2011年02月02日

〈屁〉はよきものと迷いなし

 一休和尚と〈屁〉の話は多く伝わる。和尚の〈屁〉に対するとぼけた達観ぶりが笑話になっているのだが、同種の話をパターンとして見ると、これはそのうちの一つになろう。京都・東山で花見をしたときの話で、和尚が〈屁〉を絶賛するのである。一休の「東山パターン」とでも名付けよう。
或る一年(ひととせ)一休旦那衆二三人と同道して東山邊へ遊山に出でられました頃しも春は彌生(やよい)の半ばでござりましたれば櫻樹(きぎ)の梢は頻(しき)りに色着き染め莟(つぼみ)を破りて笑はれ今ぞ盛りと見えましたれば三々五々の見物人の出(で)は最(い)と多きことでありましたが爰(ここ)に和尚等の一團(ひとむれ)は酒興に興じ手などを打ち叩き頻りに躍(おど)りはねて遊んで居りましたるにそが中に一人屁を放りて面白がり笑ひ興じて居る旦那がありましたが其者の云ふやうは 或『世に如何に面白きものがあればとて屁ほど面白いものはないことである何人でも放屁を聞いて怒るものはないことで十人が十人は必ず可笑しがツて笑ふことである皆(み)な皆な何ンと面白いものではござらぬか』と言ひつゝ復(ま)たブーと放たれますれば皆な皆な大いに興に入ツて雷の如く打ち笑われましたが一休之(これ)を聞いて云ふやうは 一『イヤ固(もと)より其筈(はず)の事屁は面白くなくて叶はぬことである左(さ)れば昔より面白きことなればこそ謡(うたい)も面白の春べや面白の春べやと謡ふことであれば今しも春の屁は面白きも道理のことである遠慮なくズンズンポカポカ放たるゝが善いことである嗚呼叉しても面白の春べや』と謡はれますれば同行の者皆な咄(どつ)と打ち笑ツて深き興にいつたさうでござる
(『頓智奇談 一休禅師』1896年)

 一休がうたっている「面白の春べや」というのは清水寺の縁起を語る謡曲「田村」の一節にある「春べ=春方(春の頃、春たけなわ)」に「春屁」を引っかけているわけである。一休は同行した旦那の〈屁〉に対して、昔から謡曲にもうたわれている春べは面白い、ズンズンポカポカやって善きもの、めでたい、と評している。満開の桜の木の下で笑い興じている一座の人たちが目に浮かぶね。

 次の話も東山のエピソードである。
 春は彌生の最中(さなか)、花の咲く日は浮(うか)れこそすれ、和尚も二三人の知人と瓢簞(ひょうたん)ぶらつかせ乍(なが)ら東山の花に浮れ出た。散りも初めず咲きも殘らず、滿山の櫻今を盛りと咲き亂(みだ)れて人は老若男女のけじめなく、花見衣裳のとりどりに、唯もう夢中になつてきやつきやつと騒ぎ廻つて居る。これを見た和尚は、微醉(びすい)機嫌の氣も浮々(うきうき)。
 『アゝ極樂ぢや極樂ぢや』
 尻をツン出し手を振つて、和尚一流の珍妙な踊りを初めた。坊さんの踊り、是(これ)は面白いと、花見の連中K山の如くに、和尚の周圍(まわり)を取巻いて、やんやと囃(はや)し立てる。和尚益々得意になつて縱横無盡(じゅうおうむじん)に踊り狂ふ。途端に思はずブツと一發大きな奴を洩らした。
 さあ事だ、女子供はキヤツキヤツと笑い出す。連れの人々は眞赤になつた。和尚は一向平氣。
 『方々は何を笑はるるのぢやな』
 『和尚様、人中でござります。少し御氣をお注(つ)け遊ばして…』
 『何を氣を注ける?』
 『只今變(へん)な音が致しましたではござりませんか』
 『あ、あれかい。あれは俺の屁の音ぢやがな』
 『澄まして居ては困ります、他の者が笑つて居るではござりませんか』
 『はゝ…屁は芽出度(めでたい)いものぢや』
 『屁が芽出度いとは?』
 『花見には屁が附物(つきもの)ぢや』
 『花見に左様な附物は聞いたことがござりませぬ』
 『否ある、謡(うたい)にも斯(こ)うあるではないか、それ、あな面白の春べやな、あな面白の──春べやな、どうぢや。花も定めし俺の屁で喜ぶことぢやらう、ははゝゝ』
(『滑稽一休物語』)

