2008年02月07日

〈屁〉の観念性を孕んだ花になる〜

 屁糞葛(ヘクソガズラ)という植物がある。葉や茎から発する悪臭がもとでこんな名前を付けられたのである。そこまでズバリ言わんでもと思うし、あからさまで遠慮がないというか、まあ、あっけらかんとしているといえばいえるね。感心するのは、ヘクソカズラは季語として、正統に詩歌に詠み込まれていることだ。

 Googleで「ヘクソカズラ」を検索してみたら54,000件もヒットした。植物愛好家が丁寧な解説をしてくれている。まあ、この名前には同情的な人が多いね。姿は可憐な花なのだ。ちょっとリンクを辿ってみるといくつか俳句や短歌が拾える。結構ある。
みなでかぐへくそかづらのへのにほひ 三宅やよい
へくそかづらてふ名にも似ず花やさし 新倉美紀子
団塊の世代へくそかずらかな     中島まゆみ
葛を吹くへくそかづらを吹きし風   後藤夜半
表札にへくそかづらの来て咲ける   飴山實

くだらぬ物思ひをばやめにせむ 何か匂ふは屁臭葛か        若山牧水
秋さればへくそかづらの花にさへ うすくれないゐのいろさしにけり 尾山篤二郎

 広辞苑では「アカネ科の蔓性多年草。山野・路傍などに普通。葉は楕円形。全体に悪臭がある。夏、筒形で、外面白色、内面紫色の小花をつけ、果実は球形、黄褐色に熟す。ヤイトバナ。サオトメバナ。古名、くそかずら。漢名、牛皮凍。季語、夏」とある。ヤイトバナ、サオトメバナという別名を持っているね。

 ヤイトはお灸のこと。ヤイトバナとは、紅紫色の花の中心がお灸をすえたあとのように見えるからとか、子供が花冠をはりつけてお灸遊びをしたからとか言われている。サオトメバナ(早乙女花)というのは、その可憐な花の姿からだろうけど、賞めすぎという人もいる。まあ、どちらも、ありがちな(普通の)ネーミング法ではあるね。

 しかし、いくら臭いとはいえ、可憐な花にヘクソカズラという命名はどういう動機なのか。古きを訪ねると万葉集にヘクソカズラの歌が一首だけ出てくるが、そこでもそのココロはうかがい知ることはできない。
 さうけふに延(は)ひおほとれる屎葛 絶ゆることなく宮仕へせむ 高宮王(たかみやのおおきみ)
 ※ソウキョウ(カワラフジ、サイカチ)の木にからみついたクソカヅラのように、絶えることなくいつまでも私は宮中にお仕えします。

 ヘクソカズラは、昔はクソカズラと言ったことがわかる。そこに、あとになってトドメを刺すように、これでもかと「糞」の上に「屁」を付けたわけだ(意地悪な強意=イジメか?…笑)。まあ、イヌフグリとか草木にはとんでもない名前もある。これなども「犬の金玉袋(ふぐり=陰嚢)」を連想させない、春に咲く可憐な青紫の花だ。平然と詩歌に詠まれている。別に奇をてらっているわけではないからね。
いぬふぐり星のまたたく如くなり  高浜虚子
犬ふぐりはりつきて咲く地べたかな 細見綾子
犬ふぐり野川かがやきついて来る  米谷静二

 この平然と詠まれるところが何ともなところだ。もちろん、句に悪い印象などみじんもない。さりげなく句は早春の道端の鮮烈な光景を浮かび上がらせるのだ。このとき「犬の金玉袋」は言葉通りの意味をなしてはいないわけさ。意識は(普段は違う意味で使っている)「犬の金玉袋」を口走りながら可憐な花を真面目に意識しているのである。ここに名前(言葉)の不思議がある。そういう意識(命名)の二重構造(落差)は意味性の輝きを隠微にリフレッシュする仕掛けとでも言おうかね。それは日常性が淘汰される構造の一つだ。この心的運動の刺激は純真でもないかな。

 さて、ヘクソカズラの場合、同型とはいえ少し様子が複雑である。イヌフグリは小さな果実の形状が「犬の金玉袋」に似ているためにそういう名前が付いたというのだが、ヘクソカズラは臭いニオイだからなのだった。片や視覚(形状)で、片や嗅覚(ニオイ)である。ニオイからストレートに形象化されたのは「屁」であり「糞」であった。このニオイは糞便臭という、人類にとって最も根源的な悪臭なのだ。ヘクソカズラはこのニオイをいつも発していて、まあ美人が常時、透かし屁をしているような状態なのだねー。
  
  ヘクソカズラ=可憐な花→臭いニオイがする→屁、糞
  イヌフグリ =可憐な花→果実が犬のふぐりに似ている→犬、ふぐり

 ここで気がつくのは、ヘクソカズラ(屁と糞)は見えないものから連想されていることである。嗅覚によって花が不意撃ちされている。もともとの古名がクソカズラだったわけで、当初は「糞」だけの連想だったのだ。これに「屁」が付いた理由は端的に「糞」だけでは物足りなかったからなのさ。つまり「屁」こそが表現の構図の本命なのである。

 可憐な花にニオイが漂うとすれば(糞など見えないのだから)むしろ屁でなければならないのであ〜る。

 前出の詩歌を味わってみよう。「団塊の世代へくそかずらかな」とか「みなでかぐへくそかづらのへのにほひ」とか、ヘクソカズラは風景を超えて我々にある種の観念性や行為を呼び起こすことも可能にしているね。イヌフグリ(の姿)は「犬ふぐりはりつきて咲く地べたかな」のように風景の中に慎ましく輝くのみだが、ヘクソカズラ(のニオイ)は我々のいろいろな思いや動きを分泌するのである。ヘクソカズラにあるのは、まさに〈屁〉ゆえの功徳(〈屁〉の観念性)と言わねばならない。

 ヘヒリムシも功徳の多い虫であったよなァ。

 一言=「糞」葛に「屁」を付けたのは美人の(糞ではなく)透かし「屁」に耳を澄まして思いを語るスタンスなのであ〜る。


posted by 楢須音成 at 07:36| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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