万葉の戯咲歌(ぎしょうか)は大抵内容そのものに可笑味(おかしみ)があり、其の可笑味が短歌の形式によつて表現されて居る。之に較べると古今の俳諧歌(はいかいか)は、別段可笑しくもない事をば、可笑味のある言葉で以て詠まれて居るのが多い。歌の修辞が段々進んで来た結果と見るべきであらう。狂歌としては戯咲歌の方が一等勝れて居る。何となれば戯咲歌の可笑味は言葉が描写する可笑味であるが、俳諧歌のそれは言葉が創造する可笑味であるからである。可笑味の性質としては言葉が創造する可笑味は、第二次的のものであるからである。江戸時代の狂歌も大体は古今集のそれの様に、言葉の可笑味であつて、内容の可笑味ではない。だからまことにくだらない。
まとめると、こうなる。
万葉の戯咲歌=おかし味のある現象を「言葉が描写」する→第一次的なおかし味の発生
古今の俳諧歌=おかし味を「言葉(の表現)が創造」する→第二次的なおかし味の発生
あるいは、金子は次のようにも言い換えている。
万葉の戯咲歌=卑俗な(ありのままの)滑稽/内容上のおかし味
古今の俳諧歌=優雅な(言語遊戯的な)滑稽/言葉上のおかし味
ここから、江戸時代の狂歌はおおむね古今集の俳諧歌の系統であるが、本来の狂歌らしい正系の狂歌は戯咲歌の系統であるというのが金子の主張である。示されている実例をあげる。
大伴家持の戯咲歌
石麿に吾もの申す夏痩によしといふものぞ鰻とりめせ
痩す痩すも生けらばあらむはたやはた鰻をとると川に流るな
大伴家持が石麿という激痩せの人に「痩せっぽちの石麿にもの申す。夏痩せに効くというウナギを捕って食べてみたらどう」「いやいや、痩せっぽっちでも生きておればこそ。もしかしてウナギを捕ろうとして川にはまったりしないように」とからかっている。
古今の俳諧歌
山吹の花色衣主やたれ問へど答へず口なしにして(素性法師)
梅の花見にこそ来つれ鶯のひとくひとくと厭ひしも折る(読人しらす)
こちらは「山吹の花色(黄色)の衣の主は誰なのだろうか、いくら問うても答えないのは(黄色の染料はクチナシなのだし)口がないからさ」と色にまつわって技巧的に掛け合わせた言葉を選んでいる。次の歌も「梅の花を見に来たのに、鶯のやつが、ひとく(人が来た)ひとくと鳴いて私を厭がったので枝を折ってやったよ」と鳴き声と言葉を引っ掛ける技巧で成り立っている。どちらも、そのこと自体のおかし味は薄いのだが、連想や語呂合わせの言語遊戯によって笑いに走っているわけである。
と言つて古今集時代には俗意俗調を以て、ありの儘の滑稽を尽した狂歌らしい狂歌が無かつたと言ふのではない。
竹馬はふしがちにしていと弱しいま夕かげに乗りて参らむ
「袋草子」に出て居る壬生忠見の歌である。内裏から召された時に乗物が無いと答へると、重ねて、では竹馬にでも乗つて来いとあつた際に詠んだものである。或は、
昔より阿弥陀ぼとけのちかひにてにゆるものをばすくふとぞ聞く
藤原輔相字藤六がある下司の家へ入つて、家人の留守中に鍋の粥を抄ひ上げて食べようとする時、折悪しく見つけられ、三十一字の詭弁を弄したのである。「宇治拾遺物語」に見えて居る。探せばいくらもあらう。是等は所謂俳諧歌とは多少趣を異にする。狂歌らしい狂歌である。
つまり優雅な滑稽、言葉の上の可笑味を旨とする俳諧歌と、卑俗な滑稽、内容の上の可笑味をねらふ狂体の短歌が共に存在したのである。さう言ふ短歌を狂歌と呼んだのは鎌倉時代以後であらう。しかとした名称が与へられなかつた程、俳諧歌に圧倒されて居たのである。けれども圧倒はされても、之が後世の狂歌の正系である事に疑はない。正系ではあるが此の種のものは至つて少い。
かくして狂歌には二つの流れがあるのであるが、その正系とは、万葉の戯咲歌に発する「おかし味」をはらむものなのであ〜る。
