2009年04月06日

補遺・軍隊で〈屁〉が勲章になるのは何でだろ〜ヵ(上)

 軍隊(あるいは寄宿舎や刑務所)では〈屁〉が勲章になるのはなぜか?ということを少し前に探求してみたのだが、「いや、寮で屁をして勲章どころか、恥ずかしい笑い者にされたぞ」という人がいないわけではない。ははは、まあ、そういうこともあるんじゃないかねえ。もともと〈屁〉は恥ずかしいものなのであるから、普通はそういうものを垂れ流しては笑い者になるわけで。

 そこで、確かに〈屁〉は勲章になることがある一方で、しばしば「笑い者にされる(恥ずかしい)」という現象を伴う。ここを掘り下げるのが今日のテーマ。(一応、過去エントリも読んでおいてほしいのだが)

 さて、閉塞した集団としての軍隊(あるいは寄宿舎や刑務所)の特徴を挙げておけば(1)独自の規律がある(2)上下関係が厳しい――そういう空間であると思うんだね。この二点は一般に、何かの集団であれば多かれ少なかれ見られることではあろう。軍隊(あるいは寄宿舎や刑務所)の場合には、それが物理(施設)的にも囲まれた空間になっているというのが特異な点だ。まずは次のことを確認しておこう。

 規律→自己も他者も区別せず囲い込む理念的なもの
 関係→自己と他者を区別して囲い込む現実的なもの

 規律(ルール)は自他ともに縛られる共有の約束事だね。それを共有することで集団が生まれ維持される。また、関係とは自己が他者と具体的に接点を持つ場で測り合っている心的位置(立場)であり、それを固定する(認める)ことで対話が生まれ維持される。

 とまあ、こういうふうに考え、軍隊(あるいは寄宿舎や刑務所)において我々の内面では、理念である独自の規律(強制的な共有)を前提にしつつ、自己と他者を固定的に区別する関係が強く強く顕在化しているとみるのであ〜る。

 人と人との具体的な関係という場合、対面している相手とは(意識しようとしまいと)常に心的位置(立場)を測り合っているわけだよね。ここでは「上下関係」という言い方をしたのだが、上下というのは究極のところ心的位置をいう関係なのである。

 こういう心的位置は一般には「年上と年下」「上司と部下」「金持ちと貧乏人」「美人と不美人」「勉強ができるとできない」「喧嘩が強いと弱い」「スポーツが上手と下手」「ものを知っていると知らない」――というように、対面する相手との「優劣」において自然発生するものだ。もちろん優劣の発生には、意識せずとも規律など共同(集団)性の基準が適用されてされていることは言うまでもないけどね。

 対人関係において宿業のように発生してしまう、こうした優劣(という心的位置)なのであるが、これが〈屁〉の優劣になると、例えば「アナタより臭い/臭くない」とかなるわけだ。一般に世間では臭い〈屁〉は劣であり、臭くない〈屁〉は優だね。軍隊(あるいは寄宿舎や刑務所)ではこれが逆転したわけだが、以下しばらく一般世間での〈屁〉の理屈をおさらいしておく。(詳しくは過去エントリの理屈を読んでほしい)

 一般世間で我々の〈屁〉が振る舞う心的位置については、前に「シーソー意識論」を考えてみたのだった。つまり、自分の〈屁〉が臭いときは「自己の意識が低」の状態(他者に見下ろされている)なのであり、他人の〈屁〉が臭いときは「自己の意識が高」の状態(他者を見下ろしている)となるのである。〈屁〉が臭いか臭くないか、このとき意識はシーソーのように上下して不安定なバランスをとっているのであ〜る。

 当然ながら〈屁〉が臭いと恥ずかしいね。世間的には「臭い」と「恥ずかしい」は結びついている。二人の人間が対面していて、自分の〈屁〉が臭ければ恥ずかしいし、臭くなければ(少なくとも臭い場合よりは)恥ずかしくないということになる。いっしょに〈屁〉をしたとして、相手の〈屁〉の方が臭いときは恥ずかしさは激減する(恥ずかしくない)のである。このような羞恥の変動の背景には、心的位置の移動がある(自己または他者の意識がシーソーのように上下する)ことを言いたいわけだ。

