2009年07月11日

スカンクの屁と人間の〈屁〉

 あんまり臭い〈屁〉をするとスカンク(みたいな奴だ)と指弾されることもある。人間の〈屁〉は物体的には(悪臭透明の)気体だから一般には屁といえば気体の認識なのだが、スカンクの屁は気体ではない。人間の〈屁〉とは本質的に違うものなのだ。

 福富織部の『屁』にスカンクの屁の解説がある。
 鼬(いたち)の一種で最もはげしい放臭をもつてゐるのは、歐米のスコンクである。殊(こと)に北米のスコンクは、其の肛門腺が非常に發達して居り、敵が近接すれば、忽(たちま)ち尾を擧(あ)げて己れの存在を示し、近接する強敵があれば、如何にも『毒瓦斯を發散するぞ』と云はんばかりの姿勢を取る。つまりスコンクの擧尾とK白の體斑(たいはん)とは廣告標となる。その臭氣は十町(約1キロ)内外に達し、これに觸(ふ)れると、臭氣は少なくとも一ヶ月間は臭つて居る。其の臭液は仲々強き粘着性のもので、容易に取れない。一度其の臭液が附着すれば、少なくも、一週間は人と交際が出來ない位に臭ふのである。それが皮膚に附着すれば、一種火傷を受けた樣に疼痛を感ずる。其の體毛(たいもう)は所謂警戒色で、K色と白色の斑(まだら)をなし、如何にも目立つのである。彼れは悠然として闊歩して、他の動物に追はれても倉皇(そうこう=あわてる)として逃ぐる事はない。大なる尾を高く擧げて、追撃者に向つて其の臭液を發射する。三間(約5・5メートル)位迄は發射液が正確に達する。猛禽若(もし)くは猛獣の子供は初めは此のスコンクを追わないものはないが、一度其の臭液を發射せられた經驗を得れば、彼れは其の後、決して追撃する事はない。彼れは其の臭液を有するが故に、己れの存在を強敵に知らせ、其の近接を防ぐのである。恰(あたか)も蜘蛛が強敵に逢へば、己れの巣網を動揺し、弱き昆蟲が來れば毫も動かず、其の掛るのを待つているのと同樣である。此の他馬來(マレーシア)には臭狸(ラクーン)が居る。其の臭液を發射する距離は僅(わず)か一尺七寸(約50センチ)であるが、其の習性は正に前述のスコンクと同樣である。

 この記述は現代の百科事典と比べても基本的に遜色はないものだ。スカンクの屁の目的と機能はきちんと押さえている。

 人間とスカンクの屁を比べてみるとこうなるね。

スカンクの屁=液体(残留性高)/随意/外的脅威に対抗するため放出させる/攻撃は最大の防御
人間の屁=気体(残留性低)/不随意/外的にも内的にも脅威なので隠蔽する/制御の不能は自爆

 要するに、人間とスカンクでは、目的も機能性もゼンゼン違うものなのだ。スカンクの屁は我が身を守る「武器」だが、人間の屁は、意味のある目的や(それを遂行する)機能性はない。それどころか存在自体がやっかいな無用ものなのだ。

 だからスカンクについては、それを人間の〈屁〉のように「屁」と呼ぶのは間違いということになるわけだね。

スカンクの(屁のような)臭液=威嚇攻撃の身体機能
人間の屁=目的はなく(隠蔽したい)無用の身体機能

 動物の原始的な情動の背景からみれば、スカンクの(臭液の)放臭には「恐怖」が潜み、人間の放屁には「羞恥」が潜むと観察される。ただし、スカンクでは恐怖があるから放臭が行われるのだが、人間では屁が出てしまうから羞恥が発現する。

 人間の腸内からは目的もわからぬまま、屁とその脅威(恥ずべきものという威嚇観念)がどうしようもなく発生して、心的に居座ってしまうわけさ。

 スカンクと同様に肛門腺から臭液を発射して、危機を回避しようとする動物はイタチなどもそうだ。また、ヘヒリムシと呼ばれるミイデラゴミムシなどの昆虫類も、外からの脅威に肛門から黄色い霧状の臭いガスを発射する。昆虫には恐怖のような情動はないのかもしれないが、危機を察知するとストレートに身体反応を示すのだ。このような動物から昆虫まで生物界を見渡してみれば、人間の〈屁〉というものは極めて観念的な存在になってしまっていることがわかるねェ。

 とはいえ、音成は動物と人間のあるひとつの共通点に着目しているのであるよ。スカンクなどの臭液の主成分とされるのがブチルメルカプタン(C4H9SH)だ。化学式からわかるように硫化水素系の化合物なのである。これは糞便臭の主たる起源となる物質なのだ。屁においてもニオイの主成分は微量の硫化水素(H2S)、メチルメルカプタン(CH4S)などとされていて、水素と硫黄を含んだ物質のニオイが主たる起源になっている。

 生物が放つ悪臭は、この硫化水素系(糞便臭系)が大きな部分を占めると思われるねェ。例えば死体の腐敗臭だってもとを辿れば、究極の硫化水素系(糞便臭系)なのではないか。我々の身体(細胞)には陰に陽にさまざまに硫化水素系の(悪臭のもとになる)物質が働きかけて機能しているのではないか。福富織部の『屁』ではこういう指摘が続く。
 總(すべ)て猛禽でも猛獣でも嬲(なぶ)り殺しにされる場合には悪臭を發散する。それが為めに敵の食物とならないのである。野兎でも一度手負になしたるものは、其の肉に一種の惡臭を帯びて來る。鳥でも鳶でも鷲でも、其の肉は常に一種の臭氣を持つて居る。鶏も嬲り殺しにすれば、一種生臭き臭氣が現はれて來る。故に猛禽でも猛獣でも食肉類は、追撃して餌を捕食するよりも、不意に飛び掛つて直ちに殺すといふ性能を有して居る。之れ蓋(けだ)し臭液の體内(たいない)に行き渡るの閑暇を被食動物に與(あた)えない為めである。

 かくして身体現象の背後に硫化水素系の物質が働いているのを推測するわけなのだ。屁は身体機能の何らかの積極的な目的も機能もないように見えるのだが、それでも、やはり硫化水素系という身体の衣鉢は継いでいる放出物質なのであ〜る。

 屁が強力に機能しているのは多分に、我々に及ぼす心的な影響力だね。制御しにくい(できない)とか、恥ずかしい(恥だ)とか、隠蔽したい(できない)とかの結果、そのとき屁は〈屁〉となって我々に心的な葛藤を発生させる。そうやって単なる物質を超えてしまっている。

 スカンクやイタチだって肛門腺の臭液ではなく、腸内にガスは発生するだろう。それが放出されたとしたら、それこそは屁だろうが、人間の〈屁〉とは精神性が違うわけだよね。スカンクやイタチにとって、腸内ガスである屁は意識する意味のない(空気のような)現象にすぎないのだ。

 それにしても硫化水素という毒性の強い超危険物質が〈屁〉を介して人間の精神に遠隔的な影響を及ぼしていると考えると、それこそ深い危険の香りといえる(かな?)。

 ところで、スコンクなのかスカンクなのか。スペルの「skunk」を日本語でスコンクと発音すれば(今では使わないが)野球などで無得点で負けること。シャットアウトのことだ。このスコンク(skunk)と動物のスカンク(skunk)はもともと語源も発音も同じである。


posted by 楢須音成 at 08:53| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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