2007年08月02日

〈屁〉が狂歌で解放されるとき〜

 説話集に『古今著聞集』(鎌倉中期、橘成季撰)があるが、その作品スタイルで石川雅望(狂名=宿屋飯盛、号=六樹園ほか)が『狂歌著聞集』(1820年)を著している。狂歌とくれば、面白可笑しい話が集められているのは当然だ。もちろん〈屁〉の話も何編か収められている。

 狂歌は〈屁〉の表現域を拡大した作品形式である。時代的に見て、狂歌において初めて〈屁〉の表現は、大きく深く解放された。生き方や人生をうがって一つのジャンルを切り開いたのだ。『狂歌著聞集』から〈屁〉の話を現代語訳で抽出してみる。例によって、音成のテキトー訳なので悪しからず。

(ア)糸の唐麿(いとのからまろ)が通った夜に遊女の放屁のこと

 糸の唐麿が人に誘われ、塩竃の浦の遊女のところに出かけていった。さて、ともに寝て夜更けになり、人が寝静まる頃合い、女がそっと夜具を抜け出すのに気づいて、「何をするつもりだ。さては秘かに男に会おうとするのだな〜。樣子を見届けてやるゾ」と思い、そのまま空寝をしていると、女は引き隔てていた屏風を静かに押し開ける。いよいよ妬ましく、目を離さず見守っていると、ほどなく裾を高〜く上げながら、屏風の外に尻を差し出した。ぶうという音が聞こえてきたのは、まさしく屁をこいたのである。あまりの可笑しさに、声を立てて笑うと、遊女は顔を赤らめてどこかへ逃げてしまった。後になって唐麿が詠んだ歌。

  うそいふを常のあそびも思はずよ尻に鉄砲はなすべしとは
  ※いつも嘘つきの(用心深い)遊女も尻鉄砲が放たれるとは思いもしなかったのだな〜

 臭いにおいをはばかって夜具を抜け出すような振る舞いは、田舎の遊女には多いのだそうで。

(イ)屁に形があると聞いて東田舎唐樹(とうでんしゃからき)が戯れに歌を詠んだこと

 同じ国の唐樹という人が「わしゃ、この歳まで屁というものの形を知らん。どんなもんであるかな〜」と語った。かたわらの老人が「その形、わしゃ、よ〜う知っておるわい」と言う。さては、めったにないことを聞くもんだと唐樹が耳を傾けると「最近、ある温泉へ行ったとき、まさに屁が姿をあらわしおった。形は玉のようにして光がある。手に取ろうとすると、陽炎のように消え失せて、ただ臭いにおいだけが残る。これこそ、まがうことない屁さ」と言う。唐樹はうなずいて、こう詠んだという。

  連城の玉にも似たるはうひぞと湯来(ゆらい)天下に伝ふ屁奇(へき)なり
  ※屁は「連城の玉」のようであるゾと湯来(由来)を世間に知らしめる屁の不思議〜

(ウ)蓑丸の隣家の愚鈍な子供がイタチを逃がしたこと

 蓑丸の隣家にお馬鹿な子供がいた。ある日ものものしく声を上げて「家の中に彼岸が入ってきました。誰か追い出してくださいなァ」と言うのを、蓑丸が聞いて、おかしなことを言うもんダとあやしんで障子をさっと押し開けると、中からイタチが飛び出して逃げ去った。「さて、今飛び出していったのはイタチだが、なぜ、ひがんと言ったのじゃ」と子供に問うと、「いや、吾もイタチとは心得てはいるのですが、以前、イタチが来て吾が飼っている雀をつかまえようとしたとき、追い回して打ち殺そうとしましたら、父上が制して『彼岸だぞ、彼岸だぞ、今日は絶対殺すな』と申されたので」と言う。蓑丸はそれを聞いて、詠んだ。

  げにけふは彼岸なりとていたちすら屁もころさずやこき散らすらん
  ※まこと今日は彼岸なのだからイタチだって屁を殺さず(我慢せず)こき散らすのだろうナ〜

 一話ごとの最後を狂歌で締めるという形式で語られている。面白可笑しい奇抜な話が集められて笑わせるが、何といっても狂歌と屁話の掛け合いが表現形式の眼目となっているわけだね。引用した〈屁〉の話はそれぞれ趣が違う。展開をまとめてみれば、三つのパターンとして指摘できる。

 (ア)は「誰それがこんな屁をした」という類の話で、ここでは〈屁〉の恥にからむ女の振る舞いである。〈屁〉を隠蔽する(恥を回避する)振る舞いが男の目を通して描かれているね。女の〈屁〉の面白可笑しさが隠蔽(回避)の失敗によって浮き立ってくるわけさ。
 遊女における〈屁〉は格別な意味があるのだが、男からみれば意味はともかく、女の用心深さがあだとなり、意図に反して一夜の(完璧な)お仕事の成就が破綻する有り様が、何とも面白可笑しいではないか。

