2006年02月14日

〈屁〉から糞に転向しちゃあかん〜

 〈屁〉に関する作品はたくさんある。福富織部の『屁』や中重徹の『一発』には古今東西の作品が満載である。作品のあるものは音成の「文献探索」や「断片考察」でも取り上げてきたが、これまでは〈屁〉の批評とは何かという文脈において触れてきたのである。
 「作品探求」として少しアプローチを変えて作品を取り上げてみることにする。

 藤本義一の『屁学(ひがく)入門』(1971年、講談社刊)と『へへへへもへの』(1978年、鎌倉書房刊「巷の奇人たち」所収)は〈屁〉に題材をとった小説である。どちらの作品も〈屁〉を研究している化学教師の話で、どうも『おらな粋門記』の著者である藤田保がモデルのようである。

 まあ、モデルとはいっても実録ってわけじゃなく、藤本はフィクションの着想を得たという感じですかね。両作品とも〈屁〉を研究している化学教師が勤め先の学校と対立して辞めてしまうという筋立て(ストーリー)の枠組みは同じである。展開と結末をもって同工異曲の作品となっているが、二つ読んでも重複感なくそれぞれに楽しめるのは藤本の筆力ではある。


「武市の『屁』に対する研究は、町子の想像を遥かに越えていた。画家と蜜柑だけの関係ではなく、もっと深いところに根ざしたものであった。大学の応用化学の研究室に残った武市は、はじめインドールの研究をつづけた。無色の葉片状の結晶インドールは、純粋なものは花の芳香を放って香料の原料となる。単体香料を大別すれば、炭化水素系、アルコール類系、アルデヒド類系等に分けられるが、彼の取り組んだインドールを含む窒素化合物系には人造麝香の他に、インドールという芳香とは別の悪臭を放つスカトールがあることを知ったのが病みつきの原因であった。
 『糞が臭い、屁が臭いちゅうのは、そのスカトールちゅうもんが、ええ匂いを放つインドールの誘導体になっとるんじゃ。悪貨が良貨を駆逐するちゅうグレシャムの法則が経済上あるけれど、まさしく悪臭が芳香を駆逐するちゅう具合なんじゃ』
 コト屁に関しては、彼は人間が変わったのではないかと思われるほど能弁になった」(『屁学入門』)


「へのへのもへの、は、あまねく日本国中に普及しているが『へへへへもへの』は、おそらく読者諸姉兄は、はじめて耳にされることだろう。私とて、はじめて口にし、はじめて文字にした。
 へへへへもへの、を、へのへのもへのの要領で紙に描いて見ると、笑った人の顔になる。なんともいえない幸福そうな顔になる。
 中村草助は、その笑った顔、幸福そうな顔をしている男である。彼は、広島の高校の先生である。年齢三十八歳、小柄でにこにこ笑って、化学の教え方が生徒にはとてもわかりやすい。だから、生徒たちは、
 ──へのへの先生。
 といった具合に呼ぶ。へへへへもへの先生とは呼ばない。その理由は、草助先生が、こよなく『屁』を愛し、研究しているからなのだ」(『へへへへもへの』)


 二つの作品を文学的にどうかと言われれば、基本的には〈屁〉を巡るストーリーや〈屁〉のウンチクで成立していて、登場人物たちは至って平板である。主人公の素朴な〈屁〉への情熱が眼目と言えば眼目だが、〈屁〉の凄みといったものはこの両作品にはないんだね。

 例えば、主人公の存在感は宇治拾遺物語の藤大納言忠家とか、福富草子の乏少の藤太(や鬼ばばあ)とかに比べれば、明らかに見劣りがするのである。その代わり主人公と〈屁〉との関わりはウンチクを傾けて多彩に詳しく述べられているわけである。だけど、そのことが文学(作品)的なリアルさを用意するかと言えば、そうじゃないんだね。

 日本的日常の中で〈屁〉を研究する(と非日常的に振る舞うことになる)アウトローの姿を描いているのだが、この「研究する」っていうところが、いかにも近代人の習性を引きずっているわけさ。明治以前の作品にはないスタイルだね。そういう意味では、象徴的な作品なのである。大体『屁学入門』というのも小説らしからぬ題名でしょ。

 つまり、面白い〈屁〉を「研究する」ことを面白がっている作品なんだね。〈屁〉を「研究する」とどうなるか。主人公の思想、妻の理解、周囲の反応といった日常生活のリアクションが綴られて物語の帰結へとなだれ込むのである。

 軽快な展開だが、ストーリーの積み重ねに〈屁〉の凄みが乏しいのである。作者が真面目すぎるのかな。両作品ともに研究(者)の気迫や成果が〈屁〉の一点(リアルな〈屁〉的現象)めざして燃焼していないんだなー。

 例えば『へへへへもへの』の終幕では主人公は〈屁〉の研究から糞の研究に転じるのだが、ここだけでも結末の風穴(オチ)が実学(糞のリサイクル)へと向いてしまって、音成は失望したね。何で糞に転向するんだい? 話としては「ウンコ酒」を飲んだりして面白いんだけどさ。〈屁〉の神髄は実学じゃないし、そこをはぐらかすのはちょっとね。


「『それは、なんですか』
 『自家製のもものエキスじゃ』
 『はあ…』
 『さ、さ、飲んでみなさい』
 『飲む…』
 『ウンコ酒じゃ、秘伝のウンコ酒…』
 老人は、旨そうに啜りあげた。
 草助と友子は、茶碗片手に顔を見合わせていたが、暗示にかかったように飲んでいた。
 旨かった。甘い桃の香りと、アルコール精分が舌から喉、胃へと浸み込んでいった。
 老人と草助は、いずれからともなく、笑っていた。やっと屁から糞に到着した歓びがあった」(『へへへへもへの』)


 一言=この二つの作品は〈屁〉の研究者やその転向を描いた作品であ〜る。


posted by 楢須音成 at 22:56| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月22日

〈屁〉が止まらなければ世界はない〜

 明治以降の小説はいわゆる近代小説である。大雑把に言えば、人間をありのままに写そうという近代的自我の表現(制度や理念ではなく人間の側から人間を写そうとする志向)で始まったわけだが、当然のことながら〈屁〉的現象に対する目の向け方も時代の波に洗われるわけさ。まあ、そうは言っても〈屁〉は小説でマイナーな題材であることには違いない。

 文学の表現の中でも〈屁〉はある種特異な題材であるために、下手に取り上げるとただの笑い話になってしまう危険があるんだね。まともに取り上げようとするとつい言い訳が先に立つこともある。あるいは、その特異さを意識するあまり笑いを先回りすることもあるね。(可笑しいことを「ネ、ネ、可笑しいでしょう」と自ら誇示してしまう心的な先回り現象またはその傾向があるでしょ)

 ありのままの人間を描くために近代的自我は様々な手法(仕掛け)を用意してきたが、〈屁〉において陥りがちな下ネタの笑いの横暴を回避するため、長谷川伸の『おなら次郎吉』(1925年)は周到に準備した小説である。(初めて読んだとき、とても面白い小説で感心したよ)
 書き出しはこうである。

「次郎吉が止め度なく出るおならをどうする事も出來ず、たうとう夜逃をした、といふ處から話は始まる。
 そんな馬鹿な事がと、てんで受附けない人がないともいへない、しかし嘘ではない、嘗て、『解手(てうづ)の話』といふのを書いた事がある。それはぼろ吉といふ男が、自分の小水を肩越させる、といふ突拍子もない話である、それも實話であった。ぼろ吉は本當は高橋吉五郎といふ、私の先輩の土工職であつた、それはどうでもいいやうなものゝ『解手の話』から『おならの話』では、或は受附ない方が常識的かも知れない。しかし、實話である事を豫め斷つて置く。次郎吉の相手役として現れる變哲な人物、長谷川大和知重は私にとつては祖父である。話の骨子は祖父一代の奇行録、その中の一挿話から出てゐる」

 古風な手法ではあるが、うまい書き出しだね。屁が止まらずに夜逃げをするという頓狂な話を持ち出すにあたって、長谷川は「これは実話だ」と強調しているわけである。しかも話の発生元は身内。嘘のような話の確からしさを、自分がかつて小便の実話を書いたことから説き起こして(下ネタの実話を発掘した自身の前歴を強調しつつ)身内の一挿話として(身近な人間であった祖父の奇行話として)提示しながら、読者の〈屁〉への抵抗(や笑い)を封じ込めて引き込むのである。

 ここで手法というのは書き出しの緩衝材的な構造を言うわけだが、まあ、「実話」(実話っぽさ)というのは日本ではリアリズムの陣地の一つみたいにも思われていたわけさ。(誤解だけどね)

 さて、このように書き出したあとで、おならの次郎吉はこう描かれる。


「(次郎吉は)働き好きで正直な、いゝ男なのであるが、おならをする癖があつた、それも始めの中(うち)は並一と通りであつたが、自分でも氣がついて『困った』と思い出した頃にはちと度數(どすう)が激しくなつていた。
 當人もそれを隱すようにしてゐる。こ奴あぶないなと思うと、鼻唄をうたつてその拍子に誤魔化してぶつ放す。収穫(とりいれ)、麥打(むぎうち)、臼ひきの手代り、力仕事をしてゐる時には、何によらず誤魔化すのが樂であつた、しかし、對談(さし)などとなると、どう踵(きびす)で殺しても始末がつかない。冷汗と熱い汗とを併せてかいて大抵の場合は誤魔化してきたが、日毎につのる下腹の工合、この分では遠からぬ将来が、どんな事になるやらと、次郎吉は寒氣だつ程に怖しかつた」


 遠回しな書き出しなどなしに、いきなりこの描写でもよさそうなものだが、読者は「実話」云々と凄まれたあとに語られると、皮相な〈屁〉の笑いに走らず落ち着いて読めるというのが、この小説の展開の構造になっている。病的な放屁癖が不気味に伝わってくるわけだね。

 制御できない〈屁〉を抱え込んだ次郎吉の不安は的中する。この小説は後半につなぐ別のストーリーがあるのだが、ひたひたと押し寄せる次郎吉の放屁の異常さが淡々と描かれ、そこが前半の白眉になっている。リアルだよ。


「或る日隣村から人がきた。
 『次郎さん、お父さん、お母さんは留守ぢやとな』
 『あい、間々田へ行きました、何ぞ用かね』
 『實はな、お末さんの事できたのぢやが』
 お末とは次郎吉の妹、隣村の若者が見染めて是非女房にといふので、話がすゝみかけてゐる事は、次郎吉も聞いて知つてゐた。
 『妹の事で、それは苦勞さまな、わしではわかるまいが、傳言(ことづて)でよくば聞いて置きませう』
 この間に二つ次郎吉はとり外した、しかし、一つは見事に自分の聲を高調子にして誤魔化した、殘る一つは恥しや相手に聞きつけられた。隣り村の人はジロリと次郎吉の顔を尻目で見ただけで、格別何ともいはなかつた。
 『さ、傳言でいゝ、それではいづれ出直してはくるが、向うでは是非といふのぢや、それで見合いをして貰ひたいのぢや、と、かう歸ってきたらいうてくれまいか』
 これだけの口上を聞いてゐる間に、こみあげてくる、いや、こみさげてくる物を次郎吉は、一心不亂に怺(こら)へつけてる爲に、額に小汗を滲ませるまで苦闘したが、たうとう負けて、また一つ今度は明白地(あからさま)にとり外した。
 『あ、濟まんが最う一度いうてくれ、よう聞きとれなかつた』
 排出する氣を殺すので氣をとられ、可愛い妹の縁邊(えんぺん)の話も、次郎吉はまともに耳へ入れる事が出來なかつたのである。
 相手は頗る感情を害した顔をしたが直ぐ思ひ直して傳言を最一度繰り返した。次郎吉は今度こそ、氣を外にとられず、よく聞いてゐた。その代わり、生憎のものを更にまた放發してしまつた」


 やがて次郎吉は妹の見合いの席に立ち会うことになる。そして、ここでも不本意ながら「生憎のもの」を連発して妹の相手の顰蹙を買うのである。次郎吉もショックだし家族も落ち込むわさ。見合いの不首尾の元凶となった揚げ句に次郎吉は思い詰めて夜逃げする。

 ここから話はもう一つのストーリーが織り込まれる。酒造家谷屋の娘に片恋慕して嫁にほしいと座り込む武芸者が登場するのだが、想いに真情が溢れており手練(てだ)れの武芸者(らしい)という、妙に説得力のある男なんだね。娘親はホトホト困り果てる。そこに長谷川の祖父である知重という人物が娘親の相談に乗って調停役として割って入るのさ。知重は武芸者を体よく追い払う算段をしなければならない。

 武芸者が娘をあきらめる条件は「(達人の)拙者にできないと思う課題を出してみよ、できなかったらキッパリ娘をあきらめる」というもので、もちろん最初からできないような度外れた課題はダメ。武芸者は何でもできる「スーパー侍」を自認して自信たっぷり。逆に知重は段々自信が持てんわけさ。そんなとき次郎吉に出会うのだが、次郎吉の度外れた放屁癖を治させることを課題に思いつく。一方、次郎吉にはその放屁癖を治してやると約束する。

 かくして「武芸者 VS 次郎吉」となるのだが、如何せん次郎吉の病的な放屁癖は手練れの武芸者の「喝」をもってしても治らないのである。(そのやりとりが可笑しい)

 武芸者は約束通り退散する羽目になる。娘を護ってメデタシなのであるが、収まらないのは次郎吉だよ。知重に放屁癖を治せと迫るのである。言い合いになり、取っ組み合いの喧嘩になる。ところが、その喧嘩の最中に何の効果か放屁癖が完治するのである。終わり方がとぼけている。


「『怒る、お前さんはわしに怒れるか、お前さんにはわからないのか、あの日からこつち、わしの病は前よりひどくなつた』
 『あ、そういへば成程、大分激しくなつたな』
 『感心してゐる奴があるものか、馬鹿野郎』
 『馬鹿野郎だと、何を吐(ぬか)しやがる間抜め』
 『何が間抜だ』
 『間抜だらうぢやないか、そんな、埒(らち)くちもなくのべたらに變な音をさせやがつて、それで間抜でない料簡なのか』
 『何ッ』知重が憎いものに思つた次郎吉は、膳の上の徳利で毆りつけた。そのトタンにも放發してゐる。
 『しやら臭え眞似しやがるない』
 大和知重、起ち上がると拳固を飛ばした、毆られて刎ね起きた次郎吉は、酒の氣を一時になくして、蒼い顔に段々なつて行った。
 『ぶ、毆(ぶ)つたな』『念にや及ばねえ、痛かつたのでわかつたろう』『この野郎ッ』飛びついてくる次郎吉を、心得たと引き受けて知重は、揉み合ひへし合ひ上になり下になり、畳の上中を轉(ころ)げ廻り、互いに摺(す)りむき傷から血を流したがなかなかやめない。

 血瘡のついた顔をして、次郎吉は在所へにこにこと歸つて行つた。それを見送つたのは知重と、谷屋の主人とであった──喧嘩でこんな病が治るという事があるのかどうか、それは知らない。正木不如丘氏に聞けばわかるかも知れない」


 人物の深みはともかく先を期待させる筋立ての作品で、(ジョーズの登場みたいに)制御不能の不気味な〈屁〉の姿を垣間見せる筆致はうまいね。そこがこの作品の一番のリアルな表現であり、これぞ屁で浮かび上がる人間の〈屁〉の有り様である。

 作品全体は笑いを醸しながらも下ネタにもならず、深刻にもならず、人間の〈屁〉を描き切っておる。読み終われば爽快とまではいかないが、妙にさっぱりした気分になるよ。

 一言=この作品は制御できなくなった〈屁〉の地獄の怖ろしさと、制御さえ可能ならコロッと地獄を忘れている能天気な人間を摘出して〜る。
posted by 楢須音成 at 23:00| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月28日

〈屁〉の隠蔽によって世間は回る〜

 児童文学の中で〈屁〉を扱った作品で知られているのは新美南吉の『屁』(1940年)である。〈屁〉をめぐる少年の心理の展開を描いているが、主人公の春吉君の嫌味さが何ともいえんわい。まあ、やや観念的な(社会性や倫理性に対する説明過剰な)内容の作品ではあるが、春吉君の心理の変転ぶりがとても面白い。

 で、なんで〈屁〉なのか。


「石太郎が屁の名人であるのは、浄光院の是信さんに教えてもらうからだ、とみんながいっていた。春吉君は、そうかもしれないと思った。石太郎の家は、浄光院のすぐ西にあったからである。
(中略)
 石太郎は、いつでも思いのままに、どんな種類の屁でもはなてるらしい。みんなが、大砲を一つたのむと、ちょっと胸算用するようなまじめな顔つきをしていて、ほがらかに大きい屁をひる。機関銃をたのめば、小さいのを連発する。にわとりがときをつくるような音を出すこともできる。こんなのは、さすがに石太郎にもむつかしいとみえ、しんちょうなおももちで、からだ全体をうかせたりしずめたり――つまり、調子をとりながら出すのである。そいつがうまくできると、みんなで拍手かっさいしてやる。
 しかし石太郎は、そんなときでも、屁をくったような顔をしている。その他、とうふ屋、くまんばち、かにのあわ、こごと、汽車など、石太郎の屁にみんながつけた名まえは、十の指にあまるくらいだ。
 石太郎が屁の名人であるゆえに、みんなはかれをけいべつしていた。下級生でさえも、あいつ屁えこき虫、と公然指さしてわらった。それを聞いても、石太郎の同級生たちは、同級生としての義憤を感じるようなことはなかった。石太郎のことで義憤を感じるなんか、おかしいことだったのである」