 かくして〈屁〉の振る舞いは、人と人との間に生じる優劣の一つとして、深い深い羞恥といっしょに、万人に降臨してくるね。

 しかも〈屁〉は誰でもする生理だから、臭いか臭くないかの優劣はすべてに優先してしまうのだ。「年上と年下」「上司と部下」「金持ちと貧乏人」「美人と不美人」「勉強ができるとできない」「喧嘩が強いと弱い」「スポーツが上手と下手」「ものを知っていると知っていない」――などよりも上位に、強力に発動する。〈屁〉の優劣(の心的位置)の発動はすべてに勝っているといえるかもしれない。

 しかし、ここで注意したい点は、我々が人と人との間で〈屁〉を臭く感じる(恥ずかしい)のは(実際にその屁が臭いかどうかよりも優先して)心的位置(自己の意識が低=他者に見下ろされている=他者の意識が高)の状態によるのであり、臭い(恥ずかしい)ときは必ず「自己の意識が低」の状態になってしまっているのであ〜る。だとすれば、臭いのに臭くないとか、臭くないのに臭いという場合もあるということだ。

 例えば、いっしょに〈屁〉をしたときに、相手を上に意識してしまう(自己の意識が低になる)と、自分の〈屁〉は臭い(恥ずかしい)わけである。これが、相手を下に意識してしまう(自己の意識が高になる)と、自分の〈屁〉は臭くない(恥ずかしくない)のである。――まあ、ここまで断言しないにしても、臭気の強度にそういうバイアスがかかるわけだよね。

 このような心的位置のバランスによって〈屁〉の恥ずかしさは左右されるということがあるのだが、〈屁〉の勲章化の心的メカニズムが発動する軍隊(あるいは寄宿舎や刑務所)では、恥ずかしいはずの〈屁〉が誇らしいものになるのだったね。そこで最初に戻るのだが、「寮で屁をして勲章どころか、恥ずかしい笑い者になったぞ」というのはどうしたことだろうか。

 ――本日はここまで。


posted by 楢須音成 at 07:45| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月08日

補遺・軍隊で〈屁〉が勲章になるのは何でだろ〜ヵ(下)

 もともと恥ずかしいはずの〈屁〉が軍隊(あるいは寄宿舎や刑務所)で誇らしい勲章になる――そういう現象を我々は目撃してきた。勲章化する〈屁〉は外の世界に対する、ある種反動的な現象なのだ。そこでは、まず第一段階として「誇らしさ」が発現し、次に第二段階として、優位を誇って序列化をめざす心的な運動が生まれてくるのであった。(その心的メカニズムの詳細は過去エントリを参照)

 軍隊(あるいは寄宿舎や刑務所)で〈屁〉は、恥ずかしいものではないのである。なのに、「勲章どころか、恥ずかしい笑い者にされたぞ」というのはどういうことか。ははは、まあ、恐らく、その〈屁〉は勲章に値しない、貧弱な情けない〈屁〉だったのではないかねえ。

 そもそも「恥ずかしい/恥ずかしくない」というのは裏腹の現象だ。優位の誇れない貧弱な〈屁〉は恥ずかしいものにならざるを得ないわけだ。「勲章どころか、恥ずかしい笑い者にされたぞ」という人はいるだろうし、そうなってしまった状況もいくつか考えられるだろう。

 軍隊で〈屁〉をこいて恥ずかしいケースをいくつか考えてみた。「笑い者にされたぞ」という言葉は、どれに該当するのであろうか。

(1)入隊してすぐ新兵が〈屁〉をこいた→恥ずかしい?