 (イ)は見えもしない屁の形をぬけぬけと語る「屁とはなんぞや」という類の話。男同士のやりとりのとぼけた味わいが可笑しみを誘うが、こういう屁を語る分析的にして観察じみた想像力は、男ならではではないかねー。まあ、温泉につかった鼻先に、まるで小さな御来迎みたいに屁玉があらわれる感じが、何ともいえんわい。それを「連城の玉」に引っ掛けてみたのも飛躍の妙。

 「連城の玉(璧=たま)」とは、趙の恵王が秘蔵していた宝玉を秦の昭王が十五の城と交換しようと申し入れた中国故事にちなむ。もともとこの玉は、楚の和(か)が宝玉の原石を楚王に献じたのだが、信じてもらえず、左足を切られてしまう。次の王のときも献じたが、右足を切られてしまう。趙の恵王がこの玉を得て磨いてみたら、はたして玉であったという不思議なめぐり合わせを語る故事である。(石川雅望の漢籍の素養は深い)

 ここまでは人間の〈屁〉の振る舞いや〈屁〉そのものが眼目となって作品化しているが、(ウ)は人間以外(イタチ)の〈屁〉の振る舞いを連想している。前段の話が少々謎めいて始まる(ウ)は、要するに「お彼岸→殺生しない→イタチも屁を殺せない→こき散らす」というオチを狂歌で締めくくるという、ただそれだけの話である。〈屁〉つながりの連想ゲームの面白可笑しさだね。

 まあ、普通は(ア)の類が正当な〈屁〉の話である。それが次第に空想じみてきたり、連想に走ってくると(イ)や(ウ)のような話が生まれてくるわけさ。そして狂歌に注目してみれば、空想や連想に飛躍する(イ)や(ウ)になるほどに狂歌の位置づけは大きくなる。話の完結(笑いのオチ)に狂歌は必然。アリとナシでは大違いなのである。

 一言=笑いを現象させる決めの一首の結構こそは、語りとセットになった狂歌の命(〈屁〉の独創化)であ〜る。


posted by 楢須音成 at 00:36| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月05日

屁を「屁玉」というのは何でだろ〜ヵ

 「屁玉(へだま)」というのは屁のことである。なぜ「玉」がつくのか。狂歌や川柳には、この「屁玉」がときどき登場する。中重徹の『一発』に収録された狂歌と川柳から、音成のテキトー訳付きで「屁玉」を抜き出してみた。

*銭湯
睾丸は磨いたとても光なしこんにゃく玉と屁玉人だま(式亭三馬)
※睾丸は磨いてみても光らない〜(磨けないのは)こんにゃく玉と屁玉火の玉ァ

*官女放屁
上掾iじょうろう)も屁の玉だれをすかしてははなのとぼそを抑へてぞ見る(知恵内子)
※上臈女房も(屁の)玉の御簾ごしにすかして(透かし屁して)一面に匂って咲いている花を(鼻の穴を抑えて)見ておるわい

*放屁に人逃ぐる所
屁の玉の光らぬものをなどてかく匂ふというて人の逃ぐらん(塵外楼清澄)
※(火の玉と違い)光らない屁の玉だけど、なんでこんなに匂うんじゃ〜と言って人は逃げるわなあ

*放屁
金玉はどう磨いても光りなしまして屁玉は手にもとられず(一本亭芙蓉花)
※金玉はどんなに磨いても光らない、まして屁玉は手にとることもできない〜

大屋根へ屁玉を落とす火の見番
※大屋根に屁玉を落とす〜火の見やぐらの番人かァ

金玉や屁玉の市が酉に立ち
※金玉(=金柑)や屁玉(=唐芋)の市が西の町に立ったよォ

 どうやら、まるいもの(イメージ)として玉があるわけだね。そもそも屁は、無色透明の見えない気体なのであるから、あえて玉という形容が(好んで)つけられるのは、理由があるだろう。なぜか。それはズバリ、湯の中で放った屁が泡となって我々に視覚化されることにあるに違いない。

 重要なのは「風呂」という現場である。風呂好きの日本人である我々は、自然体で尻を深〜く湯の中に沈めるね。そのとき自ずと屁を逃がさぬ姿勢になる。すると屁は風呂の底の方からのぼってくる。屁は風呂という我々の安楽安息の世界(裸でくつろいだ湯船の中)において、余儀なく玉を結ぶのである。屁を解放する形やインパクトがそこにあるのだ。それが我々に影響を与える。