 こちらは一休自身が〈屁〉をこいている。前の話が評論家ならこちらは〈屁〉の実演者である。一休が依拠しているのは謡曲の演目に東山周辺の「春べ」がうたわれているということ。つまりは、趣向をもって謡曲に〈屁〉が表現され、面白いと評価が与えられ、その音は面白く春の風景に溶け込む──ということだ。

 一休の登場の仕方は違うが、「春べ」をめぐる二つの話の芯は同じで、〈屁〉をもって春を愛でるという趣向はまったく同じである。しかしまあ、ここにあるのは〈屁〉の評価を負から正に転換させている語呂合わせだね。そういう遊びで二つの話は成立しているのだが、評論家みたいに振る舞う一休よりも、自ら踊り狂って〈屁〉をこく一休の方が表現(人物像)は深いのである。〈屁〉をこくのは一休がふさわしいというのが話のパターンの進化になっているのだ。

 もちろん〈屁〉をもって春を愛でるとは(世間的には)下品の極みである。しかも根拠は語呂合わせだから、根拠はないに等しい。まあ、〈屁〉の話というのはそういう遊びなんだね。牽強付会によって可笑し味が生まれる。そこを狙った語呂合わせである。

 ただし、こういう話が成立する背景(リアル感)には〈屁〉そのものの(春のような)生理的快感があるのだと認識しなくてはならない。一般にそれは封印されているわけで、春たけなわの満開の桜の木の下での迷いなき一発は我々の許されざる夢であ〜る。

 ──微酔機嫌の一休和尚は下品なれど迷いなし。


ラベル:一休 東山 春べ
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2011年02月09日

仏の道は〈屁〉をこいて

 一休和尚の〈屁〉の話のパターンが「他人の屁を批評する評論家」から「自分の屁の実演者」へと進化していることを前回ちょっと考えてみたのだが、これは〈屁〉がもともと実践のたまものであることを示しているわけさ。

 まあ、教科書を典拠にして「あれはこう」「これはそれ」「それはあれ」などとやっているシタリ顔の一休ではなく、自分のお尻で表現する待った無しの〈屁〉の一休がそこにはいるよねえ。

 これがこうじて一休の〈屁〉は禅問答へと突き進んでいくのがある。満開の桜の下で〈屁〉をこいて「春べやな」というのは、言葉遊びで〈屁〉に対するとらわれのなさを示したのだが、さらに凄味(?)を増したのがこの話。
 一休和尚奈良の薪(たきぎ)といふ所におはしましけり。庄左衛門とて、禅法にこりたる俗人有りしが、ある時かりの草庵に行き、扉をほとほとと音信(おとづる)れば、和尚はそも何人やらんと問給ふに、庄左衛門こたへて佛法修行の大俗にて候と申せば、一休はや佛法はいかにと問給へば庄左衛門。『佛法は升ではからぬ米五升、たかぬ鍋にて飯となりけり』と申しければ、一休その息もひかぬに、『たきもせず飯となりける鍋なれば、升も杓子も何たのむらん』と、直ちにかへしける。
 それより庄左衛門物語の後、眞實心に貴くおもひ、有難さ肝に銘じ、ョみ參らすべき導師かなと濱(はま)の眞砂(まさご)の數々いひも盡(つく)さず、まづ御暇申すにて候と、枝折戸(しおりど)の邊(あた)りまで歸りしが、手をはたと打ち、『一大事の安心忘れたり、佛にはいかゞしてかなりけるぞ』と尋ねければ、きやつは曲者(くせもの)かなと思召し、『それはいと安き事かな』と、やがて尻ひんまくり、雷の如くなる屁を一つこき給ひて、『佛にては此所(ここ)にてなるわ』と仰せられければ、庄左衛門驚き、扨(さて)聞きしよりも活大禅師かなと、心空及第してぞ歸りける。
(續一休ばなし)

