2007年05月01日

〈屁〉が快感となる究極の技法あり〜

 自分の人生の好色話を語り下した『金子光晴 金花黒薔薇艸紙』(聞き書き・桜井滋人、1975年、集英社刊)に「おならばなし」の一編がある。「(女と)やればこの世とおさらばするかもしれない(インポ気味?の)エロ爺さん」が語る何とも面白すぎる本だが、男女の〈屁〉もまた好色の一分野を占めて存在していることを語ってやまない。(エロ爺さんといっても、金子光晴は巨大な詩人の一人なんだよ)

 「……ちょっと気晴らしの旅に出ました。なぜかこのごろ心落ちつきませぬ。心の中のかたちはわかっていても、からだを通してしか、たしかめあえないということはつらい。久しぶりで、いのちというものは哀しいものだと、身にしみております……」
 なんてね、書いてあるの。ヒッヒッヒッ。これ、恋文でしょ。立派なラブレターでしょ。うん、あの屁っぴり虫がね、こういうものを書いてきているのよ、ふおっふおっふおっ。ねぇ、人間は長生きはするもんですよ、ねぇ。ナニね、あの大黒さんもね、よくやるんですよ、おなら。よく取りはずすんですよ。亭主をなくしちゃったのも、実はおならのせいなんだって。
 話によると、それは、ある葬式のあとの席でだってんだが、あの大黒さん、ずいぶん用心はしてたんだが、何かのはずみで、ブゥッ、と取り落としちゃったんだてえの。これが普通の席でならね、まずは一席のお笑いで済んじまったところなんだろうが、何しろ、遺族が深刻に悲しんでる席でだな、坊さまの女房が屁をこいちまったてんですからね、一座の人も色をなしたてえし、亭主の和尚も思わずカッときて、
「ウワッ! 何たる無礼かッ」
 とまっ赤んなって突っ立ち上がったと思ったら、そのまま、ひっくり返っちゃって、うん、逆上ついでの脳溢血。それでね、半年ばかり寝てたんだが遂にはかなくなっちゃったてえの。屁のひり方を誤ると危険ですね、うん。
 しかし、亭主の和尚は、息を引きとる前にいったそうですよ。
 「お前には、本当にすまぬ事をした。だかが、屁ひとつ。それを坊主が職業のおれにとぼけられなかったとは。屁ひとつくらいで逆上するようじゃあ、衆生済度も聞いてあきれる。おまえもこれからは、何事にもこだわらず、気楽にひっていけ。それが仏の御心にもかなうことだ」
 とね。
 それで静かに目をつぶったてんですから、この和尚も、ただ者じゃあないね、偉いね。ナニ、話ができすぎてる? 冗談じゃありませんよ。これは、この話は大黒さんから、ぼくが、じかに聞いた話なんですから、うん。

 こういう調子で続くのだが、この話なんかは坂口安吾の小説「お奈良さま」の最後の場面を思い出させるね。「坊主の今わの際の(妻への)言葉」というパターンが同じだよ(内容は全然違うけどね)。まあ、確かにできすぎた話ではあります。そう思わせるのは、あり得ない話ではない(と思わせる)からなんだけどさ。

 要するに、ほかの好色話も同様なのだが、ウソかホントかわからない(詮索しても始まらない)ようなエピソードこそが〈屁〉談義の本道なのである。詮索が無意味なのは、そもそも〈屁〉とか〈性〉にまつわる話は(いい話であれば)共有化しやすい(パターン化しやすい)からであって、つまりは、どこにもありそうな話としてリアルに感じてしまうのさ。(込み入ったパターン化の議論についてはこちらを参照)

 逆に実名入りで、高村光太郎はイロハニホヘトと48個続けて出して最後のンは本物を出したとか、中西悟堂は君が代を屁で吹いたとか、秋田雨雀は出版記念会で波浮の港を屁でやったとかの話が出てくるが、そういう話の方が(当人の名前の方はリアルだけれど)嘘臭いんだね。