 同じ気体であっても、息玉、鼻息玉、ゲップ玉、風玉、メタン玉、酸素玉などとは、感動がないから決して言わない。言うはずもない。

 我々は湯船で玉となって生まれた屁を発見し、驚き、享受するのである。屁の玉(泡)は湯の表面に至り湯気の中で弾けて消える。そして臭〜い(しかし自分の屁は臭くない、いわんや一人の湯船においてをや)。大事なのは、屁が自分の身体から出てきたということであるが、その屁は自分の分身という実に奇妙な存在となるのである。屁玉という言い方には、そのいわく言いがたさ(感動)がこめられている。

 このように考察して狂歌と川柳の屁玉を鑑賞してみよう。なかなか味わい深くはないだろうか。

 さて、もともと「玉」という言葉は、宝玉とか玉石とかいうように貴い、美しい宝物の意味があるね。これが至上の貴さや美しさや典雅さを表す言葉ともなるわけだが、そういう意味合いからは「屁玉」(や「金玉」)は、品位のなさとの落差に笑いを誘うことになってしまう。

 しかし、これも屁玉の存在理由(美醜の結託)なのだ。

 例えば、「官女放屁」の狂歌はそこを突いている。「屁の玉」と「玉だれ(玉の御簾)」を引っ掛け、「はなのとぼそ」を「花が一面に戸を立てたように咲いている様子」と「鼻の穴」に引っ掛けてあるのだが、透かし屁の鼻つまみの惨状を、花園のある典雅な上流の家とのダブルイメージで見事に詠み上げたのである。

 屁玉とは、湯船の愛着(感動)をもって、玉(泡)となって視覚化された屁を宝玉に比すべく、品位をつけて表現したものであ〜る。

屁の視覚化については、前に「燃屁」をもって最初であると論じたのだが、よくよく考えると近代以前にはこの「屁玉」の発見があったんだね。ここは認識を改めましたよ)
ラベル: 屁玉 狂歌 川柳
posted by 楢須音成 at 00:14| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 断片考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月11日

まるごと人類学的放屁論の本が登場!

 久しく絶えていた、まるごと〈屁〉の本が出版された。それも文化人類学者による極めて批評性の高い本だ。素晴らしい。感激した。久しぶりにのぞいた本屋で発見し、一気に読んでしまった。O・呂陵(おー・りょりょう)の『人類学的放屁論のフィールド1・放屁という覚醒』(2007年、世織書房刊)は〈屁〉的現象をアフリカの地から析出している。

 まず、O・呂陵は序説「薫風響声考」で荒れ狂う風(例えば、2005年に合衆国を襲ったハリケーン・カトリーナのような暴威)に無力な人間を語り出す。「しかし、人は暴風の前に圧倒されて立ち竦み、萎縮するばかりではない。恐ろしい風はまた、その破天荒な力の大きさのゆえにこそ人を魅了する」と、我々の内なる「怪しい心騒ぎ」を告白した上で、身体の内側を吹く風であり、「下腹部に幽閉された風」(寺山修司)である〈屁〉もまた、外側の風に負けないほど荒々しく御しがたいものだという。

 そして、この身体の内なる風は「他の陸棲動物の体内の風と一見同じではあっても、やはり同じではありえない」と〈屁〉というものを指摘するのだ。

 人以外の動物は、本能を生きることにおいて紛うことなき自然の一部であるがゆえに、その体内を吹く風は、あくまでも自然現象である。彼らの息は、呼気も吸気もまったき自然として、大いなる地球の生命である風の流れの一部であり、結局それに異ならない。どんなに荒々しく、あるいは声高であろうとも、自然現象である以上、息は管をなす身体をあるがままに速やかに、また時に緩やかに吹き抜け、思いのままに声を発して、どこまでも健やかだ。だが、それは(彼ら動物たちには)少しも可笑しくはなく、またいささかも哀しくはない。

 人間の〈屁〉は、人間を人間たらしめる社会と文化の中にあって、その秩序を突如脅かす存在になる。このとき〈屁〉は「外部の力として観念され、今度は(文化の対概念である)『自然』として分類される」のだが、「文化をもった存在である人間にとっての自然(先に述べた意味での『自然』)は、文化を持たない他の動物にとっての自然と決して同じではありえない」のである――この本の(認識の)出発点はここだ。ここから、O・呂陵は序章で〈屁〉というものの自然、文化、反文化、禁止、心理、政治学、死、平和、抑圧、汚れ、ポルノグラフィー、スカトロジー等々のキーワードを語っている。