 これは勲章化が生じる以前の恥ずかしさだろう。来たばかりの人はまだ〈屁〉が勲章となる環境に、ちゃんと適応していない。つまり、外のこれまでの価値観である〈屁〉の恥ずかしさを引きずっているのだ。だから、どんな〈屁〉でも恥ずかしいはずだ。

 我々が〈屁〉を恥ずかしく感じるのは世間の常識であるが、軍隊(あるいは寄宿舎や刑務所)に、そういう常識を持ち込み発露させているとすれば、その人は集団への同化をしていないのである。あるいは、その集団そのものが十分に軍隊化(あるいは寄宿舎化や刑務所化)していないからとも考えられる。しかしまあ、慣れないうちは何をやっても気恥ずかしいものではあるね。

(2)同僚の面前で貧弱な〈屁〉をこいた→恥ずかしい?
(3)上官の面前で貧弱な〈屁〉をこいた→恥ずかしい?

 入隊から時間が経過したら変化が起こるだろう。すでに(2)(3)においては勲章化の心的メカニズムは作動していると考えよう。このとき〈屁〉の異音が大きく、異臭が強いほどに誇らしく感じる。そういう〈屁〉の優劣の競い合いの渦中にあって〈屁〉が貧相、貧弱ならば、とても恥ずかしいことである。

 つまり、軍隊(あるいは寄宿舎や刑務所)で〈屁〉が恥ずかしいという基準は、世間の恥ずかしさの基準とはすでに違うのだ。勲章化の心的メカニズムは恥ずかしさの基準を転換させているのである。

 軍隊=〈屁〉が貧弱→恥ずかしい
 世間=〈屁〉が貧弱→(あまり)恥ずかしくない

 そもそも〈屁〉が貧相だったり貧弱というのは、目立たないということだ。〈屁〉の隠蔽に熱心な一般世間では派手な〈屁〉の方が恥ずかしいのであり、目立たない〈屁〉は恥ずかしくない。(自慢もしないが)

 ではさらに、次の場合はどうだろうか。

(4)上官が部下の前で貧弱な〈屁〉をこいた→恥ずかしい?
(5)部下が上官の前で立派な〈屁〉をこいた→恥ずかしくない?

 この二例は(4)上位の者が下位の者の前で貧弱な〈屁〉をした(5)下位の者が上位の者の前で立派な〈屁〉をした――という状況だね。人生には〈屁〉に限らずこういうことはあるよねえ。もちろん、集団に勲章化の心的メカニズムは発動しているとして、この状況を〈屁〉の「シーソー意識」を考慮して考えてみるとどうなるか。

 上官が部下の前で貧弱な〈屁〉をこく(4)の場合を、問題と解答の形式でまとめてみる。
問題=(軍律の厳しい軍隊で)上官が部下の面前において気張ったものの、はなはだ貧弱で情けない〈屁〉をこきました。こういう〈屁〉は、軍隊では恥ずかしさを喚起するはずのもです。しかし、上官という立場からはそれを認めたくありません。このとき上官の心理は恥ずかしさの処理にどう向き合うでしょうか。

解答例=上下関係(上官と部下)において上官は「自己の意識が高」(他者を見下ろしている)の状態にある。しかし、貧弱な〈屁〉が恥ずかしい軍隊で、貧弱な〈屁〉を部下の前でこいた場合には「自己の意識が低」の状態(他者=部下に見下ろされている)に落ち込んでしまうので、上官として保持している上下関係の「高」の意識とぶつかり合うことになる。この葛藤や動揺(自己の意識の高〜低)において上官は、ついに羞恥を封じ込める態度を表明してしまう。心的には次の三つのパターンのどれかで〈屁〉を無視しようとすると観察される。

(ア)「自己の意識の高」をあくまで保持して→〈屁〉を無視化
(イ)「自己の意識の平衡」なんとか維持して→〈屁〉を無視化
(ウ)「自己の意識の低」に心ならずも陥って→〈屁〉を無視化

