2010年07月19日

お尻は〈屁〉の道へと通ず

 我々が〈屁〉を自由に操るためには、お尻の器用さが要求される。そのお尻とは何だろうか。肛門外科医の視点からお尻まわりを検分すれば、当然ながら肛門を中心にした観察となるわけだ。そこは〈屁〉の通り道なのだ。

 苦しみや痛みからの解放を願って『便秘と痔で泣かない本』(三枝純郎著、1980年、主婦の友社刊)は書かれている。こういう(痔の)本にメインで〈屁〉が取り上げられることはないにしても、全くないわけではないのである。

 実際、この本には〈屁〉が随所に登場するのだが、といって著者の三枝は〈屁〉に特別な思い入れがあるわけでもないようだ。まあ淡泊なんだけど、よく見ていてその観察は切実。そして可笑しい。(痔の人には申し訳ないが)

 手術後の〈屁〉についてこんなアドバイスをしている。観察ではキレイとかキタナイというのは超絶しなければならないよ。
 もう一つおならの出し方。便のやわらかいときにおならをすると、ほんの少々だが、便がプチッと出ることがある。多少にかかわらず、ウンコが傷を刺激すれば痛い。これを防止するには、おならが出そうだと思ったら、即、腰から背中にかけて大きな枕をあてがい、肛門を高い位置に持っていって、お尻を十分に広げてしずかに出すことである。肛門括約筋がゆるんで楽におならが出る。また、出口を上に向け、肛門の下に直腸がぶら下がる形になるから、こぼれる心配はないし、便は直腸の奥のほうへすみやかに戻る。また、おなら一つのおかげで排便感もおさまる。

 ここで〈屁〉は厄介者であるが、この厄介者をいかに(器用に)処理するかのコツが述べられているわけさ。ポイントは肛門括約筋をゆるませること。そのために、あえて肛門の位置や姿勢を工夫することが求められている。

 一般に肛門という奴は放屁や排便に際して自由がきくようできかないように感じる。そういう場合が多々あるよねェ。それは内肛門(不随意筋)と外肛門(随意筋)の機構上の問題だけでなく、肛門の制御は切迫する放屁や排便がはらんでいる個々の状況(ガス膨満とか下痢腹とか痔とか)にも強く左右されるからだ。

 しかしまあ、身体の機構はある法則性を持ってつくられているわけで、一定の刺激に対して律儀に反応するのである。
 肛門とは実に妙なもので、お尻を高くすると自然にゆるんでしまう。要するに、体位(体の向き)によって肛門括約筋が反射的に弛緩するのである。この反射運動は人によって強弱があり、私は診察体位として肛門高位誇張採石位を用いているが、腰枕をぐっと押し込んだこの体位(仰向けで両足を上げて肛門を見せる体位)をとらせると、それだけで肛門がパカンと開いてしまって、何もしなくても直腸の中まで見えるといった便利な人もいる。そのほか直腸鏡で検査するときの体位として私の愛用している膝位(うつ伏せで少し体をひねり片肩と両膝で体を支えて尻を突き上げた体位)に際しても同様のことが往々にしてある。
 また、肛門括約筋は呼吸と同調してゆるんでしまったりする。つまり、息を吸い込むとしまって、吐くとゆるむ傾向がある。
 以上は実におもしろい現象であるが、いったいどうしてそうなるのかというメカニズムは、まだあまりよくわかっていない。(中略)
 しかし、どうしてそうなるのかといった機構はわからないでも、この機構を診断治療面に利用することはできる。たとえば、診察のときには、ゆっくり深呼吸させておいて、ちょうどその呼吸にタイミングを合わせて指を中に入れるとか(こうすると比較的抵抗が少なく指を入れられる)、そのほかいろいろと応用ができる。
 また、肛門は呼吸で出たり入ったりする。試しに大きくゆっくり深呼吸してごらんなさい。深く息を吸い込むと、肛門が持ち上がるのがわかるに違いない。次には、息を吐き出すと肛門が押し出されるのがわかるはずだ。肛門は生きている、という実感がわく。