 さて、この一編のトドメの話は〈屁〉の性的技巧の究極かもしれんねー。

 ところで、屁のもう一つの利用法をおのし知っているか。あのね、これはね、シンガポールで華僑の婆さんに教わったんだが、早い話が屁ボボとでもいう奴で、あそこにね、尻めどを当てて、プップッ、プーッと吹き込んでやると、とっても女は喜ぶてんだがね、この話をシンガポールで聞いたときは、ぼくもまだ四十前だったから、何を臭いことをぬかすかと、信じなかったんだが、昨今、あるお嬢さん、といっても、もう四十すぎの彼女だが、ふと、この方法を思い出してね、あの、ためしてみたの。うん、いくら不立だとはいえ、撫でたりさすったりばかりじゃぁ、女の方はそれでも結構満足するにしてもだナ、こっちはときにはウンザリすることもあるからね。だからね、この日、華僑の婆さんに昔教わったおなら罨法(あんぽう)を思い出して、ひとつやってみるかてんでね、プッ、プーッと入れてみたの。プップッ、プーッとね。そしたらだナ、それまでは、何となく落ちついていた彼女がだナ、やわやわと乱れ出し、ええなあ、ええなあ、ええなあてんだ、うん。屁風の生あったかさとやわらかさ、それに臭いがたまらねえてえの。
 これには、ぼくもびっくりしてね、改めて尻を据えなおすと、偏奇館主人(永井荷風)のようにスカスカとじゃあなくプカプカプーと気体の抜きさし。もちろん、指も使ったがね、うん。それで味をしめてだ、あのね、それからは、ときどきこの手で嬉しがってもらってるんですよ、いろいろと。よくなると、もう安心しちまって、屁をひる女もいますよ、ええ。屁で吹くてえと、中には怒る奴もいるが、異常に興奮するのも少なくねえんだ、うん、何しろ、ぼくの得意は梯子っ屁だから。

 おなら罨法によって「それまでは、何となく落ちついていた彼女がだナ、やわやわと乱れ出し、ええなあ、ええなあ、ええなあてんだ、うん。屁風の生あったかさとやわらかさ、それに臭いがたまらねえてえの」と興奮するとき、屁は性的な〈屁〉として現象しているんだよ。

 ここには〈屁〉が〈性〉と重なり合っている姿がある。つまり人間の〈性〉というもの(の快楽)が観念化の様相をことごとく帯びているのと同様に、確かに〈屁〉というものの観念化が快楽をもたらしている現象が、レポートされているのである。

 まあ、セックスの最中に屁をすれば、怒る奴やら意気阻喪する奴もいる(かもしれない)わけだが、その怒りや意気阻喪だって〈屁〉の観念化の心的構造の枠内にほかならないことを見れば、〈屁〉が性的な様相を帯びても不都合はないね。

 一言=この作品ほど性的な〈屁〉をあっけらかんと語ったものはない〜。


posted by 楢須音成 at 00:27| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月04日

屁の名人のタイプ

 巷の〈屁〉談義とは「誰々がこんな屁をした」というものである。そういう中でも「屁の名人」の話というのは特別だ。「屁の名人」とは詰まるところ芸人なのさ。人は名人を語って、その芸に驚嘆しているのである。

 民話に「屁ひり爺」というのがある。そこに登場する爺さんは、素晴らしい(珍しい・面白い)放屁音の屁を出して殿様にほうびをもらう。これが日本で最初に登場する「屁の名人」である(かもしれない)のだが、そこには固有名詞はない。パターン化された物語の中の爺さんなのである。

 ハッキリと実名で名人が登場するのはいつだろうか。福富織部の『屁』に「古今屁の名人」という章があって、明治までに登場した屁の名人をレポートしている。
 織部が挙げているのは、

(1)福屁曲平…霧降花咲男、曲屁福平、三国福平とも称する。安永三年(1774年)に江戸・両国や大坂・道頓堀で屁芸を見せ物にした人。舞台上の曲屁は大当たりを取ったが、4年後の江戸・采女が原(東銀座)での二度目の興行は閑古鳥だったという。この人については平賀源内が「放屁論」の中で活写しているし、そのほか当時のいろいろな文献で話題にされている。