 書名にもなっている「放屁という覚醒」の章では、こう書き出す。

 放屁という卑近な、だができれば意識からそっと遠ざけておきたい生理現象に深い関心を抱くようになったのには、一つの重大なきっかけがある。それは、アフリカで続けてきた長年のフィールドワークの中で経験した、或る小さからぬ文化衝撃(カルチュア・ショック)であった。正直にいえば、それは文化人類学徒である私にとってもほとんど予想もしない形のものであり、長いアフリカとの付き合いの中でも、仮に最大ではないとしても、とても深刻な文化衝撃であったといえる。
(中略)
 私は、この後すぐに述べるようないかにも迂闊な経験をして以来、放屁を生理現象という以上に、むしろ明確に文化現象(あるいは社会現象)という視点から眺めるようになった。すると放屁現象は、文化とは何かを考える上で、絶えず感性と思考とを刺激して新たな発想を誘う、尽きることのない知の源泉となってくれたのである。

 ここで述べられている「いかにも迂闊な経験」とはこういうことだ。O・呂陵は気づいてしまったのである。「ひょっとしたら誰も一人として放屁しないのではないかと思える一つの大陸が存在しているらしい」と。しかも、放屁に余念がない自分がぶざまに思えて、自分が「観察される者(異人)」へと置き換わってしまう。それどころか、アフリカの人々の重大な文化規範を見逃していたのではないかと意気消沈してしまう。

 アフリカ人は放屁しないという文化衝撃は様々な形で、アフリカを長期にフィールドワークした人が経験しているのだという。ここから、フィールドワーカーたちの実に興味深い話が紹介され、自身の観察と考察に及んでいくのである。実に面白い。

 (東京の国立大学法人の研究所に勤務する)Hさんが夫人と二人でコエグの或る村に入っていくと、遠くから彼らの姿に気付いて目で追っていた村人たちが、次々に集まってきた。(中略)
 その内に、まだ言葉もよくわからず、対応に窮してどうしたものかと思案に暮れていたHさんが、不意に「ポン!」と大きな音を立てて屁を一発放った──機械音のないアフリカの静謐な環境では、人の声や物音は驚くほどよく響き渡って、遠くにまではっきりと伝わる。この優秀な言語学者も、この面では、ありがちな日本の亭主の一人に過ぎなかったのだ。
 不意打ちを食らったコエグの人たちは、驚きに驚いて慌てふためき、文字通り、蜘蛛の子を散らすように四方八方へと一斉に駆け出して逃げ去った。走り出した拍子にそこいらの物に蹴躓いたり、脇の人を突きのけたりしながら、皆一目散に物陰に駆け込もうとしたのである。幾人かの子供が突き飛ばされたり踏みつけられたりして泣き叫び、先程までの陽気で打ち解けた出会いの和やかな雰囲気は一瞬のうちに雲散霧消して、阿鼻叫喚の修羅場が忽ち現出した。気がついた時には、Hさん夫妻はその場にポツンと二人だけ取り残されて、茫然と立ちつくしていたのであった。

 グシイでの、初期のフィールドワークのことである。(国立民族学館長)松園(万亀雄)さんは苦労して見つけた田舎の住み込み先で相部屋をすることになった。その家の息子のバブチは、十日も経つと、「あんたはベッドで屁を飛ばす、だから寝苦しいというのではないが気にはなる」と告白した。バブチは、それにくわえて、「細い山道でみんながあんたの後ろにつきたがらないのをしっているか」と追い討ちをかけるのだった。こうして、松園さんは、性や排泄、あるいは身体の露出や接触の「異常なまでのつつましさ─禁制」がグシイ人の行動規範の核心にあることに厭というほど気付かされたのである。

 性的な規範を遵守する礼節は、割礼を受けると正式に要求されるようになる。「割礼は尊敬のためだから」と、私の知人のグシイ人は述べた。松園さんによると、その規範の遵守は、結婚によって完全なものになる、とグシイ人は考えている。伴侶の前で放屁することなど、グシイ人には想像もできないらしい。なお、私自身の知識では、グシイ人は、一緒に寝ていた妻がもしも就寝中に放屁したら、それ以降ベッドを別にする。さらに、万一妻が意図的に夫の前で放屁するようなことがあれば、夫は離婚の正当な権利を得るのである。
 松園さんによると、ことに目上の異性の前で放屁することは、甚だしい侮辱とみなされている。だから父親も、子供が放屁を我慢できるかどうかで、割礼を受けるに十分なまでに既に成熟したかどうかを判断するのだという。

 アフリカ大陸には、こうした「反放屁」の強く禁欲的な倫理観が存在する。なのにフランスのマルセル・パニョルが『笑いについて』を著して「未開人」は屁を公然と自由に行うとした憶測や、遠藤周作が小説『黒ん坊』の主人公、アフリカ人男性ツンパを人前で放屁する無作法者として描いた問題を、O・呂陵は「勝手な他者概念だった」と指摘して背景を探る。