 いい感じの出だしだね。石太郎の特異な名人ぶりや境遇に、これから何事かが起こらんとするわくわくするような予感があるのだが、冒頭から登場する春吉君というのが曲者なのさ。登場人物の中でも、石太郎(と後に出てくる遠助)は呼び捨てで、「君」付けには多分に作者のある思い入れがあるんだよ。

 石太郎は授業中に屁をこく。


「(都会から転任してきたばかりの)藤井先生は、机間巡視(きかんじゅんし)の歩を教室のうしろの方へ運んでいられたが、とつじょ、ひえっというような悲鳴をあげられ、鼻をしっかとおさえられた。
 みんながどっとわらった。また、屁えこき虫の石が、例のくせを出したのである。
 なんというときに、また石太郎は屁をひったものだろう。春吉君は、すかをくらわされたように拍子ぬけして、わらえもしなければおこれもせず、もじもじして立っていた。
 藤井先生はまゆをしかめ、あわててポケットからとり出したハンケチで、鼻をしっかとおさえたまま、こりゃひどい、まったくだ、さあまどをあけて、そっちも、こっちも、とさしずされ、しばらくじっとしてなにかを待っていられたが、やがて、おそるおそるハンケチを鼻からとられ、おこってもしょうがないというように、はっはっと、顔の一部分でみじかくわらわれた。だがすぐきっとなられて、だれですか今のは、正直に手をあげなさいと、見まわされた。
 石だ、石だ、と、みんながささやいた。藤井先生は、その「石」をさがされた。そして、いちばんうしろの壁ぎわに、発見した。石太郎は、新しい先生だからてれくさいとみえて、つくえの上に立てた表紙のぼろぼろになった読本のかげに、かみののびた頭をかくすようにしていた。
 立っている春吉君は、そのときいい知れぬ羞恥の情にかられた。じぶんの組に石太郎のような、不潔な野卑な非文化的な下劣なものがあるということを、都会ふうの近代的なあかるい藤井先生がどうお考えになるかと思うと、まったくいたたまらなかった。
 藤井先生は相手を見てすこしことばの調子をおとしながら、いろいろ石太郎にきいたが、要領を得なかった。なにしろ石は、くらげのようにつくえの上でぐにゃつくばかりで返事というものをしなかったからである。
 そこで近くにいる古手屋の遠助が、とくいになって説明申しあげた。まるで見世物の口上いいのように。石太郎はよく屁をひること、どんな屁でも注文どおりできること、それらにはそれぞれ名まえがついていること等々。
 春吉君は、古手屋の遠助のあほうが、そんなろくでもないことを手がら顔して語るのをききながら、それらのすべてのことを、あかぬけのした、頭をテカテカになでつけられた藤井先生が、どんなにけいべつされるかと思って、じつにやりきれなかったのである」


 このように春吉君を通して授業中の〈屁〉が描かれるのである。しかし、ここで描いていることの主眼は〈屁〉よりも春吉君(の心理)だってことがわかるね。
 挟み込まれる心理描写による春吉君のスタンスは嫌味だねー(春吉君の「君」付けも作者のそういう意図なのさ)。実はこの「嫌味」の深層こそが、この小説のめざすところなのであるが、場面の面白さを支えているのは「嫌味」を浮き立たす臭気ぷんぷんの〈屁〉そのものの振る舞いなんだよ。

 ところが、春吉君の田舎コンプレックス(都会に象徴される文化的中央を恋い焦がれる志向)からすれば、目映いほどのハイカラ人種であった藤井先生は、次第に田舎に馴染んで他と変わらぬ田舎教師になっていくのである。もっとも、田舎じみても藤井先生は唯一石太郎の屁にだけは妥協できないのであるが、しばしば繰り広げられる授業中の屁こき騒動は儀式のように常態化していく。(石太郎の屁に反応する授業中の子供たちや藤井先生の情景はホントに素晴らしい)

 終幕は春吉君の「粗相」である。手工芸の時間に春吉君は不覚にもすかし屁を取りこぼす。その臭気に周りが騒ぎ出して春吉君は観念するのだが、意外にも周囲は犯人を石太郎と見なすのである。「石太郎はいつもと変わらず、てれた顔をつくえに近くゆすっている。今に、おれじゃないと弁解するかと、春吉君がひそかにおそれながらも期待していたのに、その期待もうらぎられた。石太郎はむちでこめかみをぐいとおされ、左へぐにゃりとよろけたが、依然てれたような表情で沈黙しているばかり」で、ついに春吉君は犯人とはならないのである。

 さあ、ここから正義漢の春吉君の煩悶が始まる。〈屁〉がどうとかの問題ではないのである。「沈黙を守って、石太郎にぬれぎぬをきせておくことは、これは正しいことではない」「たいていのなやみはおかあさんにぶちまければ、そして場合によっては少々泣けば、解決がつくのだが、こんどはそういうわけにはいかない」「じぶんの正しさというものに汚点がついた」などと自責する一方で、「石太郎が弁解しなかったのは、他人の罪をきて出ようというごとき高潔な動機からでなく、かれが歯がゆいほどのぐずだったからにすぎない」「石太郎は、なん度むちでこつかれたとて、いっこう骨身にこたえない。まるで日常茶飯事のようにこころえているのだから、いささかもかれにすまないと思う必要はない」「石太郎みたいな屁の常習犯がいたために、こんななやみが残ったのだ」と、春吉君は自分の心に占める石太郎を冷淡にも切り捨てようとするのである。

 煩悶はやがて治まる。冷めた春吉君は「屁そうどうが教室で起こって、例のとおり石太郎がしかられるとき、けっしていぜんのようにかんたんに、それが石太郎の屁であると信じはしなかった。だれの屁かわからない。そしてみんなが、石だ、石だといっているときに、そっとあたりのものの顔を見まわし、あいつかもしれない、こいつかもしれないと思う。
 うたがいだすと、のこらずのものがうたがえてくる。いやおそらくは、だれにも今までに春吉君と同じような経験があったにそういない」と確信するわけである。

 かくして、そういう欺瞞的な教室風景は世の中の大人たちの世界と同じなのだというオチになるのだが、〈屁〉に始まって最後は〈屁〉が吹き飛んでしまったのがこの作品の展開である。ここは大変残念だよ。

 作品世界は、呼び捨ての石太郎と「君」付けの春吉君を軸に別の時間を持っているわけさ。作者は一貫した春吉君の時間軸を筋立てにして展開していったのであるが、首尾よくいったかどうか。春吉君の理屈で展開したぶん、作品は理屈になってしまったね。春吉君の「君」付けはその理屈(嫌味)を相対化する契機を示してるんだけどね。

 それに比べれば不気味な石太郎(の世界)は体系づけられていないから(そりゃ、石太郎的〈屁〉の近代的な意味なんて誰も考えないわさ)、まさに〈屁〉的現象そのものとして存在しているのである。この作品に描かれた〈屁〉は〈屁〉として十分面白いよ。

 一言=この作品は己の〈屁〉でつまずいて一生のトラウマを背負いつつ、世間に開眼した男の物語であ〜る。
posted by 楢須音成 at 23:29| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月10日

〈屁〉の恥を放散して甘えたい〜

 人はいつの頃からか〈屁〉を恥ずかしいものと見なしたのである。人類史的なものはともかくとして、自分史の中で〈屁〉の恥を意識したときの事件性はインパクトがあるものさ。安岡章太郎の『放屁抄』(1972年)はそういう自分史の中の事件となった〈屁〉を追求した小説である。(実体験かどうかは関係ないよ)

 書き出しから催屁剤入りボンボンを娼婦に飲ませて入獄したマルキド・サドの話に引っ張り込まれる。続いて婚礼の挨拶回りで屁を取りこぼした明治時代の花嫁の自殺事件が紹介される。おいおい、実話(またしても!)ネタの屁のエピソードを重ねてウンチクを傾けようというのかい、と思ったが(この筆致は小説というよりエッセイ風の考察だもんねー)、これは前振りであることがわかる。

 長谷川伸の『おなら次郎吉』もそうだったが、〈屁〉を語ろうとして前振りが長い。〈屁〉を語るときには、しばしば現れる現象なのである。確かに〈屁〉をストレートに語ることは意外に躊躇するんだよ。そこで、その姿勢や理由が興味深いわけである。

 この小説の場合、冒頭のサドと花嫁のエピソードによる〈屁〉の考察は、初め音成には何だか牽強附会の感じが残ったのだが、こんなことを言いたいらしい。要するに、ヨーロッパ人にとって屁はただ生理現象であるがゆえに、その強要は暴力である。しかしながら、〈屁〉をもって自殺するような日本人にとっては〈屁〉は「もっと精神的なひろがりを持つ何者か」であるというのである。(口調は明快だが、小説の眼目との関連性において、実は何を言いたいのかわかりにくい議論なのさ)

 ともあれ、こんな議論をした後で、やがて話はするりと「私」の幼児期に滑り込んでいく仕掛けになっている。


(ひとくさりサドを語って)「正直にいって、私はサドの著作にはこれまであまり興味はなく、鞭打ちだの鶏姦だのをやってみたいという気はさらさらないが、部屋に閉じこめられた女が、ぷっぷとガスを放ちながら逃げまどうのを追いまわすというアイディアには魅力がある。これは私自身、幼年期に近所の奥さんのまえで放屁したことで傷ついたという憶いがあるためかも知れない。
 あれは朝鮮の京城に住んでいた頃だから、私が五つか六つのときである。いまは忠武路とよばれている繁華街の裏に黒い塀でかこまれた憲兵隊の官舎があり、私の家もその中にあった」


 近所の奥さんというのが子供心になかなか魅力的なのである。この「奥さん」と「ぷっぷとガスを放ちながら逃げまどうのを追いまわすというアイディア」がどうして結びつくのか? ここの飛躍の深層が小説の眼目なんだね。
 次は「私」が「奥さん」の家に出かけて行った回想シーン。


「すると急に自分も何かせずにはいられなくなった。しかし、いったい何をしよう? もう刀は家に置いてきてしまったし、もともとT君のマネなんかする気はない。思案にあまって私は、相撲のシコでも踏むように、片脚を上げて思い切り畳を踏んづけた。そのとたんに、自分でもびっくりするほどの大きな音でおならが出た。
『やった!』
 と私はさけんだ。じつによい気分だった。まるで大人になったような心持ちだ。K夫人はあっけにとられた顔でこちらを見ている。きっと感心しているに違いない、なんてハンサムなおならだろう──と、私はそう思いながら第二発目をぶっ放した。すると、どうしたことか、K夫人は横を向いて、箪笥の中に着物をしまいはじめた。私は突然、頭の中がぼうっとなるようなイラ立たしさを感じて、もう一発、
『えい!』
 と、腰をひねって発射した。しかし、これはブスッと小さな音がしただけだ。私は失望した。というのは、そのときK夫人の大きな眼がこちらを向いて、
『汚いわね、おならなんかして……』
 と冷たく言い放ったからである。私は途方に暮れ、茫然となった。おならが汚い、そんなことってあるだろうか? しかしK夫人は、そういう私に、止めの一撃をあたえた。
『よそのうちへきて、おならをする子なんて大ッ嫌いよ、あたしは』」


 という具合に嫌われてしまう。これがトラウマになってしまうんだね。青年になってからもずっと尾を引いている。


「それが常住不断というわけではないが、情念が昂まって緊張状態に達しようとするとき、不意にその言葉が頭の中をよぎって行くのだ。そして、その瞬間に、あらゆる情念の潮はいっぺんに引いてしまう。あとには、干からびた現実がシラジラしくひろがるばかりだ。
 しかし本当のところ、私にはわからなかった。屁というものが何故にこうも恋愛の情緒のさまたげになるのだろうか? K夫人がいったように、それはうち≠ニよそ≠混同させ、他人の前で放屁することが、あたかも自我の不法な拡大であるかのように受けとられることだとしても、それだけではなぜ情緒がさまたげられるかという説明にはならないのではないか? どっちにしろ私は、思春期、青年期をつうじて、自分の肉体を嫌悪し、女性を恐れるようになったが、その恐怖の根源をたずねると、結局それはイザというとき自分は必ずや女性の前で放屁するのではあるまいかという危惧から来ていた」


 重症である。
 ここで突然、平賀源内の『放屁論』が紹介される。「私」は源内が語る(屁の不作法や肉体の嫌悪感を忘れさせて一芸として成立する)放屁芸に感心し(あこがれ)つつ、話は客の前で屁を取りこぼして自害しようとした女郎の話に及ぶ。そうやって「私」は触発されて初めて吉原へ出かける気分となる。(この辺の考察も面白いんだけれど、これまた関連性のわかりにくい議論ではある)

 遊郭では「私」がまだ童貞であることが明らかにされる。というか、それまで、なぜ自分が遊郭通いしなかったのかという理由が延々語られていたのであるが、言葉にして童貞を指摘したのは女である。ただ、「私」は全然初めてのような気はしないんだね。ことが終わって「私」はぼんやり外を見ている。


「すると私は、不意につまらないことを口走っていた。
『ああ、おならがしたくなっちゃったな』
 私は狼狽して、思わず女を振りかえった。女は布団の中から顔を上げて、こちらを見ていた。そして何か、疲れた母親のような眼差しになりながら、東北訛りの言葉でいった。
『いいわよ、落とすても……』
 私は一瞬、体の中が熱くなるような感動をおぼえ、目の下にまたたいている街燈が何処までも遠くつらなっているもののように眺めていた。

  よし原へ屁をひりに行くきつい事(古川柳)」


 いかにも日本的(私事的)にして純文学的幕切れだね。まあ、表層的に言えば、幼児期のトラウマ(恥)が初めて他者(家族じゃダメ)を通して解消される感動が描かれているわけさ。そのトラウマは「私」という自分史を時間軸にして、それをサドやら花嫁やら源内やら女郎やら資料的なエピソードによる考察の多面鏡で写し込みつつ、終幕に至るのである。(その辺の筆致は安岡の独擅場だね)

 深層に一貫してあるのは〈屁〉が醸す性と恥の絡み合いなのである。それは隠微に(遠回しに)「もっと精神的なひろがりを持つ何者か」として表現されている。考察のわかりにくい議論はそこをぐるぐる回っているのさ。そう見ればすべてのエピソードは内的な必然で関連を持っているのがわかる。

 最後の川柳の幕切れもシュールだねー。(笑)

 一言=この作品は〈屁〉(の恥)によって性を見失った男が、『いいわよ、落とすても……』と受けとめてくれる母親的「女性」性を、思いがけなく外に発見して救済される自立の物語であ〜る。
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2006年03月23日

〈屁〉を駆逐するところに愛はない〜

 しばしば〈屁〉が物議を釀すのは人間同士の闘争になるからである。〈屁〉は相手と相互に分かちあえるものなのだろうか。坂口安吾の『お奈良さま』(1954年)は分かちあえぬ〈屁〉に圧殺された人生を駆け抜けた男の悲劇である。

 「お奈良さま」とは主人公のニックネームである。「お奈良さまはさる寺の住職であるが、どういうわけか生まれつきオナラが多かった。別に胃腸が人と変っているわけではないらしく至って壮健でまるまるふとってござるが、生まれたときから絶えずオナラをしたそうで、眠っている時でもオナラは眠らない」という、とても病的な放屁癖の持ち主なのさ。

 僧侶である彼にとって、人前での放屁は一大事である。檀家の法要で〈屁〉をいかに消し去るかの独特の工夫に加えて、諦めともつかぬ心境の円熟に至る悲しい年月を重ねてきたのであるが、そんなある日のこと、事件は突然にして衝撃的に起こるのさ。


「春山唐七家の老母は甚だ彼(お奈良さま)に好意的であった。この隠居の亡くなった主人の命日の日、読経がすんで食事をいただいたあとで、隠居の病室へよばれた。隠居は七年ごし中風でねていたのである。彼が隠居の枕元へ座ると、
『………』
 隠居が何か云った。この隠居は顔も半分ひきつッていて、その言葉がよく聞きとれない。彼が耳を顔へ近づけてきき直すと、
『私ももう長いことはございませんのでね。近々お奈良さまにお経もオナラもあげていただくようになりますよ』
 隠居はこう云ったのである。枕元の一方に坐していた春山唐七にはそれを聞きわけることができたが、彼は隠居の言葉には馴れていなかったから、またしても聞きのがしてしまった。それで、
『ハイ、御隠居さま。まことにすいません。もう一度きかせて下さい』
 と云った。そこで隠居は大きな声でハッキリ云うための用意として胸に手を合わせて肩で息をして力をノドにこめようとした時に、お奈良さまはその方面に全力集中して聞き耳たてたばかりに例の戸締まりが完全に解放されたらしく、実に実に大きなオナラをたれた。よほど戸締まりが解放されきったらしく、風足は延びに延びて港の霧笛のように長く鳴った。
 すると隠居は胸に合わせた手をモジャモジャとすりうごかして胸をこするようにした。そして口をむすんでぽっかり目玉をあいたが、その次には目玉を閉じて口の方をあいたのである。それが最期であった。隠居は息をひきとったのである。
『御隠居さま。御隠居さま。もし、御隠居さま』
 連呼して隠居の返事をうながしていたお奈良さまは、ようやく異常に気がついた。脈をとってみると、ない。
『や……』
 彼は蒼ざめて思わず膝をたてたが、やがて腰を落して、顔色を失って沈みこんだ。声もでなかった。その一瞬に、彼は思ったのだ。自分が隠居を殺した、と。すくなくとも自分のオナラが隠居の死期を早めたと感じたのである。
 ところが彼と向いあって、彼に代わってジイッと隠居の脈をしらべていた唐七は、その死を確認して静かに手を放し、手を合わせてホトケに一礼し、さて彼に向って、
『ヤ、ありがたいオナラによって隠居は大往生をとげました。大往生、大成仏、このように美しい臨終は見たことも聞いたこともない。これもみんなお奈良さまのオナラのおかげだ。ありがとうございました』
 とマゴコロを顔にあらわしてニコニコと礼を云ったのである。
 こういうわけでお奈良さまは意外にも面目をほどこし、お通夜や葬儀の席では口から口へその徳が語り伝えられて一発ごとにオナラが人々に歎賞されるような思いがけなく晴れがましい数日をすごすことができた」


