2010年01月01日

幸せの〈屁〉で一生を楽々と暮らしてみたい

 新年を言祝ぎ心に残る話を一発。常々こういう幸福の〈屁〉にあやかりたいと思っているのだが、現実は厳しいわけである。それでも無用の〈屁〉というものが、いつか幸せをもたらすという(パターンの)民話は全国に分布しているんだよね。切なる願いは哄笑され、少なくとも話の中では〈屁〉は心から祝福されている。(中重徹『一発』から引用)
 むかし、あるところに、屁こきの娘はんがありました。その娘はんの屁というのは、けったいな屁で、
「だれぞッ、だれぞッ」
とたてつづけに鳴るのでした。
 けれども、しょっちゅう屁ばっかりこいているので、こんな子は家においとくわけにはいかん、ということになって、町に売られていきました。
 すると、町のぶげんしゃが、なんぼ屁こきでも、およっさん(女中さん)の仕事ぐらいはできるだろうと、二十両で買いとりました。
 ある夜ふけ、ぶげんしゃの家に、ぬすっとが忍び込みました。
 盗んだ品物の荷作りをやっておりますと、みんな寝こんでいると思っていたのに、ふいに、
「だれぞッ」
とどなる者がありました。ギョッとなって立ちすくむと、またもや、
「だれぞッ」もう一つ、「だれぞッ」
 ぬすっとは首をちぢめたり、のばしたりしていましたが、いつまでたっても起きだしてくる気配がありません。じわりじわり声のする方に近よりますと、ひとりのおよっさんが眠りこけたまま、尻から大きな音を出しているのでした。
「なんや、屁の音か」
 ぬすっとは頬かむりをしていた手拭いをはずして、それをおよっさんの尻の穴につめこみました。
 やっと荷物がまとまったとき、ぬすっとはさいぜんの手拭いに印がついていたのに気づきました。そこで尻からスポンと抜きとりました。と、いままでたまっていた屁が、
「だれぞッ、だれぞッ、だれぞッ………」
といっぺんにけたたましく鳴りだしたのでした。
 その大きいこと、大きいこと、ぬすっとは家の者がみんなとび起きてきたのだと勘ちがいして、荷物をほったらかしたまま、一散に逃げていきました。
 あくる朝、ぶげんしゃは、
「おまいの屁がこない役立つとは知らなんだ」
と、大いに感心いたしました。
 それから、およっさんはぶげんしゃの家の娘にもらわれて、一生楽々と暮らしました。
(徳島市多家良町・河合トヨ談、未来社『日本の民話』)

 いい話でしょ〜? どこぞの嫁の暗喩として読み込んでも味わい深く、いま少し酒に酔って、ひとりニヤニヤしていたら我が嫁が怪訝な顔をしておるのであるが、もちろん我が家では固く固く〈屁〉は禁止である。

 似ている話の変形(どちらが先かわからないが)としてはこんなのがある。岩手県金ヶ崎の話として中重徹と興津要による『新編・薫響集』に紹介してあるものを引用する。
 むかし、弥太郎という気のいいじいさんがいた。
 このじいさんは、面白い屁をするので有名だった。
 其の屁は、「だんだっ(だれだっ)」
 となった。だから、知らない者は、だれでも咎め立てでもされているように思った。
 こんなぐあいなので、じいさんの屁の音も面白がる者といやがる者とがいた。
 村の大金持ちがそれを聞いて、ある日、じいさんにきてくれといった。
 じいさんはなんの用があるのかと思っていくと、旦那さまは、「じいさん、おまえ、うちの米倉の番人になってくれないか。ほうびはおまえののぞむだけあげるから……」といった。
 じいさんはたいそう喜んで、その夜から長者の米倉の番人になった。そして、戸前の二畳敷きに毎晩寝ていた。
 ある夜、泥棒がはいって、こそこそとしのび足で米倉へ忍び寄ると、暗闇のなかから、いきなり「だれだ! だれだ!」とどなられたので、泥棒は驚いて一目散に逃げていった。
   (中略=泥棒は七夜続けて来て撃退される) 
 八日目の夜になると泥棒は考えた。
 いままではこんなことはなかったのだが、どうもあの声はただの声ではない。不思議だと思って、またこそこそ忍び寄ってみると、それは倉番人のじいさんの屁の音だとわかった。
   (中略=泥棒はきゅうりをじいさんの尻の穴にさしこんでおいた)
 それで、さすがの「だれだ」の音も出せないので、泥棒は安心して米だわらをたくさんしょいこんだ。そして、帰りがけに少しあわてたので、きゅうりのつるに足をひっかけて、きゅうりをスポンと引き抜いてしまった。すると、それまでよほどたまっていたものとみえて、「だれだ、だれだ、だれだ」と、たいそう大きな音を休みなしにひりつづけた。
 これには、さすがに寝坊なじいさんも目をさまして、ほんとうの声で、「だれだ」と叫んだので、泥棒は腰をぬかしてつかまってしまった。

 同じような(パターンの)話でも、じいさんよりは娘の屁こきが意義深く面白く感じられるのだが、どうだろうか。そりゃあ、男と女・若者と老人、各々の背負っているものが違っているのだから、一発の〈屁〉の意義が様相を異にするのは当然だろう。

 じいさんは(多分このあと)単に褒美をもらったに過ぎないが、およっさんは思いも寄らぬ境遇を受け取り(多分このあと)一生の幸せを得たのだった。そのとき存在のあり方は劇的に変転し、生きていく意義がまったく新しくなったのだ。

 スポンと栓がとれて飛び出した一発の〈屁〉よ。
 新年、音成はおよっさんの〈屁〉にあやかりたい〜。


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posted by 楢須音成 at 02:10| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月09日