 ただし、アフリカにも唯一の例外があることは認める。「それはまず第一に狩猟採集民の場合であろう」という。アフリカ中央部のピグミーと総称される狩猟採集民には放屁のタブーはないというのだ。なぜ? O・呂陵の考察はエスキモーの例などを引きながら、狩猟採集民の集団構造や、相手に負担を感じさせない「分配」の関係原理にまで及んでいくのである。

 さて、以上は「薫風響声考」「放屁という覚醒」の章からの紹介だが、まさに〈屁〉に目覚めていく文化人類学者、O・呂陵の身体的にして心的な必然の動機が語られている。以下、「旅にしあれば」「荒野に風立ちて」「夜のランナーたちの風」と章は続く。次回もう少し紹介する。

(ときどきはアマゾンを検索して〈屁〉の新刊本もチェックするのだが、そういえば、このところやってなかったよ。出版に気がつかなかった。まめにやらなきゃねー)
posted by 楢須音成 at 08:54| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 文献探索 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月16日

続・まるごと人類学的放屁論の本が登場!

 我々はどこかで〈屁〉を語ること、論じることは奇矯な振る舞いと見なしている。それをまぎらすために語り手は、ついつい話を面白可笑しくしたり、先走って笑いを取ろうとする言説におちいるのである。あるいは、医者のように(イビキやクシャミと同じ)生理現象として感情抜きに〈屁〉を淡々と扱う立場も取り得るが、凡人はなかなか冷静にはなれないものだ。(受け手にしても〈屁〉を聞けば、子供も大人も心のどこかで動揺しているのさ――「汝らは何を笑ふと隠居の屁」と子供らに問うた江戸の川柳がある)

 我々日本人の内部においても〈屁〉はそういうものだが、アフリカ大陸の〈屁〉を体験したO・呂陵は、『放屁という覚醒』でとても冷静に〈屁〉(の衝撃)を語る。先走った笑いなどは持ち込まず、ときに猛威を振るう自然の風を語るように〈屁〉を語る。というか、自然の風(外の風)が人に及ぼす衝撃と、身体内の風が(文化現象として)人に及ぼす衝撃とを対等に語る。用意されているのは、そういう注意深い語り出しの仕掛けなのである。そこでは我々が受ける〈屁〉の衝撃が自然の風の衝撃に通じるものとして語られる。そして、その〈屁〉の衝撃とは、内在化された「自然」を抱え込む我々にとって解き明かすべき社会構造の表徴(文化記号)なのだ、と繰り返し説くのである。

 こうして我々は〈屁〉の認識を文化人類学の手続きで高めていくことになる。このとき、〈屁〉を学問にするO・呂陵の確固たる自信(内的必然)を、奇矯な振る舞いとは誰も言いえないはずだ。気軽な笑いやユーモアをこの本に期待した向きは、少々理論的な話の方向にガッカリするかもしれないが、それでも笑える話やタメになる(?)話は満載なので心配ない(笑)。この本は専門書ではない。

 人類学者にとって、そもそも旅は常識や経験が通用しない世界であり「ここの『常識』がそこの『常識』とは少しも限らない」というのが常識なのだ。「旅にしあれば」の章は、常識と非常識の境界にあるアフリカの旅の周辺を語る。旅行会社によって大衆的にシステム化された海外旅行者と人類学者とを対峙させ、異境では、それまでの常識を捨てて赤ん坊のように実際の経験を通して学んでいく(人類学者のような)態度こそが、異民族の〈屁〉を解読できるのだと自負するのである。

 まさしくアフリカの旅がそうであるように世界には経験を通して学んでいく事象が遍在しているのだ。この章では、いろいろな人の旅の(致命的な)失敗から始まって、極限下の人間の排尿排便、アフリカ便所事情、下痢・野糞談義、お尻を拭く習慣、民族で違う拭くものの話など、事実の前で常識が転回する。それは〈屁〉との関連で視野に入っている事柄だ。ここでO・呂陵は糞尿がらみの現象にこだわるが、つまりは、それらは〈屁〉に隣接して社会や文化に内在している現象なのである。