 お見事だね。いかにも安吾らしい劇的な描写である。作品における放屁場面をたびたび引用してきたけれど、〈屁〉が醸す状況の深層が存在すればこそだよ。こういう場面は作品における時間生起の起源的な意味を持つ。当事者にとってそれが暗黒の事態(現象)であれば「暗黒系」の〈屁〉の起源譚(エピソード)となるのさ。

 もちろん、お奈良さまが引き起こした事態はハッピーエンドではない。実はこの隠居の死の場面(の展開)が「闘争」の幕開けなのである。その深い意味合いはもっと後になって浮かび上がってくるが、取りあえずの〈屁〉の闘争関係がすぐに提示されて小説が動き始める。

 そもそも唐七の妻であるソメ子は「オナラ成仏」に怒り心頭。ソメ子は茶道教室も開いている礼儀にうるさい人であり、「オナラ成仏」にハシャギすぎた夫にたまりかねて、葬式から夫婦仲は険悪になる。娘たちはソメ子につく。

 唐七の長女である中学二年生の糸子が、お奈良さまの末っ子の花子と同級生であるところから、「闘争」は新たな展開で次のラウンドへと進んでいく。糸子はソメ子にまさるとも劣らぬお奈良さま嫌いで、過激にも花子を絶交するのである。

 お奈良さまは心優しい人である。
 娘の花子に悲しい思いをさせたくないと糸子に会いに出かけて話し合いを持つが、拒絶される。ソメ子には以後の法要でオナラ禁止を言い渡され、初七日から四十九日までの法要に代理を差し向けて事なきを得るが、代理まかせは気が済まぬと、平日、出かけていって読経を申し出て迷惑がられる。

 さて、話はさらに転回する。出かけていったお奈良さまは一悶着のあと、何とか別室で読経し、理解者の唐七としみじみ語り合うのだが、ここで隠居の「オナラ成仏」のときの唐七の振る舞いの深い意味が浮き上がってくるんだね。実は唐七もいささか放屁癖があるのさ。彼はせめて家庭では屁を自由に放ちたいのだが、それを嫌う妻や娘たちと闘争関係にあったのである。唐七はお奈良さまを口実に攻めたのだが、葬式のあとは完全なオナラ差し止めを食らっている。

 そういう状況下の唐七は、彼の〈屁〉を認めない妻との喪われた夫婦愛を絶望的に見ているんだよ。「ウチの家内は私の前でオナラをもらしたことがない。実にこれは怖ろしい女です」「要するに妻は私を愛したことがなかったのですよ」と彼は暗然と語るわけさ。
 唐七からみれば、堂々としたお奈良さまの〈屁〉はまさに理想。お奈良さまのこのような〈屁〉を称揚することは溜飲が下がることなんだね。しかしながら、現実の唐七は葬式のときを除けば家庭において敗北した一家の主なのである。

 お奈良さまは自分の〈屁〉がもたらした結果を受け止めて、体調不振に陥っていたのであるが、唐七とのやりとりを深く受け止め、次第に体調は深刻になってくる。

 それを案じた妻との会話が何とも可笑しく哀しい。そこでは〈屁〉を無視したり排斥するのではなく、〈屁〉を〈屁〉として受け入れる人間(夫婦)愛(幸福)を提示しつつも、お奈良さまにあっては〈屁〉の「毒」が深く回ってしまうのである。


「(しみじみした会話が続いて)『私はあなたの言葉よりもオナラの方が好きでした。言葉ってものは、とかくいろいろ意味がありすぎて、あなたの言葉でも憎いやら口惜しいやらバカらしいやらで、親しみがもてないですね。そうかと思えば、見えすいたウソをつくし。オナラにはそんなところがありませんのでね』
 『なるほど。それだ。ウム。私たちは幸福だったな。本当の夫婦だった。ウム。ム』
 お奈良さまは胸をかきむしった。アブラ汗が額からしたたり流れている。目を白黒したが、抱きかかえる女房の胸の中へあおむけにころがった。そして、そのまま息をひきとってしまったのである」


 この作品では、一発の〈屁〉が世間や家族の中でもたらす波紋を、言ってみれば〈屁〉(の恥)を隠蔽する勢力と隠蔽しない勢力との闘争という形で、幾重にも重ねて描いているんだね。法要、家族、友人、夫婦といった社会の関係性において〈屁〉的現象が人間の意識の中で「取引」されていく様がリアルに描かれているのさ。

(ここで隠蔽とは、自分や他人に向けて〈屁〉の行為を禁止することだが、そういう規制の線引きをめぐる駆け引きが存在するわけだね。〈屁〉的現象はそうやって常に揺れ動いている)

 そして、言い訳じみた喧騒のような「取引」を尻目に、お奈良さまやその家族の存在感が、〈屁〉(の恥)をキャッチボールしながらひっそりと昇華されていくのである。

 一言=この作品は、社会に蔓延する〈屁〉の「毒」(恥の隠蔽を意図する勢力)に傷つけられつつも〈屁〉の愛の存在を提示し、社会から弾き出されてしまう純朴な男の物語であ〜る。
posted by 楢須音成 at 04:03| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月30日

〈屁〉が情の深みに現象するときがある〜

 エッセイにおける〈屁〉的現象もまた作品化の方向を示すのである。金沢恒司の『放屁学概論』(1956年)は〈屁〉をネタにしたエッセイ集であるが、首尾一貫した〈屁〉談義の終章で意外な物語を提示している。

 この本はエッセイ集として身辺の〈屁〉談義を100コマぐらい積み重ねて構成されている。もともと釧路新聞の連載なんだね。新聞記者である金沢の生活が身辺小説のような趣で伝わってくるのだが、連載の終わりの方で夭折した歌人の中城ふみ子が登場する。
 金沢と中城は古い知り合い以上の関係があったのさ。


「私(金沢)が十八。彼女が二十一、私は帯広で手広く雑貨商を営んでいる野江家(ふみ子の実家)で働いていたのである。つまりそこのお嬢さんが、ふみさんで私は、いわば小僧の立場であつた。そしてその小僧を何くれとなく可愛がつてくれたふみさんが、お嫁に行く晩、私は惜別の涙をみせまいとして倉庫の味噌樽の陰で泣いた」


 そのときから十五年ぶりの再会の機会が訪れる。中城はまだ無名で、札幌の病院で病床にあった。同じ札幌にいた金沢は出かけていく。


「ふみさんは至極元気であつた。昔のふみさんと寸分も変つていなかつた。美しかつた。私は乳ガンという病気の組成の恐ろしさを知らなかつた。余り元気なものだから、その調子ならもう退院出来るねなどと言つたりした。
 そして彼女がとつてくれた、親子丼をお互いつつきあいながら、昔の話に花を咲かせた。すると彼女は親子丼を食べながら、プクプクプクと、まるで水面に浮いてきたアブクのようなおならをした。
『だらしないな、ふみさん』
 私にはふみさんは姉も同然だつた。私は彼女の不作法をなじつた。
『すみません』
 彼女はそう言つて、ぴょこんと頭を下げた。言い訳はしなかつた。
 そのふみさんのおならが、彼女の乳ガンと直接関連を持つていることを私は知らなかつた。病窓を通してこぼれるような夏花が、ふみさんの背後で大きく展開していた」


 この頃、中城は病に呻吟しながら旺盛に作品を生み出していたわけである。ここで「おなら」は不思議な存在である。二人がここまで別々に積み重ねた時間を押し分けて「プクプクプク」と現象する「おなら」は、二人の人生のあらゆる意味(思い)を背負うんだね。(少なくとも金沢にとって)

 中城の「伝説」は小説を含めていろいろに流布しているけれど、読者はこのようなエピソードをどのように(中城ふみ子像として)位置付けるだろうか。アクビでもゲップでもイビキでもない、ほかならぬ〈屁〉であることによって特異な物語を提示するわけだが、金沢は〈屁〉を無視することはできなかったんだよ。


「それからそこばくの日が経つた。中城ふみ子は「短歌研究」の自選五十首の懸賞募集の一位を占めて、華々しく日本文壇に登場した。そして近く川端康成の序文で、彼女の歌集花の原型≠ェ早くも出版される運びとなつていた。
 中城ふみ子の存在は、早くも文壇ジャーナリズムの眼には、朔北の病室で乳ガンを病む、彼女に一様の好奇と驚異を以つて迎えられた。
 私は十日間程のヨテイで、千歳、室蘭方面に、リポートを取りにゆく旅装の姿で、彼女の病室を訪づれた。
『ふみさん、よかつたネ』
 私は彼女の首途を祝つた。ふみさんは別に歌集が出ることに感動しなかつた。
『出版社の方で題名を乳房喪失≠ノするつて言うのよ。いやだ。私は花の原型≠フ方がよい』
 と彼女は言つた。
 暑さが激しかつた。彼女は時折り、はばけるように苦しくせきこんだ。そして、それと同時に、彼女とここで会つた時と同じように、プクプクプクプクプクとあたかも水底から浮かび上がつたアブクのような、おならを、彼女はした。私は、もうそれを責めはしなかつた。
『ゴメンなさい。』
 彼女の方で、てれた。
 私は故意に鼻タボをくちゃくちゃにして犬のような真似をして言つた。
『匂うところを見ると、まだ大丈夫、そう簡単に死なないや。おならが生きてる。アセチリンの匂いと、お袋の肌の匂いを混ぜ合わせたような匂いだ』
『ウフ、恒司さんも大人になつた。何んだか知らないけれど、ありがとうと言うわ』
 彼女はそう言つて静脈のすけて見える白く小さな手を差しのべた。
 私は立ちあがつて握手した。ふみさんの手のぬくもりが、私には、かつてこの人に感じてはならなかつた女を始めて意識した。
 私は千歳で三日間滞在して、リポートをとると同僚のYと、室蘭に向かつた。
 室蘭での日程は二日で、ここでは主として室蘭水族館の魚族の生態をカメラに収めるのが目的であつた。そして後の五日間その日程を洞爺湖で過す事になつていた。その水族館のカレイの水槽の前に立つた時、私は生きたカレイの美しさに思わず足をとめた。あの平つたいカレイが水槽の底から、ひょいひょいと体をもたげて、ひらひらとアブクを立てながら水面に向つていくさまは、美保の松原で天の羽衣が天空に舞い上がつてゆくような幻想と似通つていた。アブクとカレイ。それは、私には中城ふみ子をほうふつさせた。
 私の同僚のYとの遊行の日程は終りに近づいていた。その最終日、私は洞爺の温泉でふみさんの死を知つた。死因は窒息死であつた」


 水族館の描写はやや上ずった感もあるが、余計な説明などいらない、そのまんまの情景で物語と化しているね。かくして、〈屁〉というものは濃縮した人生の時間を映して眩しく現象することだってあるのさ。

 一言=この作品を措いて、これほどに〈屁〉を美しく語った作品はな〜い。
posted by 楢須音成 at 08:14| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月04日

〈屁〉談義はいと滑らかに流れる〜

 〈屁〉談義はいつでも面白オカシイものであるが、なぜにこうも滑らかに流れるのであろうか。屁のうんちくは興味をそそり、屁にかこつけたとんでもない議論が笑われ、語呂合わせや駄洒落も際限がない。かくして〈屁〉を語る人種は多いわけだね。(音成は普段は〈屁〉については一切口にできない環境にあるんだけどさ...笑)

 内田百間の『居候匆々』(1937年)はそういう他愛もない〈屁〉談義を展開している。この小説は別に〈屁〉をテーマにしているわけではないのだが、話のついでに出てきたという感じで〈屁〉が取り上げられているわけさ。

 万成青年(学生)が居候しているネコラツ(吉井)先生の家に、オットセイ(三門)先生が招かれて宴もたけなわのところで、酔ったオットセイ先生が〈屁〉談義を一席打つ場面から紹介しよう。


「(万成青年に向かって)『おい、フルツは知ってるね』
 『知りません』
 『何、忘れたのか、仕様がないね。ご婦人の前で失礼だから、独逸(ドイツ)語を用いようと思ったが、知らないなら仕方がないから、原語で行く事にしよう。フルツは屁だよ』
 『あはは屁の方が原語ですか』とネコラツ先生は面白がった」


「『フルツの要素は何ですか、三門さん』
 『屁の成分はヘノールPhenol、スカトールSkatol、キノールQuinol、インドールIndol、アンモニア、硫化水素、揮発性有機酸類』
 『こりゃ驚きましたね』
 『その仕舞いの方の奴が、ネオンサインの中で輝いているんじゃないか、おい万成博士、それを慕って君達はほっつき廻るのだろう』
 『まあ、先生はいろんな事に、おくわしくて入らっしゃいますわね』
 『そりゃ奥さん、僕はこれでも、東京ヘー国大学ブー学部で学理の蘊奥(うんおう)を極めましたからね』
 『あら、それでどう云う事を御研究になりましたのでしょう』
 『僕ですか、僕の研究題目は、ヘストリー・オブ・オナラジーHistory of Onalagy、ヘストリア・ヘノリカHistoria Phaenolica』
 『まあ』
 『まだある、ヘマンシペーション・オブ・ブーマンEmancipation of Woman』
 『何だか私共にはよく解りませんけれど、みんな思わせ振りなお名前ですこと』
 『おい、万成先生、君は山上の垂訓を知っているだろう』
 『いえ、知りません』
 『知らないか。君は信仰がないね。信仰のない青年は堕落するぞ』
 『はい』
 『イベス・ブリストJesus Christの山上の垂訓に曰く、屁をひる者は幸也』


「『リーダを教えるにも、イットそれが、エ・キャット一匹の猫で、イズある、と云う風にやるのです。何かの文章の途中にbut peopleと云うところがあってね、矢張りその流儀で行くと、バットしかしながら、ピープル人民が、と教えるのだが、当時はまだ英語の発音なども滅茶苦茶で、Peopleをピープルと器用に読む事が出来ない、ペオプルですましておくのです。butは綴りの儘ブートと読む。この話は夏目漱石の生前に直接聞いた話なんですがね、吉井さん』
 それでネコラツ先生も好奇心を起して、
 『どう云うお話なんですか』と先を促した。
 『それが運悪く、その英語の先生が東北の人だったので、ずうずうだから、しかしながらなどと、はっきり云えないのです。ブーとすかしながら、屁をふる人民が、と云う様な事になってしまった、あははは』」


 こんな調子で延々と続くのだが、人によっては「何がオカシイのだ」ということになる。〈屁〉談義を会話の中で堂々と滑らかに展開している小説というのは(あまり)ないから、内田百間の創意はこれはこれで素晴らしいと思うわけさ。当時の〈屁〉談義の様子を彷彿とさせるね。

 小説では万成青年が通っている学校の教師たちの隠微な確執や教師夫婦の不倫騒ぎを軸に展開する人間模様が描かれている。ストーリーは中途半端に途切れていて(新聞連載が廃刊で途絶えたため)成功した小説とは言えないが、〈屁〉談義はそういう小説の流れとは全く無関係に自立して読めるところが面白い。

 一般に、こういう〈屁〉談義はハ行、バ行の音に着目するんだね。その滑稽味に引きずられて言葉の連想や論理が勝手に飛躍する。「東京ヘー国大学ブー学部」という連想は最初に考えた人はなかなかのもんだと思うよ(そして、すぐに陳腐化するのが〈屁〉談義だけどね)。

 自立した〈屁〉談義は一人歩きする。屁ほど身近なものはないから、それなりに身につまされる滑稽にして不思議な挿話となるのである。そういう〈屁〉談義を見事に組み込んだ小説はこれからも現れるだろうか?

