2006年06月04日

〈屁〉談義はいと滑らかに流れる〜

 〈屁〉談義はいつでも面白オカシイものであるが、なぜにこうも滑らかに流れるのであろうか。屁のうんちくは興味をそそり、屁にかこつけたとんでもない議論が笑われ、語呂合わせや駄洒落も際限がない。かくして〈屁〉を語る人種は多いわけだね。(音成は普段は〈屁〉については一切口にできない環境にあるんだけどさ...笑)

 内田百間の『居候匆々』(1937年)はそういう他愛もない〈屁〉談義を展開している。この小説は別に〈屁〉をテーマにしているわけではないのだが、話のついでに出てきたという感じで〈屁〉が取り上げられているわけさ。

 万成青年(学生)が居候しているネコラツ(吉井)先生の家に、オットセイ(三門)先生が招かれて宴もたけなわのところで、酔ったオットセイ先生が〈屁〉談義を一席打つ場面から紹介しよう。


「(万成青年に向かって)『おい、フルツは知ってるね』
 『知りません』
 『何、忘れたのか、仕様がないね。ご婦人の前で失礼だから、独逸(ドイツ)語を用いようと思ったが、知らないなら仕方がないから、原語で行く事にしよう。フルツは屁だよ』
 『あはは屁の方が原語ですか』とネコラツ先生は面白がった」


「『フルツの要素は何ですか、三門さん』
 『屁の成分はヘノールPhenol、スカトールSkatol、キノールQuinol、インドールIndol、アンモニア、硫化水素、揮発性有機酸類』
 『こりゃ驚きましたね』
 『その仕舞いの方の奴が、ネオンサインの中で輝いているんじゃないか、おい万成博士、それを慕って君達はほっつき廻るのだろう』
 『まあ、先生はいろんな事に、おくわしくて入らっしゃいますわね』
 『そりゃ奥さん、僕はこれでも、東京ヘー国大学ブー学部で学理の蘊奥(うんおう)を極めましたからね』
 『あら、それでどう云う事を御研究になりましたのでしょう』
 『僕ですか、僕の研究題目は、ヘストリー・オブ・オナラジーHistory of Onalagy、ヘストリア・ヘノリカHistoria Phaenolica』
 『まあ』
 『まだある、ヘマンシペーション・オブ・ブーマンEmancipation of Woman』
 『何だか私共にはよく解りませんけれど、みんな思わせ振りなお名前ですこと』
 『おい、万成先生、君は山上の垂訓を知っているだろう』
 『いえ、知りません』
 『知らないか。君は信仰がないね。信仰のない青年は堕落するぞ』
 『はい』
 『イベス・ブリストJesus Christの山上の垂訓に曰く、屁をひる者は幸也』


「『リーダを教えるにも、イットそれが、エ・キャット一匹の猫で、イズある、と云う風にやるのです。何かの文章の途中にbut peopleと云うところがあってね、矢張りその流儀で行くと、バットしかしながら、ピープル人民が、と教えるのだが、当時はまだ英語の発音なども滅茶苦茶で、Peopleをピープルと器用に読む事が出来ない、ペオプルですましておくのです。butは綴りの儘ブートと読む。この話は夏目漱石の生前に直接聞いた話なんですがね、吉井さん』
 それでネコラツ先生も好奇心を起して、
 『どう云うお話なんですか』と先を促した。
 『それが運悪く、その英語の先生が東北の人だったので、ずうずうだから、しかしながらなどと、はっきり云えないのです。ブーとすかしながら、屁をふる人民が、と云う様な事になってしまった、あははは』」


 こんな調子で延々と続くのだが、人によっては「何がオカシイのだ」ということになる。〈屁〉談義を会話の中で堂々と滑らかに展開している小説というのは(あまり)ないから、内田百間の創意はこれはこれで素晴らしいと思うわけさ。当時の〈屁〉談義の様子を彷彿とさせるね。

 小説では万成青年が通っている学校の教師たちの隠微な確執や教師夫婦の不倫騒ぎを軸に展開する人間模様が描かれている。ストーリーは中途半端に途切れていて(新聞連載が廃刊で途絶えたため)成功した小説とは言えないが、〈屁〉談義はそういう小説の流れとは全く無関係に自立して読めるところが面白い。

 一般に、こういう〈屁〉談義はハ行、バ行の音に着目するんだね。その滑稽味に引きずられて言葉の連想や論理が勝手に飛躍する。「東京ヘー国大学ブー学部」という連想は最初に考えた人はなかなかのもんだと思うよ(そして、すぐに陳腐化するのが〈屁〉談義だけどね)。

 自立した〈屁〉談義は一人歩きする。屁ほど身近なものはないから、それなりに身につまされる滑稽にして不思議な挿話となるのである。そういう〈屁〉談義を見事に組み込んだ小説はこれからも現れるだろうか?

 一言=この小説は、その〈屁〉談義によって登場人物の博識(の広狭さや浅薄さ)を表現したのであ〜る。


posted by 楢須音成 at 23:37| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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