このような羞恥を無視する態度は「自己の意識の高〜低」に応じて「(上官意識の高みから羞恥を)黙殺」「(上官意識と羞恥が拮抗した)無頓着」「(羞恥にさいなまれながら上官意識が抜けない)言訳」などが表出するだろう。「自己の意識の高〜低」を「上官意識」と「屁の羞恥」のバランスと考えるわけである。

(ア)「自己の意識の高」(上官意識>屁の羞恥)→黙殺する
(イ)「自己の意識の平衡」(上官意識=屁の羞恥)→無頓着
(ウ)「自己の意識の低」(上官意識<屁の羞恥)→言訳する

ここには、上官という客観的な「上位の立場」を固持しながら、自分の貧弱な恥ずかしい〈屁〉をどう扱うかの態度表明があるわけだ。

(ア)は暗黙に上官という上位の立場を振りかざして屁を圧倒する「黙殺」であり、それとは逆に(ウ)は暗黙に屁の羞恥に圧倒されながらも(それを覆い隠し)上官の立場を固持して試みる「言訳」である。そして(イ)は上官の立場と屁の羞恥が平衡して心的に固まってしまった「無頓着」である。いずれも〈屁〉を無視しようとする態度である。

 最後に、部下が上官の前で立派な〈屁〉をこいてしまう(5)であるが、場所をわきまえれば、これは双方ともに恥ずかしくはない(むしろ部下は誉められる)だろうねえ。そもそも部下の手柄(立派な部下)は上官には誇らしいのであり、それは軍隊(あるいは寄宿舎や刑務所)の共同(集団)性の一つのあらわれなのだ。だから、そういうときは〈屁〉の勲章化はごくごく自然に発動するのであ〜る。
posted by 楢須音成 at 07:27| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 断片考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月11日

草食系男子の〈屁〉的な本懐

 つい先日のことだが、近ごろ流行の言葉なのか、世事に疎いと言われてしまう音成の耳に響いた「草食系」「肉食系」という言葉。いやあ、ぴーんと反応しましたねェ。何となれば〈屁〉にとって、草食系と肉食系は重要なキーワードだからだ。ほおほお、世間ではどういうことが話題なのだね。

 お手軽にウィキペディアをのぞいてみると「草食系男子」としてこうあった。
草食系男子(そうしょくけいだんし)とは、2008年ごろよりメディアで取り上げられるようになった用語。一般的には、「協調性が高く、家庭的で優しいが、恋愛に積極的でないタイプ」の主に20代の若い男性を指す。

2006年10月に深澤真紀のウェブ連載「U35男子マーケティング図鑑」(2007年に『平成男子図鑑』として単行本化)で、「草食男子」として命名され、2008年4月5日、『nonno』が深澤へ取材し「草食男子」特集を掲載して話題になった。2008年7月に森岡正博『草食系男子の恋愛学』が刊行され、2008年11月に牛窪恵『草食系男子「お嬢マン」が日本を変える』が刊行され、「草食系男子」が注目を集めることとなった。対義語は「肉食(系)女子」。

 ほかに書いてある定義やら特徴を参照すると、まあ、要するに恋愛やセックスに積極的でない(最近の)若い男性の行動パターンを言っているんだね。そういう性的に大人しくて、がつがつしていない若者が増えているんだそうだ。対義語が「肉食系女子」っていうのが何やらすごいねえェ。

 音成が思い浮かぶことといったら、こういうこと。

 草食系男子=腸が長い=〈屁〉がたくさん出るが臭くない=いつでもブリブリ屁をこく雄馬のタイプか?
 肉食系女子=腸が短い=〈屁〉があまり出ないが酷く臭い=スースー屁をすかす雌ライオンのタイプか?

