2012年05月12日

最終・〈屁〉が文化となる一瞬の光芒

 世間に知られてそこそこ評判になる(目立つ)というのは、今も昔も誇らしいことだろう。とにかく人前に出たがる人は後を絶たない。体を動かして芸をするばかりでなく、文筆や絵筆でもいいし、出世や表彰もあれば、劇場型の犯罪もある。目立つというのは何とも自慢なことなのだ。(他者に向け自己表現などという複雑化した高尚な趣味も近代になってから始まる)

 しかしまあ、本人はいつまでも自慢(表現)したいのだが、まわりはそういつまでも評価してくれるわけでもない。落語とか歌舞伎とか謡曲とか、特定の芸風が表現ジャンルとして確立している(作法化されている)ような場合はともかく、突飛な芸(風)で世に出てしまうと、飽きられたが最後、雲散霧消の人気凋落というリスクがつきまとう。

 江戸にあらわれた屁放男は絶賛されたが、日本の芸の歴史に名をとどめている様子はない。どこの誰であるかシカとは伝わってはいないのである。どうやら人気は長続きしなかったようなのだ。

 平賀源内の『放屁論後編』(1777年)には、屁放男の素性やその後の消息が語られている。貧家銭内(ひんかぜにない=貧乏暮らしの平賀源内のもじり)という痩せ浪人の発明家が、エレキテル(=発電器)の原理を聞きに来た儒者の石倉新五左衛門(しんござえもん=野暮な石頭の侍をあざけった名前)を相手に一席ぶつ。
 主人(=貧家銭内)笑(わらつ)て申(もうし)けるは、「抑(そもそも)此(この)放屁(へっぴり)といへば、四年以前両国橋の辺(ほとり)にて花咲男(はなさきおとこ)と号(なづ)け、見せものにて近年の大当り、諸(もろもろ)の小戯場(こしばい)を撒(ひり)潰せし趣(おもむき)は、此(この)放屁論に詳(つまびらか)なり。今年また采女原(うねめがはら)に出で三国福平と名乗る──云々」

 大評判をとった両国でのデビューから四年後、屁放男は采女原(現在の銀座あたり)で三国福平と名乗って再び興行しているのだが、貧家銭内によって延々と屁放男の素性が語られている。これがどこまでホントなのかはわからない。相当の脚色によって戯作化され、こんな感じ。
「──扨(さて)此者の身の上を尋ぬるに父は大和の国吉野の郷の狩人(かりゅうど)佐次兵衛といへる者なりしが、年来多くの猪(いのしし)猿(さる)を殺せし罪亡(ほろぼ)しとや思ひけん、近所の者両人といひ合せ、四国順礼に出でけるに、彼(かの)殺生の報(むくい)にや、伊予の国に至りて、佐次兵衛生きながら猿と成(なり)て林の中に逃げ入りければ、二人の連(つれ)はあきれ果て、是非なく国に帰りけり。今童謡に、『一つ長屋の佐次兵衛殿、四国めぐりて猿となるんの、二人の連(つれ)衆は帰れども、お猿の身なれば置いて来たんの』とは、此事(このこと)因縁なり。さて両人は国に帰り、伜(せがれ)福平に此(この)訳を語れば、一方ならぬ歎きなれども、なすべき様もあらざれば、せめて父が現世未来畜生道の苦患(くげん)を免(まぬか)るる為にとて、一切経を供養せんと思い立(たち)、鳥が鳴(とりがなく=東国の枕詞)東路(あずまじ)を銭がなくなくたどり著(つき)、本銭(もとで)の入らぬ金まうけを工夫して、いつとなく屁を比類なき親孝行の奇特(きどく)にや、両国橋の屁撒(へっぴり)と江戸中の大評判、夫(それ)よりも浪速津(なにわづ)に咲(さく)や此花咲男(このはなさくおとこ)、今を春屁と咲くや、此(この)花の都に匂ひ渡り、再び江戸に帰り咲(ざき)、三国福平と名乗りて采女原の春霞、立子這子(たつこほうこ)もしらぬ者なし──」