 そういう辺境を回ったあとの「荒野に風立ちて」の章では、本格的に〈屁〉に対する考察がいろいろな角度から行われることになる。〈屁〉が文化人類学的な視野の中で分析(記述)されていくのだが、それは、〈屁〉というものが、自然から出発しつつ我々が不可避に抱え込む「文化―反文化(=「自然」)」として構造化されること(それは身体的でありながら心的な営みとして存在すること)を示す試みである。
 アフリカにおける放屁の精神性は(割礼を含む)イニシエーションの時期における「新参修練者(ノヴィス)」(イニシエーション儀礼を受礼中の者)に対する例外的に寛容な態度によっても、逆に裏面から推し量ることができる。
 私は、アフリカでは人目のあるところで誰かが放屁をする場に居合わせたことがないと、ここまで繰り返し強調してきた。しかしながら、実際には、一つだけ重大な例外がある。というのは、キプシギスのイニシエーション(を構成する五つの大きな儀礼群の内)の二番目にあたる「手の洗浄」儀礼群の一つを受けるべく、縦一列に整列した少年たちが、プスプスと軽い音を立てて、誰彼となくひっきりなしに放屁しているのを間近に見たことがあるからだ。この儀礼は、細かなガラスの針を立て並べたような鋭い刺をもつ蕁麻(いらくさ)の葉が巻かれた、木の枝作りの門を素っ裸で反時計回りに四度潜り、強い顎を持つ黒蟻をその度ごとに裸身に降り撒かれるという、過酷な試練を核にしたものである。
 彼ら「新参修練者」が盛んに放屁するのは、十二、三歳前後の年齢でまだ子供だし、赤道直下でも摂氏十度を切る高原の夜気が彼らの丸裸の腹を冷やして凍えさせるからだと、私は思った。ところが、苦り切った顔をしている傍らの長老たちに尋ねてみると、少年たちがだらしなく放屁し続けているのは恐怖の余り度を失っている何よりの証拠だと、口々に答えを返してきた。
 (中略)
 キプシギスの「新参修練者」たちは、ある儀礼と次の儀礼の中間の時期は、十人前後の小隊に分かれて、別々の藪地に作られた粗末な隔離小屋で共同生活を送る。私はここでも、彼らが時折放屁しているのに気付いた。イニシエーションの隔離期間は、生涯でもっとも強い「汚れ」に塗れている特別の移行的時間帯だと考えられている。それが、この時期に彼らが放屁を咎められない理由である。
 面白いのは、少年たちは、食事をはじめとして彼らの身のまわりを世話してくれる長老など、誰か大人が隔離小屋を訪ねてくると、(この期間は言葉を話すことを禁じられているので)ブーブー、ブーブーと一斉に唇を震わせて鳴らさなければならないとする、規範的な作法があることだ。もしそれを忘れれば、大人たちにきつく叱られ、殴りつけられる。このブーブーという擬音は、おそらく放屁を模していて、彼らのこの時期の象徴的な「汚れ」をことさらに誇張するしぐさになっていると考えて誤らないと思う。

※O・呂陵は西ケニアのキプシギスの村を長年フィールドワークしてきた。

 ここには〈屁〉の禁制の一方で「例外的に寛容な時間」が観察されている。このイニシエーション期間中に屁をひりあった同年齢組員同士は、相手の目の前で心ならず放屁しても失礼ではないとされる。特に隔離小屋を共にした者同士は兄弟以上の無二の親友になる。「たまさかの放屁を許し合うのは、互いが一切の利害得失から自由であり、些かの別け隔てもない間柄であることを象徴する、意味深い行為」である。このように〈屁〉は両義的な性格(意味)をもって彼らの社会に現象しているのである。

 ここからさらに、〈屁〉の邪術、純愛物語、屁ったれ男といったキプシギスの人々の〈屁〉をめぐる行動を追いかけながら、社会や政治の構造が観察されていくのであるが、それが「夜のランナーたちの風」の章につながっていくことになる。

 O・呂陵は夜のランナーが巻き起こす「風の精神史」を論じるのだと宣言する。夜のランナーとは、アフリカの多くの民族の間に信じられている一種の邪術師である。「東アフリカ各地の人々の謹厳を極める放屁タブーの裏側では、夜な夜な屁を機銃掃射しながらヒョウやハイエナという使い魔をひき連れて走りまわり、踊りまわる『夜のランナー』信仰という、いかにも野放図な幻想が育まれ、人々の心の中に深く根を張っていたのだ」「そして、彼らの最大のスティグマは、途方もない屁ったれ者だという点にある。アフリカでは、放屁は『反人間』の、あるいは文化を脅かす反秩序としての『自然』の、何ものにも増して強力な表象なのである」と、両義的な性格を露わにする〈屁〉の具現者を提示する。