 少し端折りながらまとめるとこうなる。

 ──庄左衛門という禅にハマっている俗人が一休和尚を訪問した。和尚が「仏法とはいかなるものか」と問うと、庄左衛門は「仏法とは升(ます)で量らない五升の米であり、鍋で炊かないのに飯になるものです」とこたえた。一休は間髪入れず「炊きもしないのに飯になるなら、升も杓子(しゃくし)も何で必要か」と返した。庄左衛門は一休と語り合って有り難さが身にしみ、まことに貴く帰依すべき導師と感嘆した。やがて別れを告げ枝折り戸のところまで行ったところではたと気づいた。和尚に『一番大事な奥義の心づかいを聞くのを忘れていました。仏にはどうやってなるのですか』と聞いた。和尚は「こやつなかなかの者だな」とお思いになり、『それは簡単なことだ』とすぐにお尻をまくり雷のような屁を一発こいて『仏にはここでなるのだ』とおっしゃった。庄左衛門仰天し、聞きしに勝る大禅師と、心空及第して(心が空で真理を悟る禅の得心・境地になって=Mind's empty, all's finished.)帰って行った。

 蛇足であるが「ブッ」と「仏」がかけられているわけだ。これも「春べ」と同じ言葉遊びと考えてもよいが、この場合の〈屁〉の一発はすでに遊びを越えた境地になっている(かな?)。

 庄左衛門は別の本では、凡愚な俗人に描かれていて、一休の〈屁〉に驚いて逃げ帰ってしまったとなっている。あるいは、逃げ出した庄左衛門を一休が笑ったともなっている。そうなると、一休は〈屁〉で庄左衛門を追い払ったことになる。しかし、庄左衛門がどうであっても、一休の〈屁〉の行為は変わらないわけで、ここは仏になる理路をお尻をまくって〈屁〉で示したのであると考えるのが妥当だろう。

 なぜこんな〈屁〉の一発が仏の道なのか。凡愚な音成としては謎なのだが、だからエライ人の〈屁〉は貴いのではないかとか考えてしまうのだが、まあ人間の〈屁〉は誰でも同じだろうねェ。ただ、その〈屁〉に向き合う心の有り様が違うのだろうよ。

 あの「春べ」が人を喜ばし、この「仏の一発」が人を驚かす。そこには同じ〈屁〉を用いて、相手への一休の当意即妙のレスポンスがある。その基軸には〈屁〉に対するこだわりのなさがあり、また〈屁〉に対する深いこだわりがあるようだ。

 こだわりがないとは、恥ずかしくもあり嫌がられる〈屁〉を堂々とさらけ出している点だ。そして深いこだわりとは、相手の通念を壊すときに(必ず)こいている点だね。この「こだわらない」「こだわる」という表裏一体の心的運動によって〈屁〉は一休にとって自在な〈物体〉になっている。

 いやまあ、ちょっと理屈が過ぎるが、これはつまり〈屁〉という否定性の現象を肯定に転換する心的運動なのである。しかし、他者の前でその(否定を肯定する)肯定性が否定とせめぎ合うところに(他者を肯定に導く者として)一休は(あえて)身を置いている。「春べ」は生理的な心身の解放、「仏の一発」は観念的な仏の道からの解放を示す一発なのだ。

 ──しかし、一休だって一人になれば、自分がこく〈屁〉など面白くも何ともないだろう。意味もなく無存在としての単なる屁である。すると何だか〈屁〉が悟りみたいだな。そうなのか。
ラベル: 一休
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2011年02月14日

おならしのワザと負け

 その国の国技は「ほうひ」である。国によって手厚く保護されており、その「ほうひ」をする選手を「おならし」という。長さんは八百屋を廃業して「おならし」になった剛の者であるが、何しろ八百屋なので、野菜・根菜のどこをどう食えば強くなるかをよく知っているのである。長さんの「しこな」は「おとのすごまる」といった。