 このように源内(の聞き取り調査か想像)によれば、屁放男の出身は大和国吉野(奈良県の吉野)であり、この地の狩人だった佐次兵衛の息子ということになっている。父の佐次兵衛は狩猟でイノシシやサルを殺してきた罪ほろぼしに、近所の二人と四国巡礼の旅に出た。ところがこれまでの殺生の報いか、佐次兵衛は伊予国(愛媛県)で生きながらサルとなって林の中へと逃げ去ってしまう。同行の二人はどうすることもできずに帰郷し、息子の福平に報告する。嘆き悲しんだ福平ではあったが、父の畜生道の苦しみをまぬがれさせるため、一切経を供養しようと銭もないまま江戸に出る。もとでのいらない商売として、いつとはなく工夫を凝らして屁で芸をすれば、これぞ親孝行の奇特だと大評判──になったというのである。

 いかにもウソくさい話であるが可笑しいね。音成の想像では、親の因果が子に報い─の類で、見世物小屋の呼び込みや屁放男の口上などで、こうやって面白可笑しく素性が語られていたのかもしれない。まあ、興行の移動を見ると、西国の人であったのは確かかもしれないと思う。

 しかし、江戸に返り咲いての采女原での興行はどうも不入りだったようなのである。貧家銭内はそれを無視して屁放男を誉めているのだが、石頭の新五右衛門は疑義を呈する。
「不思議の事を承(うけたまわ)るもの哉(かな)、いかにも彼撒屁漢(かのへっぴりおとこ)先年両国にては流行(はやり)しかど、此度(このたび)采女原へ出たれども、その後は声もなく臭(か)もなく、今は世間に沙汰もなし。当時諸方(しょほう)にて評判の品々(=見世物の演目)は、飛んだ霊宝珍しき物、十月の胎内千里の車、鹿に両頭あれば猿に曲馬あり。穢銀杏(よごれぎんなん=辻講釈師霊全)が弁説には、蘇秦張儀(そしん、ちょうぎ=中国の弁舌家)も跣足(はだし)で逃げ、友世綱世(ともよ、つなよ=女力持ち)が力には、巴板額(ともえ、ばんがく=女傑)干鱈(ひだら)持(もつ)て礼に来る。源水(=曲独楽師)が独楽(こま)は魂ありて動くがごとく、鶴市(=声色の物真似師)が声色はその人そこに在(あ)るが如し。新之助(=軽業師)は一身に骨なく、どう突(どうつき=地面を固めるのに突く用具)請身(うけみ)は五臓金鉄にや有(あ)らん、大魚出(いず)れば大蛇骨(だいじゃこつ)出で、硝子(びいどろ)細工、牽糸傀儡(なんきんあやつり)、古(ふるき)を以て新しく田舎道者(=田舎から来た巡礼)の目を悦(たの)しめ、鳥娘(とりむすめ)は名にてくろめ、人魚は人をちやかすなり──中略(当時の見世物の演目が延々と続く)──是等をして珍しともいふべけれ。何ぞや古き屁撤(へっぴり)を、ことごと敷(しく)長物語、拙者屁の講釈を聞きには参らず、彼ゑれきてる(かのエレキテル)より火の出る道理を聞(きか)んとこそ望みしに、以(もっての)の外の屁あいしらひ、さては我らを屁の如く思ひ給ふや」と真黒になつて立腹す。

 新五右衛門は屁芸など端からバカにしている。当時流行の見世物を並べ立てているが、もはや噂も聞かなくなった屁放男など論外とこき下ろしている。もちろん、多くの見世物芸人が早々に消えていったのだろうが、その中の一人に屁放男もいたのだろう。

 仕方なく銭内はエレキテルの原理を問うている新五右衛門に自分の不遇(プライドと意地を持って困窮している境遇)の嘆き節を開陳したあげく「けふよりゑれきてるをへれきてると名をかへ、我も三国福平が弟子となり、故郷をかたどり四国猿平と改名し屁撒芸(へっぴりげい)の仲間へ入り、芋連中と参会して尻の穴のあらん限り、撒(ひ)り習はばやと存ずるなり。臭い者の身知らず以来御容赦下さるべし」と真面目な顔をして屁放男への思いを吐露するのである。