 だから、例えば「肉食系女子は草食系男子を好む」とか言われてしまうと「屁がにおう女は屁がにおわない男を好む」「透かし屁する女はほがらか屁をする男を好む」「屁が少ない女はむしろ屁が多い男を好む」とか思ってしまうわけだよ。

 しかしまあ、ライオンがシマウマを襲う情景を想像しても、そういう壮絶な食物連鎖は〈屁〉どころの話ではない。もともと、ライオンみたいな肉食の動物は(栄養的には)草食動物を食べることで草をはむ代替にしている(濃縮体を摂っている)ともいえるのだから、合理的で効率的な搾取なんだろうねェ。その証が〈屁〉の臭さなんだな。

 近ごろ巷の「草食系男子」「肉食系女子」というのは、その男女が実際に草食なのか肉食なのかを問うてはいない。食物の話ではなく恋愛やセックスの行動パターンをイメージ的に語っているにすぎない。まあ、草食といえば、牧場か草原でのんびり草をはむイメージなんだろうねェ。(音成にとっては、牧場でもどこでもいいが、どぼどぼと糞をたれ、ブリブリと屁をこいて、馬耳東風に草をはむ姿が思い浮かぶのう)

 そもそも人間は明らかな菜食主義者や肉食主義者でないかぎり、草も肉も食べている雑食だよね。肉が好きだが野菜はあまり食べないとか、野菜はよく食べるが肉はあまり食べないとか、そういう片寄りの傾向はあるから草食系とか肉食系とかいうのはアリだろうが、そのこと(食性)とセクシャルな行動パターンが結びつくのかどうか、どうなんでしょ。(馬とかロバとか結構すさまじいセックスだと思うけどね)

 ともあれ(食性ではなく)行動パターンのイメージとしての草食系と肉食系が流布しているのだが、つづめて言えば、セクシャルな行動において「草食系→食われるタイプ」「肉食系→食うタイプ」という感じかな。しかしながら〈屁〉的な人生観からは、食性をふまえて「草食系→(自らニオイを発散しないが)嗅がれるタイプ」「肉食系→(自らニオイを発散するが)嗅ぐタイプ」というのがピッタリくる。

 それに草食系だからといって必ずしも恋愛に消極的ではないのであり、肉食系だからといって必ずしも恋愛に積極的ではないように思うんだよね。草食系の恋愛とは(消極・積極にかかわらず)嗅がれることが嬉しい美学であり、肉食系の恋愛とは(積極・消極にかかわらず)嗅ぐことが嬉しい美学であ〜る。なぜなら、それがお互い気持ちいいからさ。

 だって、草食系にとって臭くない〈屁〉を嗅がれることは自慢だし嬉しい(つまり、気持ちいい)し、肉食系にとって臭くない屁を嗅ぐことは嬉しい(つまり、気持ちいい)のだ。ははは、まあ、こうなると、やっぱり最近増えている草食系男子と肉食系女子の相性はいいってことかよ。

 ウィキペディアにあった草食系男子の特徴を解釈してみた。
○外出より部屋にいる方が好き(そりゃ、嗅いでもらうには部屋の方がよろしい)
○繊細である(相手のニオイには敏感なんだよな)
○性風俗を無駄なことと思い、お金を使わない(嗅いでもらいたいのに、そういう場所はやたら臭いから敬遠するわさ)
○女性に誘われれば旅行やショッピングに同行するが、恋愛に発展しないことが多い(いくら美人でも、臭すぎたり、嗅いでくれない相手とはフツーだな)
○恋愛に積極的でない(自分からは嗅いでくれとはなかなか言えない、言わないよォ)
○人付き合いや恋愛に使わないエネルギーは趣味やファッションに向かう(誰も嗅いでくれないなら、自分を磨いて魅力を高めて引きつけるノダ)
○いい人止まりになりがち (相手が臭くても、それとは口に出して言わない、言えんわ)
○女性と一晩過ごしても何もせずに普通に寝る(嗅いでもらえても、相手があまりにも臭いときはめげる)

 ――な〜んてね。草食系男子の〈屁〉的な本懐は深い。
posted by 楢須音成 at 00:24| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月17日