 一言=この小説は、その〈屁〉談義によって登場人物の博識(の広狭さや浅薄さ)を表現したのであ〜る。
posted by 楢須音成 at 23:37| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月18日

〈屁〉談義が凝りに凝って戯作となる〜

 そもそも〈屁〉談義は面白オカシイことが身上であるが、凝りに凝って一つの物語や議論へと骨格を構成し始めると〈屁〉の戯作となるのである。幕末の勤王の志士、伴林光平(ともばやしみつひら、1813-1864)の手になる一編に『楢の落葉物語』(1851年)という作品がある。こんな書き出しで始まる。


「昔後奈良院の御時、武州建部(ぶしゅうたけべ)のさとに仏雛(ぶつすう)上人と申(もうす)貴き聖(ひじり)おはしけり。もとは備後国穴太の郷の兵士にて、物部音成(もののべおとなり)とて世にきこえしものゝふなりしかど、怪う後(しり)へをならし給ふ癖有りければ、おのづから世の交らいも懶(ものう)しとて、つひにさまかへたまひて、西に東にうかれありきつゝ、しばしも尻はすゑ給はざりしを、年たけ給ひて後、今の建部にはとゞまりたまひしなり」


 武州建部の里に住んでいた仏雛上人という貴い僧の物語なのである。この上人、もともとは武士だったが、かなりの放屁癖があって、それがために世の交わりを面倒に思って出家してしまった。諸国放浪して年を重ね、建部の里に住むようになったというわけさ。

 「後奈良院」「武州」「建部」「仏雛」「備後」「穴太」「物部」「音成」など、音韻などからくる〈屁〉的な連想を散りばめて語り出されている。『楢の落葉物語』というのも、オナラを集めた物語というような意味だね。このセンスは終始一貫していて、そこから上人の行状が次のようなエピソードを無造作につないで綴られるのである。

 @和泉国草部の津から阿波の辺嶋へ渡ろうとしたとき、海女おとめの中に音高く放屁した者がいた。上人が「小舟漕ぐ草部のさとの海おとめ鳴戸の沖の道しるべせよ」と詠んで道案内を請うと、かのおとめは騒ぐ気色もなく上人を尻目に見上げて「よるべなき海士にはあれどおとたかく鳴戸ときけばやさしかりけり」(素性もない海女ですが大声で鳴戸と言われると恥ずかしいですわ・鳴戸はすぐにわかりますよ)と返して立ち去った。ゆかしく思った上人が海女の素性を聞くと平家何某の密子の末裔ということだった。
 A上人が熊野の山中で修行をしたとき、ホトトギスが鳴くのを聞いて「おとなしの河添うつきおりおりに忍音もらすほとゝぎすかな」と静寂を風雅に詠んだが、いつもの上人の放屁音は(周囲に頓着なく)音高かったそうだ。
 B上人があるとき梅の香に誘われて、若いときからの友で式部丞薫という役人(この人も放屁癖があった)を訪問した。このとき、どうしたものか屁を催して我慢したが、とうとうこっそり漏らしてしまった。匂いがはなはだしいのを、かの主人はすぐに心得て「春の夜の闇はあやなし梅の花色こそみえね香やはかくるゝ」(古今集)と声さわやかに古歌を吟じつつ出迎えた。上人も悪びれた様子もなく「花の香を風のたよりにたぐへては鶯さそふしるべにはやる」(古今集)とすぐにこれまた古歌をもって応えた。
 C豊後(ぶんご)の国矢部の郷の菅辺(すがべ)足人という儒者と上人が遊んだとき、上人は華やかに屁を鳴らした。足人は手をたたいて「仏々平等」と声ものどかにはやし立て、続いて自分も(少々貧弱ながら)鳴らしてみせた。上人はすぐに膝を立て直して「文武(ぶんぶー)の道未だ地に墜ちず」と事もなげに応えて鳴らしたので、足人はひどく恥じて顔を赤らめて鳴らすのをやめた。
 D上人が年老いて建部にいたとき、五月雨が降り続いて誰も訪れる人もなく、一日中眠りがちであった。そんなとき草垣を押し倒して老いたイタチが飛び込んできた。上人は起き出して「鼬丸いま一かえり(もう一度)おとづれよわがとしごろのしらべ(生涯最後の屁)きかせん」と詠んでやり、イタチの再来を期待したがかなわず、この歌を最後に遷化(せんげ)された。

 以上の抽出したストーリーのこと以外は、ほとんど何も語られていないような荒削りな短い作品であるが、〈屁〉に向き合う上人の「境地」の表現がこの作品のポイントなわけさ。よく言えば超然とした、笑って言えば半ばとぼけた境地なのではあるが、この上人がどこか風格ある人物に見えてくるところが面白いね。深読みで解釈してみよう。

 上人の放屁癖は出家の前も後も変わりがないが、出家することによって〈屁〉のランクを上げた。というか、出家によって世間的な恥(にまつわる俗事)を捨て去り、恥じらいなしに〈屁〉に向き合うステージを獲得したんだね。上人の〈屁〉の自在な振る舞いは見事だし、一種悟りの境地にあるわけなのである。

 上人が口笛の達人であっても似たような作品はできるであろうが、それが〈屁〉であることによって作品世界は独特である。@における海女の〈屁〉に対する健気な振る舞いへの共感、Aにおける自然界での放屁への無頓着さ、Bにおける古歌への〈屁〉(の匂い)の読み替え、Cにおける堂々の放屁返し、Dにおける年老いたイタチへの思い遣りと自分の〈屁〉への思い...という具合に、それぞれのエピソードは上人の境地(や放屁力や教養)を角度を変えて語っているね。作品の流れは無造作なようでいて、よく考えられ凝った構成になっていることがわかる。

 もちろん、作者は上人と自分を重ねているさ。そういう意味では、面白オカシイだけの作品ではなくて、自己批評的な視点も持っているね。〈屁〉を信念化して(前提にして)生き抜いた上人の生涯のエピソードを読み込むほどに、この作品の味が出てくるのである。

(『楢の落葉物語』には上人のエピソードに加えて、上人の著作物として『放屁音義』という屁音についての書が付属している体裁になっている。物語とは直接関係はなく、独立した戯作ととれる。この『放屁音義』は改めて取り上げることにしよう)

 一言=作者の伴林光平にとって〈屁〉とは何だったのか。〈屁〉には違いないが、時代の波に洗われていた彼が奉じた皇道思想(への姿勢)を、批評的に重ね合わせたのであるというのが音成の解釈であ〜る。
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2006年06月24日

〈屁〉の五段階論が人間を語る〜

 漢籍などの語句の音韻や字義を解説したのが「音義」であるが、『放屁音義』という文書が発見されている。伴林光平が『楢の落葉物語』(1851年)の関係資料として付け加えたもので、物語の主人公の仏雛上人(ぶっすうしょうにん)または登場人物の儒学者、菅辺足人(すがべのたると)の作であろうとしている。(もちろん、そういう来歴からして戯作なんだけどね)

 『放屁音義』とは屁音と字義の考察である。〈屁〉談義の議論をもって〈屁〉が人間界に根拠を持つゆえんを解き明かそうとしているわけさ。
 〈屁〉を採り上げた音義は「和名(わみょう)類聚抄」(931〜938年)「和漢三才図絵(わかんさんさいずえ)」(1712年)「善庵随筆(ぜんあんずいひつ)」(1850年)などにも見られるが、これらは戯作ってわけではない。(江戸の儒学者・漢学者、朝川善庵による『善庵随筆』の記述は伴林に刺激・影響を与えているかもしれない。転矢気=屁を考察している)

 『放屁音義』の戯作ぶりを見てみよう。わざとらしく一部虫食いありの漢文で書かれていて、なかなかの傑作である。概訳を試みる。(浅学にて解らんところは“超訳”で...笑)


 ──大体において物事は穏やかならざれば音を発するのである。草木に声はないが風が乱せば鳴る。水に声はないが風が動かせば鳴る。岩鉱石に声はないが強く叩けば鳴る。人体の五つの穴においても同じである。嘔吐、咳き込み、耳鳴り、くしゃみの類も(穏やかならざるために)止めることができずに鳴るのである。その急な切迫した状態にさらされたり、その烈しさを必死におしとどめたり、そのあまりの数の多さに虚脱することもある。

 放屁は体内にこもったものを外に排出するのである。放屁の原因になるものを食べればよく鳴らすことになる。甘い果物や菓子餅、辛いものや酒肉の仲間はよく鳴らすものである。食べ過ぎれば夕べに鳴らし、飲み過ぎれば朝に鳴る。その(音の)大小、高低、遅速、緩急というものは、必ずや穏やかならざることが原因となっているのである。

 《虫食いあり》放屁は転失気(てんしき)とも言い、俗にオナラとも言う。これは「御鳴る」の意味であろう。放は放散転失の意味である。放屁は胸のあたりを塞いでいる汚毒を転失し、胃のあたりに鬱結している臭気を放散する。かくして心のよどんだものが去り、体は安らかになって、穏やかさを取り戻すのである──


 さて、ここから独自の「音義」が展開される。


 ──屁は比(ひ・び)である。大人はその音が宏大であり、子供はその音が微小である。字の形は「比」が「尸」に従う姿になっている。字体も発音も同じ意味を示しているのである。屁の音は五つある。一つは「文(ぶん)」、二つめは「武(ぶう)」、三つめは「鄒(すう)」四つめは「窮(きゅう)」、五つめは「毘(び)」。

 文とは分(けじめ)である。およそ君子は飲食において《虫食いあり》絶対無理をしない。まず臭いものは食べないし、切った面が崩れたものも食べない。このように飲食が正しければ、動作はよろしく整い、五臓はその本分に安んじ、水分や穀物はその本分によってすみやかに動く。ここにおいて心身は常に和平を得て、この音(文)を発するのである。その音は宏大であり、温和である。おおいに君子の安らかに楽しむ品格がある。

 武は部(区分け・節)である。飲食が節度を失わず、動作がよろしく整っておれば、生気は滞ることはなく、臓腑はその編成を失することはない。水分や穀物の汚臭の気が内にこもって停滞することなく、この音(武)を発するのである。その音は豪烈であり、単直である。あたかも壮士の怒りが発する気品がある。

 鄒は数(数の多さ)である。動作に節度がなく飲食に節制がなくなれば、水分や穀物もその本分を失ってしまい、これがために臓腑はバランスを欠き、生気は閉塞し、やっとのことで外に排泄する音がする。かくしてその音は数多く分散し、乱雑でけじめがない。君に仕えて多く発すれば辱められ、朋友に発すれば拒絶される。小人のよこしまで正道から外れている音と言うべきである。

 窮は丘(行き詰まり)である。およそ卑しく下品な田舎者は家が貧しく財産が乏しい。いつもは豊かで滋養のあるものを食べることができない。粗末な菜食を有り難がり、貧弱なあつものをよしとする。たまたまお祭りや婚礼のおめでたがあると、幸いにもその席に並ぶ。そこでは珍味がたくさん積まれ、美酒がふんだんに出される。満面に笑みを浮かべ、これまで抑えていた欲を解き放って腹一杯食べる。かくして手足はだるくなり、心も腹も膨満し、一気に食べ過ぎた報いが胃腸を動き回り、しきりに外に排泄されんと欲するのである。その危急を我慢して言うこともできない。ついには抑えることができずに、突然のように漏らすのである。かくしてその音は窮迫し、鄙俗(ひぞく=いやしくて俗っぽい)である。主人も客人も顔を伏せ、あまりのことに左右に首を回す。そのはなはなだしく厭うべき事態は、ここに窮まるのである。孔子は言った。小人が窮すれば、すなわち乱れると。確かにそうである。

 毘は微(衰弱)である。《虫食い》 多淫で精力を失った連中や腹一杯食べた下痢腹の客は、常にこの音を発する。かくしてその音は淫らにして哀しく、衰弱していて虚しい。おおいに小人の国を滅ぼす音韻である。《以下、虫食い》──


 このように屁音を五段階に分けて考察しているわけであるが、〈屁〉というものの音の背景を観察して「文(ブン)・武(ブー)・鄒(スー)・窮(キュー)・毘(ビー)」の等級をつけたわけだね。説明されてみれば「なるほどね(でも、なんかウソ臭いー)」と笑ってしまう。

 こういう考察はどこかで読んだような気もする。ありましたねー。サルバドル・ダリの『天才の日記』の中にある『「放屁の術、または陰険な大砲に関する概論」の抜粋』がそうだった。ここでも〈屁〉というものの因って来たるところを身体との関わりで延々と説いていたね。それに比べれば伴林の論は以上に紹介した内容に尽きており、とても簡潔でわかりやすい。

 両者の比較はしないが、それぞれ〈屁〉を語って「人間」を語っているのである。そこが戯作たる根拠なのだけれど、〈屁〉談義においては、観察された〈屁〉は深く深く(そしてウソ臭く)人間を語る。ここが明確な実体を持つ糞などと違うところなのさ。

 一言=確かに音成の周りにもブンな奴、ブーな奴、スーな奴、キューな奴、ビーな奴がいるわい〜。
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2006年06月30日

〈屁〉の映画は屁で始まりパンツで終わる〜

 まれに〈屁〉を描いた映画を観ることがあるが、正面切って取り上げている作品はほとんどないのである。〈屁〉(の深層)が映像表現しにくいことは、アダルトビデオの性表現にも通底してる問題だね。そんな中で、小津安二郎の『お早よう』(1959年)はストーリーの展開にからめて〈屁〉を効果的に使った映画である。

 この作品は〈屁〉がテーマというわけではないものの、〈屁〉を人間の振る舞いの自然な延長ととらえてユーモラスに織り込み、作品の重要なファクターにまで高めているのさ。映画は〈屁〉に始まって〈屁〉で終わるのである。素晴らしい。

 場所は東京郊外の住宅地。隣近所の家族の交流が描かれるのであるが、この交流は重なり合う三つの層(子供たちのレベル、奥さんたちのレベル、だんなたちのレベル)があり、物語の進行と背景を立体化している。主となるストーリーは、テレビを買ってもらえずに反抗する林家の兄弟を軸に、とうとう林家にテレビがやってくるまでの人の動きをユーモラスに描いている。──などと、当たり前に観てしまうと、〈屁〉はどこに行ったんだということになるんだよ。

 ここは〈屁〉に着目して鑑賞してみなければいかんね。

 映画は冒頭、登校する少年たちの放屁遊び(額を押してもらって、プーと一発出す)シーンから始まる。放屁の「タイミング」と「快音」が求められるわけだが、どうしても下手な少年が一人いて、音にはならず屁じゃなくて実≠出してしまうのである。それは、その少年のパンツの中の秘密なわけさ。

 少年たちはテレビを観るのが大好き。テレビは憧れの的(昭和30年代相撲のテレビ観戦は大人気)だったが、どの少年の家にもテレビはない。
 仲良し三人組の少年たちの関係はこうなっている。
 @大久保少年 → 〈屁〉を操る父を師とする放屁遊びの達人。遊びの考案者らしい。
 A林兄弟 → 放屁の技量上昇中。テレビをねだって、買ってくれない親に反抗する。
 B原田少年 → 放屁の技量がなくいつも実≠出す。叱る母は胃腸が悪いので粗相をすると思っている。家ではテレビではなく洗濯機を買った。
 三人は、近所で唯一テレビを持っている若夫婦の家に相撲を観に入り浸り、親に叱られているのである。

 さて、少年たちの放屁遊びは「芸」の競い合いになっている。映画で描かれているのは芸を披露して愛でるという向日性をまとった〈屁〉なのさ。ところが、それに(チャレンジして)失敗する悲しい少年の姿も描いて物語は始まるわけである。(そこで観客は笑うわけだね。リアルな笑いの現場には往々にしてこういう陰りがある=必要悪なんだよ)

 この放屁遊びに象徴される〈屁〉は何を意味するのだろうか。かなり意図的に〈屁〉が物語に織り込まれて展開するのであるが、ヒントになる会話がある。林兄弟がテレビをねだって父親に叱られるシーンで、「大人だって余計なことを言うじゃないか。こんちは、おはよう、こんばんわ、いいお天気ですね、ああそうですね、あらどちらへ、ちょっとそこらへ、ああそうですか、なるほど、なるほど・・・・」と大人の口真似をして口答えするシーンがあり、大人の日常生活で際限なく繰り出される無駄(?)な会話を皮肉っている。実はそういう無駄が大事なんだと映画は繰り返し言っているんだけれど、一般の大人から見れば〈屁〉ほど無駄なもの(馬鹿なもの)はないわけさ。

 つまり、言葉の(無駄に見える)振る舞いに〈屁〉を対置させているというのがこの映画を観る音成の視点になるわけだが、放屁遊びは少年たちにとっては無駄どころか仲間同士を確認し合う振る舞いになっている。それがため原田少年はパンツの中の失敗を繰り返しながらも遊びを捨てられないのである。

 言葉と〈屁〉の対置で小津は「言葉」を語ろうとしたのか。あるいは〈屁〉を語ろうとしたのか。もちろん、音成の確信は〈屁〉さ。言葉と〈屁〉の違いは、単純に〈屁〉は言葉ではないということ。〈屁〉は言語化せずにそれ自体で存在しているモノなのである。そういうモノのやりとりが放屁遊びである。

 そこには言葉を超えた交流があるわけだね。まあ、言葉と〈屁〉は、言ってみれば「こんにちは」という言葉と「キス」という行為の対比(関係)と同じようなものだと考えられる。ただし、残念ながら〈屁〉は関係性を築く行為とは見なされないね。大人の世界で〈屁〉は排除される。

 映画の中では〈屁〉を操る者を通じて〈屁〉は「われは〈屁〉なり」と自らを主張する。そのときの人間の振る舞いが可笑しい。原田少年のように〈屁〉に失敗する者は孤独である。その孤独に耐えて彼は大人にならなければならないわけさ。大人の世界は言葉で〈屁〉を無化する世界である。無駄とはいっても、言葉と〈屁〉では質が違うわけで、〈屁〉を隠蔽する(無作法で恥ずべきもので無駄なものだと意味づけする)ことによって大人の世界はできあがっているんだね。

 この作品で描かれた〈屁〉は実にコミカルである。登場する女性は〈屁〉(の存在)を全く認識していない(無視している)し、男性(大人)は認識はするが無駄なことと一顧だにしない。ここには大人と少年の世界という図式ができあがる。もっとも、映画では周到にも、大久保少年の家で父親が放屁して家族の絆を作っている、とぼけた〈屁〉のバリエーションを描いて単純な図式を突き崩すのだが。(このほかにも、この映画の含みのある緻密な構成には本当に感心するね)

 少年たちの世界の〈屁〉の存在感は軽いようで重く、原田少年を孤独感でさいなむ暗黒面を見せる。決して〈屁〉は万人に平等ではないし、経済的不平等などと違って〈屁〉の不平等は誰に愁訴もできず致命的であるほかないのである。

 映画は少年の洗ったパンツが風に翻るところで終わる。われわれは「お早よう」という一言を獲得するために、パンツの中を通過してきたことを忘れてはいかんよ。

 一言=誰にだってパンツの中の秘密の一つや二つはあるんじゃないか〜。
posted by 楢須音成 at 18:04| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年07月23日

〈屁〉は時局を諷刺する武器となる〜

 幕末から明治にかけて時局が大きく動いたとき、〈屁〉は日本人の有力な(?)表現材料となった。つまり、〈屁〉をもって時局を諷することが一つの傾向となったわけである。このことを福富織部の『屁』では、「屁から見た幕末側面史」「屁から見た明治大正側面史」の節を設けて検証している。