〈屁〉を爺婆の昔話のように語り出してみる〜

 前回に続いてもうひとつ、初春の話を。山東京伝の黄表紙『諺下司話説(ことわざげすのはなし)』(1797年)を何回かに分けて全文紹介してみよう。ウンチクたっぷりに〈屁〉を語ってなかなかの名調子なので現代語に訳すのはもったいないのだが、例によって音成のテキトー訳を試みる。無学ゆえの脱輪・脱線訳にご不興の向きは原文に当たっていただきたい〜。(黄表紙は当時の漫画本みたいなもの。絵がないと面白味は半減するのだが、ぺりかん社から『山東京伝全集 第四巻』が出ている)

 まずは巻頭の自叙。臭くないと言ったり臭いと言ったり、どこやら論理矛盾があるみたいで何が言いたいのかすっきりしないのだが、じっくり読み込んでみると、意外に深い〈屁〉の論理を語っているような気もしてくるね。いや、絶対そうに違いない。
 人のひった屁は臭い。我がひった屁は臭くない。ひるもひらぬも大坂から来た芸人、花咲男のハシゴ屁を登って嗅げば臭気(くさき)が立ち動く。極上の屁は色なく香もなし。その放屁の秘伝を以心伝心しようと文殊シリの菩薩も屁をひって、尻をすぼめる凡夫らの、火宅ならぬ屁宅の苦しみを救いなさらんそのために、百日間の(ありがたい)説法も、ただただ屁一つ(でダメになる)とお説きなさる。我れ人の屁を臭いとすれば、人もまた我が屁を臭いとする。良いにおいはすぐに消えても、悪いにおいはますます臭い。柳は緑、屁は黄色。色も、そのにおいも、ひる人こそが知っている。
    煙草入れの店にて
山東京伝戯題

 寛政八年丙辰

 自分の〈屁〉は臭くないと言いつつ、人の〈屁〉を臭いと決めつけるのは、誰でも同じ性癖だ。極上の〈屁〉は色もなくにおいもないのだろうが、世の中にそんな〈屁〉があるわけもなく、自分の〈屁〉の色も臭気もよく知っているのは実は〈屁〉をひった当人だ――とまあ、これを凡夫の浅ましく矛盾する〈屁〉の苦しみと捉え、文殊師利(もんじゅしり)菩薩にそういう「屁宅」の苦しみの救済を願っているわけさ。こうみれば、なるほど一貫しているではないか。(京伝の〈屁〉に対する洞察は深いねェ)

 さて、この自叙とは何の脈絡もない物語が始まるのだが、ストーリーが段々と複雑になっていく御家騒動の話。出だしはのんびりと、どこぞで聞いたような昔話を下敷きにして、面白可笑しくこき出される。
 昔々あったとさ。フッポン国は放屁の国の片田舎に、ジジイとババアがあったとさ。夫婦ふたりの遠慮のない暮らしゆえ、心置きなく屁をひるばかりが一つの楽しみ。ある日、ジジイは山に臭がりに行き、ババアは厠(かわや)へ屁をひりに。ババアが前の川にて手を洗おうとしたそのとき、川上から一個の芋が流れてきたので、拾い取って家に帰った。

 ジジイが言う。「おババがおならをすかしたようじゃ。さてさて臭い屁だ。ここまでにおう。これがほんとのジジイは山へ臭がりにいく〜だ」
「も一つ芋よ流れて来い。おジジにあ〜げよ」

 夫婦、かの芋を食べてから、不思議や、たちまち二人とも若返り、女房はただならぬ身になって、ほどなく臨月になると、薩摩芋のように太った男の子をやすやすと安産した。さても、この子、生まれ落ちるとすぐさま鼻と尻とを指差し、「天上天下唯我屁く尊(てんじょうてんかゆいがへくそん)」と言いながら、スイと一つおならをすかした。その臭いことと言ったら、ニラ・ニンニクといえども、とてもとても及びがたい。これすなわち、芋を食べて身籠もった子ゆえに、名を芋太郎と付け、夫婦は掌中の握りッ屁のように愛おしんで育てたのである。

「オオ臭い臭い、なんでまた赤子がおならをするものか。こちらの人、隠れておならをしなさったね」
「それはあらぬ大妄想、おれではない、この赤子だ」
「ああら、怪しい〜。イタチは最後にいたって屁をひり、我が子は生まれるに臨んで、おならをする。生死流転も屁のごとしという道理だけれど、なんにせよ、ああ臭い臭い」
「おぎゃあ、おぎゃあ、ブブブ、ブウ」

 その頃。
 放屁の国の主(あるじ)は臭屁(くさべ)の判官(はんがん)尻元(しりもと)の音義(おとよし)公と申し上げ、北の方を屁玉御前(へだまごぜん)と申されたのだが、音義公、ことのほか屁をもてあそびなさる。ブイブイという音は琴や三味線よりも賞美して、悪臭(わるくさ)いにおいは、伽羅木や真南蛮(どちらも香木)のように大事にするので、家来の面々、いずれも屁学に尻(おいど)をさらし、ブイブイとひたすら屁道に励むのだった。

 こんな調子で物語が始まる。ネットで探したら原本の画像が全頁公開されている。もちろん絵が入っているので楽しむことができる。
posted by 楢須音成 at 03:32| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月11日

続・〈屁〉を爺婆の昔話のように語り出してみる〜

 山東京伝の黄表紙『諺下司話説』を続ける。前回登場したフッポン国の放屁の国とはそのままニッポンのどこやらになりそうだが、放屁の国と対峙する、これまたよくわからないあやしげな国が登場して物語は広がっていく。
 ここにまた、北海の尻の方に一つ国があり、名付けて屁臭国(へくさいこく)という。この国の大王を放屁皇帝といい、この人もまた、屁をお好みになり、かねてより臭屁家(くさへけ)の屁徳を慕い、このたびはるばる使者を遣わして、放屁の玉(たま)という名玉(めいぎょく)と玉屁箱(たまへばこ)というものを贈ったのである。まことに、このような屁国までをひりなびかせること、ひとえに音義公の尻の面目、屁の冥加と申し上げるべきだ。
 かくて我が君、屁をお好みになり、みずからもよくひりなされたのだが、我がひった屁は臭くないものだとて、常々、家来どもに命じてひらせ、楽しまれるのだった。