 生きているという実感は、単に肛門が呼吸で動くだけでなく、まるで自分のものではないように(不随意に)動いているように思うからだ。身体は我々の「思い」を超えて反応している。
 もう一つ試しに、例の膝位をとってゆっくり大きく深呼吸を繰り返してごらんなさい。人によっては肛門が開いたりしまったりして、空気がここから出たり入ったりする。おならというのは肛門から出てくる気体のことをいうのだろうが、それなら、外から入ってくる気体は何というのだろう。らなお、かな。おならには音を立てるのと立てないのと二種類あるが、音を立てるほうが立てないほうよりくさくないという俗説は、あまりあてにはならない。中には、こうした体位で直腸鏡を挿入するときに、外の空気を吸い込んでボコッと音を立てる肛門もある。あれは吸い込み音だから、おならに属さないのかもしれない。もっともホッテントットは吸気で発音するから、そうなると、これもおならということになる。

 三枝は「息をするお尻」と言っているが、ここには肛門から出てくるのではなく入っていく空気があることを指摘しているね。これは誰もがそうではないにしても、基本的な身体反応として位置づけていいのだろう。これが発展(進化?)すると、ポンプのように大きく空気を飲み込むことが可能となる(はずだ)。

 いや、肛門から吸引できるのは空気だけではないのだ。フランスのマルセル・パニョルの『笑いについて』(鈴木力衛訳、1953年、岩波新書)には、こんなやりとりの実話が紹介されている。
 ――あなたの特技というのは、いったい何です?
 相手は重々しく口を開いて説明した。
 ――私は吸い上げポンプみたいな肛門を持っているんです…
 ジドレールは冷やかすようにこういった。
 ――そいつは面白い。
 相手は学校の先生のような口調でつづけた。
 ――そうなんです。私の肛門は非常に弾力性があって、思うままに開いたり閉じたりできるのです。
 ――すると…どういうことになりますかな?
 ――こういうことになるんです。この神の摂理による(?)吸引力によって…私はすすめられる飲物をいくらでも吸いこんでお目にかけます。
 ――何ですって、あなたはお尻から飲むんですか?
 ジドレールは呆気にとられ、好奇心に驅られて叫んだ。そして改まった口調でたずねた。
 ――お飲物は何になさいますか?
 相手も改まった口調で、
 ――大きなバケツに水を一杯いただきたいのですが…
 ――鑛泉ですか?
 ――いいえ、ふつうの水で結構です。
 バケツが運ばれてくると、男はズボンを脱ぎ、猿股には必要な部分に孔があいていることを示した。そこで、なみなみと水をたたえたバケツの上に腰を下ろし、彼はたちまちのうちにその水を吸い上げ、たちまちのうちに元に戻した。
 ジドレールはそのとき、部屋のなかにかすかな硫黄の匂いがただようのを感じた。
 ――ほほう、あなたはアンギャン鑛泉をおつくりになるんですか!
 男はニコリともせず、
 ――それだけじゃありません…ひとたびこうして、いわば洗いそそいでしまえば、私は無臭のガスをいくらでも吐き出すことができるのです。これこそ正に私の特技でありまして…何となれば、中毒症状の特徴は…
 ――え?…何ですって…ジドレールは相手の言葉をさえぎった。もっとわかり易く話してください…つまり、あなたは「おなら」をするとおっしゃるんですか?…
 ――ええ、まあ…そうなんで…でも、私のやりかたで行くと、どんな音でも自由自在に出せるんです。

 これは〈屁〉で芸をした19世紀末のムーラン・ルージュの芸人、ジョゼフ・ピュジョールという人のエピソードである。彼は〈屁〉を自在に操ることができる「おならの名人」だった。

 こう見てくると、やたら〈屁〉をこくだけでは達人ではないのさ。真の〈屁〉の達人(になれる人)とは、ジョゼフ・ピュジョールのように肛門に完璧な制御力を持つ人のことだと思うのだ。

追記:なお、日本での所見は聞かないが、フランスの医学者が放屁漢の肛門を調べたところ、直腸下端に空気の袋(気瘤)があって、これを圧迫することで自在に音を出したという研究もある。これは身体の特殊な変異を伴っているもので、あるいはそういう人もいるらしいね。いや、音成は違います。


posted by 楢須音成 at 02:01| 大阪 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
屁の達人は、みんな肛門を開いたり閉じたりしています。
Posted by 屁の達人 at 2015年07月31日 11:45
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