 このときの表現形態として狂歌や狂句が独特のスタイルを持った。『屁』からいくつか引用する。(訳は音成の珍訳で)


<黒船が浦賀に来たときのもので、屁でアメリカを吹き飛ばす意気込みを示すが、幕府はどうも対応が煮え切らない。その曖昧に苦慮していた様を諷した>

 くれてやるかさねてくるな毛唐人 大日本のぶいにおそれよ
 (屁をくれてやるわい、何度も来るな毛唐ども、大日本のブイ=武威を恐れよ)

 ぶいぶいと放す鐵砲こはくなし だましすかすに困るアメリカ
 (ブイブイやっても恐れんぞ、毛唐どもはだましや透かし屁に困っておるよ)

 ことはりやへのもとならばぶいもせめ さりとては叉すかしぬるかな
 (理屈をこけば、屁の国ならばブー攻撃も方法さ、なのにまた透かし屁をしとるわい)


<アメリカのあとにロシアも来た。このとき彗星が西の空に現れた。何の予兆かと人心不安な世情を醸すが、尾を引く彗星(ほうき星)は屁の如しとして、ブーうん長久天下泰平のほうひ星と笑い飛ばす>

 君が代やくさ木もなびく放屁星
 (あなたの御代に臭いやつらも服従させる放屁星です)

 曇らざる夜にすいと出る放屁星 武威にくさきもなびくしるしぞ
 (晴れた夜にスイと現れた星は放屁星、ブイブイの勢いでやつらを服従させる合図だよ)


<公武合体によって攘夷を断行しようとする攘夷派の島津和泉(薩摩)が上洛し、その動きが天下の耳目を集めた。その和泉の動きを諷した>

 泰平をこき出すものは薩摩いも はらの具合もなほる下々
 (泰平の屁を生み出すのは薩摩どんのいもさ、しもじもは腹の具合もよろしいようで)

<大原三位が勅使として関東へ下向したとき島津家も随行した> 

 大原になる程薩摩くわされて あとは泰平こくと安康
 (なるほど、大原に大きな腹になるほどいもを食わされ、あとは泰平の屁をこけば安泰だ)


<幕府は江戸市中の警護を置いたが、士風堕落して庶民からは冷笑された>

 へをたれて仕舞巡邏の供まもり 鑓(やり)ももじりも繩でからげる
 (屁をたれて一日の最終警備の一団が行く、ヤリもモジリもだらしなく縄でからげておるわ)


<鳥羽伏見の一戦を題材にした諷刺画にある狂句。官軍が徳川軍に屁を放っている>

 十九川(とくがわ)に泡をふかせる河童の屁

<尾張は大政奉還後に朝廷と幕府の間でいろいろ斡旋をしたが、倒幕派に一蹴されて鳥羽伏見の戦いとなった。そのときの尾張の気持ち。>

 臭けれど尾州はじつと見物し

<会津の負け戦をすか屁に見立てた>

 すかをしてくさみは殘る會津の屁

<高松は徳川の親藩だったが、鳥羽伏見で一敗地にまみれたので、音高松の尻すぼみと諷された>

 打出しの音高松の尻すぼみ
 (最初の勢いはどこへやら高松は尻すぼみになってしまった)


 こんな調子で狂歌、狂句が並ぶが、〈屁〉がいろいろに見立てられて表現を獲得しているわけさ。時局の動きがことごとく〈屁〉に染まって戯画化され、お笑いぐさとなっている。激動の時代であればこそ、歌や句の定型の中で〈屁〉は闊達に場所を得ているといえるね。

 これらの狂歌、狂句の定型の中から漏れ出てくる〈屁〉の有様は、身体から出てくる屁のように、その時どきの放屁の姿態を彷彿とさせる点で表現の幅(とぼけた味)を得ていると思うよ。

 一言=しかしながら〈屁〉の諷刺はパターンにはまりやすく今ではあまり通用しない表現であ〜る。
posted by 楢須音成 at 01:50| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月14日

〈屁〉を語るとき冷静でいられるか〜

 人は〈屁〉をあえて語ろうとすると、どうも力んでしまう(構えてしまう)ようだね。人様々にいろいろな反応があるけれど、屁の属性(音やニオイ)に引っかけて、ことさらに話を面白可笑しくしたり、いささか語り口が大仰になったりする。そこには、〈屁〉というもの(屁談義)が繰り広げる独特の世界があるんだね。(このブログもそういう呪縛から逃れられない〜)

 明治30年代に正岡子規が提唱した写生文(の手法)によって〈屁〉が作品化されている。まあ、それが真性の写生文なのかどうかは知らないが、高浜虚子が『屁』という一文を「ホトトギス」に発表しているのさ。写生文とは、短歌・俳句の方法論である「写生」を散文にも移入して、ありのまま見たままに写し取ることがモノの本質を示すのだ、というような姿勢で書かれた文章だね。そんな手法で〈屁〉はどう語られるのか。

 虚子の一文を福富織部の『屁』からの引用で示す。こういう書き出しである。


「或夜どうしても寐られぬ。一時を聞く、まだ寐られぬ。二時を聞く、まだ寐られぬ。どうかして寐たいと思ふと愈(いよいよ)寐られぬ。或僧に教はつた通り南無阿彌陀佛南無阿彌陀佛とお念佛を誦(とな)へて見る、ますます寐られぬ。アゝ、弱つたナァ、と思つてゐるとふと横腹が突張つて來るやうぢや。放屁を催ほしたのである。そこでふと斯ういふ事を思ひつく。これから屁を十だけ奮發して放つて見やう。其うちには必ず草臥(くたび)れて眠るやうになるであらう。さう決心すると間も無く、第一發を放す。いかにも冷性なやつが無造作にスーと出る。しかも其スーがあまり短い方でない。可成殘して置くやうにせぬと後が困ると思つたが、長い尾を引いて殘り無く出てしまふ。そこで第二發の工夫をする。徐(おもむろ)に乳の下あたりから腹を撫で下ろす。膓の迂曲鹽梅を考へて、臍の周圍を撫でまはす。程なく何處かに固まりが出来たやうで、だんだん其固まりが大きくなつて來るやうで、終(つい)に首尾よく第二發を放す。まだ下腹部に一點の凝りが殘つて居る」


 このような詳細な描写が延々と続き、10発目へと至る状況が語られるのである。屁が出る様相をまとめてみるとこうなっている。

 一発目→冷性な屁が無造作にスーと出た。
 二発目→どこかに固まりができて、それが一発目ほど無造作でなく出た。下腹部に凝りを残している。
 三発目→ここが急所と思うところを押すと、キュッと音がして痛快な屁が出た。
 四発目→全身に力をこめ特に下腹に力を入れてみる。非常に熱性な屁が辛うじて出た。
 五発目→腹ばって尻を突き上げると、無造作に出た。
 六〜九発目→更に一段高く尻を上げるがうまくいかず、体をひねったり、各所を叩いて、ようやくのことでプップップップッと続けて出た。


「(プップップップッの九発目の後で)がつかりして轉げるやうに仰向けになる。全身に甚だ疲勞を覺える。欠伸(あくび)が出る。涙がポロポロとこぼれる。少しウトウトしたかと思ふと自然に幽霊のやうな九發であつたかと朧ろ氣ながら考へる。
 果たして此の思ひ附きは功を奏して第十發に達せぬうちに熟睡することが出來た。翌朝十一時まで寐た」


 このような次第で虚子は眠りを得るのであるが、ここに描かれた〈屁〉とは一体何であろうか。概ね〈屁〉は笑いを醸す。虚子の『屁』も@可笑しいと思って読めば可笑しいけれど、A詳細な描写に徹していると思えば冷静な境地を感じる。まあ、写生文の趣旨からすればAということになるね。

 @とAが同時に成立する(二重化する)ところに〈屁〉の呪縛があるわけだが、音成としてはAを強調して、読者に取り入ることなく(読者を面白がらせる意図を出さず)、〈屁〉に関してこれほど冷静に観察に徹した(表現した)ものは近代においてあまりない作品と思うのさ。つまり、同時代的に見てこういう(あるがままの)表現を獲得しようとした先駆的な例なのである。

 虚子はこの文章で〈屁〉を面白いとも、可笑しいとも、嫌だとも、恥ずかしいとも言っていない。何の理屈もつけていない。眠りたいという動機に基づいて単に生理現象をそのまま(表現するスタンスで)淡々と表現してるわけだね。結果的にどう読者に迎えられたか知らないが、これは〈屁〉に関して十分新しい試みであった。

 この『屁』では、直接に屁が描かれたわけではない。屁を出そうとする虚子自身の振る舞いが描かれているばかりである。屁は見えないので直接的な描写にはならないということもあるが、われわれは〈屁〉を身体現象としてとらえ、そこに発生する人間の振る舞いを描くことになる。更に進めば、心理の考察やら附会やら主張やら結構な理屈がつく表現になるのである。それを〈屁〉の笑いの構造に基づいて面白く語ることは一般的スタイルだね。
 しかし虚子は自分の振る舞いだけを語るにとどめたわけさ。

 それにしても、十発に向かって七転八倒する様は可笑しいね。真面目になればなるほど、〈屁〉は面白可笑しい領域を確保するのである。そこには〈屁〉が醸す笑いの構造があるのさ。力まず冷静に語りつつも、もちろん虚子はそれを十分意識したはずである。

 一言=屁を出し切った人間の深〜い満足を描いている。羊を数えて寝ようとする振る舞いを描いたところで、羊は〈屁〉には及ばないのであ〜る。
posted by 楢須音成 at 02:29| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月19日

〈屁〉の諸相を人間界に究める〜

 屁が〈屁〉たる所以は人間がそれを発するからである。〈屁〉は人間的(文化的)な現象であって、生物界の中でも特異な現象と言わねばならないのであるが、そこに目をつけた猫がいる。『屁の里行脚記』(楠本藤吉著、1979年、私家版)は猫が人間の〈屁〉の諸相を探訪する様を描いた中編の物語である。

 漱石の『吾輩は猫である』も人間に視線を投げる猫の目を通して描かれるが、この作品はそこから猫が語るというスタイルを拝借しているわけさ。楠本は「はしがき」で自分のスタンスをこう解説している。


「この屁話の取材にはたま君(猫)を採用したのだが、彼は、屁の資料を集めながら、畜生の立場から人間の性癖や慣習を看破している。特に万物に対する態度や行動を厳しく批判しているのだが、これは人間の反省面を指摘していると思いたい。考えてみると、我々は長い間万物の霊長の座にあぐらを組んだままである。時代の流れるに従って現代に来てみると、いつの間にか、気付かぬまま人間(霊長)であることを見失っている。これはとるに足らない猫の人間観だが、お聞きいただければ幸いです」


 楠本は猫と化し、屁の資料を集めて語っている。明確なストーリーがあるわけではなく、屁の里である農村や飼われている家族の様子(屁にまつわる人間模様)が、一見無造作に猫たちの講釈付きで延々と語られるのである。その人間の諸相は実に可笑しいね。猫のたま君は農村の人間関係(放屁の様)をバランスよく観察しており、屁話の積み重ねの中に、屁を抱え込む人々(昭和50年代の北九州の農村)の姿が浮かび上がってくる。

 この作品は文学的あるいは戯作的な作品性から見れば幼い表現にとどまるものの、終始一貫して(テーマとして)人間の〈屁〉をトータルに追究している点では近・現代文学史上でも類がない。何でも最初にやる人はエライと思うが、決して文学史に現れない作品にも素朴だけれど卓越した取り組みはあるもんさ。

 冒頭のエピソード(「屁の始末記」)を紹介しよう。飼われている家の爺さんが家族団らんの夕餉の席で一発かましたために、家族全員を巻き添えにする騒ぎが描かれる。


「『ブリッ』と言う音が無言の部屋の一角から響いた。疑う余地はない、屁である。この『ブリッ』と言う音の表現はむしろ『パリッ』と言った方が当を得ているようである。音が高くて大きい上に圧力を感得した。八十にもなる老人のものとは思われない代物だが、音源から見て爺さんの屁である。震源地の吾輩が、前肢を立てたのだから近年では珍らしい爆発である。爺さんの屁なら常々親しんでいるのだが、多くはすかし屁か、だらしないものばかりだった。吾輩は之が年寄りの相場と思っていたのだが、今日は余程瓦斯量が多く、からだの調子もよく、尻の扉も締がよく、絶好のコンディッションだったのだろう、事前に膝組んだ左膝を上げ、からだを右に傾け、尻を少しすかした格好などから考えると、若気の一発を狙っていたと思われる。それにしても年寄りのものとしては全くの奇蹟である。それであって当本人の爺さんは空吹く風である。他事(よそごと)のようであると言うか、百年前の出来事のような顔をしている。まさか、犯人を遁(のが)れる気でもあるまい。
 『年寄りは汁物が一番いい、歯も入らねば喉の辷りもいい』と言いながら汁椀を取り上げて箸で椀の中を二三度ゆすってグット一口吸った。
 食卓には主人夫婦と老夫婦の四人が、四角の卓を一人一辺づつ囲んでいる。年のせいであろうが、この異例の大屁にもかかわらず笑う者はない。或いは年寄りの常習癖に馴れているのか、それとも人間誰しもの生理現象だから、当然の事と思っているのかも知れん。若し孫たちが居ったら爆笑したであろう、鼻をつまんだであろう、屁の主を詮議したであろう。或は不平や抗議を訴えたかも知れない。序(ついで)に爺さんは一家総攻撃の的になったであろうが、幸いにも孫二人は握り飯を食い散らして隣の部屋に行き、玩具箱を持ち出してあれこれといぢりながら遊んでいる。
 それでも婆さんはこの音を聞くと同時に爺さんの顔を見た。並外れの大屁に『マー』と言いたげな顔である。別に抗議する考えはないらしいが、爺さんが『ごめん』とも『すまん』とも言わない上、他人の迷惑我関せず態度である。よりか、台風一過のすがすがしい様子であったり、壮者に劣らぬ大屁に誇りさえ持っているように見える。この有様を見て、婆さんは腹立たしくなったらしい。が、目立つ程の角は立っていない。『爺さんとしたことが年のとり甲斐もない、ご飯をたべようとする時に屁など出して無作法な』と軽くたしなめた。抗議と行きたいのだが年の功である。挑戦すれば抗戦と来る。こんなことで家の中に波風を立たせたくないのである。それでも何とか返事があるだろうと、期待しながら爺さんの顔を見た」


 このあと、爺さんと婆さんの応酬があり、爺さんの「ふかし芋やら、おかずやら、芋攻めにあっちゃあ屁も出るさ」という居直りに、ついに婆さんが諦めたところで、嫁が口をはさんで話は思いがけず飛び火していくのである。

 嫁は、芋をふかしたりおかずを料理したのは自分なので幾分かの責任を感じ、それに芋ばかり食わしているようで間が悪い。そこで「子供やお婆さんに喜んで貰おうと炊くんです(屁を出す責任は自分にもあるんです)」と殊更に孝心を示す。

 婆さんは内心で痛くご満悦と思いきや、そのうち目元が厳しくなって「芋をふかすのが自分と孫のためだったら、自分は嫁と類罪であり孫と共犯である。屁の元凶にされるのは悔しい」と色に出てくる。そして「今年は芋があんまりたくさんできたもんだから、みんな食べてしまわないともったいないから(経済のことを考え)毎日煮てもらおうと頼んでいるのですよ」などと弁解じみたことを言ってしまった。

 それまで二合の酒をチビリチビリ飲んでいたこの家の主人が突然、口を開く。普段は我関せず人関せずの人間なのだが、語調に毒気を含んで「今年は芋をたくさん作って悪かったなあ」と言い放ったのである。一座はシーンと静まりかえる。しかも「もう来年は作らん」と宣言する。

 爺さんは「好きにしろ」の態度。婆さんは息子の荒れ模様に落ち着かない様子だが、自分の一言が原因とは思っていない。嫁は夫の乱心を抑えるのは自分だと取りなそうとするが、全く無視される。夫は「今かますに入っている芋はみんな親戚にくれてしまう」と憤然として声を荒げ、聞く耳を持たない。

 そのとき遊んでいた子供たちが乱入してきて「芋は誰にもやらん」と父親の失言取り消しを迫る騒動になる。父親はあっけなく子供たちの軍門に下ってしまう。爺さんは「おれの屁が大きく祟ったねえ、すまん、すまん」と悠然と煙草に火をつける…。

 こんな一家の他愛もない夕餉の風景が描かれているわけさ。屁の一発で連鎖する微妙な心理の推移が面白可笑しいわけだが、もちろん、こういうことは〈屁〉に限った心理の綾ってわけではないけどさ。
 目次を引用しておこう。

1.吾輩は迎え養子
2.屁の始末記
3.猫にも屁あり
4.屁の呼び名
5.一人居の屁
6.機関銃屁
7.屁の個体説
8.屁の詮議親しき仲をかき乱し
9.屁の主は座り方で決着
10.お寺参りの屁
11.ボン プン ネー カン プン
12.安爺さんの屁
13.空気銃と母子の名乗り
14.屁の美徳
15.屁歩調
16.プンは屁の代表
17.屁の音色
18.屁の音と匂で人間を鑑識
19.芋は屁種
20.下痢後の屁
21.屁を拾う
22.癌臭と気分屁
23.炬燵屁
24.瓦斯粒子
25.屁のストライキ
26.有難くもない屁のお蔭

 これを見ると「屁の資料」が結構な範囲を持つ考察であることがうかがえるね。猫に仮託した空想と脱線も入っているが、1〜26までエピソードをつなぎながら、楠本の〈屁〉に対する持論が展開されて、相当の執着と観察なのである。