 かくして平賀源内は一瞬輝いた屁放男の登場と寂しい退場にあえて自分を重ねてみせ、その諧謔の極みで世間を罵倒し自らが世間に受け入れられない苦悩を表出した──というようなことは本論のテーマではないけれど、さてしかし、単に屁放男は売れないので消えていったのではないね。一度は爆発的な大当たりをとったのである。今でいう一発屋芸人というわけだが、〈屁〉の文化史においては重要な人物というべきなのである。

 古代から〈屁〉で芸をするという民話(屁ひり爺)がある。話のパターンは妙音の〈屁〉をこいたら殿様からほうびをもらうというもので、全国の多くのエリアに流布している。ここにも屁芸という〈屁〉の視覚化の心的構造があるのだが、先に見た「屁ひり嫁」と同様に非モデル化の道筋で致富願望や空想が練り込まれているのである。

 江戸の屁放男は逆にモデル化の道筋を辿ったわけで、爛熟した〈屁〉談義の果てに格好のモデルとして物語に取り込まれたのだ。その屁放男の人物造型は、面白可笑しく語られていた〈屁〉を「屁で芸をする」という前代未聞の興行ビジネス(大衆化)によって、目の前で実見できる(かのように)視覚の世界に取り込めた成果である。

 目に見えることなく異音異臭を発して誰からも嫌がられる我々の〈屁〉は、言ってみれば「見る努力」と「見ない努力」の引っ張り合いの中で歴史を作ってきたのだった。

 見る努力=〈屁〉を無視できないから
 見ない努力=〈屁〉を無視したいから

 我々の「見ない努力」とは、存在するものを心の規範に従って存在しないかのように扱う倫理的な態度であり、端的には他人が〈屁〉をこいても無視できる限りは無視する振る舞いだ。これに対して「見る努力」とは、存在するものを心の自由に従って存在のままに扱おうとする無分別な態度であり、端的には他人が〈屁〉をこいたらそのまま肯定して相手と共感(同調)しようとする態度だ。あなたと私が〈屁〉をこいて笑い合うとかね。(まあ、見るにしろ見ないにしろ、ここでどちらにも「努力」がつくのは〈屁〉がそもそも異音異臭のアンチな存在として何らか心の抵抗を生じさせるものだからだ)

 江戸期の〈屁〉の興隆は「見る努力」のパワーが一瞬とんでもなく輝いた時代だったのだ。そこにあらわれた屁放男の存在(実在)は陰に陽に物語に取り込まれていった。

 もっとも、江戸の〈屁〉文学が大きな潮流(一派)をなしたかといえば、そんなことはないね。それでも現在から見て特異的に表舞台で〈屁〉が扱われたといえるのは、そもそも〈屁〉が我々の日常において「見ない努力」の牽引を受けて日陰の存在だからだ。そして、この特異な〈屁〉の流れは新たな意匠で明治期へと続いていくことにはなっていく。(この辺はまた別に考察してみたい〜)

 それにしても、天下太平の世に花開いた屁放男の芸(実技)は引き継がれることもなく絶えた。その芸は源内の『放屁論』などに書き留められ今に伝わるが、伝説芸として語られるばかり。伝説にはなっても伝統にはなり得ないところに〈屁〉の特異性もまたあるのだろうねえ。


posted by 楢須音成 at 03:06| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月19日

環境を脅かす屁

 いやまあ、そういうことも実際あり得るのではないかと夢想したのだが、どうなんだろうか。ネットで見つけた記事にこういうのがあった。
え、恐竜の屁で地球が温暖化していたんですか〜?【G・JOEUはかく語りき】

ドキュメンタリー映画『不都合な真実』の製作に当たったのは、出演者でもある米議員アル・ゴア氏。次期アメリカ合衆国大統領の最有力候補者だった彼だが、米国を始めとする地球環境問題にメスを入れ、利益と相反する有力者らから嫌われてしまった。