 ライバルの「おならし」に「くそのくさまる」という強者がいた。もっこり精がつく肉が大の好物だったのだが、さすがに場所の前には肉を食うのは控えた。精がつく一方で、汗をかいて水分が抜け、それに緊張するので頑固な便秘になるからだ。この「くそのくさまる」は肉屋を廃業して「おならし」になった剛の者である。

 実はこの二人、同じ町内で道をはさんで店を出し商売していたお隣さん同士だった。夏など夕方になると店を閉め、縁台を出してきてオナラー将棋をしている二人の姿があった。長さんの将棋はからきしヘボで負けてばかり。それでも二人は毎夕あきもせず手合わせしていた。八百屋の長さんの勝負運のなさは町中のみんなの笑いものであった。

 長さんが「おならし」になったときには町中が仰天したものだ。国技の「ほうひ」においては、我慢強さや勝負強さが必要とされ、長さんの勝負っぷりからくる弱々しさはまったく評価できなかったからである。それに伝統の「ほうひ」は何より格式を重んじ、その激しい所作に秘めた優美、どどめく発声の品位が求められる神事でもあるのだ。とてもヘボの長さんの手に負えるものではないと思われた。

 ところが長さん一念発起、トントン拍子で出世街道まっしぐら。へノ口、へ二段、三段べ。への下、十べえ、おべんとう──と、あれよあれよと順調に、番付をしっかり上げていく。オナラー将棋のライバルとしてはすこぶる穏やかでない。ついに「俺も一発、負けたくない」と決心し肉屋は廃業。執念の「くそのくさまる」となって、順風満帆に先行する「おとのすごまる」を追いかけたのだった。

 町の人の常識に反し、花ひらいた八百屋の長さんこと「おとのすごまる」は「ほうひ」に勝負強い男になっていた。そういう男がオナラー将棋において弱いはずがなかったのである。それは考えられない。長さんはワザと負けていたのではないか──そういう噂が広がったのも無理はないのだ。このことは「くそのくさまる」の奮起を促した。というか、まさにそれは裏切られた気分なのだったから。

 とまれ、季節は巡り今や二人は「おべんとう(幕の内)」の番付の上昇株。対戦成績は五勝五敗の五分五分というガッチンコの実力を出し切っている。神に奉納する「ほうひ」はケツをまくった真剣勝負の世界なのだ。過去はともかく水に流し真のライバルとして自他ともに認め合う親友になっていた。

 さて、今年も初場所を控え「おならし」たちが「ばばどっひょ」に勢ぞろいして尻を振る「しりふる」の神事が行われているときだった。何しろ「ばば」で固めた「どっひょ」だから「にほひ」がきつい。この「にほひ」とは「ほうひ」の神の霊気のことであり、それを浴びることによって五穀豊穣を祈るものだ。もちろん、全員が死ぬ思いで息を詰め尻を振るのであるが、その最中に、ナントけがらわしい〈屁〉をこいた「おならし」がいた。

 そいつは誰だかわからない。ということは誰でもないことに(つまり無視)すればいいのだが、自分のことは棚に上げて人の不祥事には厳しい評定をする「マス席でゴミを探す人たち」がいた。やがて疑いはふくれ上がり次第に世間では不届き者を許さないムードが高まってくる。とうとう親方衆による犯人捜しが始まってしまった。

 この犯人捜しの最中に奇妙な三通の短いメモが「おとのすごまる」の控室から発見されたのである。まるで「ほうひ」の「ワザ」と「負け」を強く暗示するような内容ではないか。

 ──強く抱くように後は流れで
 ──はいはい、ふくらんで伸び切ったところを撫でる感じでイクさ
 ──その辺がベストかな

 驚いたことに「くそのくさまる」の控室からも三通のメモが発見された。

 ──了解。抱くようにして押し出すと真っ直ぐイクよね
 ──いいね。最終的には右から押し込むからググッと入れる感じかな
 ──では、当日よろしく

 これを組み合わせると、こうなってしまった。
 「強く抱くように後は流れで」
 「了解。抱くようにして押し出すと真っ直ぐイクよね」
 「はいはい、ふくらんで伸び切ったところを撫でる感じでイクさ」
 「いいね。最終的には右から押し込むからググッと入れる感じかな」
 「その辺がベストかな」
 「では、当日よろしく」