 「お寺参りの屁」は隣村のハイカラの美人の奥さんが寺の説教の最中に放屁を催して我慢するエピソードである。


「この奥さんは今此処まで来ているのだから『すかし屁』といかねば近所あたりが面倒だ。爆音を立てたからとて、不平小言は言わないにしても美人が台なしである。それに比ぶればすかし屁は、音を立てないで瓦斯だけ出すのだから人は気づかない。臭が広がって或は疑われるかも知れんが、此の際だから少し位の加害者の責を負っても止むを得まい。音のように加害者がはっきりしないで、どこからともなく広がるのだから、知らぬ存ぜぬような顔をして居ればそれ迄だ。併しこのすかし屁は、失敗すれば『ピーン』と出る。堅固にしてある扉の隙間から僅づつ出るのだから、音は細いが長引くから危険千万だ。長い時間、全勢力で安全を期したものが、一瞬にして水泡となるのだから恐ろしい。それだけあって、このすかし屁の操作はむづかしい。今にも突き破らんとする激しい圧力の瓦斯を、満身の力で裏門内に停(とど)めながら、静かに開扉し、ほんの僅づつ、音にならないように、無気力にして、徐々に出さねばならぬのだから、長い時間油断はならない。全身全霊の辛苦は以前にも倍する程で気も遠くなるのである。
 (中略)
 どうやらこの奥さん、すかし屁に突入したようだ。眉をつり上げ口を一文字に結び、呼吸をピタリと止めている。刻一刻、微に臭が流れ出した。途中、呼吸をしたのであろう、二、三回途切れたのだが成功したらしい。あたりに気づかれないように、おさえたような溜息をついた。天晴なり。でかしたり。吾輩は我事のように嬉しくて、尾をあたり構わず大きく振った。奥さんの顔には温かい血がよみがえり、もとの器量よしの多恵子さんに戻った」


 このすかし屁の描写はリアルだね。この作品は屁を隠蔽しない猫が、屁を隠蔽しようとする人間の諸相を描くことによって、リアルさととぼけた味を出しているのさ。

 猫たちのエピソードも散りばめながら、たま君は「ちょん子さん」と「二位子」さんという二匹の雌猫と同時恋愛を成就する結末になる。たま君はこれ(自分が恋人に共有される)に抵抗を感じながらも、あっけらかんとした雌猫たちの様子にこれが猫族のあり方なのかと悟って、人間の屁のせいで自分は「人間臭く」なってしまったというオチになる。

 物語の表現性や文学的深みはともかく、〈屁〉をこれほどの執着と観察で、このように集積した意義は深いのである。

 一言=観察したままに〈屁〉の振る舞いが活写されている。人間の切実な実録(資料)を素朴な虚構(物語)で描いた作品であ〜る。
posted by 楢須音成 at 23:54| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月24日

〈屁〉ゆえに出物腫物ご免あれ〜

 江戸の屁文学の中でも画期的な作品は井本蛙楽斎(いもとあらくさい=芋と、あら臭い)の『薫響集』(1757年)である。その後の作品に与えた影響がとても大きい(ようである)。この『薫響集』が画期的なのは、近世初頭から流行っていた狂歌のパロディ精神の延長上に出現した洒脱な散文(戯文)であるという点である。すでに狂歌が獲得していた言葉遊びやパロディの表現域をさらに拡張したといえるのさ。(『薫響集』に先行する類書があったことは国文学者によって指摘されているけどね)

 作品の構成は「序」「古今放屁集」「屁放様(へひりよう)の伝」の三つのパートに分かれている。これらは人間界の〈屁〉を俯瞰するような具合に展開する。それぞれ工夫を凝らし、屁を三つの角度から語っている。(なかでも「古今放屁集」の表現域はオリジナリティが高いと思われるね)

 「序」→ 蛙楽斎の屁はとても臭く、音はあたりに響きわたる。我こそは天下にこれを広め、後世の人に示したいのだ。昔、見えぬ聞こえぬ屁の奥深さを看取して詩を詠じた中国の林童子の前を、人々は鼻をおおって通り過ぎたが、我は彼の生まれ変わりであろうか。我もまた臭いを強めんとして、この序を記すのである──などと漢文体で格好をつけて述べている。我が身をさらしてのとぼけた序言は、あやしげな古人の逸話を持ち出してその身をなぞらえている。知識人を気取った漢文体である点が面白可笑しいを加速するが、結語はいきなり和文に転じ、「(断りがたい求めに応じ)墨とどろかし、筆を染め、紙に向かひて、出物腫物(でものはれもの)ご免あれ、と遠慮なく腹を抱えて、へらみ出しぬ」と、くだけた調子で漢文調を脱ぎ捨てるのさ。

 「古今放屁集」→ 古今和歌集の序文を下敷きにし、屁というものは、あまねく人間界に行きわたっており、いろいろな放りざまがあると指摘して、そもそも屁には六つの様態(さま)があるのだと言う。「添へ歌」「数へ歌」「なぞらへ歌」「譬へ歌」「徒言(ただごと)歌」「祝ひ歌」によってそれを示す。歌を屁に置き換えて、前半はほぼ逐字的に古今集をもじっている。歌のもじりはこんな感じの狂歌である。

 「添え歌」はこうなる。
 「難波(なにわ)津に咲くやこの花冬ごもり いまは春べと咲くやこの花」(古今集)
 「元旦に匂ふこたつ屁冬ごもり いまを春べと放るやこたつ屁」(放屁集)

 また、大和歌の屁の十体として「幽玄の体」「長(たけ)高き体」「有心(こころある)体」「麗(うつく)しき体」「事可然(ことしかるべき)体」「面白き体」「濃(こま)やかなる体」「見る体」「有一節(ひとふしある)体」「挫鬼(おにをとりひしぐ)体」を示し、それぞれに歌を記す。ここは藤原定家『毎月抄』の和歌十体を下敷きにしている。「様」をふまえ「体」の心をもって屁に励まねばならん、と論じる。

 「屁放様の伝」→ 古今放屁集においては理念的な論に終始しているが、ここでは具体的に技術論を展開する。まあ、当時の巷のスノッブな屁談義だね。「表三箇条」「裏三箇条」「中段の五箇の伝」「門弟取扱ひ」など、タイミングに合わせた放屁から各種の曲屁に至る巧者の心得と技法を初心者のために示す。屁は射術と同様であること、初心の者が屁を放るときの心得、屁の勢いの見方、握り屁の握り方、貴人の所望で放るときの方法、遠くへ屁を遣わす方法、屁種(へだね)や妙薬の処方など、筆致は闊達に屁の奥義を体系化して畳みかける。かくして「条々あらましを記し侍れど、浜の真砂の数々あまりあるものから、筆を止め侍りぬ。この道に心あらん人には予が師伝せしおもむき口授しえて、永く栄えんことを願ふのみ。あなかしこあなかしこ」と締めくくる。真面目に読むと少々ずっこけるが、巷の屁談義を掻き集め作法として理論化したわけさ。


 このように書き分けられた〈屁〉は全くもって遊びに徹している。お見事だねー。この作品は人を描く(物語を語る)とかではなく、初めて屁のカタチ(人間一般の〈屁〉の振る舞い)を「論じる」ことによって〈屁〉的現象を示すという表現域を得ているのである。平賀源内ほか後世の作品に与えた文化的影響は大きい。(曲屁師の花咲男の出現もそうだね)

 それぞれ味わい深い書き出しを『新編・薫響集』(1972年、読売新聞社刊)から引用しておく。(「序」はもとは漢文だが書き下し文である)


「天に在つて鳴る者を雷と曰ひ、地に在つて鳴る者を震と曰ひ、人に在つて鳴る者を屁と曰ふ。屁以て天地に交るときは則ち放屁の鳴るや、高いかな、臭いかな。その大なるを転矢気(てんしき)と曰ひ、其の小なる者を撒屁(さっぴ)と曰ひ、雅名一ならず。嗚呼蛙楽斎の鳴るや、薫り天地に徹(とお)り、響き四境に達す。善く鳴る者なりと謂ひつべし──」(序)


「夫れ人間の屁は、芋の煮たるを種として、万(よろず)の曲屁とぞなれりける。世の中に屁放る人、曲多きものなれば、望むことを見る人聞く人につけて放り出さるるなり。天井にすむいたち、ごもくに住む屁放虫(へひりむし)を見るに、生きとし生けるもの、いづれか屁を放らざりける。力をも入れずして天地をも動かし、目に見えぬ鬼神をも臭がらせ、男女の仲をも心あしく、猛き武士の鼻をも摘ままするは屁なり。この屁、尻の穴の開け始まりけるときより放り初めにけり──」(古今放屁集)


「生きとしいけるもの屁を放らざるはなし、といへども、わきて心にかくるとかけざるとにて面白くも聞え、また臭くいやしきものともなるなり。まづ、食前・食後・雪隠(せっちん)もどり、この三つの時を違へず放るを表三箇条の伝とす。さて、言下(ごんか)・袖摺(そですり)・見返し・行違い・三つ地・六地(むつじ)、この六箇条を裏として、それより梯子屁(はしごべ)・指典舞(くせまい)・楽の拍子・小歌の清掻(すががき)・浄瑠璃の三重、これを中段の五箇の伝とす。また許(ゆるし)の曲は蘇合の楽能にては乱(みだれ)・石橋(しゃっきょう)・道成寺、また三弦の手は砧(きぬた)さらしゆりかんを太極の位として免状を送り、門弟取り扱ひを許すなり。かくまで功者に至ること、たとへば高き山も麓のちり泥(ひじ)よりなりて雨雲たなびくまでおひのぼれるが如くに、屁の道も執行し侍らば、誰の人か屁の妙を得ざるべき。よって初心のため心得のこと一つ二つ記し侍りぬ。然はあれど、屁は腹中のよしあしによるものなれば、人々わが生まれつきをよくよく自ら考へて学ぶべきことなり──」(屁放様の伝)


 一言=〈屁〉を屁理屈でこのように高尚に論じることができる新たな表現力は、今なお現代に求められているのではないか。だけど、このような〈屁〉談義は真似し始めるとたちまち陳腐化するぞ〜。
posted by 楢須音成 at 13:55| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月30日

〈屁〉で世界の危機が救えるか〜

 面白可笑しく〈屁〉を扱った映画に『サンダーパンツ』(2002年)というのがある。ハチャメチャで、いかにも向日性たっぷりのイギリス映画。〈屁〉を題材にしてアッケラカ〜ンとしているんだけど〈屁〉というものの暗黒面は垣間見えたよ。〈屁〉には問わず語りに表現を強いる面があるのさ。

 映画では、生まれたときから病的に放屁する少年が描かれる。そのせいで、父は家を出てしまい、母はアル中となり、姉は口をきいてくれない。学校ではいじめられる。まあ、こういう暗い境遇が面白可笑しく語られるわけだが、法外な頻度と量の放屁によって被害甚大となっている周囲の混乱ぶりが笑いを喚起するのである。

 少年本人は至って真面目さ。放屁の恐いところは自分で制御できないということだが、病的な放屁を制御できないことぐらい絶望的な思いはないよ。そういう少年にも親友はできる。これが天才発明少年でオナラで空を飛ぶ「サンダーパンツ」を作ろうとするのである。ところが、その技術に目をつけられて発明少年はNASAに引き抜かれていなくなってしまい、ここから放屁を抱え込んだ少年の「親友捜し」と「運命からの自立」の旅が始まるのさ。

 いくつかのエピソードが束ねられて、NASAの一員になっていた発明少年と再会することになるのだが、このとき少年の放屁は希有な価値をもって輝いている。隕石にやられた宇宙飛行士の救出作戦のための重要な動力源(を操る人)として迎えられるのである。手のひら返すように世界は180度転回する。「君は果実だ。慈悲深い神が涙を流し、それが地に落ちて種となり、種は芽吹いて花をつけ、実となったのだ」などと最大級の賛辞が呈せられる。誠に意味深い〈屁〉に対する賛辞(皮肉)だよ〜。

 あとはハラハラドキドキのストーリーのお約束通りのハッピーエンド。映画の表のメッセージは「(僕は)利口でもなんでもない。自分らしさを求めて自信がもてた。弱点は弱点なのか? それはうまく活用するんだ。そうすれば夢はかなうよ」という少年自身の言葉にある。自分探し成功の感動物語で、映画の出来も良く楽しめるね。メデタシ、メデタシ。

 しかし、この映画の真に批評的な部分はエンドロールにあるのさ。エンドロールでは自分探しに成功した少年の周囲の人間たち(それまで少年を虐げていた人間たち)が登場し、一転して歯が浮くような少年への賛辞やら共感のメッセージを発するんだけれど、「一体何のさわぎよ、たかがオナラに」「厄介者がヒーロー? 今も昔も大嫌い」と一人だけ冷めている女が2回登場する。身内の人間である少年の姉である。映画(のハッピーエンド=我々の願望)という幻想に冷や水をかけてくれるねー。

 つまりは、人間社会を一皮剥けば〈屁〉において(も)、そういう暗黒の関係が常に突きつけられているわけだね。この映画では〈屁〉を希有な特技(の成功物語)として描くことによって、〈屁〉の暗黒面をあえて無視したものの、居心地の悪い姉の冷たい視線を登場させないわけにはいかなかったのさ。姉の視線は容赦なく少年の自尊心を簒奪するのである。(小津安二郎の『お早よう』では、物干し竿に翻るパンツの登場が暗黒面を暗示していましたね)

 少年の〈屁〉が一時の高揚に終わらないことを望みたいが、〈屁〉の物語が暗黒面を無視し、向日性をもって高揚すればするほど、明暗は浮かび上がるのである。

 一言=我々の〈屁〉が意味ある価値(有用性)を持ったとき、本当に自尊心は癒されるのだろうか。〈屁〉の根深い暗黒面を考えると、少年の前途は多難じゃないのか〜。
posted by 楢須音成 at 17:00| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月27日

〈屁〉の漫画に女の子が登場する〜

 屁を漫画にすればどうなるか。漫画の元祖とも言われる「鳥獣戯画」の鳥羽僧正覚猷が往来での奇抜な放屁を描いているが、三田村鳶魚は「この黄色に描いた獨創な意匠の卓拔なことは、いつ如何なる畫家も彼を描くのに、僧正の意匠の外に出られない」と言っている。絵筆が日本で最初にとらえた放屁の姿態であり、しかも完成度が高〜い。(三田村が言っている「意匠の卓拔」とは批評性が高いということも意味している)

 ところで現代日本に下って、下ネタ漫画といえば『トイレット博士』(とりいかずよし、1970〜1977年)があったね。当時の少年ジャンプの人気漫画で、全編がウンコにまつわるギャグで埋め尽くされていた。その徹底したウンコへのこだわりによって、ほかの漫画を寄せ付けぬ(というか、引いてしまうわね)「独走的」な漫画であった。そもそも臆することなく平気でウンコ(あるいは汚いモノ)まみれになる登場人物たちのあけすけな振る舞いが、この漫画シリーズの眼目であり真骨頂である。恥も外聞もなく能天気にドタバタを繰り広げたこの漫画は妙に爽快で、音成も大いに楽しませてもらったものさ。

 まあ、延々と繰り広げられたウンコ合戦のドタバタは、一話一話の凡庸さも(面白くないという意味ではないよ)数を集めれば凄いことになるという典型で、日本漫画界の黄色〜い金字塔だね。この作品(の描画)は古典的な「獨創な意匠の卓拔」は摩耗させたところに花開いているけれど(現代漫画は一流から三流まで高度な工業生産品である)、現在的なウンコ談義を白昼のもとにさらけ出し笑い飛ばしたその暴走に、ある種哀感も漂っていたように思う。

 シリーズの初期の作品中に〈屁〉に関して「屁学入門の巻」(1972年)というのがある。
 パーティで屁がブリブリ出てしまい恥をかいた女の子「うんこちゃん」が、屁のことを教えてやるからと誘われて、トイレット博士と一緒に「へのへの平太」の研究所に出かける。ここで、動物たちに屁をさせたり、屁の生成のウンチクを傾けたり、屁を燃やしたり、屁で音楽会をしたりのドタバタを繰り広げる。最後は屁の収集をしている「平太」が「うんこちゃん」の屁を取ろうと怖い顔でせまるが、「うんこちゃん」は法外な一発を実まで一緒に放出して「平太」を撃ちとる…という、メチャ糞な筋書きである。

 この「屁学入門の巻」は藤本義一の「屁学入門」と同様に「研究する」ということを面白がっているね。タイトルが重なっているのも、〈屁〉を研究する(ウンチクを傾ける)近代人の尻尾を引きずる意味では、その習性において偶然じゃないわけさ。「うんこちゃん」は研究所に出かけて〈屁〉のウンチク(研究の成果)をたっぷり聞く。そこがストーリーの骨子になっている。

 ウンチクにはエッと驚くようなものもある。屁が燃えることについて、サツマイモを食べた屁は赤色、大豆は緑色、雑食なら青色に燃えるとウンチクを傾け、(漫画の中で)実際に燃やしてみせる。また曲屁師は肛門に弁が付いているとウンチクを垂れ、さらに音楽をやるときは肛門が音に合わせて口のように変化すると丁寧に図解している。ウソかマコトか保証の限りではないけどねー。

 しかし、限りないギャグをぶち込みながら面白可笑しく語る、このようなウンチク開陳がこの漫画の眼目かといえば、そうではないんだね。それでは〈屁〉の教養漫画になってしまうさ。では、何が眼目になっているのか。このギャグ漫画の描画表現の世界をなぞってみると〈屁〉にまつわる「うんこちゃん」の振る舞いが眼目になっていることがわかるのさ。