(2)綾鶴…大坂・新町槌屋の遊女で、放屁太夫と言われた。福屁曲平とほぼ同時代と思われる。どういう芸かは不明。この人の放屁が、「音は幾瀬の浮世に響く」と端唄(三味線)に歌われ狂言に採用され琴曲「綾鶴」になって今に伝わっているのだが、放屁にまつわる面影は全くない。三田村鳶魚が『鳶魚随筆』で紹介している。

(3)屁叉…明治になってからの人で、相州・千木良村(現在は相模湖町)の農民。屁叉というのは綽名。神社の階段を一段登るごとに一発放ち、五十段を登り切ってもなお余りがあり、脇の下を触るだけで屁を自由自在に操ったという。

(4)伊藤國太郎…明治の静岡・浜名郡芳川村(現在は浜松市)の人で製糸工場の経営者。綽名は屁國先生。周辺には放屁家が多く、放屁会を開いて放り合って比較研究し、番付を作っていた。先生は常に横綱だった。明治四十年(1907年)頃のエピソードで、当地で放屁大会が開かれ、屁國先生以外の最高点が45点のところを、93点を占め一等になったという。また、先生は相手が一発すれば一発(あるいはそれ以上の倍返しで)返礼し、何発挑まれでも平気だったという。

 ──といった奇人たちである。
 織部が前提としているのは、当然のことながら、その人たちの実在性だね。

(屁國先生自身が感化されたと語っている「浜松藩の宮地市兵衛」という武士のように、詳細不明の伝説の放屁漢は、いろいろな人が調査・発掘している。佐藤清彦の『おなら考』では尾張の「奥御坊主・山田寿悦」、関温穂の『ヘ調ウンチク辞典』では「江戸の百姓・義平」等々紹介している。石川淳の小説集『諸国畸人伝』では「安鶴」という実在の駿河の大工が登場し、名曲「鶴の巣ごもり」を尺八を尻にあてがって吹いている)

 織部が取り上げた四人は「屁の名人」のタイプをしっかり明示しているのに気づく。タイプをまとめてみれば、こんな感じだろうか。

(A)屁芸でショービジネスをやって名を上げた(プロ)→流行の芸能人
(B)屁芸で本業を助けて(本業の幅を広げて)名を上げた(余技)→異色の職業人
(C)屁芸を本業に関係なく演じて名を上げた(余技)→孤高の芸才人
(D)屁芸を競い合って(優勝し)名を上げた(余技)→錬磨の芸才人

 基本的には(A)〜(C)タイプがあって、(D)タイプは(C)の発展型をみるべきだね。巷の「屁の名人」とは、このうちのどれかのタイプに属するわけだ。織部の紹介はなかなか含蓄(批評性)があるね。

 こうした名人の芸はもちろん、ある水準以上の「芸」を要求する。それは常人以上の「屁の力」を示さなければならないわけさ。ただ屁ばかりしても人に嫌がられるだけだが、そういう屁を転化して喜ばれるようにするのが名人の所作であり、奇抜な構想力である。

 「屁ひり爺」(のような人)から始まり「屁の名人」は歴史上たくさんいたに違いない。まあ、それは多くは(B)や(C)タイプの人であったわけだね。そこに登場した安永の福屁曲平は画期的だった。初めて(A)タイプの屁芸が華々しくショービジネス化したのである。(平賀源内の「放屁論」はこのインパクトによって書かれたわけだね)

 織部は「屁國先生は安永の福屁曲平以上の名人であったかもしれない」と評価している。それはともかくとして、織部のレポートによれば、屁國先生のような(D)タイプは近代化過程での産物ともいえる現象である。

 (九種の曲屁=屁芸を解説して)斯う云ふ調子で、稽古をはじめたので、同地附近は放屁家が頗る多かつた。隨つて放屁會も月並に開いて至極盛であつた。會では、飲んだり食つたりした揚句、お互いに放り合つて其臭氣音色を比較研究し、腹の中を出入過不足なしにして散會する。そして毎年番附を調整するが、屁國先生は引續き横綱で関脇より下つたことは餘計なかつた。

 明治四十年頃、同地で放屁大會を開いた。會衆二十四名、午後の二時から始めて夜の十時頃迄かゝつた。採點の結果外のものは四十五點が最高點なるに反し、先生は實に九十三點を占めて一等となり、草鞋十足、酒一升、里芋五升と云う賞品を得た。