 この夜のランナーの考察は実に面白い。ランナーはいつも走っているとか、後ろ向きでドアを叩くとか、逆立ちして屁をするとか、さまざまに語られるランナーの行動(人を脅し悩ませる)や力の源泉には〈屁〉という「反人間性」の(しかし、すぐれて人間的な)刻印があるのだ。
 夜のランナーは、ヒョウ、山猫、麝香猫、ハイエナ、狐、ワニ、錦蛇、サイなど、様々な動物のいずれかを、使い魔(手先)として、家の内側の部屋や屋根裏部屋に飼っていて、食べ物を分け合っているのだそうだ。ンドムビ(カカメガ・ニャラ)の人々は、夜走りは自分の糞で使い魔を養うと言う。いずれにしろ、幼獣の頃から育てて手なづけ、飼い犬のように自在に扱うのだ。

 ところで、捕らえてみると、夜のランナーは大概近所の人だったり、近親なのだという民族がほとんどである。実際、私がティリキで八ヵ月を過ごした時に、そのような噂を立てられている人たちが幾人もいた。しかも、その内には下級の行政首長や教会の説教師や信徒団代表(シマンズィ)が幾人も混じっていたのである。
 昔は厄介者のナイトランナーを捕らえると、杖でいやというほど打ち据えた。それから、民族によっては、片端を鋭く尖らせた棒(後には長さ六インチの金釘)で両足の甲を打ち抜いたり、それを両足の土踏まずから足首へ向けて打ち込んだりして罰した。また、石や礫を投げつけて死に至らしめることもあったという。
 (中略)
 虫の息の夜のランナーの身体の上に、できるだけ大きな石を幾つも載せて、その夜は放置しておいた。ところが、翌朝になると夜のランナーの身体は影も形もなく消え失せていて、巨石だけが残っていたものだ、と人々は語り伝えている。夜のランナーの遺体は、彼の家の敷地内ではなく、追放者として川べりに埋められた。(なお、雷に打たれたり、あるいは溺れたり、尋常でない死に方をした者も同様の扱いを受けた。)普通の葬式も行われることはなかった。

 半ば伝説化した(する)夜のランナーのイメージはさまざまに形を変えて再生される。伝承されている夜のランナーの現代の「実話」(鉦叩きもん、不死身の男)も紹介されている。

 さて、ここまで、O・呂陵の意図は「『放屁ゼロ』の大陸の裏面に、その強烈な逆立像としての『夜のランナー』の観念複合があることを明らかにしておく」ということである。そのキーになる現象が〈屁〉なのである。

 ともあれ、この本にはアフリカでのフィールドワークの知見に裏付けられた、たくさんの「ヒント」が散りばめられている。O・呂陵の記述は多岐にわたり、端的に、あるいは迂回して、豊穣な〈屁〉的現象に迫っていく。
 実のない風だけを虚心坦懐に論じる「虚学」に徹して、新たな地平を開こうというのが本書の本懐である。スカトロジーの非実学性を支持しながら、さらにその内部に「実学」と「虚学」の区別を改めて立てて、能う限り後者に集中する。

 O・呂陵はこう述べて、それは「わが風狂の精神」であると言う。ここが彼の〈屁〉を語る方法論の原点なのである。見事である。
posted by 楢須音成 at 23:30| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 文献探索 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月18日

続続・まるごと人類学的放屁論の本が登場!

 良くも悪くも〈屁〉というものは、まともに省みられることがない。〈屁〉についての本は希少だが、多くは面白可笑しい本として(それをネライとして)流布することが本命であった。まあ、批評性がないというのが(まったくないわけではないけど)これまでのスタイルだったのだ。〈屁〉はすでに面白可笑しく語るだけの時代は去っている。(1994年に青弓社から出た佐藤清彦の『おなら考』は、その書名からも新しい批評のスタイルを予感させたのだが、内容は色濃く面白可笑しいを引きずって従来パターンを脱していない)

 文化人類学者が体験的に〈屁〉を語った『放屁という覚醒』は画期的な本の出現なのである。かつて〈屁〉を見据えて(体験を内在化して)このように高い批評性で語った本はない。シリーズ化が目論まれているらしいこの本は、ほんの序章(のようなもの)であろう。多分〈屁〉はO・呂陵のライフワークに違いない。となれば、その展開にはもう目が離せないのである。

 『放屁という覚醒』は、エッセイというスタイルで〈屁〉の衝撃(反文化性)を強烈に提起している。〈屁〉的現象の自らの腑分けを「虚学」と位置づけるそのスタイルは、〈屁〉というものの周辺を高く低く、何度も何度も、まわりくどいほどに飛行する。この本の大きな特徴は「実学」を忘れたわけではないものの、「実のない風=〈屁〉」に直接肉薄しようとする風狂の精神(これは音成の解釈だが、つまりは〈屁〉の「神話」「物語」)を鼓吹していることにあるのさ。そして、そこに潜む批評性の高さ(原理的な理論志向)に音成は感激したのだ。