 まず「うんこちゃん」は名前とは裏腹な、かわいい女の子に描かれている。漫画のパターンとして理想型の登場人物であるが、〈屁〉がもたらす彼女の崩壊過程(振る舞い)が眼目なのである。冒頭、彼女はパーティで屁を自己制御できず、我慢できない事態に立ち至って音やニオイを誤魔化そうと四苦八苦した挙げ句に、法外な一発を出してしまい周りの衆目を集める。また、最後は屁の採取を迫られる「うんこちゃん」がさらに法外な一発を(実も一緒に)泣きながら発射するが、そこは大画面で迫真的に描かれるのである。作者の衝動から言えば、最初と最後のこれらの場面が、漫画の構造上の核心といえるのさ。

 ここは、恥も外聞もなくウンコを垂れ回るほかのエピソードと違ってトーンが違うのである。作者が描く「うんこちゃん」の振る舞いを解きほぐしていけば〈屁〉的現象が内包する人間心理の動きが見え隠れして表現されているのだが、作者は何よりも「うんこちゃん」のリアクションの切実さを引っ張り出そうとしている。そうする求心力が漫画を引き立てている。

 この「屁学入門の巻」に描かれた〈屁〉は、女の子の〈屁〉である。その〈屁〉の行為は「恥」として現象している。ウンコのエピソードではウンコをいじり回すフェティッシュな衝動に覆われているが、実体の見えない〈屁〉は隠蔽しようとする衝動と恥を強く喚起するのである。そして女の子が制御不能の〈屁〉を抱え込んでいることによって、強く強く浮き立ってくる。それがかわいい女の子の〈屁〉であることによって、強く強く強く浮き立つのである。(女の〈屁〉はその社会性において隠蔽度が高く、敏感な作家は表現の対象とするはずである)

 もっとも、高まりゆく「(恥の)切実の極み」の直前で「ごめんあそばせ」と開き直って、あっさりいなして笑いで包んでしまうところが、ギャグ漫画としての真骨頂になっているんだけどね。現象(恥)の深刻化はそこで終わってしまって場面転換していく。まあ、そうでもしなければ、〈屁〉にあってはスピード感のあるギャグ漫画になりはしないさ。

 こんなワケありで〈屁〉の漫画は女の子によってになわれたのであるが、作者のとりいかずよしは、こんなことを言っている。

「こどものころ、弟と風呂へはいると、ボクは湯の中に洗面器をもちこみ、屁を数発、屁は大小のあわとなってブクブク。それをたくみに洗面器に中に確保し、弟に『ちょっとこっちへこいョ』弟そばにくる。その瞬間、洗面器を弟にむけてパッとあける。『うわっ、くせえ』叫ぶ弟、うれしいボク。こういうことは、いくつになってもやりたいし、わすれたくない」

 このときの弟が「うんこちゃん」になって漫画表現が熟成されたんだね。

 一言=いつでも〈屁〉は恥に揉まれて加虐と被虐の皮膜の間を揺れ動くものであ〜る。
posted by 楢須音成 at 00:31| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月31日

〈屁〉の芸は見果てぬ夢であるか〜

 屁を芸にまで高めるのは明るい向日性をまとった人間の営為である。それは〈屁〉を自慢しようという人間の心的一面を示している。田辺聖子の「祝い屁」(1976年、小説現代)は、屁の芸を追究し現代における放屁芸の存在を探った小説であ〜る。とまあ、こういう〈屁〉の観点からの紹介の仕方をすると「どこにそんなことが書いてあるんだ」と言われそうではありますが。

 話は雨漏りから始まる。
 瓦が割れて困っているところに、都合良く和田青年が遊びに来て修繕を引き受けてくれる。こんな気のいい青年は(赤の他人だが、親友よりも情の濃い)「甥」である。彼のおくさんのエミちゃんも(気のいい)「姪」である。修繕してくれるというので和田君を夕食に招待すると、一人でやって来た。エミちゃんとケンカしているという。聞けば原因はオナラ。夕食の最中にオナラをしたら、エミちゃんが怒り出したのだという。

「和田君は黙々と食事していたが、おなかの具合もよろしく、緊張の度合いも申しぶんなくて、この分なら階調正しくすばらしいものが出そうだという誘惑にかてなくなった。エミが笑い出すほうに賭けようと思った。
 そこで覚悟の臍(ほぞ)をきめて、思いきってぶっ放すことにきめた。
 途中でやめられない。全神経を集中する。
 ほんとうにすばらしいできばえだった。トレモロもよく利いて、音は高からず低からず、われながらききほれたくらいだった。テープにとっておけばよかったと思った。放屁趣味仲間の西條君に自慢するためである。
 『「グリスピイ」のテーマでした。僕、これ得意なんです』
 和田君が賞賛を期待して目をみひらくと、これはなんとしたこと、エミは座を蹴って立ち、台所で洗いものをはじめていた。
 『おい。もう食わへんのか』
 と和田君が声をかけると、エミはかっとしてバリザンボウを浴びせた。
 『バカ、あほ、脳たりんの無神経の野蛮人の下賤の育ちめ。食事中に目の前でやるなんて、どういう了簡なの、マトモな神経の人間にゃ堪えられないわよ。死んでしまえ、バカ! あんたなんかの顔見るのもいやよ。目ェ噛んで鼻噛んで死んでしまえ!』
 『何もそない、ポンポンいわんかて、ええやないか』
 と和田君は気よわくいって、食事をつづけていた。エミは腰に手をあててつっ立ち、にくにくしげに口をゆがめていた。
 『ようも食べられますわねッ。悪臭芬々(ふんぷん)やないのさ!』
 そうかなあ、と和田君は首をかしげた。わがものと思えば軽し笠の雪、べつに自身では悪臭とは思えない。プロの屁こき(和田君はそう、自任し自負している)なら、臭味の卑しきを以て品下れるものとしている。しかし、ここでヘンに異をとなえると愛妻の怒りの火になお油をそそぐことになるので、こらえて黙っていた。そうして、トレモロのよく利いた『グリスピイ』のテーマが、彼女に理解されないのを悲しみつつ、静かに沢庵を噛んでいた。(これは和田君が会社から安く分けてもらうものである)
 『あたしの腹立つのは、やね』
 とエミは言い募った。
 『あんた、アレをやるときちょっと腰の片一方浮かすでしょ。あの恰好がハラ立つ! オナラそのものより不潔ワイセツ、がさつでーす!』」

 なかなか見事なやりとり(描写)である。夫婦の〈屁〉が現象化した人間模様があるわけだが、笑いを通り越して〈屁〉の実相をかいま見せるね。ここで注意すべきは、和田君の一発はただの〈屁〉ではないことさ。グリスピイのテーマ(楽曲)なのである。和田君はプロの屁こきを自任してる。場面を分解してみよう。

@夕食時に和田君は屁を催した。そのとき、腹具合は申し分ないコンディションだった。夕食時だという自制心はあった。
A和田君は誘惑に負けて長々と放屁した。途中で止めることはできない。それはグリスビイのテーマを奏でた。
B最高の出来映えだった。満足した。妻のエミにウットリと曲目を紹介し、賞賛の声を期待した。
Cエミは言葉なく(怒って)座を蹴り食事を中止して洗いものを始めた。
D和田君はエミが笑い出す方に(確信し)賭けていたが、妻の態度の異変に気がついて声をかけた。
Eその言葉をきっかけにエミはキレてしまい、知っている限りの雑言を浴びせた。
F和田君は抵抗せず、気弱に食事を続けた。
Gそれを見てエミは「悪臭芬々なのによく食事ができるわね」とさらに罵った。
H和田君は悪臭を感じなかった。むしろ悪臭のなさがプロの自負であった。
I和田君はグリスビイのテーマが妻に理解されないのを悲しみつつ、静かに沢庵を噛みしめた。
Jエミは和田君の静かな態度にますますいきり立って「アレをやるときちょっと腰の片一方浮かすでしょ」と放屁のスタイルまで非難した。

 まあ、こんな感じだろうか。@〜Jに至る流れの中で、和田君とエミちゃんのリアクションは、全く噛み合っていないね。和田君の芸が成立するためには、和田君の放屁がグリスビイのテーマであるという幻想を共有しないとダメなのである。つまり芸人という人種と、芸(人)を認識しない人種との対立である。エミちゃんは〈屁〉をただの無作法としか思ってない人種なわけさ。
 エミちゃんの怒りのボルテージはC→E→G→Jと確実に上がっていくのである。しかしながら、和田君の見事な放屁芸がエミちゃんのの怒りの旋風の中で浮き彫りになっているのである。

 まず、それは「楽曲」という表現を志向したものである。階調正しく、トレモロを利かして、音は高からず低からずの完璧な出来である。悪臭はない(しかし、エミちゃんは感じている)。そして、何といっても和田君の放屁の姿態が素晴らしいのだ。エミちゃんが「アレをやるときちょっと腰の片一方浮かすでしょ。あの恰好がハラ立つ! オナラそのものより不潔ワイセツ、がさつでーす!」というのは、和田君の芸の「色気」を表現しているわけだね。(芸の「色気」がわからん奴にはそれは狂気の沙汰であるさ)

 この一節を読めば、和田君が(芸人として)色気のある姿態で見事な芸を披露したのだとわからねばならん〜。そうでないと、読者の感性はエミちゃんと同じである。ここは、エミちゃんの罵詈雑言が募れば募るほど、和田君の芸の素晴らしさが浮き彫りになる構図なのである。読者の感性も問うているのだよ。音成はこの作品の作者の眼目はこの一節にありと思うね。

 さて、作品では軽快に「プロの屁こき」たちの系譜やら同好の士やら屁芸の紹介やらのウンチクが面白可笑しく語られる。

「『ハッハッハッ、刀いうたら、刀屁というのもあったそうです。これができたら、もう屁の神様。奥伝以上です』
 『それは、どういうのですか』
 『屁の音色、音量、高低強弱で、鞘(さや)から柄(つか)から、鍔(つば)を表現し、最後に刀身をひり出す』
 『刀身をひり出すとは、どうするの』
 『そやから、つまり大便をだすのです』
 『もうええ、帰りなさい!』
 といったら、和田君はいいすぎたと思ったか、ほうほうのていで座を立ち、
 『今のはエミにないしょにして下さい』
 『あほ。エミが怒るはずや』
 『しかし、しかし、ほんとです』」

 こうやって話は展開し、屋根の修繕の日になると和田君はエミちゃんと仲良く連れ立ってやって来る。仲直りしたらしい。「私(語り手)」の夫も屋根にのぼって修繕が始まるが、どうしたはずみか、夫は大きなオナラ落としたのである。

「『よう、景気ええぞ!』
 と和田君は嬉しそうに叫んだ。
 『その調子で、張り切っていこう! そらきた!』
 といったのは瓦のうけわたしでなく、オナラのお返しなのである。和田君は屋根にとりついて中腰のまま、
 『そら、祝い屁や!』
 とお返しをした」

 その祝い屁は秋空に鳴り響き、「凛々しい武者名乗りのよう」であり、おまけに、都おどりの冒頭のお囃子やヨーイヤサーという節回しまで再現されていたのである。


一言=この作品は、現代における〈屁〉芸人の誕生の期待(夢)を描いている〜。
posted by 楢須音成 at 23:46| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月29日

〈屁〉は疎ましくても駆逐できない〜

 精神科医が書いた小説集『檻の時間』(石田春夫著、1978年、昭和出版刊)に「屁男」という短編がある。この小説集には寓意や幻想(非現実)を含んで展開する奇妙な世界を描いた作品が入っていて、「屁男」もそういう作品の一編である。

 筋立てを単純に言ってしまえば、精神科医のところに屁が止まらない男が現れて、何とかしてくれと泣きつく話なのさ。聞けば男は、宮中の皇太后付きの宮内大夫で「判官(ほうがん)」という綽名だというんだね。「屁男」という題名に惹かれて読み始めた読者なら、この男が屁男なのかといぶかるところから話は始まるわけだが、実はそーなのである。

 要領を得ない男の態度も、男が置いていったノートによってことの次第がわかる。


「乱筆お許し下さい。
 私は長い間、私の躰の異常のため死ぬばかりに苦しんで参りました。誰方に話しても相手にされません。一笑に附されてしまいます。けれども私にとっては非常な重大問題なのです。生死をかけた問題なのです。このことの解決しない限りたとえ死んでも死にきれません。
 異常と申しますのは、私のpetのことなのです」(pet=フランス語で屁。「ペ」と発音する)


 やがて医者は知る。


「尾籠な申し様ですが、私、四六時中petが鳴りやまなかったのでございます。
 こんなことを申し上げては失礼ですが、どなたにも、御経験はおありのことと思います。このpetと申しますものは、場合によっては大変気持のよいものでございます。一つや二つならこれも愛嬌のうちでございます。けれども私の場合にはそんな生やさしい代物ではございません。ただ憎い一方のものでございます。ある時は凱歌を奏する如く高々と鳴り響き、ある時は残酷にひねこびれたせせら笑いにも似て、制止しようと致します私の必死の努力もものかわ、私の精神に手ひどい傷手を負わせながら、鳴りおわっては大気のなかに姿も見せず、悠々と飛び去り消え散るのです。気分爽快になるどころではございません。
 人前で遠慮も会釈もなく、文字通り傍若無人に鳴り催すのです。催したが最後でございます。私が顔面蒼白、冷汗までかき、躰をよじり、足の踵でおさえつけ、あらゆる努力で制止しようと致しましても、この腹中に生じました気体の恐らくは円形でございましょう、その気体の塊は、自由の天地を求める旺盛な初志を貫徹せずにはおりませんでした。──」


 かくして暴走する猛烈な放屁によって男は身体(放屁)の制御を失っており、身体は自分のものならぬ異物となり、身体嫌悪(他者の前で身体の消滅を願う)へと陥っていたのである。身体の制御権を見失った心性にあっては制御の主客が転倒している。つまりは自分の存在意義が放屁という身体性に奪われてしまうのさ。そういう屁男が誕生していたのである。


「私は自分のpetのために次第に人間嫌いになって行きました。何時の間にか私はすっかり人が変わってしまいました。背も曲がり、人の目を見ることも出きず、いるのかいないのか分らぬ、影のようなひっそりした人間になってしまいました。にもかかわらず時に従って鳴る音が大いに私の存在を明らかにするのでございました。
 (中略)自分の躰が憎らしく恐ろしく厭うべきものでございました。この鳴りやまぬ躰はふと気味さえ悪いものでございました。──」


 手記を読みながら医者は「異常放屁にもとづく心因性鬱状況、即ち一種の神経症」とか「petの怪音というのは実は幻聴で、これが疎外感あるいは関係妄想をおこし、他人を逆うらみしている精神分裂病」ではないかとか精神分析的診断をあれこれ下してみる。
 しかし自分の妄想から屁男になったわけではなさそうだ。職場での同情、憐憫、嘲笑を一身に背負った屁男は、本当は「屁ひりの判官」という綽名を頂戴しているのであった。

 屁男は宮中の漢方医から漢方でいう「風病」であると診断されていた。まあ、風の気にあたっておこる病気というわけで、いかにも「風=屁」という連想からみても、診断はもっともらしいではないか。手記中の漢方医は諸病が生まれる原因を説く。


「<ひとしきり風病の解説をして>医者は大きな咳ばらいをして申されました。『まあ言ってみれば、腸中風、または肛中風ということになるか。すなわち貴下は内臓諸器官は幸いに壮健だから、一たん皮膚に入った風は行きどころを失い、空を求めて再び風となる。これすなわち、屁と申すものだ、お分かりか。』
『生命に別条はございませんか。』と伺いますと、
『まずその心配はない。がなるべく息を吸うことをひかえ安静にするのがよろしい。何しろ相手は風だ。どんな些細なすき間から五臓に入りこまないとも限らぬ。しかしまあ、風が尻からぬけるのは、不幸中の幸いというべきだ。』」


 このような漢方医に対抗して精神科医は現代医学風の解釈をやってみる。


「腸内で発生した気体すなわちガスが肛門から体外に排泄されるものであって、元来生理的な現象である。さて、放屁が病的に盛んであるということには理論上、次の三つの原因が考えられる。第一には腸内で蛋白質の異常分解が起った場合で、この時には発生した有毒ガス、スカトールのため異臭を伴うのが常であり、その性質は湿性である。第二には腸の運動が亢進したもので、この時には異臭はあまりない代りに、音は高くかつ乾性である。第三には肛門の括約筋が弛緩した場合で、この時のは節度なく弱い性質のものである。」


 語られる精神分析、漢方、現代医学という三様の見立てがむなしいのは、暴走していく放屁に有効でないからである。屁男の屁は解説不能で、ただひたすら不気味。この辺から話は後半に入り時間のトーンが変わっていくのだが、実はここまでは〈屁〉を浮き立たせる長〜い伏線になっているとみてよいわけさ。

 独身のままの呪詛を吐露しつつ、「何時になったらこの躰が鳴り止むかと思っておりますうちに、空しく青春も過ぎ去りました。山に桜が咲き、野に鳥は歌う春にも、私の心はうつうつとして楽しみません」という、さりげない時間の飛躍が手記に登場する。
 「青春も過ぎ去り」というここは大事な場面転換になっている。このあと話は診察室にやって来た屁男との対話によって進行していく。精神科医は手記を読んだ結果を踏まえて精神療法を試みる。
 世の中の事例を引いてきて分析したり、励ましたり、説教したりと頑張ってみるのだが、まあ効果なし。やがて精神科医は屁男が涙ながらに語る事件を知るのである。

 ある日、屁男は皇太后から呼び出しを受けたというのさ。親切心から皇太后は「容態を相談してみよ」と藤原孝道という学者に屁男を対面させたのである。孝道は屁男にアドバイスする。その夜、屁男はそれを実行した。


