2006年03月07日

屁理屈だっていいじゃないか

 屁と糞が兄弟分であることに特に異を唱えるつもりはないが、だからといって屁と糞を同列に扱うのは反対である。屁と糞の関係はお互い臭い仲ではあるものの、存在する根拠の性格が違うわけさ。音成としては、屁を糞の従属物のように扱うのは遠慮いただきたいという気持ちがある。

 最近見つけた面白い本で『ウンコな議論』(ハリー・G・フランクファート著、山形浩生訳/解説、2006年、筑摩書房刊)というのがある。本の帯には「あんたの言ってることはウンコですな」とある。表紙を見ただけで「絶対に屁が弟分として出てくるゾ」と確信したものである。

 果たして書き出しからこうである。

「現代文化の顕著な特徴というのは、それが実に多くのウンコな議論や屁のごとき理屈にまみれているということである」

 やっぱりね、ウンコな議論と同列に「屁(理屈)」を並べているよ。
 ウンコ議論っていうのは、その場しのぎの言い逃れ、ふかし、ごまかし、はぐらかしのような、相手の出方に応じて為にする議論のこと(かな?)。ホントらしさを装って、まあ節操なき議論だね。一番困るのはウンコ議論をしている奴がウンコと思っていないこと(が多いこと)さ。

 それはともかく、以下、この本からウンコと屁の関係(位置付け)を少し抜き出してみる。

「結果として、ウンコ議論屁理屈のなんたるかについて我々は明確な理解を保持していない」
「思わせぶり性がウンコ議論屁理屈の本質的な構成要素であるからというより、むしろその動機になっているからであると考えたい」
「いい加減に作られたできのわるい代物を、ウンコ議論屁理屈の類似品と考えるのは、ある意味で確かに適切に思える」
ウンコ議論屁理屈は、知りもしないことについて発言せざるを得ぬ状況に置かれたときには避けがたいものである」

 というようにウンコ議論に屁理屈がセットになって付き従っておるわい。もちろん微妙にして抜きがたい区別はあるわけで、排泄物(ウンコ)と屁の軽重はこう解説してある。

「『屁』という用語はまた、もう少しばかり広範でおなじみの用法においては、ウンコ議論と同じながらお下品さ多少控えめな表現として使用に供されている」
「ちなみに屁とはまさに尻からの『ふかし』であり、排泄物とは類似性があり、したがってふかしはウンコ議論の同等品としてきわめて適切であるように思える。屁やふかしが有益なる内容をすべてくりぬかれた発話であるように、排泄物は滋養あるものがすべて抜き取られた物質である。排泄物は滋養の死体、食物の重要な要素が使い果たされた後に残るものとしてみることができる」

 ウンコと屁の兄弟ぶりが語られているわけだが、これじゃあ、ウンコの程度が軽いのが屁か?

 訳者の山形は、bullshit の訳として「ウンコ議論」を用意したのである。その事情を訳者解説でこう語る。

「原題の持つ、一部では放送・印刷禁止にもなるほどの強い卑語が持つ迫力を再現するためには、まったく同じインパクトを持つ表現がない日本語において多少は不自然な処理をほどこすことは免れ得なかった点、ご理解いただきたい。また文中に『ウンコ議論』に加えて『屁理屈』の一語を追加したのは、一つにはそうした少し常用度の低い用語の違和感を相殺すべく、類似の意味を持ちつつインパクトは弱いが一般性は高い用語を並べることで苦境を乗り切ろうとした苦渋の策ではある」

 ということは「屁理屈」の一語は訳者の配慮なのであるか? まあ、どちらにしても、この本における糞と屁の兄弟関係(の位置付け)はかくのごときものであり、同列にとらえられているわけである。

 しかし、ちょっと待たれい。屁と糞が存在のあり方として性格を異にするように、屁理屈とウンコ議論は基本において区別すべきではないのか。屁理屈には屁理屈独自の考察があってもいいんじゃない!