 すい屁ポン兵衛(すいべぽんべえ)
 すかし屁右近之介(すかしべうこんのすけ)
 北の方屁玉御前(きたのかたへだまごぜん)
 臭屁の判官音義公(くさへのはんがんおとよしこう)
 家臣握屁の臭右衛門(かしんにぎりべのくさえもん)

「この玉は放屁の玉とも、おいどう臭いの玉とも申します。また、この箱は、世界の人がおごそかに登壇するような場所で、ふと取り外したおならを集め、この内に封じ込め、玉屁箱と名付けた一品なのでございます」
「なるほど〜、見世物茶屋にもない珍しい宝じゃ」

 黄表紙は絵を説明しながら書き下しているので、文字だけ追うと筋の運びが少しギクシャクしている。ここも名前と会話が突然出てくるが、これは描かれている絵の人物の説明と会話である。「おいどう臭い」は「おいど(尻)」と「銅臭(銅貨の悪臭。金銭欲)」の掛け合わせ。そういう何とも言えぬにおいなのだろう。もちろん、放屁の国ではいいにおいに属するらしい。

 しかしまあ、「へ」に引っかけてすべて〈屁〉で塗りつぶす手際は素晴らしいよねェ。日本語の「へ」は実に豊かな世界を持つと言わざるを得ないよ。
 臭屁の判官(音義公)は屁臭国の使いに、我が国の屁道のほどを見せつけんと、屁国人をもてなすためと言って家来に命じ、いろいろの曲屁をひらせなさる。家来は皆々、御座敷に屁儀(えり)を正して結集し、我れ先に屁柄(手柄)をあらわそうと、皆々一同にポンポンポンとこき出す。その音、天地に響き、あたかも百千の雷が一度に落ちるように、屁ざまし(目ざまし)いものだった。
 しかるに、臭屁家の重臣・握屁の臭右衛門は、平生から心よからぬ者。このとき、音義公にこう申し上げた。「今日は屁国人に見せつける晴れの場所ゆえ、だれでも尻の穴の続く限りはひり出し、妙なる香り、珍しき音を添えて、殿をも慰めておりますのに、すかし屁右近之介一人が一向に音を出さず、屁国人の前にて不覚をとったのは、察するところ、尻の穴にかかとを当て、秘かにすかしたものと思いまする。これはまさしく尻に謀反の心を差し挟んだに違いありませぬ」と讒言(ざんげん)を申し上げたのだ。音義公、「もってのほか」と御立腹になり、とうとう右近之介を勘当なさる。

 右近之介は、寝耳におならの御勘気に、ただ「屁い屁い」と言うばかり。ひたすら尻込みして控えている。
「沈香も焚かず屁もひらずとは、汝がことじゃッ。大切な場所で、おならを仕損なったのは、奇ッ怪至極である。今後、私との目通りはかなわぬぞ」
「日頃、おいらを屁のようにあしらった報いじゃ。よい気味よい気味ィ〜」

 臭右衛門のような邪心ある小者はどこにでもいる通俗の悪党だが、通俗ゆえにツボにはまっているね。多分、そのとき右近之介は本当に(腹具合でも悪かったのか、やむなく)すかし屁をしたのだろう。臭右衛門はそれを耳(いや鼻)ざとく知って粉飾し、謀反の心ありと決めつけたのだ。まあ、真に受ける音義公の単純さもツボにはまっているが、そこがほのぼの可笑しいのは〈屁〉だからさ。
 かくてまた、音義公に一人の姫君があり、おならの前と申された。この国では、女の風俗は、柳腰よりも屁っぴり腰をもって尊いとしたが、おならの前の姿は、ほっそりすらりと屁っぴり腰で、まことに尻がなせる美人である。しかし、いまだ然るべき婿君がいなかったので、国中に高札を立て「奴(やっこ=家臣)、槍(やり)持ちは申すに及ばない、いかなる匹夫(ひっぷ=身分低い男)、下郎(げろう=同)であっても、屁道に達したる者を婿に取る」とのことで、少しでも屁心のある者は、なんとか婿にならんと、皆々、屁道に励むのだった。
 ここにまた、この国に一つの名木があった。名付けて握屁(にぎりべ)の木という。葉は八つ手に似て、人の手を握ったようで、春風吹けば、その葉、手を開いて、内より屁のにおいがぷんぷん。木犀の花の香りのように、人の鼻を貫くので、国中の人がこの木のもとに群れ集い、詩を作り歌を詠み、遊び興じて年々盛り上がっていた。
 また国の習わしとして、植木の好きな人は、屁糞葛(へくそかずら)を鉢植にして楽しみ、小さい子はキリギリスのように、屁っぴり虫を籠に入れて、もてあそぶのだった。

「この子ったらまあ、そのようにダダを言うては、将来、よい屁っぴりには、なれませんわよ」
「他国では梅の香りを賞美すると申しますが、この握屁の木のようなよい香りを嗅いだことがないゆえでごさいましょうなあ」

 そのまま右近之介の話かと思いきや、話は横にそれて姫君が登場してくる。屁に親しむ屁心や屁道に満ち満ちたお国ぶりが語られているわけだが、次にも新たな登場人物が紹介されることになる。まあ、この辺は伏線を張りながらどんどん話がふくらんでいく前段である。
 ここにまた、音義公の家臣に、鼻持(はなもち)放屁之介という美男がいた。屁道に達した者であったが、ある日、国の産土(うぶすな=生まれた土地)の屁ひりの神へ参詣して、屁内安全・屁臭い延命と祈って帰る途中で、おならの前に見初められた。おならの前も遊びに行っての帰り道で、放屁之介が握屁の木につけた短冊「難波津にかぐやこの鼻冬ごもり今を春屁とかぐやこの鼻」という歌を見て、その屁道をたしなむ優しき心を愛しく思い、ここから物思いの種となった。
 握屁の臭右衛門はかねてより、おならの前に気があり、婿になって、臭屁の家を握屁せんとたくらんでいたのだが、この二人の様子を見て無念がった。

