2011年12月14日

続・〈屁〉が文化となる一瞬の歴史の光芒

 激しく好き嫌いが分かれ韓流とか独裁(橋下流)とか連呼される社会現象というのは実に不思議だ。何かの出現に人はなぜ二派に分かれ、一様にそれぞれ二派の反応にうつつを抜かすのであろうか。それを社会の病理というのか心のビョーキというべきか、社会現象という老若男女の隠微なる狂態は一気に盛り上がったりするわけだ。そしてついに人気が失せ盛り下がってしまうと、好きも嫌いも長い眠りについて盛り上がることがなかったりする。

 こういう社会現象はときに支持(好き)派と不支持(嫌い)派が表裏でくっついていて、どちらにも痛くのぼせた人たちが跋扈する現象が見られる。面白いのは韓流や独裁のようにそれを毛嫌いする人たち(アンチ)が目立ってしまったり、逆にツイッターや子役人気のように大好きな人たち(ファン)ばかりが目立つものがあることである。

 まあ要するに、嫌いな人やモノが(跋扈するのが)許せないという衝動に駆られる人というのがいる一方で、たとえ嫌いでもそんなことはどうでもいい(無視していい)という人もいるわけなんだね。これを社会現象(流行)に対するアンチの中の関心派と無関心派と捉えると、どちらが優勢になるかは興味深いところだが、そもそも社会現象というのは、そういうアンチと一途なファンの総体なのである。

 そこで社会現象としての〈屁〉なのだが、もともと〈屁〉というものは、人前でこかないのは至極当然なのであり、声を出して〈屁〉と口にすることすら隠蔽してきたのであった。いわば〈屁〉はそもそもがアンチなのである。だから〈屁〉は表現(文字)の対象になることが極めて少なかったし、上流の上品な婦女子に及んでは〈屁〉をちょっとでも話題にするなど、とんでもないことだった(であろうな)。

 思うに〈屁〉にアンチがいるとして、それは関心派なのか無関心派なのかは微妙だね。一般にアンチは、口を極めて排斥するか徹底的に無視するかの二極を振幅するのであるが、どうも〈屁〉になると口にするのは恥ずかしく無視するにはとても看過できぬ現象(やむにやまれぬあの異音異臭)なので困る。もちろん、ファンというものはいるわけで、そういう「屁好き」がいないことには、このブログだって成立しないわけであるが、まあ何というか、人類の〈屁〉の歴史とは、日陰者のやめられない手遊びみたいなものよ。

 ともあれ進化とともに〈屁〉は少しばかり意識的な表現の言の葉に引っかかるようになるんだね。先に見てきたように〈屁〉の表現史は説話や民話の段階から連歌や誹諧を経て狂歌や川柳へと展開したのである。これは笑いをふまえて〈屁〉がほかの素材と同格の扱いを受けるようになったことを意味し、花鳥風月ではあるまいに生活実感の表現上の重要な素材へと昇格した。アホな、そんな大袈裟な素材であるはずがないと言う向きもあるだろうが、少なくとも以前より〈屁〉は素材としての多様性や存在感を増した。

 そこをふまえて〈屁〉は散文化されたのだ。説話や民話が(語りの次元では)単なる滑稽譚に終わるのに対して、この時期の散文は手が込んできた。というか、粋人が入念な理屈を用意して面白がっている。巷の屁談義を掻き集めて再構成するのである。この〈屁〉に向かっていく構成力が素晴らしい。つらつら考えてみるに狂歌も川柳も五音七音の一定の様式美を備えた構成力によって成立しているわけであるが、散文化された〈屁〉も入念に再構成されている。(もっとも、その入念さは速やかに陳腐化するのだがね…)

 さて、そういう一書が前回紹介した井本蛙楽斎(いもとあらくさい)の『薫響集(くんきょうしゅう)』(1757年)なのである。「薫」も「響」も何を意味するかは明らかだ。佳きカホリや良きヒゞキという花鳥風月(向き)の言葉を〈屁〉に用いる諧謔精神で成立しているのだが、全体は〈屁〉をあたかも風雅と見立てた歌論(もどき)というべき内容になっている。

 この『薫響集』は平賀源内の『放屁論』にも影響を与えたとされる。例えば冒頭の書き出しから飛び出す〈屁〉のもじりや、うんちく傾けた語りの調子は同類パターンである。このような諧謔は広くあったのだろうが、多くの同類ネタのバリエーションが当時の類書に出てくる。