 屁理屈には、まさに〈屁〉的現象を背景にした両義的な性格があるのである。端的に言えば、その軽さ故に屁理屈は悪い意味でばかり使われるわけではないのさ。それに笑いがあるでしょ。〈屁〉なんだからさ。


posted by 楢須音成 at 00:32| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月10日

〈屁〉の恥を放散して甘えたい〜

 人はいつの頃からか〈屁〉を恥ずかしいものと見なしたのである。人類史的なものはともかくとして、自分史の中で〈屁〉の恥を意識したときの事件性はインパクトがあるものさ。安岡章太郎の『放屁抄』(1972年)はそういう自分史の中の事件となった〈屁〉を追求した小説である。(実体験かどうかは関係ないよ)

 書き出しから催屁剤入りボンボンを娼婦に飲ませて入獄したマルキド・サドの話に引っ張り込まれる。続いて婚礼の挨拶回りで屁を取りこぼした明治時代の花嫁の自殺事件が紹介される。おいおい、実話(またしても!)ネタの屁のエピソードを重ねてウンチクを傾けようというのかい、と思ったが(この筆致は小説というよりエッセイ風の考察だもんねー)、これは前振りであることがわかる。

 長谷川伸の『おなら次郎吉』もそうだったが、〈屁〉を語ろうとして前振りが長い。〈屁〉を語るときには、しばしば現れる現象なのである。確かに〈屁〉をストレートに語ることは意外に躊躇するんだよ。そこで、その姿勢や理由が興味深いわけである。

 この小説の場合、冒頭のサドと花嫁のエピソードによる〈屁〉の考察は、初め音成には何だか牽強附会の感じが残ったのだが、こんなことを言いたいらしい。要するに、ヨーロッパ人にとって屁はただ生理現象であるがゆえに、その強要は暴力である。しかしながら、〈屁〉をもって自殺するような日本人にとっては〈屁〉は「もっと精神的なひろがりを持つ何者か」であるというのである。(口調は明快だが、小説の眼目との関連性において、実は何を言いたいのかわかりにくい議論なのさ)

 ともあれ、こんな議論をした後で、やがて話はするりと「私」の幼児期に滑り込んでいく仕掛けになっている。


(ひとくさりサドを語って)「正直にいって、私はサドの著作にはこれまであまり興味はなく、鞭打ちだの鶏姦だのをやってみたいという気はさらさらないが、部屋に閉じこめられた女が、ぷっぷとガスを放ちながら逃げまどうのを追いまわすというアイディアには魅力がある。これは私自身、幼年期に近所の奥さんのまえで放屁したことで傷ついたという憶いがあるためかも知れない。
 あれは朝鮮の京城に住んでいた頃だから、私が五つか六つのときである。いまは忠武路とよばれている繁華街の裏に黒い塀でかこまれた憲兵隊の官舎があり、私の家もその中にあった」


 近所の奥さんというのが子供心になかなか魅力的なのである。この「奥さん」と「ぷっぷとガスを放ちながら逃げまどうのを追いまわすというアイディア」がどうして結びつくのか? ここの飛躍の深層が小説の眼目なんだね。
 次は「私」が「奥さん」の家に出かけて行った回想シーン。


「すると急に自分も何かせずにはいられなくなった。しかし、いったい何をしよう? もう刀は家に置いてきてしまったし、もともとT君のマネなんかする気はない。思案にあまって私は、相撲のシコでも踏むように、片脚を上げて思い切り畳を踏んづけた。そのとたんに、自分でもびっくりするほどの大きな音でおならが出た。
『やった!』
 と私はさけんだ。じつによい気分だった。まるで大人になったような心持ちだ。K夫人はあっけにとられた顔でこちらを見ている。きっと感心しているに違いない、なんてハンサムなおならだろう──と、私はそう思いながら第二発目をぶっ放した。すると、どうしたことか、K夫人は横を向いて、箪笥の中に着物をしまいはじめた。私は突然、頭の中がぼうっとなるようなイラ立たしさを感じて、もう一発、
『えい!』
 と、腰をひねって発射した。しかし、これはブスッと小さな音がしただけだ。私は失望した。というのは、そのときK夫人の大きな眼がこちらを向いて、
『汚いわね、おならなんかして……』
 と冷たく言い放ったからである。私は途方に暮れ、茫然となった。おならが汚い、そんなことってあるだろうか? しかしK夫人は、そういう私に、止めの一撃をあたえた。
『よそのうちへきて、おならをする子なんて大ッ嫌いよ、あたしは』」


 という具合に嫌われてしまう。これがトラウマになってしまうんだね。青年になってからもずっと尾を引いている。


「それが常住不断というわけではないが、情念が昂まって緊張状態に達しようとするとき、不意にその言葉が頭の中をよぎって行くのだ。そして、その瞬間に、あらゆる情念の潮はいっぺんに引いてしまう。あとには、干からびた現実がシラジラしくひろがるばかりだ。
 しかし本当のところ、私にはわからなかった。屁というものが何故にこうも恋愛の情緒のさまたげになるのだろうか? K夫人がいったように、それはうち≠ニよそ≠混同させ、他人の前で放屁することが、あたかも自我の不法な拡大であるかのように受けとられることだとしても、それだけではなぜ情緒がさまたげられるかという説明にはならないのではないか? どっちにしろ私は、思春期、青年期をつうじて、自分の肉体を嫌悪し、女性を恐れるようになったが、その恐怖の根源をたずねると、結局それはイザというとき自分は必ずや女性の前で放屁するのではあるまいかという危惧から来ていた」