 このような「比較研究」や「放屁會」というものには、〈屁〉に対する認識が近代化の波をかぶっていると言わざるを得ない。屁は〈屁〉として分析の対象となり比較されている。芸もまたそれにそって(点数)評価される。勝者を賞美する「放屁會」という趣向にはそれが反映している。まあ、言ってみれば集団化してスポーツ化してるというわけさ。

 ともあれ、「屁の名人」やその芸は歴史の流れ(文献)の中に残りにくいねー。誰かが残さなければ残らないのは当たり前だが、〈屁〉に関することはなぜか正史から隠蔽される(忘れ去られる)のさ。織部が記述した屁國先生のレポートはすでに現地ではだれも覚えていない(らしい)。なぜだ〜。
posted by 楢須音成 at 23:01| 大阪 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月12日

〈屁〉をここまで見事にこけるか〜

 大方の劇評で評判になっていた映画『ゲゲゲの鬼太郎』(2007年、松竹)を観に行った。評判なのは大泉洋が演じるねずみ男(あるいは、ねずみ男を演じる大泉洋)で、至る所で屁をこくと聞いて、これは観なければならぬと決心したわけさ。確かにこれだけ堂々と(ぬけぬけと)屁を連発する映画は観たことがなかったわい。笑った。

 ここに表現された〈屁〉は、恥ずかしいとか下品とかに頓着せず何の気後れもない(ねずみ男の)振る舞いとして現象している。音(もちろん異音)よし、所作(もちろん無礼)よし、ニオイ(もちろん悪臭)よしの(傍目には)醜悪の三拍子がそろって、ねずみ男は恥じる風情などなーもないのである。その天然ぶりは素晴らしい。

 ねずみ男は漫画でも屁をこいていたけれど、ものさびしくて映画ほどの迫力はゼンゼンなかった。映画ではカッコよくこいて、場面の決め台詞のようになっていたねー。

 ねずみ男は下品なことをたくさんやらかすので〈屁〉だけが特技ではないのだが、彼が〈屁〉をこけば一種独特の陽性の可笑しみを爆発させている点で別格なのである。こっそり透かし屁みたいな悪事をすると思えば、周りがあきれ嫌がる(不)快音の屁を賑やかに弾けさせる。これって〈屁〉的なものの明暗を踏まえて、ねずみ男の人格をしたたか表現しておるわけさ。

 このとき〈屁〉は彼を介して表裏の姿をあらわしているのである。そもそも出現の仕方が違っても屁は屁(実体は同じ)さ。それなのに、出現の仕方によって印象(影響)が変わる。そこで違うのは所作だね。〈屁〉はもたらされる表裏の印象(影響)のメタファーになるのであ〜る。

 ねずみ男の場合は、

<表>賑やかな屁(いきみ屁)←→ 表立ってする(悪事に至らぬ)迷惑/時に転じて、剽軽・お馬鹿
<裏>密かな屁(透かし屁) ←→ 隠れてする(迷惑以上である)悪事/時に転じて、卑劣・あこぎ

 というようなものだが、大事なのは同じ(人の)屁なのに、いきむか透かすかの人の所作によって影響(印象)が大きく変わることであるね。

 で、ねずみ男の悪事というのは二つある(いや、もっとあるんだけどね)。一つ目は物語の骨子になっている呪いの妖怪石を盗み出し争奪戦の原因を作ったこと、二つ目は妖怪大法廷で盗みの濡れ衣を鬼太郎(ウエンツ瑛士)に着せる嘘である。そこで見せる屁男=ねずみ男の浅ましい欲と卑怯な根性が、これまた〈屁〉的にリアルなんだねー。

 もちろん、ねずみ男の表裏を見て我々が笑うのは、映画(表現されたもの)だからである。こんな奴が生きて隣にいたら、多分許すことはできないわけで、自分を第三者に位置させてこそ笑えるのが表現された〈屁〉というものの陽性の所作でもあるのさ。