(おならの前)「屁ひりの神は正直神じゃと申しますから、どうぞ放屁之介がわたくしに、つんむく(必ず心を向ける)ようお守り下さればいいなあ。おお辛気ィ(気持がもんもんする〜)」

 次第に登場人物たちが絡んでいく。はてさて、姫君の思いはどうなるのか。ははは、あっさりと結ばれるのだが、順風満帆ではない。「難波津に〜」の歌は、新古今和歌集の仮名序に出てくる「難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」が下敷きになっている。
posted by 楢須音成 at 00:14| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月14日

続続・〈屁〉を爺婆の昔話のように語り出してみる〜

 山東京伝は黄表紙の挿絵画家(北尾政寅)としてのデビューがスタートだったらしい。挿絵画家から作家(山東京伝)になった才人で、たちまち売れっ子。しかし寛政の改革では、政治風刺や風俗紊乱の科で罰金刑やら手鎖の刑を受ける。めげずに創作活動は続くのだが、面白いことに、そんな寛政五年(1793年)に京橋銀座に紙製煙草入れの店(京伝見世)を出しているんだよね。

 自叙の原文に「煙草袋舗において」とあるのがそれ。もともと絵は一流の京伝である。煙草入れのデザイナーとしても評判を取る一方で、店を盛り上げようと広報・広告にあの手この手の工夫を凝らす。判じ物仕立ての絵入りのチラシ(引札)を配ったり、自分の作品の中で店をさりげなくアピールしたり広告を載せたり。店はキセルとか各種の薬まで扱ったようで、煙草グッズと薬とかのドラッグストアみたいな感じだったのか。

 ――以上は『諺下司話説』の筋とはゼンゼン関係ない話だが、まあとにかく、京伝はしたたかに抜け目のない商売人でもあったようだね。そういう人が自分が創作する作品では誰に最もわくわくと感情移入したんだろうか。いやまあ、これはもう、こういう悪党たちじゃかなろうかねェ。
 握屁の臭右衛門は、おならの前と放屁之介の様子が相思相愛のいい感じで運ぶのを見て、大いにいら立ち、すぐさま一つの謀(はかりごと)を計画した。韮(にら)の六之進、大蒜(にんにく)の八之丞といった、臭いものの身のほど知らぬ連中と謀議して、このとき放屁之介が、殿より預かっていた放屁の玉を盗ませ、放屁之介にその罪をひり(なすり)つけて、亡きものにせんとたくらんだのだ。ここから、韮、大蒜、握屁と(臭〜いものの代名詞として)今の世までも言い伝えているわけだ。

 握屁臭右衛門(にぎりべくさえもん)
 韮の六之進(にらのろくのしん)
 大蒜の八之丞(にんにくのはちのじょう)
 すい屁ポン兵衛(すいべぽんべえ)

「屁の寄るところに玉が寄るとはこのことであろうな。でかした、でかした。このこと必ず他言は無用ぞ。臭いものにふたするように、絶対に秘密だ。うまくいったら、出にくくなった屁のような、いびつな物をたんと取らせるぞ。いいな、いいな」
「なんぼこの国の習わしだといって、このお茶は河童のおならのようなお茶だわ」

 まあ、この辺まではまだ品よく話は進んでいるのだが、そろそろ脱線気味になってくる。笑うよ。
 大蒜の八之丞は、握屁の臭右衛門に頼まれ、秘かに宝蔵に忍び入る。放屁之介が預かっていた放屁の玉を盗んで引き揚げようとしたとき、放屁之介、これを見つけ「くせ者待て〜」と声を上げる。大蒜の八之丞、前もって尻に小柄(小刀)をはさみ隠していて、エイと言いつつ、ブブッと一つ大屁をひったので、屁(日)の出の勢いで尻にはさんだ小柄が、放屁之介の眉間めがけてひらめいて飛んできた。放屁之介は心得たりと手燭でハッシと受け止めたが、盗賊八之丞は逃げ去ってしまう。これが尻(手裏)剣の始まりである。

(放屁之介)アア臭い臭いわ、鼻をつままないとにおいが残る。臭みがある屁を食滞(もたれ)屁と言うのよ。
(八之丞)「ひり倒してくれるわィと思ってさ、後ろ向きに構えてチンチリツンツル、ブイブイブイ」

 さて次は大きく場面転換。すでに放屁之介とおならの前は親密な関係になっている。玉をなくした放屁之介はおならの前と計らって恋の道行。謡曲の歌い出しのように語られるのだが、調子よすぎて、これはちょっとテキトー訳も♪脱輪〜。
 道行―ふかしたていもせの山盛
 ♪屁の玉なのかと人は問い、スイと答えて消えそうな、人の流れと屁のゆくえ、今日九重ににおってる、おならの前と放屁之介、ひり交わしたる臭い仲、二人手に手を握りッ屁、これはくッさい恋衣、長い屁鞘に黒繻子(じゅし)の帯、へっぴり腰にきりりとしゃんと、結ぶ手綱も鬱金(うこん)色、殿様の馬、馬の屁や、槍持ちの屁のブイブイも、嗅いでもゆかしい武士(もののふ)が、いまじゃこの身のせつな屁よ。
 ♪その馴れ初めは過ぎし頃、屁ひりの神を仲立ちに、誰(だ)がひったか、彼(か)がひったか、ひったほうへとつん向いて、これこうしてと手の内に、無限のにおい籠もらせて、初めて逢ったその夜から、嘘つき弥二郎(隠れて陰でも嘘を言う嘘つきの代名詞)藪の中、屁などひらぬと誓いつつ、便所の踏み板外す一大事、その先の世の末までも、所詮は屁の鳴るオチじゃないかいナ。
 ♪なんのかんのと、べちゃくちゃと、ひりたきゃひるさ朝露の、びっしりついた芋畑、いざや急ごうあちらへと、時しもいまはぼた餅の、腹につかえてしくしく痛む、出るわ出るわ屁が出るわ、ひる屁はまるでよるべなく、手に手を取ってどこまでも、急ぎ急ぐは恋する二人〜。