これが〈屁〉の傷害事件の筋道

 世間では〈屁〉で事件が勃発することがあるね。最近のニュースはこれ。食事中に〈屁〉をした男性が同席していた友人に刺されたというものだ。これはまた派手な事件である。
[米テキサス州ウェイコ 9日 AP] オナラしたことが原因で、一人の男性が刺される事件があった。ヒューストン方面からやって来た男性5人組が、ウェイコにあるモーテルの一室を仲良くシェアしていた。ところが火曜日の夜、この部屋で男性2人が食事していたところ、1人が食事中に突然オナラをしたという。

すると、一緒にいたもう1人が激怒、オナラをした男性にナイフを投げつけた。男性は投げつけられたナイフで脚に切り傷を負ったが、もう1人の怒りはそれでも収まらず、さらにナイフで男性の胸部を刺したという。

刺された男性(35)は病院で治療を受け、命に別状はない。また、ナイフを投げつけた男(33)は加重暴行容疑などに問われて拘置されているが、不法に米国に滞在していた疑いがあるため、はっきりしたことが分かるまでは保釈金を支払っても釈放はされないという。
――2009年4月11日(エキサイト・ニュースから転載)

 多分、よほど臭かったんだよねェ。

 記事の場面はいつも音成が強調してしまう〈屁〉にまつわる「恥」とは様子が違う。こんな流れになっているね。

(1)男性5人組がモーテルの一室をシェアしていた。
(2)そのうちの2人が食事をしていたとき、一方のAが突然〈屁〉をした。
(3)もう1人のBが激怒してナイフを投げつけた。
(4)怒りは収まらず〈屁〉をした男の胸部にナイフを突き立てた。
(5)刺された男Aは治療を受け命に別状はない。
(6)刺した男Bは加重暴行容疑などで捕まった。
(7)刺した男Bは不法滞在の疑いで釈放を拒否されている。

 ここでは〈屁〉にまつわる「嫌悪」が現象して、何とも凄いこと(怒りの行動)になってしまっているのである。かくも〈屁〉というものは嫌われるのだ。音成は「屁=恥」という心的現象を取り上げることが多いが、「屁=嫌悪」という心的現象もあるのだ。(日本には恥の事例が多いんだよねえ)

 もちろん、嫌悪と恥は違う。しかし、似ている。しかも、近接している(ように思われる)現象なのだ。この点について、前に少し考えてみたことがあるのだが、要するに鼻がもげるような臭さであれば、恥じるという観念が現象する前に「嗅覚現象=感覚」としての嫌悪に走る傾向が強く強く現象するんだね。

 このときの嫌悪が恥の振る舞いと似ているのは「他者嫌悪/自己嫌悪」と「他者の恥/自己の恥」の関係がパラレルに近接しているからだ。このため〈屁〉の臭さの前で表出する振る舞いは、それが「嫌悪系」なのか「恥系」なのか、表面からだけではわからないこともあるのだ。

 この記事の二人の状況は「嫌悪系」の振る舞いとみることができる。放った〈屁〉が「他者嫌悪/自己嫌悪」を現象させるのだが、この二人の場合「屁をした/しない」が明確に分かれているので、〈屁〉をしたAはほぼ100%の自己嫌悪、〈屁〉をしないBはほぼ100%の他者嫌悪にとらわれているとみるわけだ。

    (自己嫌悪)A←B(他者嫌悪)

 しかし、このときのAの自己嫌悪はほぼ100%Bから受ける恐怖に吹き飛ばされているとみていいだろうねェ。言い換えれば、自己嫌悪する以前にBから放たれる嫌悪に圧倒されている。こういう緊急の動転した状況では自省する前に、自己保存本能に従わざるを得ないのさ。

 (自己嫌悪<恐怖)A←B(他者嫌悪)