 格調(?)高い『薫響集』の全体は「序」「古今放屁集」「屁放様(へひりよう)の伝」という三つの構成。漢文で著した「序」で〈屁〉を言祝いで伝を記す決意を語り、古今和歌集をもじった「古今放屁集」で〈屁〉をとらえる歌の極意を微妙に論じ、最後に「屁放様の伝」で後世に伝えるべき〈屁〉の作法を授けん―というものである。

 当時の古典の知識と巷の屁談義が混じり合って、まことにとぼけた論が展開する(参照)。注釈はしないが、例えばこんな感じ。(引用は『新編薫響集』読売新聞社刊から)
 ――そもそも、屁のさま六つなり。唐土(もろこし)の屁とてもかくぞ放(ひる)べき。そのむくさみのひとつには、
 添へ歌
  元日に匂ふこたつ屁冬ごもり
   いまを春べと放るやこたつ屁
 二つには数え歌
  われながら知らず放る屁のあやぞなき
   身にいたつきの疝気ゆえとて
 三つにはなぞらへ歌
  君にけさ貰ひし芋を煮て食へば
   恋しさごとに屁をや放らなん
 四つには(たと)へ歌
  世のなかに屁だねはつきじ蟻の穴の
   端の真砂は放り飛ばすとも
 五つには徒事(ただごと)
  あしき香のなきものならばいかばかり
   人の放る屁のうれしからまし
 六つには祝ひ歌
  この道にむべも富みけり小つづみの
   三つ地六つ地の曲放りをして
 といへるなるべし。

 古今集などの歌を下敷き(パロディ)にし〈屁〉の六つの様態に即して歌を示している。かくも細やかに生活感あふれる〈屁〉の観察にもとづいて「畏くも雲の上人より、賤山賤(しずやまがつ)までこの道を楽しむ」となるわけだ。そして今の世、学ばん人のための歌体の十体(じってい)をこう示している。
 幽玄の体(ゆうげんのてい)
  思ほえず寝る夜に放りし春の屁の
   おぼろに匂ふねやのあけぼの
 長高き体(たけたかきてい)
  風に放る野路のすかし屁空に消えて
   行方も知らぬわがかほりかな
 有心体(こころあるてい)
  小便に起きて放りたる折しもあれ
   月も山辺に有明のそら
 麗しき体(うつくしきてい)
  こらへかね芋かひ行けば冬の夜の
   尻風寒み屁をぞ放るなり
 事可然体(ことしかるべきてい)
  秋の夜にはだかのをのこ風寒み
   ひるや放屁(ひるへ)のくさみをぞ思ふ
 面白き体(おもしろきてい)
  やよおならいろいろ曲のなかりせば
   人の好みに何を放らまし
 濃やかなる体(こまやかなるてい)
  つつめども隠れぬものはすかし屁の
   もれてほのぼの匂ふゑり袖
 見る体(みるてい)
  小夜寒み雪に隠れて帰るさの
   道に梯子屁放るぞいみじき
 有一節体(ひとふしあるてい)
  寝がへりしまたも放り見んぬるま屁を
   小島の夜着に匂ひもらすな
 挫鬼体(おにをとりひしぐてい)
  板間屁はあたり厳しくひびくめり
   小袖も綿の中やたえなん
 この心持にて執行し侍るなり。放りやうは別に伝へ侍るなり。

 かくして作法に則る〈屁〉の放り方へと筆は進んでいくのだが、その筆法は例えば次の如し。
 ――貴人の御所望などありて放るときは、座より三足膝行して畏りながら放るべし。さて、裾のふはつかざるやうにして、勝手口まで膝退し、匂ひを払うべし。そのまま座に就き候やうにご挨拶ありとも達て退くべし。
 遠方へ屁を遣はすときは、一両日前なり五葷(ねぎ、にらなど臭い野菜)の類食ふべし。これ、匂ひを専らとする故なり、器は鳥の子紙を蝋打ちにして、わらび糊にて袋にすべし。放り入れやうに伝あり。
 屁種となるものは ―云々― (略)

 ナントまあ〈屁〉もいたく高尚(?)に語られるようになったものだ。今も昔も巷には屁談義が尽きないが、当時こういうふうに古典の知識なども動員し理論(理屈)をつけて語るところに道を見出していたのである。そして、これがまた面白可笑しい屁物語へとストーリー化の道にも進んでいた。筋の運びという結構にのせて〈屁〉が語られるときには、もちろん昔の物語をひねってパロディするのは必然だね。

 そのようなご時世においては〈屁〉は文芸の一潮流になっていたんだろうかねェ。そこまではいかぬ知識人の手遊びであったとしても、少しばかり話題や耳目を集めた社会現象として評価してもいいのではないか。嫌がられたり無視されたりする〈屁〉が何だかエヘンと輝いているみたいな…。


posted by 楢須音成 at 00:45| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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