 もう一つ、屁というものは誰もが抱え込んでいる暗部であ〜る。それゆえに、我々はねずみ男が無縁な存在には感じられない(感じてはならない)のである。

 波乱は破滅には至らずにようやく治まり、ねずみ男と鬼太郎の日常が戻ってくる。エンディングをお子様ランチと言うなかれ。エピローグで懲りないねずみ男は鬼太郎に悪事(透かし屁のような詐欺)の共謀を誘いかけ、鬼太郎がそれに乗るような素振りをみせるのだが、作り手の冗談にせよ、これもまた〈屁〉を共有する者の抗し難いメタファーと言わねばならんのよ。鬼太郎だって〈屁〉ぐらいするさ。

 というようなことを、お茶を啜りながら得々と嫁に披瀝したのだが、ついに返ってくる言葉はなかった。

 一言=それでも、ねずみ男の〈屁〉(または〈屁〉をする、ねずみ男)がなかったらこの映画の魅力はなかったに違いない〜。
posted by 楢須音成 at 07:40| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月16日

家庭における〈屁〉の探求

 世間において〈屁〉というものは、ある時は悲劇を生む罪つくりであり、またある時は喜劇を生む面白可笑しい存在であるが、家庭にあってはどうだろうか。いや、どうあるべきだろうか。『大正文庫第七編・噴火口』(高島米峰著、1913年、丙午出版社刊)の巻頭に「家庭に於ける屁の力」という一編が置かれている。

 この本は宗教家にして宗教運動家だった高島米峰(1875-1949)が世事のあれこれに歯切れよく意見を述べたエッセイ集である。『噴火口』という書名は火山に擬して吹き出してくる米峰の論説のボルテージを示しているといえるが、巻頭に〈屁〉の一編を配したことで実に象徴的な本の構成になっているね。それだけで感動ものさ。噴火口から〈屁〉が吹き出すのであるよ。

 下がかツた話を公衆の前で無遠慮に喋り立てるなンて、誠に以て不作法千萬とあツて、キツト叱り置かれても、致し方のない次第だが、我が日の本に於いては、鳥酎m正や蜀山人の後援に依つて、屁の勢力も、なかなか侮り難いものがあるので、一概に西洋道徳の立場からばかり極論する譯にもゆきかねる。早い話が、プツと吹き出したり、へへへと笑ツたり、どうせニコニコの親類筋「屁ツぴり儒者」の「屁理屈」では「屁にもならぬ」か知れないが、書く(嗅ぐ)とは違ツて、たゞ讀むだけなら、別に臭くもあるまいから、何のこれしき、「屁でもない」と御一讀を「垂れ」給え。

 と米峰はくだけた調子で語り出す。以下に「家庭に於ける屁の力」を要約する。四つのパートに分かれている。

(1)屁の三徳 → 古来から三徳が言われている。「気がすいて(晴れて)よし」「腹が減ってよし」「尻の埃がとれてよし」である。確かにドンと一発おっ放したときの気分は屁の一徳に値するが、物価高騰のこのご時世にむやみに腹が減るのは屁の三損に加えたいくらいだし、尻の埃がとれてよいとは、便所で紙を使うことを知らぬ山猿としか思えんね。まあ、溜まったガスがどうしても出ないのは難儀なものだから、「屁をひる子は息災」とか「屁一つは薬千服に向かう」とか言うんだろう。こういう諺もまんざらではない。

(2)家庭の緩和剤としての屁 → 「屁も愛敬」とか「屁は笑草、煙草は忘草」とか言うが、そもそも屁は陽気で景気がいいもんだ(ただし、透かし屁はこの限りではない)。夫婦喧嘩の後、険悪で不機嫌な白け顔でいるときに、妙な節をつけて一発落とそうものなら爆笑ものだ。座は和み、犬も食わぬ夫婦喧嘩の調停をする。夫婦は臭い屁の一つも嗅ぎ合う仲(屁食い同志)まで進まないと情味がない。子供のない家庭ではとかく「真面目」「陰気」「寂寞」となりがちで、心から笑いこけることがないのではないか。ここで寂寞を破って一発やって御ろうじろ。生真面目な姑の顔も破顔一笑、疑いなし。