金子が言ってきたことは「おかし味」というものの成り立ち(本質)をふまえているわけだね。この「おかし味」には「内容上」のものと「言葉上」のものがあって、より本質的なのは「内容上」のものだというのである。まあ、それはそう。何か(おかし味の)現象が先行しなければ言葉もないのだから、つまりは人間の表現力というものは、眼前や脳内の現象に対し、次第に言葉の自律運動を取り込むことによって現象を超えようとする(=現象を支配しようとする)と言わねばならないのである。
さて、ここで〈屁〉である。〈屁〉は現象である。しかも〈屁〉はそれ自体によって「おかし味」のある現象であるといえるね。だから〈屁〉の狂歌は正系に属するのだよ。(なぜ〈屁〉がおかしいのかは、これはこれでまた別の議論になるのだが)
しかし当時としても、あまりに卑俗すぎるためか、万葉集にも古今集にも〈屁〉は詠まれることがなかった。詠まれるようになったときには、すでに狂歌は和歌に対して一つのジャンルとして成立していた(意識されていた)のである。それが鎌倉時代以降だ。狂歌がのびのび開花するのは江戸時代だが、このとき〈屁〉は有力な現象(題材)として百花繚乱した。例えば、こうである。
七へ八へ屁をこき井出の山吹のみのひとつだに出ぬぞよきけれ(四方赤良)
※七重八重とばかりいくつも屁をこき、井出の山吹のような黄色の中味がひとつも出なかったのはめでたいなあ。(太田道灌のエピソード「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」を下敷きにしたパロディ)
すかし屁の消えやすきこそあはれなれみはなきものと思ひながらも(紀定丸)
※すかした屁の消えやすくはかないことこそしみじみ心が動かされるなあ、中味のないものだと思いながらもね。(そもそも屁は「実体がない=実がない」わけである)
ひいふつとすゐはの征矢の高なりはぶゐさかんなる響なりけり(竹杖為軽)
※ヒイフッと放たれて飛んでいく水破の矢の高鳴りは、武威(ブイ)さかんな響きであるよ。(矢を放った人が屁をこいたのを見て矢の高鳴りを笑ったのか、な?)
へゝゝゝゝへゝゝゝゝゝゝへゝゝゝゝへゝゝゝゝゝゝへゝゝゝゝゝゝ(加保茶元成)
※解釈自由の「へ」のリズム。洒落っ気。(回文の歌として詠まれたもの。シュールだねー)
こんな調子で堂々と〈屁〉が登場するようになる。〈屁〉の狂歌を眺めていると、そこに表現された〈屁〉の「おかし味」というものは「内容上」と「言葉上」の両方において成立したものであることがわかるね。
さらに狂歌に登場する〈屁〉は技巧的だ。言葉の遊戯の頂点をめざそうとしている。もともと「おかし味」の一翼を担っていた〈屁〉というものは、異音・異臭の無作法ゆえに、当たり前の顔してサラリと詠めないのである。それは相当の人格と技量を要する。(ビールと液晶ぐらいの?…笑)
そもそも人は昔から〈屁〉と聞いただけで笑ったり仰天したりするのだし、そのまんまで、行為も言葉も屈折した「おかし味」を誘発するのだ。こういう〈屁〉だからこそ「おかし味」の表現は加速せざるを得ない。しかも我々がする〈屁〉談義といっしょで、表現の陳腐化もめっぽう早い。詠み手は陳腐化の危機にもめげず、しゃにむに〈屁〉の狂歌は新手の技巧や趣向に爆走していくことになるのである。
それにしても〈屁〉というものは、万葉と古今の「おかし味」の歴史的発展の果てに、二つの系統を統合する現象として躍り出たのであり、めでたく開花したのであ〜る。それができたのも正系であるがゆえである。まあ、川柳とは違って〈屁〉の言語遊戯が横溢するのは狂歌の一人舞台だねェ。