 放屁之介は、預かった放屁の玉を紛失して申し訳が立ちがたく、結局は阿呆〜払いとなり、すごすご館を立ち退かなければならなかったわけだが、おならの前も館を忍び出て、たとえ肥壺(こえつぼ)の底、小便桶(しょうべんたご)の中までも離れはしないと、二人打ち連れて、すかし屁右近之介の隠れ家へと向かうのだった。

(おならの前)「たとえ千里の遠く離れた藪の中でも、虎の屁を嗅ぎ、鬼の棲む里で鬱金色の褌(ふんどし)をかぶるとも、二人で暮らすが、わたしゃうれしィ」

 一方、すかし屁右近之介は、いつぞや屁をひり損なって殿の勘気を受け、沈香も焚かず屁もひらず、しょう事なしに山林に引っ込み、一人の幼き娘を育てつつ、なんとか尻より細い煙を立てて暮らしていた。そんなある日、徒然なるまま肥舟に棹を差し、釣り糸を垂れて楽しんでいたが、時に不思議や、据風呂の中で屁をひったように、水の中がブクブクブクと泡立ち、スーッと黄色い雲気(雲のようにむくむくした気)が立ち昇って、臭屁の家に一大事が起きたことを悟る。

「ああら、怪しや、いま水中より、ブクブクブクと泡立ち、船の舳先へ雲気が昇ったのは、この水底の河童の屁か。もしかしたら、龍王のおならか。なんであろうと、なにやら臭い不穏な事を嗅ぐものじゃなァ」

 ここで再びというか、ようやくというか、芋を食って若返った婆から生まれた芋太郎が登場する。
 さて、光陰屁の如く、隙行く駒のように瞬時に出てくるおならを止めがたく、あの芋太郎、成人するに及び、屁を上手にひり、ついには屁道の達人になっていた。なおも屁道を究めんと、花咲男と名乗り、屁者修行に出たのだが、あるところで一人の売僧(まいす)に出会う。僧が人を惑わすこと許し難く、高座のへりで大きな屁をひれば、皆々あきれて逃げ帰ってしまった。されば百日の説法屁一つとは、このときから始まったのであるよ。

 皆々屁にむせる。
「ああ、くさい、くさい、くさい〜」
「おお、くさ、くさ、くさ〜」

 臭屁の判官音義公、花咲男が屁道に達したという評判を聞き、なんとしても召し抱えたいと思って招き寄せた。その屁道を試してみようと、腰元に申し付け、芋酒を盛大に振る舞ったので、花咲男、大いに酔っぱらい、そのままそこへ倒れ込んで他愛がない。かくて皆々、口々に言うには「こんな他愛ない屁っぴり男、まさかのときの屁役には立たないでござる。お猿の尻の、まるでそのまんまに、真赤に酔い潰れておりますわ。尻(おいど)にゴボウを焼いて押っつけ、早々に追い出すのがよいでござる」と非難ごうごう。音義公これを制し、「いやいや、我れの深く見込んだ所があるのじゃ。早速一つ試してみよう」と、寝ている花咲男の耳のそばで大屁をポンとひられたのである。
 花咲男はむっくと起き上がり、「ああ、うるさいなあ。いまひった一つ屁は、陰に離れ陽に外れ、尻に屁あって向かうに音なし。むむ、さては、におわない疝気(せんき=下腹の痛み)屁であるかな。何者の仕業ぞ」と、四方をキッと睨(ね)め回したので、音義公、花咲男の屁道の心得の深いのを感じ取り、とうとう家来にしてしまわれた。

 腰元たちは手に屁と汗を握って心配する。
(酔いつぶれた花咲男)「この本の版元の後ろの新道、三和が店の鰻はうまい鰻だ。ムニャムニャムニャムニャ」などと寝言を言う。
(家来たち)「これはどうだ、義経の五斗兵衛もどきをやりおる。ここは一番、おれも和泉三郎でこじつけねばなるまい」(※これは歌舞伎の「五斗三番叟」を踏まえて言っている)

 花咲男は臭屁の家に召し抱えられ、花咲男之介と名を改めた。ある日、縁側に出て、一人気ままに屁をこいて楽しんでいたところ、不思議や、朝飯前に肥取りが来たような悪臭(わるくさ)い風が吹いてきた。さすがの男之介も鼻の先に唾を付け、煙草の火入れに線香を立てて我慢していたが、突然に大きなイタチが一通の密書をくわえて走って来たのである。男之介、そのまま持っていた鉄張りのキセルで打ち据えると、イタチはせつな屁をブイと一つひり、そのまま息絶えてしまった。その屁の臭いこと、腋臭(わきが)のある人と連れ立って、肥舟で舟遊山に出かけるようなものか。多分それに及ぶものだろう。そこでこれをイタチの最後屁と名付けるのである。
 昨今、花火に「いたち」という名のものがあるが、これを上げるときはスイスイと音がして煙硝臭い。これもみな、この最後屁の御利益なのである。

 いよいよ話は佳境に入っていく。お膳立てが整ってきた。
posted by 楢須音成 at 01:15| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月17日

続続続・〈屁〉を爺婆の昔話のように語り出してみる〜

 世の中に屁文学と言うジャンルがあるとすれば、この『諺下司話説』は間違いなくその一編である。しかし大方の人にとっては、文学世界が〈屁〉だなんて、下品下劣で面白可笑しいだけだという評価になってしまうのよねェ。いやまあ確かにそれは、その通りなんだけどさ。