「それはもやもやとなま暖い春の宵であった。待つ間もなく、いち早く例のものが催しはじめて来た。危く気体が尻の狭まから顔を出そうとするのを彼は、関門をすぼめて腹中におしもどした。あなたは大事なお方です。そのようにお急ぎなさいますな。いましばらく御滞在下さいと願う心地である。そしてしばらくすると再び第二波がおし寄せて来たが、まあまあと賓客をおしとどめるようにしてまたそれを腹中におさめ返した。
 二度三度同様の外交辞令的折衝を繰返しているうちに、腹のなかでは鼠が鳴くような、革と革とがこすれ合うような、あるいはまた粥が煮えて泡立つような音がし始めた。聞きようによっては悲鳴のようにも聞える。男はさてこそとほくそ笑んでいましばし御辛抱のほどを、と願った。
 (中略)これ以上こらえてはもう躰のどこかが破裂すると思うまでになった。──ここぞ、今こそ追い出す時だ、と屁男は全身の力を集中して息ばった。
 と、躰を裂くばかりの猛烈な爆発音が戸障子を震わせた。まるで百鬼が口々に喚き罵って退散するようだった。それと同時に、彼は、物理的な──そして多分一部は精神的な、ショックをうけて、へなへなとその場に打伏してしまった。──あたりは急に静かになった。
 躰じゅうに全く一物もなくなったように、ふと快い脱力感が男の全身を包んでいた。そんな光景は見たこともないが、産みの苦しみと喜びとはこのようなものだろうか。まるで憑き物が一時に落ちて、生まれ変ったようだ。屁男は打伏したまま、ああ、これで十年来続けて来た腐れ縁も断ち切れるのだ、恋も出来る、妻も持てる、これで第二の人生に入ることが出来るのだと、涙さえはらはらとこぼれるのだった。
 (中略)
 緊張した彼の顔面筋肉が唇と眼の端からほころび始め、やがて笑いが顔一杯に拡がった。その笑いの波が相次いで躰中に伝播すると、男は気が狂ったように声を上げて呵々大笑した。十年ぶりの笑いだった。勝った勝った、とうとう克服してやった。どうだどうだ、へ殿、人間にはかなうまいが──
 と、その時だった。恰も屁男の歓喜と凱歌に答えるように「ぷう」という音が聞こえた。陰気な、不吉とさえいえる音だった。
 屁男の笑いはぴたと止った。
 木偶のように両腕がだらんとぶら下がる。足がふるえて来る。頭から顔から血の気がひく。だが、空耳でも耳鳴りでもなかった。一つ聞えたと思うとたて続けに、もう何の疑いもない明瞭確実さでぷうぷうと屁男の尻が鳴り始めた。青くなった彼がその場にへたへたと座り込んで、どんなに技術の限りをつくしても、その詮はついになかった。
 それは怒りに満ちた音さえ加えて、益々猛威をたくましくしてしまった。夜さえ彼を眠らせないのだった。男は後悔のほぞを噛んだが、すべてはもう後の祭だった。屁の猛烈な反撃だった。……」


 ここには〈屁〉が断固として自分を主張している。いやー、まさにこの非情な情景に作者(作品)の眼目があるのさ。屁をためるだけためて一気に放出する勢いで屁を駆逐するという、いわば捨て身の逆療法が破綻する有様が描かれているわけだが、奈落の底からの「ぷう」という屁の一発の見事な反撃こそ、まさに〈屁〉というものの暗黒のリアルな有様(存在感)なんだね。こればっかりは宿痾のように我々の精神に暗黒面をもたらしているのである。

 かくして話は孝道への怨みを軸に読者に筋立ての種明かしをしながら終わる。この作品は『古今著聞集』の説話から題材を得ている。解釈に拡張を加えて「〈屁〉の復讐劇」に仕立て現代によみがえらせている作品なのである。

 一言=〈屁〉の撲滅を願う「屁男」とはあなたじゃないと言えるか。この作品は「屁男」の怨念が時空を超えて徘徊し、〈屁〉の暗黒の存在をあなたに突きつける〜

※本年も終わってしまいますねェ。また──

posted by 楢須音成 at 22:44| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月11日

〈屁〉を和漢の古典で語ってみた〜

 軽妙な〈屁〉のエッセイが戯作と紙一重で成立しているような場合があるね。江戸の狂歌師(宿屋飯盛)で国学者でもあった石川雅望(まさもち)の狂文集「吾嬬那萬俚(あずまなまり)」(1813年)の中に『放屁』という一編がある。笑いもあれば卓見もありというあんばいで、なかなかに面白い。(「俳句─俳文」に対して「狂歌─狂文」というわけさ)

 雅望の『放屁』は和漢の古典を縦横に引用して〈屁〉の真髄(?)を吐露している。少し〈屁〉文献に通じている人なら、全編これ出典は「ハハン」とわかる話ばかりである。話の構成は戯作っぽくはあるのだが、「屁」という字の音韻の起源などは卓見であ〜る。雅望は昔の人は放屁音を「ヘツ」と聞いたのだと言っている。

 短い一編なので訳を試みた。(音成の訳は逐字訳ではなく、解釈入りのテキトー訳なので悪しからず)



 屁は胃や脾臓の気が大腸にあふれ、それが下って「下風」となったものである。クシャミ、アクビ、セキ、シャックリと何の分けへだてがあろうか。しかしクシャミやシャックリは人なかでもするが、屁となると自分も恥じるし、そのうえ人も無礼だと怒ってしまい、刀の柄に手さえかけるものであってみれば、軽々しくはひりにくいものさ。
 そうは言っても、世の中に人がいる限り、男女の区別なく、屁をしない人はいない。屁を隠すのが世のならいなら、音無川の音をたてぬがごとく、カカトを尻に押し当て「我が名もらすな」とばかりに神様に祈るだろう。かくして、まこと偽りのない世であれば、人のまたぐらはいつも臭かろうよ。
 順徳院の御代に、屁ひりの判官代(ほうがんだい)という人がいて、御所にあっても放屁したが、全くお咎めを受けることなく、ひって、ひって、ひり散らし、宮内大輔にまでのぼりつめた。
 また、忠家の大納言は、忍んでいった女房の思わぬオナラの一発によって、出家せんと思い詰め鼻をつまんで逃げなさった。
 本院のおとど(左大臣の時平)が訴え事を聞いておられたとき、訴訟文を持ってまかり出た男が、高々と屁をこいたので、笑癖があったおどどは我慢できなかった。右大臣の菅公(道真)に向かうなり「この者の訴えを聞いてやって下されい」と任せてしまい、そんなに腹の調子が悪いのか、と手をすり涙を流して笑いなさったそうだ。
 このおとどのことはよいとして、後世にあがめ尊んだ天神様(道真)の御前で「沈香は焚かず」に屁をひるとは何事であるか。しかし賤しい身分の男が、やんごとない書に記録され今に伝わっているのは、あやまちの高名と言うべきか。
 仏が在世のとき、ひどく豆を食べ過ぎ腹を張らしていた僧がいたが、なむぶツぶツ、と屁をこいたので、仏は外に出てひれと戒めなさった。まことに百日の説法も、このあやまち一つで、聴衆の信心も冷めてしまうのである。説法で粗相した僧賀のひじりのほかは、尻で金鼓(こんぐ=寺の楽器)は鳴らしてはいかん。
 屁にはそれぞれ異名がある。はしご屁は由緒あるワザであるし、にぎり屁は悪ふざけ。いきみ屁は無理にひること。格別に罪が深いのはころし屁である。屁ひりの神の紙線香(遊戯の一つ)もひった奴へはたなびかないし、腰巻が黄色いね、とあらぬ濡れ衣を着せて、関係ない人を泣かせるのである。
 ある儒者先生の説では、屁は本音「ブウ」、去声に発して音「スウ」と言われたのだが、そうだろうか。これでは唐の学者、陸徳明(りくとくめい)も尻をまくって逃げ出してしまう音韻ではないか。
 愚考するに、屁の字は唐音で「ピイ」の音であり、「ピイ」とはひるときの音声であろう。我が国で「へ」と呼ぶのも、これまたひるときの音声ではなかろうか。これを先生のように「ブウ」の一音のみとするのは、一をひって二をひらざる(一を知って二を知らざる)ヘッぴり儒者の狭量な見解といわねばならん。昔の人のみやびな耳には、この音声を「ヘツ」と聞いたのである。「ブツ」というのも「はひふへほ」の通音ではあるが、昔の人は「ヘツ」と聞いたに違いない。
 口から出るものを「へど」というのは、これもまたその音声である。蝉を「せみ」、カラスを「から」と名付けたことなどは、すべてその音声によるのだと物知りが伝えている。
 清の李笠翁(りりゅうおう)先生の十種の小説のなかに、他人の屁は臭く、自分の屁は香ばしいとある。屁にすら自他の差別があれば、まして才能・技芸に秀でて暮らし向きがよい連中にかかると、そういう手前勝手も言うであろう。
 昔、唐の趙襄子(ちょうじょうし)が便所に入って、大きな屁をこいた。屁に殺気の音があり心が騒いだので、踏み板を覗いてみると、自分を狙って隠れている予譲(よじょう)を見つけた。趙襄子は半分糞をしかけていたが、厠を飛び出し、尻を揉み揉み命令して、ついに予譲を捕えたのである。
 また越王の勾銭(こうせん)は呉王の夫差(ふさ)に敗れてケツを嗅ぐハメになったが、屁とも思わぬ顔つきだった。やがて最後には呉国の方が討伐されて越国の褌(越中褌…笑)になってしまった。
 この支那の話はどちらも屁の徳であって、一人は危険をまぬかれ、一人は望みを達したのであるよ。嗚呼、かくも屁の徳は大いなるかな。或いはイキバリ或いはスカス。締めたり弛めたり、これぞブウブ(文武…笑)の道である。
 誰かの言葉に、男子たるもの世にあって、焼芋のような芳ばしき評判を得られないのならば、人生最期に一つ屁をひり、臭みを万代に残すべきであると。私はこの言葉に感ずるところがあり、へっぴり腰を引っ立てつつ、河童の屁という文章を書いた。誉めるか貶すか、とんとわからぬが、ケツの口でものを言う男であるわいと、世間の人はへへへと笑うに違いない。
 ※この文章を書き終わる頃、いつもの親しい連中が来て、あれこれ喋っているうちに、心外にも臭いにおいがしたので、ありゃ誰がしたんだ、こりゃ臭い、などと言って騒ぐが、名乗り出る者はいない。さては屁玉が外から飛んできたのだろう、という人がいたので、ならば私が魂結び(たまむすび)して屁玉を鎮めましょう、と詠んだ歌がこれ。

すかし屁のぬしは誰とも知らねども ふるうてくれな下がひのつま(屁をすかしたのは誰か知らんが、着物の下前の端っこをゆらすのはやめてくれ〜)



 こんな調子。一読すれば、雅望という人の〈屁〉についての通人ぶりと戯作の精神に感心するわけさ。雄弁に〈屁〉を語る手際はお見事。エピソードを並べていき、〈屁〉を語る気分がエスカレートしていく妙味がこの作品のポイントである。最初に改行なしの原文を読んだときにはゴチャゴチャした印象だったが、改行を入れてみると、簡潔に場面転換していく、ノリのいい構成になっているではないか。

 ここに詰め込まれているのは@屁の生理的根拠A恥や無礼という現象B屁の隠蔽C屁の出世D屁の出家(未遂)E屁の訴えF坊主の屁G異名が示す屁の四態H屁の音義I身勝手な屁J屁の徳は文武の道K人の最期屁L仲間内の屁…と多彩。何の脈絡もないような〈屁〉つながりであるのに、これが面白可笑しく読ませるんだね。

 一言=詰め込まれたエピソードが回転しつつ、人生論風の〈屁〉的現象が雅望の「下がひのつま」から見えてくる〜。
posted by 楢須音成 at 19:33| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月14日

〈屁〉を恥じる女がジタバタして深みにはまる〜

 今昔物語のような説話集仕立ての作品が石川雅望にある。この『しみのすみか物語』(1802年)の中に「遊女放屁せる事」という一編があって、前にも紹介した遊女の屁の小咄を彷彿させる筋立てである。遊女の屁が雅望の手になるとどうなるか。

 例によって音成のテキトー訳をやってみる。こんな話である。


 色ごのみの男、心通わせていた遊女のところに出かけ、二人寄り添い寝ころんで語らっていた。この遊女、便意を催して厠に行きたいと思い詰め、気もそぞろになって語らっているうちに、思いもよらぬ大きな音で高やかに鳴らしてしまった。さすがにバツが悪い。黙っているわけにもいかず、男に向かって「ただいまの音、お聞きなさいましたかしら」と言う。
 男は何と言っていいかわからず「愛しい人よこちらへいらっしゃいな」などと話をそらそうとするが、女は「いやいや」と拒み、身を隠しながら言うのだ。「およそ夫婦の語らいは、神に誓って仏に祈って、古歌にあるように『松山の波』にかけ『野中の清水』を汲んで、変わることのない、忘れることのない契りを交わすものですけれど、人の心に秋風が立てば、次第にお互いよそよそしくなって、最後は別れてしまうものですよね。というのも、もともとの愛情が軽々しいもので、かりそめの、いい加減な心で逢い始めたものであれば、うつろう心もまた軽はずみに流れていくのです。本当に誠実な人はそうではありますまい。だからこそ私は恥を捨てて、あなたの心を見ようとしたのです。どうですか、ただいまの音で私を思ってくださる御心は冷めてしまったことでしょうね。ならば御心は薄情なのでございます」
 男は驚き「どうしてそんなことをおっしゃる。『羽をならべ枝をかわさん』と契ったのを偽りだと思いなさるか。少しばかりの過ちがあったとしても、契ったことをどうして違えましょうか。そのように疑いなさるのは、何とも心外ですよ」と答える。
 女は内心「うまくやった」と思って「それではこのような過ちをしたからといって、御心に嫌気がさしたとは思われないのですね。なんとまあうれしい御心でございますわ」と言って、寄り添おうとしたとき、またまた大きな音を鳴らしてしまった。男、顔を袖でおおって「どうしてそのようにひねくれて疑うのですか」。
 何ともおかしい男女の語らいである。


 雅望によれば、この作品集は旅人が様々な物語をするのを聞いて書き留め反古にしていたものを、女の子が仮名にしてと頼むので、筆のすさびに少々創作をまじえて書いたのだという。その反古に「しみ」という虫がところを得て棲み着いていたのが「しみのすみか」と名付けた由来である。

 原文は和漢の古典からの引用が効果的に使われた上品な擬古文となっている。平安の男女を思わせるような言葉のやりとりである。この話のオチのパターンは当時広く流布していたようで、遊女と屁のいろいろな小咄になっているわけさ。中重徹の「一発」に紹介してある話を紹介すると─。


 馴染みの客の床で一発やってしまった女郎が、すました顔で、「必ず笑いなんすな。わっちゃあ、ぬしを客衆とは思いせんぬ。やっぱり亭主だと思いんすによって、こんな恥ずかしいことをしんした。かならず悪く思ってくんなんすな」「なに、おれが悪く思うものか。そう心に隔てのないのが、やっぱりありがたいわな」「そういってくんなんすりゃあ、わっちもうれしいけれど」という口の下から、また一つ、ぷいとひれば、客「ハテ、疑い深い」
                                ※「下司の知恵」1788年


 似たような話は手塚正夫の「臍下たんでん」にも紹介されていたね(「江戸の遊女の〈屁〉の扱い方」参照)。こちらの遊女は自分の屁を「今のは何(の音)でありんす」ととぼけるのだが、男は「お前の屁だ」と承知している。あららバレたかと思ったが、意外にも男が「おれを心易く思い、まことの夫婦と思い、打解けたる心ゆえに、出たものであろう」と喜んでしまう。そこにまた遊女の一発。男は「さてさて疑ぐり深い」とあきれる話である。

 さて、雅望の創作は、こういう江戸のしもじもの話を下敷きにしたものであろうが、平安の擬古文で上品さを醸しつつ、心理の綾にとぼけた可笑しみを増量して作品の質を格段に上げている。筋立ても語り口も繊細になっているのは雅望のネライであり技量だね。

 話は@女が意図せず屁をしてしまうA女はその粗相を取り繕うために意図してやった(ワザと大恥をかいた)かのように主張するAそして恥をかいて零落した(無作法な)自分を愛せるかと開き直って男を逆襲するB男は驚きつつ女に愛を確認(主張)するCその途端にまたもや女は粗相するD男は(女の尻のしまりがないのだとはつゆ疑わず)ナント疑い深い女だと戸惑い、あきれる…という筋立てである。雅望流の展開は男女のやりとりが繊細なだけに、言葉を尽くす女の欺瞞的な振る舞い(これを可愛いという男もいる?)を浮き立たせる。このしつこく言い募る女のリアクションが眼目になっているわけさ。

 男は女の欺瞞に気づかない鈍感さ(純朴さ?)で応えるのだが、小咄に比べれば、雅望の筆致は屁や女の振る舞いに辟易している男の様子をしっかり滲ませているね。女の「勝利」が確定したかに見えた瞬間、またもや制御できぬ女の屁が放発して、すべてをぶち壊しにするかと思いきや、疑うことを知らぬ感度のズレた男(女が願うように振る舞う男)の一言が可笑しく響く。

 まあ、他愛がないと言ってしまえばそれまでだが、ここには紛れもなく〈屁〉が恥をキャッチボールしながら現象しているわけさ。それにしても制御を逃れ跋扈する〈屁〉は、そいつの人間性を浮き彫りにしてやまぬわい。

 一言=今も昔も可笑しく哀しい〈屁〉のリアクションさ。これは素直に「ごめんなさい」が言えず、なりふり構わずあらぬ方に振る舞ってしまう、女の〈屁〉的現象であ〜る。
posted by 楢須音成 at 23:10| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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