 O・呂陵の核になっている体験は「アフリカ大陸における(厳格な)放屁のタブー」であるが、一瞬であれ「誰も屁をしない大陸がある」という想像自体、卒倒するような事態である。この厳格な放屁のタブーと同様のタブーについては、南方熊楠も『十二支考』の中で「アラビア人の屁」として取り上げていた

 熊楠はアラブ人、ヨーロッパ人、日本人と、屁をめぐる恥の意識を並べつつ、語っていたのである。そのうちのアラブ人のエピソードは、アフリカ人の反応とそっくり。音成は『放屁という覚醒』によって初めてアフリカの放屁タブーを知り、あまりの類似に驚いたのだが、〈屁〉というものの、(ある深層を持った)文化の広がりを感じさせる驚きだった。それは民族、気候、地理・地勢、食性、身体、歴史、生業、組織…等々の自然・社会・文化と相互作用する精神の成立事情を語る深層である。熊楠は鋭い文明批評的な比較をしたが、それが最前列のテーマというわけではなかったから、考察は深められなかったようだ。それでも、そうやって着眼して示した民族を縦断する比較の観点(落差への観点)は示唆的である。

 〈屁〉が現象するとき、そこには、さまざまな人間の振る舞いがある。O・呂陵は結論を急がない。というか、心騒ぐ発見を語って、考察し、指摘して、そこで終わりにしないで、さらに横滑りして現象を見ていく。それを繰り返しながらアフリカの〈屁〉的現象の周辺飛行を繰り返すのである。語りも、この本の構成もそのようなものだ。まとまりがないように見えても、そこには発見や考察や指摘がちりばめられている。それらは常に原理的な精神の理論(神話・物語)をめざしているんだよ。

 この本のフレームワーク(目次の構成)は以下の通りである。どうだろう、熊楠もびっくりの風狂ぶりではないか。
序説・薫風響声考
  心騒ぐ風  身体の内側を吹く風  社会現象としての風
  人間にとっての自然  文化のからくり  音も香もない上天の人
  放屁の心理と政治学  文化の隙間風  カトリーナの教訓
  反文化としての風  死を孕む屁  人間が生むもっとも平和なもの
  都市化と屁の抑圧  工業化と汚れの概念  屁のポルノグラフィー
  心騒ぐ屁  シュールレアリスト宣言  スカトロジーの本義
放屁という覚醒
  身体という謙虚な知性  アフリカ人は放屁しない?
  穴便所への小旅行  天空の音楽へのハードリング
  文化衝撃の二つの型  ファート一発!  息抜きのできる社会、できない社会
  鍛錬また鍛錬  笑わぬ民を笑わせる  反人間としてのロバ
  ロバを食べたほどの飢饉  ロバ騒動  肛門を食う
  どちらが屁こきか 遠藤周作の『黒ん坊』  ツンパ実像
  スカトロジーか  股屁の孫、臭作  『黒ん坊』と『沈黙』
  アフリカと放屁の禁忌  ピグミーと放屁  おおらかな狩人たち
  遠藤周作の覚醒
旅にしあれば
  赤ん坊と人類学徒  「そこ」ならぬ「ここ」  「ここ」の中の「そこ」
  蛇口はある  常識はどっち  尻は零下五十九度よりも強し
  叩き割るオシッコ  男と女  便所事情の深層
  阿諛される理由  困難また困難  ホモ・オフキ
  蕗と紫陽花  誤解こそが人生だ
荒野に風立ちて
  放屁と自然と邪術者と  放屁という技芸  出臍と幸せのオナラ
  ウンチという私  痛い  出ない
  屁と精神  どっちが危険か  ひり合うこそ尊けれ
  屁の邪術教育  放屁の邪術  屁と唯一の純愛物語
  放屁と無償の愛と  放屁に世を儚む公達  愛するのは妻か、屁か
  もう一つの伝承  恐るべき屁ったれ男  放屁という覚醒、再び
夜のランナーたちの風
  人類学の隠れた技法  浮上する夜のランナー  夜のウォーカー
  走る「危険」  街のランナーたち  屁の力
  お騒がせ者  走る邪術師  放屁の技術
  ハイエナの背に跨って  夜のランナーの妻  炉石の含意
  絶え間なく放つ者  捕らえてみれば  屁と血
  想像力への想像力  鉦叩きもん  不死身の男
  陽気な「夜走り」愛好家たち  ケニアは走る
  英雄、キプチョゲ  邪術師の権力  薫風と響声
  ジェンダーと運命  かくも短き不在

(この本で触れられている松園万亀雄の『グシイ』を取り寄せて読み始めた。民族誌として書かれた『グシイ』のスタンスと比べると〈屁〉に向かうO・呂陵のスタンスがとても際立つねー)
posted by 楢須音成 at 14:49| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 文献探索 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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