 手合わせの前に手合わせを語るとは勝敗を決めて勝負することだろう。まさに「ほうひ」の冒涜ではないか。真剣勝負の「ほうひ」を汚す不祥事であるとマス席ではゴミを拾って大騒ぎ、二人の過去を暴いて騒ぎ立てる。──もともと二人は同じ町内の隣同士の八百屋と肉屋、八百屋はオナラー将棋で肉屋に負けてやっていた、その頃から腐れ縁の二人、とかなんとか。町内の後援会では「まさかのワザと負け」と絶句。本人たちは「いやあれは運動会の玉入れのアドバイス。私たちはガッチンコです」と言い張ったのだが、「しりふる」の神事の最中に玉入れのイメージトレーニングをやって、思わず知らず音を立てて〈屁〉をこいたのは八百屋の長さんこと「おとのすごまる」である。

 ──勝負の世界で仲良しはあかんがな。
posted by 楢須音成 at 01:31| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 独舌漫語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月19日

オナラ禁止令の道理

 ときどき興味深いニュースにお目にかかる。このニュースなどはビックリ驚いてしまったけどね。いやはや「やるなあ」って感じ。しかし、納得できないことはないのだ。記事を引用する。
マラウイ共和国で「オナラ禁止令」可決へ

 アフリカ大陸南東部に位置するマラウイ共和国で「オナラ禁止令」が成立する見通しであることが分かった。海外メディアが7日までに報じた。法案が通過すれば、公共の場所でのオナラが「軽犯罪」に問われるという。同国ではこれまで、男性の長髪や女性のズボン着用を罰則付きで禁止していた。

 出物腫れ物所嫌わず−ということわざがある日本では、ちょっと考えられない“珍法”が、可決寸前になっている。

 複数の海外メディアによると、マラウイ共和国のジョージ・チャポンダ法相が7日までにラジオ番組で明かした。

 「政府は社会の秩序を保つ権利がある。だから、この法律を施行する権限がある」「公共の場でオナラをする人を見たいか?」など国民の良識を問いかけ、人間の本能である「排泄(はいせつ)行為」と同様、「オナラを出すことの制御は可能だ」と言い放った。

 そして、「オナラがしたくなったら公共の場所でせずにトイレへ行くべき。どこでもするのは迷惑なこと」とマナーの重要性を説いた。

 なぜ、こんな法律が作られるのか? その理由について、同法相は「複数政党制で自由があるため、人々はどこでも自由にオナラをしたがる」と、16年前に導入した複数党制で民主主義に慣れた国民が“羞恥心”を失ったため、とした。

 同国は1964年に英国から独立。その後、1党制政治だったが、93年に国民投票を行い複数政党制となり、94年に独立後初めて大統領・議会選挙を行った。現在のビング・ワ・ムタリカ大統領の側近的存在がチャポンダ法相という。

 同法相が所属する与党・民主進歩党は、2009年の選挙で193議席中114議席を獲得。議会が1929年に導入された刑法の、「オナラ禁止」を盛り込んだ修正法案を賛成多数で可決する可能性は極めて高い。

 可決すれば、同国の公共の場所で放尿をしたとき同様、軽犯罪として扱われるという。しかし、音と臭いだけのオナラだから、“実行犯”を特定できなかったら、法律が有名無実化されて「屁のように消える」?
(2011/2/8 サンケイスポーツ)