 屁文学の世界の中で〈屁〉は、下品下劣であることを華麗にスルーして語り出される、おバカ丸出しが身上なのだ。

 語り手は単に自分で面白がって(あるいは読み手を面白がらせようとして)いるとしか思えないし、そもそも〈屁〉というものが、例えば〈愛〉のようにテーマ(主題)として(ほとんど)意識されてもいない。そこでは臭気が香気のように扱われ、奇音・異音が美音に聞こえてしまう意外性(見方や価値の逆転)を用いて(しかし、それだけではとても間がもたないので言語遊戯を駆使して)ストーリーを練り上げるのだが、公認されるジャンルを構成するほどのテーマ〈屁〉の底力はない(みたいだよねェ)。

 しかしだね、それでも屁には〈屁〉としての深層はあると思うのさ。普段は無視されている〈屁〉が場所を与えられて何やら動いている。その浮薄な〈屁〉尽くしの世界は、ある一線を越えることで純化され、まるで〈屁〉が隠微に匂うように漂い始めて何かを伝えんとしている〜ではないか(な?)。
 ここにまた、屁臭国の大王・放屁皇帝、少し前から尻の穴がふさがってしまう病に冒(おか)されなされた。まったく屁をひることができなくなり、このとき一人の名医が申し上げる。「馬の年、馬の日、馬の刻に生まれた、へっぴり腰の女の生屁(いきべ)を取って嗅ぎなさるならば、その病はすぐに癒えます」と。このことを、どこをどう探したのか、すかし屁右近之介を訪ねあて、すい屁ポン兵衛が突然あらわれて伝えたのである。――幸い、おならの前はその年のお生まれである。汝(なんじ)がおならの前をかくまっていることは周知のことだ。さっさと姫の生屁を取って渡せ。すぐにこの壷に入れて屁臭国へ送って差し上げねばならぬ。事情はわかったな。
 すい屁ポン兵衛は派遣されて命じているのであった。
 これには驚く放屁之介とおならの前の御両人。

(ポン兵衛)「この壷に生屁をいっぱいに満たし、いますぐ我れに渡せ。ひれどもなくなることはなく、嗅げどもにおい変わらぬ生屁だから、そのまま尽きることもないが、それがある家は屁臭い、とは能の『猩々(しょうじょう)』の終わりのところの文句だ」
(右近之介)「拙者はまた、塩辛のにおいかと思っておりました」

 右近之介は、おならの前をかくまってなどいないと抵抗したのだが、いまはもう術(すべ)なし。しばし思案に暮れつつも、夕方六つ(6時頃)の鐘を合図に請け合ってしまう。しかし、思いを回せば回すほど、あのように優しい姫君のおならを、どうしてまあ、異国へ渡し、唐人に嗅がせられようか。娘には可哀想だが御身代わりに、娘おいもの生屁を取って渡してやろうと、たくさんの芋を茹でて食わせ、泣く泣くその用意をするのだった。

 ♪ウャア〜、空を翔(かけ)るムササビ、地を走るイタチまで、屁をひらないものはない〜、ヤァポンポン、ハァポンポンと、屁で拍子をとりながら、すい屁のポン兵衛、能の『天鼓(てんこ)』の謡(うたい)を歌うので、いよいよ哀れな有り様になってくる。

(おいも)「もうし父(とと)さん、わしゃ、そのお芋をたんと食べて、その壷におならをするのかや」
(右近之介)「おお、よう言うた。これ、おいも、そちはまだ幼いゆえに少しも屁はひるまい。しかし、姫君様の御身代わりに、たんとおならをせねばならぬ。決していきんで最後屁をしてはいかん。行儀を教えた幼子に、親の前で屁をひらせて下品なこととも思わぬのは、みなこの国の習わしではあるが、屁っぴりの子に生まれたが不運だとあきらめて、いさぎようおならをせい」
(ポン兵衛)「これほど骨折って上手に歌っているのに、だ〜れも『天鼓』も聞かず屁もひらずだわ」

 ポン兵衛とは妙な名前だとは思っていたのだが、つまり謡が得意の者だったわけである。まあ、少々狂気じみているところが全開だ。事態は急を告げて大騒動になっていく。
 右近之介は、身代わりのおいもの贋屁(にせべ)をポン兵衛に見破られてしまう。もはやこれまでとばかり、いきなり尻をまくってひりかけ、ついに二人は互いに屁(火)花を散らしてひり結ぶ。ポン兵衛が刀を抜いて庭の竹を斬り折ると、あらかじめ内に仕込んでおいた多量の屁玉が飛び出して、いっせいにポンポンポン。すると遠寄せに包囲して鉦・太鼓(かね・たいこ)を打ち鳴らし、ときの声を打ち上げて、握屁の臭右衛門の登場だ。多数の忍者を引き連れて取り巻き、姫を渡せ〜と騒ぐのだった。

(臭右衛門)「屁臭国の大王の評議とは嘘じゃわ。上使はすなわち贋上使、汝の本心を試みた我が計略だ。かくも取り巻いたらもう逃れられぬところだぞ。おならの前をこっちへ渡し、こちらの味方につけ。返答はどうだ、ブウ」とどっちつかずの尻口で言う。

 捕り手の面々は尻の筒先をそろえ、動きがあれば屁(火)ぶたを切り、すぐにでもひり殺そうとする勢い。臭右衛門とポン兵衛も、火吹き竹に屁を仕込み、もし味方につかないならば、屁ぶたを切るぞと詰め寄った。

 さあ、緊迫した場面だが、ここに花咲男之介(芋太郎)の登場だい。
posted by 楢須音成 at 00:56| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月20日

完結・〈屁〉を爺婆の昔話のように語り出してみる〜

 山東京伝の『諺下司話説』は作品の全体を見れば、筋立ても描写もチグハグなところが多い。そもそも誰が主人公なのかストーリーが進むにつれて曖昧(というか不徹底)になってくる。まあ、取って付けたような展開なんだよね。それを補っている、というか(それが黄表紙の本領なのだが)主役はこちらと躍っているのは絵なのである。要するに言葉は絵を彩っているに過ぎないのだ。しかし、ひたすら一貫しているのは〈屁〉さ。