作中において示された「地球の温暖化現象とその末路」は、大変興味深いものであり、また衝撃的なものですらあった。映画公開後は各組織や研究者らから反論がなされるなど科学的事実の論争があったが、とにかく、この映画は、各国の環境問題解決への牽引力のひとつにもなった。

そんな地球人たちが地球を温暖化の危機へと誘っている原因は、近年爆発的に発達した科学技術である。工場や自動車や生活家電などから排出される二酸化炭素が地球全体を多い、これが薄い膜となり、本来放出すべき太陽エネルギーを閉じ込めているのである。――が、恐竜が地球を跋扈していた遥か昔にも、ある原因で温暖化が進んでいたようだ。

7日発売の米学術誌「カレント・バイオロジー」に発表された研究内容によると、恐竜の巨大な体内から放出されていたメタンガスによって地球が温暖化していた、のだという。地球上に存在していた大規模草食動物が、植物を消化する際に、環境的な許容量を越えるガスを発生させたらしい。

リバプールのジョン・ムーア大学の研究者デーブ・ウィルキンソン氏らによると、体重20トンもの草食恐竜が放出するガスによって、2億5000万年前から6500万年にわたる中生代は、今日よりも気温が高かったのではないかと仮説付けている。

つまり、「恐竜の屁」が地球を温かくしていたという研究発表であると、私は理解したが――いやはや、なんとも規模が大きいような、少々間抜けなような、奇妙な生命体の一現象である。地球は青かった。そして、地球は臭かったのだ。
(「日刊テラフォー」2012年5月14日)

 関連の記事は共同でも配信していた。
恐竜のげっぷで温暖化? 英チーム、メタン放出で

 大型の草食恐竜がげっぷやおならとして出すメタンが、恐竜が繁栄していた今から約1億〜2億年前の温暖な気候の一因になっていたとする説を、英リバプール・ジョン・ムーア大のチームが17日までに米科学誌カレントバイオロジーに発表した。

 メタンは二酸化炭素(CO2)の20倍以上の温室効果を持つ。排出源としては、牛などの家畜が大きな割合を占める。家畜は胃の中の微生物の働きで食べた植物を消化する際に、メタンをげっぷやおならとして出すが、草食恐竜も同様にメタンを排出していたらしい。

 大型の竜脚類が面積1平方キロ当たり10頭いたと仮定して、当時のメタンの排出量を試算した結果、1年間の排出量は5億2千万トンに上るという結果になった。牛が出すメタンの量(5千万〜1億トン)に比べてはるかに大きく、農業や廃棄物などの排出源を含め、人類が現在排出しているメタンの総量に匹敵する。(共同)
(「MS産経ニュース」2012年5月17日)

 そもそも恐竜とは「中生代に栄え,絶滅した巨大な爬虫類の一種。骨格の化石が発見されている。肉食性と草食性とがあり,白亜紀の草食性のものには体長35メートル,体重75トンに及ぶものもあった」(大辞林)というような生物で、中生代の地球上で大いに繁栄していた。

 現代でも一般に草食性の動物は肉食性の動物より体が大きい傾向があり、それは象とか牛や馬など草食性の動物を見ても納得するが、彼らは大きな放屁でも知られている。草食性なら体の大きい恐竜が同様に屁をしたことは十分に推定できるわけだ。

 草食性と肉食性の屁には質的な違いがあることは前にも書いたけれども、次のような傾向がある。

 草食性の屁=(あまり)臭くない、音が高い、多量
 肉食性の屁=(とても)臭い、音が低い、少量

 このことは、我々が(大量に)野菜を食べたり肉を食ったりしたときに実感するね。芋や豆を食ったら屁が出て困るとか、焼肉を食ったら屁が臭いとか、我々の体は敏感に反応している。

 大小の動物の食性は食物摂取の習性として、いろいろな観点から分類される。草食性や肉食性のほか、雑食性、腐食性、少食性、多食性、単食性といった分け方もあり、現実にはそういう多様な食性の組み合わせで成立しているものだ。