 重症である。
 ここで突然、平賀源内の『放屁論』が紹介される。「私」は源内が語る(屁の不作法や肉体の嫌悪感を忘れさせて一芸として成立する)放屁芸に感心し(あこがれ)つつ、話は客の前で屁を取りこぼして自害しようとした女郎の話に及ぶ。そうやって「私」は触発されて初めて吉原へ出かける気分となる。(この辺の考察も面白いんだけれど、これまた関連性のわかりにくい議論ではある)

 遊郭では「私」がまだ童貞であることが明らかにされる。というか、それまで、なぜ自分が遊郭通いしなかったのかという理由が延々語られていたのであるが、言葉にして童貞を指摘したのは女である。ただ、「私」は全然初めてのような気はしないんだね。ことが終わって「私」はぼんやり外を見ている。


「すると私は、不意につまらないことを口走っていた。
『ああ、おならがしたくなっちゃったな』
 私は狼狽して、思わず女を振りかえった。女は布団の中から顔を上げて、こちらを見ていた。そして何か、疲れた母親のような眼差しになりながら、東北訛りの言葉でいった。
『いいわよ、落とすても……』
 私は一瞬、体の中が熱くなるような感動をおぼえ、目の下にまたたいている街燈が何処までも遠くつらなっているもののように眺めていた。

  よし原へ屁をひりに行くきつい事(古川柳)」


 いかにも日本的(私事的)にして純文学的幕切れだね。まあ、表層的に言えば、幼児期のトラウマ(恥)が初めて他者(家族じゃダメ)を通して解消される感動が描かれているわけさ。そのトラウマは「私」という自分史を時間軸にして、それをサドやら花嫁やら源内やら女郎やら資料的なエピソードによる考察の多面鏡で写し込みつつ、終幕に至るのである。(その辺の筆致は安岡の独擅場だね)

 深層に一貫してあるのは〈屁〉が醸す性と恥の絡み合いなのである。それは隠微に(遠回しに)「もっと精神的なひろがりを持つ何者か」として表現されている。考察のわかりにくい議論はそこをぐるぐる回っているのさ。そう見ればすべてのエピソードは内的な必然で関連を持っているのがわかる。

 最後の川柳の幕切れもシュールだねー。(笑)

 一言=この作品は〈屁〉(の恥)によって性を見失った男が、『いいわよ、落とすても……』と受けとめてくれる母親的「女性」性を、思いがけなく外に発見して救済される自立の物語であ〜る。
posted by 楢須音成 at 23:48| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月16日

屁のニオイを90%消す方法

 屁に音とニオイは付きもの。昔から人は皆これに喜怒哀楽してきたわけなのさ。特にニオイは悪臭であるが故に嫌われる。屁の悪臭の理由(成分)についてはすでに多くの文献で指摘されている。鈴木隆の『悪臭学──人体篇』には最近の研究の成果が紹介されている。

「おならの臭気成分については、今まで硫化水素、インドール、スカトール、揮発性アミン、揮発性脂肪酸にアンモニアが加わったものといわれてきた。特にスカトールは、その名前とスカトロジー(糞便学)との近さから、いかにも糞便やおならのにおいの主成分であるようなものすごくくさいニオイを思い浮かべてしまいがちだが、そのもの自体はそれほど悪臭ではない。それどころか、基本的な香料原料のひとつとして使われており、香水をはじめとしたさまざまな調合香料を創香するする際に、ねっとりとしたボリュームのある甘さやフローラル感を出すのに大切なにおいなのである。
 そんなこともあって、スカトールをおならのにおいの主犯とする見方に私はなじめないでいたのだが、一九九八年に発表された最近の研究で、メチル・メルカプタン、ジメチル・サルファイドがおならの中から見つかった。このふたつに硫化水素を加えた三つの物質がくささの主役ではないかという。なぜならこの三つの物質の濃度が濃いほどおならがくさくなることが確かめられたからである。今まで信じられてきたようなインドール、スカトールの悪臭に果たす役割は、じつは過大評価されたものだったということになる。
 これら三つの物質は基本的に糞便のにおいの成分としても知られるが、おならでは糞便より硫化水素の果たす役割が大きいようだ。それを除けば、やはりおならはうんこの兄弟だったのである」