 嗅がされたBは、自分だって〈屁〉をするがゆえの自己嫌悪よりも、嗅がした者を疎み憎んでしまう他者嫌悪にとらわれて、ここ一番の攻撃になっているわけであ〜る。

 ――以上のようなことを、嫁に記事を読み上げて解説した。嫁「だから何?」と、ひどく冷たい反応。音成「いや、だから、つまり、こういう嫌悪とは…」と、追加の説明を続行。嫁「やめて〜、そういう恥ずかしい話題は。外では絶対絶対ダメッ」と、あとは取り付く島なし。むむむ、日本人には恥ずかしい話題か。しかし、嫁の態度は嫌悪も示している。

 嫁が「恥ずかしい」と言い、嫌悪の態度も示す振る舞いには恥と嫌悪が微妙に交錯していることを示しているだろう。我々は〈屁〉の前で恥や嫌悪を振る舞うわけだが、しかしその心的な筋道は違うと思うんだね。仮説だが、こう観察される。

 嫌悪系の態度→臭い・音がない(肉食系民族)
 恥系の態度→臭くない・音がある(草食系民族)

 この記事の事件はアメリカで発生していて、日本人から見れば大雑把に肉食系文化の人たちだろう。その点、ナイフを振り回す過剰な行動や、不法滞在という心理的背離を持つ事件の成り行きには「なるほどなあ」と思ったわけである。

 恥と嫌悪の〈屁〉の筋道は詳しく究められねばならぬであろう〜。
posted by 楢須音成 at 07:03| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月24日

屁のニオイの素に潜む神秘

 硫化水素は悪臭防止法が指定する悪臭として中心的な物質だ。一般に卵が腐ったときのニオイと表現される。何が言いたいのかというと、つまりこれは〈屁〉のニオイなんだよね。だからまあこれは、糞便臭ということになるわけさ。

 糞便臭である〈屁〉のニオイ源となる物質は、微量に含まれている硫化水素(H2S)、メチルメルカプタン(CH4S)、インドール(C8H7N)、スカトール(C9H9N)などであるが、強力な糞便臭を発散するこれらの物質はなかなかに興味深いものだ。

 例えば、インドールやスカトールは希釈していって低濃度になると、なぜかいい香りを発するようになる物質だ。古来から香水や香料に欠かせない原料の一つになっている。最近の研究によれば〈糞〉や〈屁〉のニオイの主力は硫化水素やメチルメルカプタンの方にあるらしい。化学式を見ると、これらは硫黄と水素の化合物の系統だね。硫化水素は怖い。高濃度(0.1%以上)なら即死に至るほどの毒性を持っている。硫化水素を発生させた自殺がしばしば話題になるが、労働安全衛生法が定める許容限界濃度は5PPM(0.0005%)以下である。また悪臭防止法による市街地における規制基準値は0.02PPM(0.000002%)以下で、微量でも強力なのだ。

   いい香り←――糞便臭――→死の毒性

 糞便臭にまつわる「いい香り」と「死に至る毒性」の両極の方向性というのは〈屁〉が持つ潜在能力だろうか。ははは、まさかねェ。いいニオイの〈屁〉とか聞いたことないし、誰かの〈屁〉を嗅いで死んだという人も知らない。ひょっとしたら〈屁〉を希釈していったらいい香りがするとか、何らかの方法で〈屁〉を濃縮していったら毒性が出るとか…まあ、ないだろうねェ。

 アホな夢想はともかくなのだが、実はこういう科学話がある。ネットで見つけた記事。テキトーに訳してみた。
腐った卵の悪臭の原因となるガス(硫化水素)が新しいインポテンス治療薬の鍵を握っていると専門家は信じている。イタリアのナポリ・フェデリーコ2世大学の研究チームは、ペニス内での硫化水素の放出が勃起を引き起こすことを発見した。Proceedings of the National Academy of Science によれば、研究者たちはバイアグラの代わりになりうるものだと言っているという。勃起不全は十人に一人が悩んでいる。

硫化水素(それは車の排気ガスにも含まれる)が血流を刺激するため、ペニスの神経細胞が弛緩するのを助けることが示唆された。このプロセスは、ペニスのわずかに異なる領域で最初に発見された一酸化窒素が演じる役割とまるで同じだ。それが結局バイアグラの開発を導いたのだ。