 大雑把に草食性と肉食性を人間にあてはめれば、まあ人間は雑食性であろうが、草食か肉食かという主たる傾向はあるであろう。従来、よく言われてきたことは欧米の肉食に対して日本の菜食(というか、肉をあまり食べない)である。日本の場合は仏教が肉食を禁止したせいもある。しかし、日本全体で常食はしなかったものの、全く肉を食べなかったわけではなく、鹿や猪など狩猟による肉食はあった。要は欧米に対して肉食の頻度は極めて少なかったということなのである。

 現代は日本の食も欧米化して肉食は当たり前。もちろん菜食主義の人はいるけどね。この食性の変化の日本人への影響は〈屁〉に関してもあるというべきだろう。昔の人に比べたら〈屁〉が臭い、音が低い、量が減った──ということなのだ。比較研究の客観データはないので、これは音成の妄想であ〜る。

 まあしかし、食性が地域性や民族性や人種性など人間の気質を形成する有力な要因になるのではないかという考えは、大いに首肯されるべきだと思う。音成が前に〈屁〉から導き出した説では、恥の文化と嫌悪の文化がうかがえるのであるが(参照)、ここでは恐竜に話を戻す。 

 草食性の動物では(消化・吸収のために)腸が長い構造であることが知られている。一般に草食性の動物の体が大きいのはそういう内臓系の特徴からも納得がいくものだ。そこで草食性の恐竜が体を大きく進化させた要因は、単に太った(太りやすい)とかいうのではなく、そのことと草食という食性によって腸がのびることとが相まって、加速度的に食餌量が増えていったのではないか。

 恐竜の何十トンもの体から出てくるガス量は膨大だったであろう。だいたい象でも体重は四〜五トンくらいらしいから、いやはや恐竜の体の巨大さには圧倒されるではないか。象も食性は草食。それで大きな屁をするのである。
 象は小心者である。あんなでかい図体をしていながらとおかしくなるが、草食動物の悲しさだろうか。
 しかし、おならは図体にふさわしく、動物のなかでもいちばん大きい。
 ブーッ、ドカーン!! ブーッ、ドカーン!!
 象が象舎の中で一発放つと、部屋じゅうが揺れる。隣に寝ている象も目をさますほどだ、とこれは到津動物園長の森友氏から聞いた話。
(中村全享『おなら説法』1981年、祐学社刊)

 これが恐竜だったら──屁の大きさ、すさまじさが想像されるではないか。最初の記事に戻れば、音成はこれを読みながら地球上を闊歩した恐竜の、天地を揺るがす巨大な屁の連打を思い浮かべたよ。温室効果ガスであるメタンガスは二酸化炭素の次に排出量が多く(温室効果ガス全体の20%)、温室効果は二酸化炭素の20倍以上という。

 メタンガスは沼地や動物の糞尿分解などで地上の至る所で発生している。そして動物の腸内でもメタン菌により発生するのである。草食動物のゲップにメタンガスが含まれていることはよく知られているが、もちろん屁にもメタンガスは含まれるわけだ。人間ではメタン菌はいる人といない人がいるようである。メタンガスを含む屁は燃えるのだ。

 ニュージーランドでは、家畜農家に対して羊などの家畜の温室効果ガス(メタンガス)の排出に税金(げっぷ税、おなら税というようなもの)を課しているほどだから、中生代において恐竜の屁が地球環境に影響を与えたことは決してあり得ないことではない。恐竜がどのくらいの数で生息していたのか知らないが、当時の地球の覇者なのである。恐竜のゲップも屁も糞尿もメタンガスの発生源としては巨大なものだっただろう。

 メタンガスそのものは無臭でもあり、恐竜の屁はそんなに臭くなかったであろうが、体の大きさに合わせて多量に音高く放出されたのである。草食性の屁は「(あまり)臭くない、音が高い、多量」──その屁の究極に恐竜の屁は位置するものだ。

 いまや人間は恐竜に替わって地球の覇者であるが、人間がする〈屁〉のメタンガスが問題になっているとはまだ聞かないわけだが。
posted by 楢須音成 at 12:10| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。