 これを読んで思い出したのが次の一節である。
 放屁のことはまえにすこしふれた。グシイではしたしい同性の友人のまえでさえ放屁してはいけないとされる。割礼がすんで体は大きくなっても、その言動にもうひとつ信頼のおけない人間にたいしては、「あいつはまだ屁をひるから」という表現がよくつかわれる。割礼のとき手術の痛みをこらえることもだいじだが、母親のまえで屁をがまんしていられるようでないと息子に割礼はうけさせられない、と父親はかんがえる。割礼をすませた男女は分別(オポンガイニ)を当然そなえているものとされ、だれにしろ他人のいるところでは放屁してはいけない。とくに異性の上位世代の人間にとって、それは大きな侮辱とみなされる。
 放屁は非礼ということがわかると、私も大人のまえではがまんすることにした。トウモロコシ、豆類、サツマイモをふんだんにたべる生活では、どうしたって快音がでないはずはない。文字どおり五臓六腑をガスがかけめぐるときの苦しさはなみたいていのものではなが、グシイの大人はみんな小さいときからの自己鍛錬でそれに耐えているわけだ。
 小学校の一、二年生になると男の子も女の子も割礼の年齢にちかくなる。人前での放屁がいけないことは、それまでに両親や兄姉から叱られたり、たたかれたりしてきたので、彼らもそれは十分にわきまえている。
(松園万亀雄『グシイ──ケニア農民のくらしと倫理』1991年)

 もともとアフリカでは〈屁〉は絶対にいけない行為なのである。マラウイはケニアより南に位置する同じ東アフリカの国だが、アフリカにおける〈屁〉のタブーはマラウイでも特別な意味があるのだと推察される。(アフリカの〈屁〉については、以前に紹介したO・呂陵の『放屁という覚醒』に詳しい=参照

 このような〈屁〉の倫理観がどうして現象するのかはともかく、もともと〈屁〉は強く禁止された行為だったのである。最近のマラウイにおいてはこれが乱れていた(のだろうね)。社会的倫理観が過度に乱れている、乱れてきたという危機意識が法案へと突き進んだに違いない。賛成多数で可決しそうだというのだから、日本人からすると尋常ではないね。かなり突飛な法案にしか思えないが、いわば民族的倫理観の根底を構成するものに〈屁〉があるのである。つまり〈屁〉のタブーによって(良くも悪くも)保たれていた大切な秩序というものがあったのだ(ろう)。

 松園万亀雄の「性、排泄、放屁、身体接触にかんする異常なまでのつつましさ──禁制──がグシイの行動規範の核心であるらしい」という認識は重要だ。そういうタブーという暗黙の禁止を法制化(理念化)しなければならないほど、社会の構造変化が進んでいることや、保守的な倫理観からの危機意識がうかがえるわけだよねえ。意識の自由化が進んでいるのでしょうかね。

 ところで、アフリカの〈屁〉なのだが、音成の持論である「嫌悪(肉食)系」と「恥(草食)系」の二分法からすると「恥系」であるような気がするんだけどね。日本の〈屁〉も「恥系」であるが(かなり)日本より強烈に現象している。なぜかな。
posted by 楢須音成 at 12:15| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月22日

〈屁〉と梅の親密関係

 梅を愛でる観梅は日本人に好みのスタイルだ。桜も好きだが、ほとんど匂わない桜と違って、梅はほのかな香が鼻粘膜を刺激する。これがたまらないわけである。平安時代くらいまでは桜より梅の人気が高かったそうだ。

 春の夜の闇はあやなし梅の花 色こそみえね香やはかくるる

 古今和歌集の撰者の一人だった凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)の歌だが、「春夜の闇は何もかも判別がおぼつかず、梅の花の色もわからないが、香りばかりは隠すことはできない」と闇夜の梅を楽しんでいる。

 花の香を風のたよりにたぐへてぞ 鶯(うぐいす)さそふしるべにはやる

 これも古今集の撰者の一人だった紀友則(きのとものり)の歌。ここでは「風の使者(便り)に添えて梅の香をウグイスを誘い出す道案内に送るよ」と、ほのかな梅の香が伝播する春を歌っている。