(3)西洋道徳と屁 → 親友が相会して他人の品定めにもあきると、「屁は糞の先走り」というように話題は必ず屁に及び、糞に及ぶのである。ところが、窮屈千万なことには、西洋道徳では屁を疎んじて紳士が屁の話をしてはいけないし、婦人の前で屁の話をしてはいけない。甚だしきは夫婦の間でさえ屁の話ができないのである。西洋人の妻をめとった日本人の某博士は友人たちとの晩餐会で屁の話に抱腹絶倒していたのだが、夫人はみんながなぜ笑うのか一向にわからず、博士に理由を問うたそうだ。ところが博士、夫人を前にして舶来的良心の呵責で説明するのをためらっているうちに、夫人は「なぜ私に隠すのか」と涙を浮かべて怒り、責め立てた。屁の話を説明するわけにもいかず、一同も大いにヘーコーしてしょげ返ったという。所変われば品変わる。日本人同士の夫婦は臭い屁の一つも嗅ぎ合うことをもって理想とするのだ。(このエピソードの博士というのは新渡戸稲造らしい)

(4)屁の活用 → 「屁とも思わぬやくざ者め」などと「屁」を叱言などに使うよりは、子供なんかに一発ブイと発射して「誰だ落とし物をしたのは」とか「足のところに玉が落ちている」とか言って囃して御ろうじろ。みんな手を叩いて笑うよりほかはないのである。細君の前で屁の話もできないような舶来道徳の窮屈さに比べたら、「屁は一芸、臭けりゃ逃げい」と寛大にして楽天的で融通無碍な日本固有の道徳こそ賛美せざるを得ない。「屁なりとてあだなるものと思うなよ ブツ(仏)といふ字はホトケ(仏)なりけり」

 大体こんな感じであるが、米峰が主張しているのは「家庭において屁はどんどんやってよろしい。夫婦も屁を嗅ぎ合う仲にならないと情味がないのだ」ということだね。〈屁〉に対する日本人のこの寛大さこそ西洋とは違う特色だというのである。

 しかしだね、ここで思うのだが、米峰は細君が屁をすることは念頭にないのではないか。

 つまり、これすべて男性の屁の論説ではないのか。まして明治・大正の時代背景を考えると、女性が平然と屁をして子供に「だ〜れ落とし物をしたのは」なんて言って囃すわけない(できない)と思えるね。姑も息子の屁以外は破顔一笑せんだろうさ。女の屁を想定して米峰の論説を読むと、どうも悲劇が待っている気がしてならんのだけど。

 米峰は〈屁〉の効用を述べているわけだが、論説はその効用の背景として日本の家庭の構造(序列)を前提としている。日本では夫(男性)優位の家庭の構造であった。米峰の論説はそこに立脚して初めて教訓となる。

 新渡戸博士の夫人への態度は〈屁〉の道徳(婦人の前で口にしてはいけない)が基底の根拠とはなっていない。結果として、そういう道徳に追いやられるのは、新渡戸家では夫人の地位が博士と対等か対等に近いことが構造化されているためである。夫人の怒りは〈屁〉がどうのという以前に、笑いそのものを対等に共有できない疎外された怒りだね。そのように夫人を遇したことで新渡戸はまず言葉に詰まったと見なければいけない。(対等であれば、もともと屁は禁止である→禁止されたものは口にしない→もちろん話題として共有できない。※対等であれば「屁は自由」とはならないのが屁の不思議であ〜る。詳細は別の議論に譲る)

◎新渡戸家=夫婦対等→夫婦間で屁は禁止→話題を共有できない禁句
◎日本家庭=夫が優位→妻の前で屁は平気→話題を共有して家庭円満 ※ただし、夫の屁に限る。妻の屁は悲劇

 こう見ると、そもそも夫婦対等であるゆえに屁は遠慮し合うというのが西洋流となる。日本では対等のバランスが崩れており、このとき〈屁〉は笑いと背中合わせで優位者の「武勲」「勲章」「権威」として作用している。

 結局、家庭において「屁を嗅ぎ合う仲にならないと夫婦は情味がない」という米峰であるが、このときの〈屁〉は夫の屁なのであ〜る。では、すでに夫の屁を嗅がされるだけでは納得しない(であろう)現代家庭においては、〈屁〉の理想形とはどんなものだろうか。

