潔であるという道徳的な確信、自分は頭がいいとか美人だなどという自惚れ、恐れを知らぬ勇気ある振る舞い―等々においても、自己の意識の高位を保つことはできる。そして取り巻く情勢が自分に優位でなくとも、とにかく何か相手の弱点(侮辱のターゲット)があれば、それを過大に悪く悪く評価することで、逆境にあっても相対的に自己評価は上がってくるのである。

 また、条件の(4)は、まさに置かれた逆境こそが誰の目にも露見している自分の不完全性であり弱点であるから、痛烈に意識せざるを得ない。これは理想の状況とは遠くかけ離れ、何かを達成したり復権することは不可能な状況である。そんな逆境であろうと(潜在的優位性に励まされて)自己の意識が高位になればなるほど(相対的に)相手の評価は下がり続ける。かくして逆境に自己回復を求める(自分を高める)心的運動が切実化していくのである。こう見てくると伊企儺が侮辱行為に走る条件は整っているわけなのだ。

 また星神香香背男は支配の神に対して徹底抗戦するのだが、劣勢の中でニニギの命に尻を突き出し一発かましたのである。この状況も侮辱の条件になる不信・対立・断絶関係にあたるが、星神香香背男はもともと土着の神であるから、当然ながら自分の国を守ろうと決起しているわけである。

 ただ自己の意識が相手より高位であるかどうかは微妙かもしれない。中央の神に対して自分を格下の神であると思っているかもしれないからだ。現実問題として高天原の神となると異議を唱えようもない秩序の頂点にいるのである。その社会的立場はどうあがいても永遠に低くない。

 しかし星神香香背男にとって相手は強大で格上かもしれないが、依って立つ自分の国を守ることは道義であり、そこでは自己の意識は(相手に対して)高位になろうとする。有無を言わせず進攻してきたニニギの命の理不尽さ・強引さに対して決起することに、星神香香背男は悩みはしても何のやましさもない(はず)。進攻に対抗して(自分の国を守るという)道義があれば、むしろ(劣勢であればあるほど)自尊心や勇猛心は奮い立つ(場合がある)ものだ。このようなときに人が頼る道義とか正義とは強固なイデオロギーであり、それが崩れない限りは自分に非はない(と思い込む)ね。

 もちろん一方で、強い者には従わねばならぬという政治的現実を受け入れる卑下の意識(低位の意識)に甘んじる情勢判断はあり得る。この強い者に従って低位に甘んじる姿勢は並みの凡人にはごく一般的でありがちな態度なのであるが、星神香香背男のようにリーダーたらんとする者がそれに抗してあえて高位を取らんとする(破滅を辞さずに我を通す)態度はしばしば世間に散見されるところである。(人に代行=身代わりさせる見苦しいボスもいるが…)

 こういうヒロイックな態度は相手が理不尽(思い通りにならない)であればあるほど強く過激になり怒りをふくらましていくものだ。この段階においては、情勢判断ができない馬鹿なのか、あるいは信じる道義に殉じる崇高な英雄なのかは、第三者にはすぐには判然としないが、敵方に対して侮辱行為に及ぶことがあるという点では、どちらであってもよろしいのである。

 星神香香背男の場合には侮辱の条件(1)〜(4)のうち(3)において乗り越え不能の困難に直面したわけだが、相手は絶対的に社会的立場(評価)が高いのであるから、そういう強者に対して自己の意識を高位に保ち続けるためには、正しかろうが正しくなかろうが自分の道義を最大値にまで高めるほかない。道義を貫いて絶対の強者の社会的立場(評価)を下げる―という不可能への挑戦である。これはもう徹底抗戦(エンドレスの戦い)しかないのだ。

 このような(弱者の)徹底抗戦とは主観(希望)的には勝利の先送りであり、客観(絶望)的には破滅への突進である。希望と絶望が表裏になって緊迫しているそこでは、自己の意識が高位であり続ける心的状況が生起している。多くは下世話に自尊心とか勇猛心とか呼ばれるが、要するにメゲて落ち込んでいては戦えないのである。

 かくして伊企儺にも星神香香背男にも、侮辱の条件(1)〜(4)が同じように整っていることがわかるね。

 しかし両者の明確な違いは(3)にあって、それは戦っている相手への評価であったね。伊企儺にとっての新羅は(取って代わることのできる)相対的に優勢な敵だが、星神香香背男にとってのニニギは(取って代わることのできない)絶対的に優勢な神なのである。弱者の両者がそういう相手に対して自己の意識を高めようとする心的運動は似ているようで違ってくる。

伊企儺=自己の「潜在的優位」があるので、あえて相手を見下し馬鹿にする振る舞い(強者を見下す振る舞いをするということは、相対的に自己の価値を高めることなのであり、それは自らを相手以上の存在へと高めることである)
星神香香背男=自己の「顕在的劣位」があるので、あえて相手と同格以上の振る舞い(強者と同じ振る舞いをするということは、相手に同じ振る舞いをさせることと表裏であり、それは自らを同格以上の存在へと高めることである)

 この「優位」と「劣位」の心的な評価軸の違いがあるにもかかわらず、尻を突き出して〈屁〉をこくという侮辱行為が同様に発現するのは、どちらも結果的に自己の意識が高められているからにほかならない。

 ――いやはや、煩雑な議論をしてしまった。要するに、置かれた状況や〈屁〉の如何にかかわらず、侮辱の条件(1)〜(4)が整うと侮辱行為が発現しやすいのである。

 しかし、ここで再び〈屁〉の疑問が出てくる。どんなときでも尻を突き出して〈屁〉をこくのは、普通はとても恥ずかしい行為だよねェ。心ある人、品位ある人、プライドのある人がすることではないはずだ。それなのに、何でそんなことをすることが相手を貶める侮辱になるのだろうか。相手に笑われないだろうか。馬鹿にされないだろうか。
ラベル: 侮辱
posted by 楢須音成 at 05:00| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 断片考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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