2010年03月21日

お茶目な権妻の〈屁〉だった

 漢文体をつらつら(音で読むでもなく)眺めていると、表意文字の彼方に〈屁〉というものの振る舞いが封印されているように思える。そこに「屁」とあれば、それは物体の屁なのであるが、そのものが何であるかを問うよりも、その人間の振る舞いが問われているのであ〜る。

 明治の風刺雑誌『団々珍聞(まるまるちんぶん)』に載った「権妻屁」という漢文の記事を読んだとき、可笑しいんだけど最初あまりピンとこなかったんだよね。まあ、笑い話としては、少々オチが乱暴で美しくない気がしたわけだ。つまりナンダ、それが美人の振る舞いだろうかとね。(福富織部『屁』から引用。原文には返り点がある)
原文
一權妻失屁。婢在側曰。臭甚々々。淘圊者昨日來。權一謝云。失屁者妾也。婢微笑曰。嬋娟窈窕如貴孃。亦放屁乎。權云。出物腫物不嫌處。婢曰。縦令不嫌處前且公。爲放之乎。權云放矣。然而有聲之屁決不放也。婢叉怪問曰。無聲臭氣殊甚。権云無聲之屁百発千放。何關之有。婢曰。敢問何故。権云。且公鼻下妾早挿得二本棒。

読み下し文
一権妻(ごんさい=めかけ)失屁す。婢(ひ=下女)側(そば)に在りて曰く。臭甚し臭甚し。淘圊(こえとり)は昨日已(すで)に来たる。権(ごん)一謝して云(いわ)く。失屁は妾(わたし)なりと。婢微笑して曰く。嬋娟窈窕(せんけんようちょう)貴孃の如きも亦(また)屁を放(ひ)るか。権云く。出物腫物処嫌わずと。婢曰く。たとえ処(ところ)嫌わざるも且公(しょこう)の前に之を放るを為すか。権云く。放るなり。しかりしこうして有声の屁は決して放らざるなりと。婢又怪しみ問うて曰く。無声は臭気の殊(こと)に甚し。権云く。無声の屁百発千放、何れの関やこれ有らんと。婢曰く。敢えて問う何故(なにゆえ)ぞ。権云く。且公の鼻下に妾(わたし)は二本棒を早挿すを得たりと。

テキトー訳
ある権妻がうっかり屁をこいた。すぐそばにいた下女が「うわ、ひどいニオイ。肥取りはすでに昨日来たはずなのにィ」と皮肉る。権妻は一言詫びて「屁をこいたのは、あ・た・し」と。下女はうっすら笑って「アデやかでシトやかなアナタさまでも屁をこくのですねェ」と言う。権妻は「出物腫れ物ところ嫌わずよ」と平気である。下女が「あらあ、ところ嫌わずとは言いますけど、旦那さまの前でこきますのかァ」と突っ込めば、「ええ、こくわよ〜。でも音の出る屁は絶対しないのよ」と権妻。下女は「えッ音のしないスカ屁はニオイがひどいのにィ」と怪しむばかり。権妻は「スカ屁の百発千発を放ってもゼ〜ンゼン問題ないわよ」と一向に気にする様子がない。下女が「それはまたまたどうして」と不審がるのに、権妻「あたし旦那さまの鼻に二本棒を素早く入れることができるのよん」と。

 原文読み下しテキトー訳となるうちに、やりとりの様子がすっかり一変する。もちろん音成の訳はテキトーなので信用してはいけません〜。がしかし、現代語訳となると原文よりは(表音文字のせいで)会話のニュアンスがハッキリしてくるわけで、音成はそこをテキトーに解釈。ははは、お茶目な権妻(=妾)をイメージしたのだが。

 この「権妻屁」は明治の作。権妻という言葉は明治初期から使われたようで当時、流行語になっている。「権」とは「仮の」「臨時の」という意味である。明治3年に法的に妻と妾を同等の二親等にしており、そういう風潮の中で権妻は一応それなりに社会的地位を認められていたらしい。(しかし法的な妾公認制は明治15年に廃止。また、現行民法は妾契約や金銭供与の約束は公序良俗違反として認めていないので念のため)

 さて、これは本妻の〈屁〉ではないのだから、二親等とはいえ、一般に権妻の〈屁〉は関係解消の危機的状況を作り出す可能性は高いかもしれない。人は美人の〈屁〉を厭うべき・抹殺すべき存在であると思うと前提すれば(美人の)権妻の〈屁〉は本来あってはならないものである(か?)。

 しかし、社会的背景はともかく、この権妻の振る舞いはいかがなものか。スカ屁を正直に素直に告白したところまではいいが、いつでも〈屁〉など平気の平左でこきまくり、ダンナを欺いているんだからね――と読んでいったのだが、いやいや欺いているんじゃなくて、これって(愛する)ダンナに配慮した健気な振る舞いか?

 つまり、ダンナが権妻の病的な〈屁〉の真実を知ることは必ずしも幸せではないわけよねェ。権妻が健気に精一杯振る舞って、ダンナの前から〈屁〉を抹殺することはお互いの幸せではあるのであ〜る。

 ただまあ、いくら真実であっても、あまりにあけすけに(隠蔽の様子を第三者に)説明されると鼻白むものだ。そこには恥じらいというものがない。少なくとも原文にはないよなあ。このときダンナを(どのくらい?)愛しているかも問題だろうが、美人の振る舞いが「虚偽」か「健気」のどちらに片寄ってバランスするかは紙一重なんだな。微妙に〈屁〉の位置づけが変わるのである。

 平和を望む音成は鼻白む代わりにお茶目な権妻をイメージしてみた。お茶目はまだ救いがあるさ。ははは、もちろん根本的な問題解決のためには、お互い〈屁〉は臭いと認め合うことが必要なのだが、無理なら、別れるのは早い方がいいよ…なんちゃって。



ラベル: 権妻 漢文
posted by 楢須音成 at 17:25| 大阪 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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