2006年03月30日

〈屁〉が情の深みに現象するときがある〜

 エッセイにおける〈屁〉的現象もまた作品化の方向を示すのである。金沢恒司の『放屁学概論』(1956年)は〈屁〉をネタにしたエッセイ集であるが、首尾一貫した〈屁〉談義の終章で意外な物語を提示している。

 この本はエッセイ集として身辺の〈屁〉談義を100コマぐらい積み重ねて構成されている。もともと釧路新聞の連載なんだね。新聞記者である金沢の生活が身辺小説のような趣で伝わってくるのだが、連載の終わりの方で夭折した歌人の中城ふみ子が登場する。
 金沢と中城は古い知り合い以上の関係があったのさ。


「私(金沢)が十八。彼女が二十一、私は帯広で手広く雑貨商を営んでいる野江家(ふみ子の実家)で働いていたのである。つまりそこのお嬢さんが、ふみさんで私は、いわば小僧の立場であつた。そしてその小僧を何くれとなく可愛がつてくれたふみさんが、お嫁に行く晩、私は惜別の涙をみせまいとして倉庫の味噌樽の陰で泣いた」


 そのときから十五年ぶりの再会の機会が訪れる。中城はまだ無名で、札幌の病院で病床にあった。同じ札幌にいた金沢は出かけていく。


「ふみさんは至極元気であつた。昔のふみさんと寸分も変つていなかつた。美しかつた。私は乳ガンという病気の組成の恐ろしさを知らなかつた。余り元気なものだから、その調子ならもう退院出来るねなどと言つたりした。
 そして彼女がとつてくれた、親子丼をお互いつつきあいながら、昔の話に花を咲かせた。すると彼女は親子丼を食べながら、プクプクプクと、まるで水面に浮いてきたアブクのようなおならをした。
『だらしないな、ふみさん』
 私にはふみさんは姉も同然だつた。私は彼女の不作法をなじつた。
『すみません』
 彼女はそう言つて、ぴょこんと頭を下げた。言い訳はしなかつた。
 そのふみさんのおならが、彼女の乳ガンと直接関連を持つていることを私は知らなかつた。病窓を通してこぼれるような夏花が、ふみさんの背後で大きく展開していた」


 この頃、中城は病に呻吟しながら旺盛に作品を生み出していたわけである。ここで「おなら」は不思議な存在である。二人がここまで別々に積み重ねた時間を押し分けて「プクプクプク」と現象する「おなら」は、二人の人生のあらゆる意味(思い)を背負うんだね。(少なくとも金沢にとって)

 中城の「伝説」は小説を含めていろいろに流布しているけれど、読者はこのようなエピソードをどのように(中城ふみ子像として)位置付けるだろうか。アクビでもゲップでもイビキでもない、ほかならぬ〈屁〉であることによって特異な物語を提示するわけだが、金沢は〈屁〉を無視することはできなかったんだよ。


「それからそこばくの日が経つた。中城ふみ子は「短歌研究」の自選五十首の懸賞募集の一位を占めて、華々しく日本文壇に登場した。そして近く川端康成の序文で、彼女の歌集花の原型≠ェ早くも出版される運びとなつていた。
 中城ふみ子の存在は、早くも文壇ジャーナリズムの眼には、朔北の病室で乳ガンを病む、彼女に一様の好奇と驚異を以つて迎えられた。
 私は十日間程のヨテイで、千歳、室蘭方面に、リポートを取りにゆく旅装の姿で、彼女の病室を訪づれた。
『ふみさん、よかつたネ』
 私は彼女の首途を祝つた。ふみさんは別に歌集が出ることに感動しなかつた。
『出版社の方で題名を乳房喪失≠ノするつて言うのよ。いやだ。私は花の原型≠フ方がよい』
 と彼女は言つた。
 暑さが激しかつた。彼女は時折り、はばけるように苦しくせきこんだ。そして、それと同時に、彼女とここで会つた時と同じように、プクプクプクプクプクとあたかも水底から浮かび上がつたアブクのような、おならを、彼女はした。私は、もうそれを責めはしなかつた。
『ゴメンなさい。』
 彼女の方で、てれた。
 私は故意に鼻タボをくちゃくちゃにして犬のような真似をして言つた。
『匂うところを見ると、まだ大丈夫、そう簡単に死なないや。おならが生きてる。アセチリンの匂いと、お袋の肌の匂いを混ぜ合わせたような匂いだ』
『ウフ、恒司さんも大人になつた。何んだか知らないけれど、ありがとうと言うわ』
 彼女はそう言つて静脈のすけて見える白く小さな手を差しのべた。
 私は立ちあがつて握手した。ふみさんの手のぬくもりが、私には、かつてこの人に感じてはならなかつた女を始めて意識した。
 私は千歳で三日間滞在して、リポートをとると同僚のYと、室蘭に向かつた。
 室蘭での日程は二日で、ここでは主として室蘭水族館の魚族の生態をカメラに収めるのが目的であつた。そして後の五日間その日程を洞爺湖で過す事になつていた。その水族館のカレイの水槽の前に立つた時、私は生きたカレイの美しさに思わず足をとめた。あの平つたいカレイが水槽の底から、ひょいひょいと体をもたげて、ひらひらとアブクを立てながら水面に向つていくさまは、美保の松原で天の羽衣が天空に舞い上がつてゆくような幻想と似通つていた。アブクとカレイ。それは、私には中城ふみ子をほうふつさせた。
 私の同僚のYとの遊行の日程は終りに近づいていた。その最終日、私は洞爺の温泉でふみさんの死を知つた。死因は窒息死であつた」


 水族館の描写はやや上ずった感もあるが、余計な説明などいらない、そのまんまの情景で物語と化しているね。かくして、〈屁〉というものは濃縮した人生の時間を映して眩しく現象することだってあるのさ。

 一言=この作品を措いて、これほどに〈屁〉を美しく語った作品はな〜い。


posted by 楢須音成 at 08:14| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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