 まさに右近之介が屁(手)詰まりに陥ったそのとき、奇跡のように花咲男が存在してしまう。イタチという伏線はあったんだけどね。
 屁道においては、誰よりも強い勇士と呼ばれた右近之介だが、握屁の謀略に陥り、もはや危うく見えるところに、あの花咲男之介、韋駄天(いだてん)のように走ってきたのだ。その助太刀に右近之介も力を得て、出ものところを嫌わず、ひっては握り、握っては投げつけ、屁と礫(つぶて)を打って、屁の比類ない働きに、捕り手の面々、鼻をつまみ尻(おいど)を抱え、これはかなわんと逃げ散った。

 皆々、右近之介の握屁に屁き屁き(辟易)して逃げ惑うばかり。
「あ〜臭い臭い臭い臭い臭いわ。気の利いた思いつきも下手な語呂合わせも出てこんわ、ただただア〜臭い臭い臭い臭い〜」
「あ〜臭い臭い臭い臭い臭いわァ」
「イヨッ、玉屋ァ〜」
「こう悪事がバレては百年目。せっかく巧みにたくらんだものを、チッいまいましい。これがほんとの屁の中落ちじゃ」

 駆けつけた花咲男之介は、屁(目)にもの見せんと言いながら「遠からん者は音にも聞け、近くは寄ってにおいを嗅げェ〜」と叫ぶ。男之介は、イタチがくわえてきた密書で、前もって握屁の謀反を知っていたのだ。握屁を取って投げ、力まかせに踏みつけると、握屁の臭右衛門、せつな屁とともに尻の穴に隠し持っていた放屁の玉をひり出してしまい、これを最後の一つ屁として、そのまま息が絶えてしまった。
 このとき、臭右衛門は、なんとか玉をひり出すまいと、尻を一心にすぼめたのだが、屁をひって尻をすぼめるということは、ここから始まったのである。
 この成り行きに放屁之介は喜んだ。

 こうして握屁の臭右衛門、すい屁のポン兵衛の二人の敵役(かたきやく)は滅び、なくなっていた放屁の玉も出てきたので、音義公、右近之介と放屁之介両人への勘気をとき、皆々喜びのおならをすかしてさんざめいた。

 花咲男の屁の威光によって悪人は滅び、平康(へいこう=平らかに康し)は、またこのときから久しいのである。花咲男はその喜びに、さあそれではと、扇を持って立ち上がり、早速、曲屁を奏でたのだった。

 その曲屁とは何々ぞ。
 ♪すい屁山茶花(さざんか)、つまむ鼻、砧(きぬた)、すががき、鶏屁(にわとりべ)、ひり捨て梯子屁(はしごべ)、三番叟(さんばそう)、鴨(かも)のすかし屁、水車(みずぐるま)、鴫(しぎ)の屁返し向こうづけ、アリャリャリャ、ブッとひる、四十八屁もなお足りん、百屁砕いて、ひるのだよ〜。

「それは鼓(つづみ)の音に似ているけれども、わずかに三つの調子があって、五音に通じない。いま、花咲男の屁は十二の調子を備えて自由にひる。ハテ、珍しい尻(おいど)じゃなあ」

 さてまた、放屁之介は花咲男に屁道の奥義を譲ってもらい、いまは並びなき屁道の達人となった。そこで音義公はあの高札のお触れの通り、放屁之介を娘の婿にして、吉日を選んで祝言させ、臭屁の家は永く富み栄えたのだった。

 お決まりの後日談はこうなっている。
 花咲男は久しく音義公に仕えていたが、なんとか一度ふるさとに帰り、父母にも会いたいと暇(いとま)を申し出た。音義公は着慣れた自分の烏帽子、狩衣を添えて、屁臭国より贈られた玉屁箱を下賜された。花咲男はこれを携えてふるさとへ帰り、父母に再会できたのだった。そのとき無事を喜ぶあまり、何の考えもなく、あの玉屁箱の蓋を開けると、内から屁の気が立ちのぼり、たちまち鬱金(うこん)色の翁となってしまったが、めでたく一生を幸せに暮らしたのである。これはあまりに尾籠な物語ではあるけれど、屁は可笑しきものの大将であり、笑うべきものの随一ではあるので、笑う門には福来たる、初春の御目覚ましにもと、屁(へ)草紙・臭(くさ)草紙にこじつけて御覧に入れ奉り候〜。ブイブイブイブイ、ポンポンポンポンポン、スイスイスイスイスイスイ。

 あ、まだ肝心のことが残っている。
 京伝見世の煙草入れの儀、当年もいろいろ珍しい新型ができまして候〜。
 このたび京伝見世では珍しいキセルも売り出し申し候〜、御評判下さるべく候〜。
(京伝作)

 壮大(?)な〈屁〉の物語は終わったようである。ここまで〈屁〉を貫き通せば、多少のことは許してくれる?ってモンでしょうな。最後は店の宣伝。これでは出版の極私的パーソナライズであろう。店はなかなか人気だったらしいが。

 一言=屁文学では〈屁〉の異臭は香気で異音は美音の振る舞いになると前回言ってみた。しかし〈屁〉はどこまでも臭くて異様な音には違いない。つまり、異臭異音と、そこに香気や美音を見出す美学(秩序)との間を、当たり前に表現して行き来しているのが京伝の屁文学であ〜る。
posted by 楢須音成 at 01:25| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月27日

イチロクサイサイな〈屁〉の人

 ニオイというやつは見えないから、しばしば発生元が不明のまま不意打ちで鼻先にやってくる。あんまり臭いと「くさ〜」とか思わず声を発してしまうことはあるが、普通は黙って耐える。悪いニオイは言葉にはしにくいし、あまり口にしたくはないのだ。