 いずれも梅は「匂い」によって愛されている。古来からの日本人の感覚である。

 さて、ここまで〈屁〉には関係ない文学的な香気の前振りであるが、何はともあれ「香=匂い」とくれば「屁」の連想がつきまとう。いや、作品鑑賞を台無しにするな、と言うなかれ。これもまた日本人なのだ。
 上人わかうおはせしときの心あひに、式部丞薫といへる司人有り。これも例の癖有人なりしが、二月はじめつかた、夕やみいとうたどたどしきを、梅が香にさそわれてとひおはしけり。ほど近かりければ、やがてかの人の母や庇(ひさし)近く簀(さい)の子に尻かけて。暫(しばし)主人のいで来るをあゆみよりつつ待たまふほど、いかがしたりけん、俄(にわか)に小腹より細腰かけて、ここち例ならずなりもてゆくを、強(しい)て足のきびすもて、おししづめしづめしたまひしかど、ついにしのびに泄(もら)されたり、匂ひしもいとけさやかなりしかば、小簾(おす)ごしに彼方までかをりけるを、主人とく心得て。
 春の夜の闇はあやなし梅の花 色こそみえね香やはかくるる
と声はさわやかに古歌を相誦しつゝ出迎ひければ、上人わろびれたるけしきもみせたまわず、
 花の香を風のたよりにたぐへては 鶯さそふしるべにはやる
と口とく古歌もて答たまひしかば、主人いたうめでゝ、又いふこともなかりしとぞ。
(伴林光平『楢の落葉物語』1851年)

 これは幕末の国士、伴林光平(ばんばやしみつひら)が余技で書いた戯作の一節である。仏雛(ぶつすう)上人という貴い僧が親しくしていた式部丞薫という役人のもとを梅の香に誘われて訪問したときのエピソードだが、上人どうしたことか〈屁〉を催してスカしてしまう。気がついた式部が「春の夜の〜」と古今集を吟じながら出迎えると、上人はまったく悪びれる様子もなく「花の香を〜」と答えたというのである。

 ここでは「香」と〈屁〉が同伴した風雅なやりとりの世界が広がっているわけだ。いわば対位法的な態度なんだね。「香」と〈屁〉は同列の高みで拮抗している(かな)。こうなると〈屁〉も捨てたものではない(かな)。笑うなかれ。

 次の話は福富織部の『屁』で紹介されている大槻盤渓(おおつきばんけい)のエピソードである。盤渓は幕末の漢学者。深川で画家の仲間たちと集まって飲んだときのこと。
 大槻盤渓(おおつきばんけい)が、鐵心(てっしん)、海鷗(かいおう)、秋帆(しゅうはん)、南華(なんか)などゝ深川の飛鸞樓(ひらんろう)で一酌催した。丁度夏のことで、海鷗は、風呂に入つて、汗を流さうとした。見ると、褌(ふんどし)が取り外してあつたので、醉つた海鷗。『拙者が一筆、席畫(せきが=会席などで即興にかく絵)を御覧に入れる』と、褌へ持つて行つて、梅の花をかいた。盤渓見て、『いやこれは妙だ、屁の匂を梅の香で消さうといふのは至極雅致(がち=趣)がある、どりや拙者が讃(絵にちなむ詩や文章)をいたさう』と、筆をとると、忽(たちま)ち一文を成した。曰く、此(こ)うである。

昔者劉髀。解腐儒之冠。洩溺其中。旣己爲快事。今解書生犢鼻褌。奮筆一掃梅花。以此防醜夷腥膻之氣。洵爲千古一大快事矣。

(昔の劉驍ノならえば、くだらない儒者の冠をといてその中に小便をしたのはまったくの快事であったが、いまや書生の褌に筆をふるって梅の花を描き上げる。これをもってみにくい野蛮な輩のナマぐさい邪気を防げば、まことにこれぞ千古不変の一大快事であ〜る)

 褌に描いた梅の花は〈屁〉の消臭剤になっているね。いや、むしろ梅の香は〈屁〉を風雅へと引き上げる役割を果たしているわけである。ただの消臭ではない。匂う〈屁〉があってこその選ばれし梅なのだ。

 梅の香が日本人に高く評価されてきたのは間違いない。そして、梅に〈屁〉を配し〈屁〉を風雅に愛そうとしたのである。香の拮抗か消臭かは好き好きだろうけどねェ。
ラベル: 匂う
posted by 楢須音成 at 08:48| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 断片考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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