 ここで指摘されている三つの物質は硫黄(イオウ)化合物である。つまり硫黄のニオイが核になっている。これが糞便臭の基本なんだね。糞便臭は人体構造上の重要な現象であるが、そこには硫黄が介在しているわけである。硫黄は人体(を構成する)成分として必須の毒物なのさ。

 火山国である日本では硫黄のニオイは自然界にも身近にある。地獄谷とかね。いやなニオイ(悪臭)には違いないが、それだけで終わらないところがこのニオイの独特なところである。糞便臭の文化的構造は『悪臭学』で鋭く考察してあるよ。

 ところで、このニオイを消す方法であるが、『おなら粋門記』の藤田保が自ら実験してみたとして推奨しているのが以下の方法である。(この人の何でも試す姿勢は感心するわ)

「しかしぼくが実験したなかで、もっともよい方法は、パンツの中に活性炭素をいれることである。なにしろ活性炭素というものは、戦争中には防毒マスク用として、本物の毒ガスを吸い取るのに用いたほどの吸着力があるもので、屁のニオイを吸い取るぐらいのことは屁のカッパである。
 ふんどしのちょうど肛門にあたる場所に、ポケットをつくり、そのなかに粒状の活性炭素をいれて口を縫っておけば、それでできあがりである。活性炭素は薬局にいけば粉、粒の二種類売っているが、この場合は粒状のものにかぎる。
 というのは、粉状活性炭を用いると、粒が小さいので、布の目からハミだしてお尻が黒くなり、ズボンも汚れるので注意が必要。このクサミどめのフンドシは、もちろんぼくの発明ではあるが、特許は取っていないので、読者の諸君はご自由に製作されてケッこう。
 能率はひじょうによく、じょうずに用いると、ニオイの九○パーセントは消してくれる。将来は嫁入り道具のひとつとして、嫁さんに持たせたらよい。
 またもしフンドシがまにあわないときには、布切れに包んであてておくだけもよい。ただし、紙袋にいれて用いては、気体の屁はぬけとおらないからだめである」

 『悪臭学』でも最近の消臭グッズが紹介してある。アメリカで商品化されているという活性炭の消臭クッションや、肛門あたりに当てたゴムパッドからノズルが延びてそこを通過するうちに無臭化させるという消臭パンツである(どんなんやー)。

 買ってみる?
posted by 楢須音成 at 15:50| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月23日

〈屁〉を駆逐するところに愛はない〜

 しばしば〈屁〉が物議を釀すのは人間同士の闘争になるからである。〈屁〉は相手と相互に分かちあえるものなのだろうか。坂口安吾の『お奈良さま』(1954年)は分かちあえぬ〈屁〉に圧殺された人生を駆け抜けた男の悲劇である。

 「お奈良さま」とは主人公のニックネームである。「お奈良さまはさる寺の住職であるが、どういうわけか生まれつきオナラが多かった。別に胃腸が人と変っているわけではないらしく至って壮健でまるまるふとってござるが、生まれたときから絶えずオナラをしたそうで、眠っている時でもオナラは眠らない」という、とても病的な放屁癖の持ち主なのさ。

 僧侶である彼にとって、人前での放屁は一大事である。檀家の法要で〈屁〉をいかに消し去るかの独特の工夫に加えて、諦めともつかぬ心境の円熟に至る悲しい年月を重ねてきたのであるが、そんなある日のこと、事件は突然にして衝撃的に起こるのさ。