 この悪いニオイというヤツ、発生元が目に見えれば(確認できれば)嫌々ながらでも(仕方がないと)半分は納得できる(腑に落ちる)場合もあるのだが、まったくの発生元不明で漂ってくるのは勘弁してほしいのである。それは人間関係を揺るがす疑心暗鬼を生む怪しいニオイだ。

 しかし、そういうニオイってヤツを自分が発しているとしたら――これは困った問題よ。

 知られたくない事実(ニオイ)に突っ込みが入った場合には、何らかの対処が迫られるわけで、その人がニオイを発していると周囲が断定(証拠の提示)に到っていない段階であれば、彼はいかにその疑惑の濃霧から抜け出せるかどうかが頑張りどころとなるね。おならイチロさんと奥さんがパーティ会場で疑惑の渦中にあったときのイチロさんの思いはこうだ。

(1)もしかして私は疑わしい挙動をしているにしても、ニオイを発していることをけれん味のない態度で否定し、何らやましいところはないと主張します。
(2)仮に私の周辺からニオイが発生しているとしても、ニオイはまったく私には関係がないと言って、何らやましいことはないと主張します。
(3)仮にニオイを疑われた周辺の者がたとえ私の嫁であっても、ニオイは私にはまったく関係がないと言って、何らやましいことはないと主張します。
(4)仮にニオイを疑われた嫁が(自分じゃないと)否認しても、ニオイは私にはまったく関係がないと言って、何らやましいことはないと主張します。
(5)仮にニオイを疑われた嫁が(自分であると)認めたとしても、やっぱりニオイは私には関係なかったのだし、まったく知らなかったのであり、何らやましいことはないと主張します。
(6)もしかしてニオイを疑われているのが私であったとしたら、やっていないものはやっていないと言って、何らやましいところはないと、不当な疑いによる冤罪を主張します。
(7)もしかして万が一、私以外の赤の他人がニオイを疑われているような場合には、そっとその人のそばを離れて知らぬ顔をして身の潔白を守ります。

 しかしまあ、ニオイの犯人の特定に関する証拠の提示は困難なので言い逃れには力が入るのである。もともとイチロさんだって別に嫌われるためにやっているわけではないのだし、そりゃあ、それだけのことをするには体力・精力もいるのだし、それを養うためには、みんなが警戒するイモ・ニラ・ニンニクが大好物であって何の不思議があろうか。加えて近年は御禁制の珍獣肉も(隠れて)ふんだんに入手できる財力も手にしたのだし、バリバリに張り切って美食して、鼻もげる臭気の海をさっそうと泳ぎ切る体力は万全なのだ。

 イチロさんがまだまだ小僧のときは、早すぎる傲慢さや強引さが災いして嫌われ役を一身に引き受けて、まあ時には見込み違いの失敗もしたので芽が出ない時期もあったのだが、どういう加減が幸いするかわからんもので、番頭になりやがて旦那様になるに及んで商売繁盛、カネはホイホイ向こうからやってきて、カネがうなるところには人が集まるわけで、イチロさんは次第にお偉い人になっていったんだよね。

 イチロさんの金満ぶりや、あれよあれよの権勢の発展は、そこから発する臭いニオイがだんだん大きくなることにもなっていったわけで、それはまあ、仕方のない必要悪(というか派生してしまうニオイ事情)としてまわりも認めざるを得ないわけで、しかもまわりはしっかりイチロさんにしがみついて(イチロさんを信奉して)かなりの余禄に与っていたわけである。そういうイチロさんのもとに参集(支持、支援や礼賛)する「おならグループ」の存在は一大勢力であって、サロン界を席巻していたが、そういうギンギラギンのあからさまな連中とは距離を置いて、個人的にイチロさんと草野球を楽しむだけにとどめている者たちもいた。

 彼らはイチロさんの野球技術の素晴らしさや肉食動物的なカンの鋭さに心酔していて、われら草野球界の「至宝〜」とまで持ち上げる心酔者もいたのだが、当のイチロさんは「そんなことないんでネ」と冷静に謙遜していた。

 しかしまあ、いまや天下一品の臭さとなると「これは何だ」と疑問をはさむ者もいるわけで、ニオイがヘンだとか怪しいとかの段階を超えて、パーティ会場のイチロさんは真黒黒助の風貌なのに、真白白助みたいな顔して(1)〜(7)の主張を振り回し始めているのだから、次第に警戒する人もあらわれるよ。とにかく言ってるそばから臭いんだからさ。

 もちろん「おならグループ」の面々もニオイを感じないわけではないが、かなりニオイにマヒしていることは確かで、というか「いやこれは、むしろいいニオイだ」とか「人間である限りニオイというものはあるのであり、不可避の必然だ」とか「ニオイは何もイチロさんだけの話ではない」とか「証拠もないのに無法だ」とか「いや、まったくの濡れ衣だ」とかの主張をし、なるほど、イチロさんのように偉い人がにおう場合には、相手の思いを先走らせたり黙らせる威厳と説得力が伴うのである。

 しかしまあ、こういう威厳もニオイ次第でほころびることもある。そのときのパーティ会場における威厳に満ちたイチロさんのまわりには「おならグループ」の一団がその威光に照らされて仁王立ちになっていたのだが、さすがに臭いので、彼らは自らもニオイを発してイチロさんを守っているのだった。それを囲んで人々の疑いの目と鼻はうごめき、その間を縫って無関係のお喋りな連中は「イチロクサイサイ」と呪文をささやき合った。

 そりゃ、イチロさんだってニオイには忸怩たるものがあるには違いないよ。そんな臭いものは無ければ無いに越したことはないからね。しかしなあ、ひとたび美食してしまった人生の食生活はそう簡単に変えることはできないよ。それは自ら引き受けた男の生き方そのものなのよ。まさに〈屁〉の人生そのものなのよ。
ラベル:臭い におい
posted by 楢須音成 at 07:13| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 独舌漫語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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