(参考)
◎楢須家=夫が優位(のはず)→妻の前で屁は平気(か?)→話題は嫌がられている ※妻の屁は公式には聞いたことなし

 米峰がケツ語とした「屁なりとてあだなるものと思うなよ ブツ(仏)といふ字はホトケ(仏)なりけり」というのは含蓄のある言葉ではあるね。確かに〈屁〉を「あだなるもの」と思ってはいかんし、深く〈屁〉を究めれば家庭の構造が見える(はず)さ。
posted by 楢須音成 at 07:47| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 文献探索 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月24日

『2001年宇宙の旅』に〈屁〉の誕生を見た

 原始の昔、もともと屁は自由に放散されていたに違いないのである。ブッブッブー、ブッブッブーと、いつでも放埒に出たかどうかは知るすべもないが、人類の起源から、ことあるごとに屁は出ただろうさ。激しく体を動かせば呼吸が乱れるけれど、同様にその日の体調加減の体の動きで、ごく当たり前に屁は発生したに違いない〜。

 ここで思い浮かべるのは、アメリカ映画『2001年宇宙の旅』(1968年)に出てきた類人猿のシーン。類人猿たちが夜の底知れぬ闇や、厳しい雨風を避けて洞窟に身を潜め合っていたね。その洞窟はまだ住居でもなく、そもそも彼ら自身がまだ人間でもない。そういう段階から、彼らは荒野に屹立する謎めいた巨大な板にインスパイアされて道具の使用(モノの獲得と闘争と生産)に目覚めていくのであるが、人類へと進化していく原初の段階が鮮烈なイメージによって印象深く描かれていた。残念ながら、そこに屁が登場していたわけではないのだが。

 しかし、洞窟の中の彼らは屁をしていた(に違いない)のであって、立ち上がろうとしてブー、押し合ってスー、つまずいてピー。それは意味づけのない自然(生理)現象であり、誰も気にすることもない屁であったのだ。もちろん、彼らには言葉なんかないので屁の概念はない。恥もない。道徳もない。まるで屁は存在しないに等しい。ブー、スー、ピーは彼らが時々発する(お互い意味のない)唸り声と同じである。そのように彼らは洞窟の中で身を寄せ合って、我知らず無意味に屁をしていたのであ〜る。

 ところがあるとき、ふと屁を気にした奴がいたんだね。それは自分の屁だったのか、他人の屁だったのか。彼は何かにインスパイアされて、とにかく屁に意識(のようなもの=怪訝)が向けられたのである。やがて、そういう怪訝な気持ちは仲間も抱いているみたい〜と気がつくうちに、屁は次第に仲間内で意識されてくる。

 そのときの屁は、ほかと差別化された音(異音)であり、ほかから際立ってくるくさ〜いもの(異臭)だった。しかも見えない。どうやら出てくる穴は決まっているようだ。彼らはもどかしく〈屁〉の存在を感じたに違いない。屁は〈屁〉へと架橋され始めた。

 なぜか自分がそういう〈屁〉をするのは気持ちがいいのだが、仲間の〈屁〉を聞いたり嗅いだりするのは気持ちよくな〜い。何だか〈屁〉はヘンだぞ〜。

 かくして洞窟の中で、いきなり登場(意識)した〈屁〉なのであった。
 しかしそれは、まだかすかな意識(認識の端緒)の段階だったので、すべてはモヤモヤした霧のように複合した原初的な感覚あるいは感情といってもよかった。

 やがて意識は自己増殖して次第に〈屁〉としての観念化を進めていく。彼らが洞窟を捨てたとき、すでに〈屁〉は制御すべきもの(みだりにしてはいけないもの)としてあった。

 ──まあ、これが〈屁〉の発生の経緯である。音成の妄想だけどね。
 『2001年宇宙の旅』は人類自らが作り出した(制御できなくなった)コンピュータとの闘いを描いている。そして映画は神秘的な結末へと謎を深めてエンディングとなるね。ここで妄想を深めればコンピュータ「ハル」は、まさに〈屁〉(のようなもの)なのであるさ。

 人類と〈屁〉とは、何と因果な関係であろうか〜。
ラベル:映画 類人猿
posted by 楢須音成 at 00:04| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 独舌漫語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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