研究者はラットで実験を行っただけでなく、性転換手術をした8人の男性から提供された無傷の勃起組織に硫化水素ガスを注射して、この仮説を確かめた。研究者のリーダー、ジウセッペ・シリノ教授は「硫化水素ガスがある程度勃起プロセスに関わっていて、これが新薬の開発を導くのは確かだと思う」と述べた。さらに「ペニス勃起の生理機能の基礎をなしている複雑なメカニズムを解明し、勃起不全や性喚起障害治療のアプローチの新しい道を開くかもしれない」とも付け加えた。

性機能障害者協会(Sexual Dysfunction Association)の会長、グレアム・ジャクソン博士は「新しいインポテンス治療薬の開発を期待する」と述べた。「必ずやバイアグラに代わるものが必要だ。バイアグラは糖尿病の場合はわずかに約60%の人にしか効果がなく、一般の人でも80〜85%しか効果がない」
――BBC NEWS 2009年3月3日


 研究はこちらでも。どうやら製薬会社がらみで開発競争が進んでいるのではないかねェ。
腐った卵の匂いのするこの化合物が、勃起障害の治療に役立つかもしれないという。ノーベル賞を受賞した薬理学者Louis Ignarro教授を中心とするカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のチームによる、ラットを使った初期的な研究でその可能性が明らかになった。

Ignarro教授のチームがラットの陰茎の海綿体平滑筋に硫化水素を注入したところ、平滑筋が弛緩し、より多くの血液が流入するようになった。バイアグラの場合と同様の作用だ。
(後略)
――WIRED NEWS日本語版 2009年3月4日


 しかしまあ、とても〈屁〉にはそんな作用があるとは(音成には)思えんねェ。実験は(低濃度の)硫化水素を当該箇所に注入しているのだから、ニオイによって嗅覚が発動しているんじゃないわけでね。それでも、糞便臭(卵の腐ったニオイ)というやつが、記事で印象深く語られるのに気づかないか。

 断言してもいい〜。このニオイは我々を引きつけるのだ。

 しかも、この糞便臭は逃げ出したい嫌悪感をかき立てる一方で、しばしば奇妙な親近感を呼び覚ますアンビバレントなニオイだ。音成が幼少のころ初めて九州にある地獄谷に行ったとき、一帯の強烈なニオイに鼻をつまみ卒倒しそうになりながら「お父さまの屁のニオイ!」と笑い出してしまった。そしてこの系統のニオイが、強くも弱くも自然界の多くを占めている王者であることに目覚めていったのである。最近はどうだかわからないが、糞便臭は郷愁を醸す田舎のニオイであったよなあ。

 先のWIRED NEWSは続ける。
硫化水素はひどい匂いがするが、生物に対して奇妙で予想外の影響を与える不思議な化合物だ。マウスを使った実験で、硫化水素が仮死状態に似たものを引き起こすことが明らかになっている。[WIRED NEWS日本語版過去記事によると、仮死状態にできるのは、硫化水素は、動物を窒息させる一方で、そこから死へと至る自然の過程を停止させることに基づく。酸素が足りなくなると、通常はタンパク質が異常をきたして自らの細胞を破壊するが、硫化水素はこのようなタンパク質の働きを阻害する。なお、低濃度の硫化水素で線虫を仮死状態にさせ、通常よりはるかに「長生きさせる」研究がある]

硫化水素はまた、戦場で負傷し、大量の血液を失った兵士の生命維持に役立つ可能性もある。さらに、数億年前に起きた大量絶滅の原因になったという説もある。

 ここには硫化水素と生物の、まだ解き明かされない秘密があるようだねェ。そのニオイ(糞便臭)にも秘密があって不思議はない。我々の〈屁〉が硫化水素に支配された糞便臭であることは、生命の神秘に連座する何ものかを示唆するのであ〜る(かな?)。
posted by 楢須音成 at 00:17| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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