「春山唐七家の老母は甚だ彼(お奈良さま)に好意的であった。この隠居の亡くなった主人の命日の日、読経がすんで食事をいただいたあとで、隠居の病室へよばれた。隠居は七年ごし中風でねていたのである。彼が隠居の枕元へ座ると、
『………』
 隠居が何か云った。この隠居は顔も半分ひきつッていて、その言葉がよく聞きとれない。彼が耳を顔へ近づけてきき直すと、
『私ももう長いことはございませんのでね。近々お奈良さまにお経もオナラもあげていただくようになりますよ』
 隠居はこう云ったのである。枕元の一方に坐していた春山唐七にはそれを聞きわけることができたが、彼は隠居の言葉には馴れていなかったから、またしても聞きのがしてしまった。それで、
『ハイ、御隠居さま。まことにすいません。もう一度きかせて下さい』
 と云った。そこで隠居は大きな声でハッキリ云うための用意として胸に手を合わせて肩で息をして力をノドにこめようとした時に、お奈良さまはその方面に全力集中して聞き耳たてたばかりに例の戸締まりが完全に解放されたらしく、実に実に大きなオナラをたれた。よほど戸締まりが解放されきったらしく、風足は延びに延びて港の霧笛のように長く鳴った。
 すると隠居は胸に合わせた手をモジャモジャとすりうごかして胸をこするようにした。そして口をむすんでぽっかり目玉をあいたが、その次には目玉を閉じて口の方をあいたのである。それが最期であった。隠居は息をひきとったのである。
『御隠居さま。御隠居さま。もし、御隠居さま』
 連呼して隠居の返事をうながしていたお奈良さまは、ようやく異常に気がついた。脈をとってみると、ない。
『や……』
 彼は蒼ざめて思わず膝をたてたが、やがて腰を落して、顔色を失って沈みこんだ。声もでなかった。その一瞬に、彼は思ったのだ。自分が隠居を殺した、と。すくなくとも自分のオナラが隠居の死期を早めたと感じたのである。
 ところが彼と向いあって、彼に代わってジイッと隠居の脈をしらべていた唐七は、その死を確認して静かに手を放し、手を合わせてホトケに一礼し、さて彼に向って、
『ヤ、ありがたいオナラによって隠居は大往生をとげました。大往生、大成仏、このように美しい臨終は見たことも聞いたこともない。これもみんなお奈良さまのオナラのおかげだ。ありがとうございました』
 とマゴコロを顔にあらわしてニコニコと礼を云ったのである。
 こういうわけでお奈良さまは意外にも面目をほどこし、お通夜や葬儀の席では口から口へその徳が語り伝えられて一発ごとにオナラが人々に歎賞されるような思いがけなく晴れがましい数日をすごすことができた」


 お見事だね。いかにも安吾らしい劇的な描写である。作品における放屁場面をたびたび引用してきたけれど、〈屁〉が醸す状況の深層が存在すればこそだよ。こういう場面は作品における時間生起の起源的な意味を持つ。当事者にとってそれが暗黒の事態(現象)であれば「暗黒系」の〈屁〉の起源譚(エピソード)となるのさ。

 もちろん、お奈良さまが引き起こした事態はハッピーエンドではない。実はこの隠居の死の場面(の展開)が「闘争」の幕開けなのである。その深い意味合いはもっと後になって浮かび上がってくるが、取りあえずの〈屁〉の闘争関係がすぐに提示されて小説が動き始める。

 そもそも唐七の妻であるソメ子は「オナラ成仏」に怒り心頭。ソメ子は茶道教室も開いている礼儀にうるさい人であり、「オナラ成仏」にハシャギすぎた夫にたまりかねて、葬式から夫婦仲は険悪になる。娘たちはソメ子につく。

 唐七の長女である中学二年生の糸子が、お奈良さまの末っ子の花子と同級生であるところから、「闘争」は新たな展開で次のラウンドへと進んでいく。糸子はソメ子にまさるとも劣らぬお奈良さま嫌いで、過激にも花子を絶交するのである。

 お奈良さまは心優しい人である。
 娘の花子に悲しい思いをさせたくないと糸子に会いに出かけて話し合いを持つが、拒絶される。ソメ子には以後の法要でオナラ禁止を言い渡され、初七日から四十九日までの法要に代理を差し向けて事なきを得るが、代理まかせは気が済まぬと、平日、出かけていって読経を申し出て迷惑がられる。

 さて、話はさらに転回する。出かけていったお奈良さまは一悶着のあと、何とか別室で読経し、理解者の唐七としみじみ語り合うのだが、ここで隠居の「オナラ成仏」のときの唐七の振る舞いの深い意味が浮き上がってくるんだね。実は唐七もいささか放屁癖があるのさ。彼はせめて家庭では屁を自由に放ちたいのだが、それを嫌う妻や娘たちと闘争関係にあったのである。唐七はお奈良さまを口実に攻めたのだが、葬式のあとは完全なオナラ差し止めを食らっている。

 そういう状況下の唐七は、彼の〈屁〉を認めない妻との喪われた夫婦愛を絶望的に見ているんだよ。「ウチの家内は私の前でオナラをもらしたことがない。実にこれは怖ろしい女です」「要するに妻は私を愛したことがなかったのですよ」と彼は暗然と語るわけさ。
 唐七からみれば、堂々としたお奈良さまの〈屁〉はまさに理想。お奈良さまのこのような〈屁〉を称揚することは溜飲が下がることなんだね。しかしながら、現実の唐七は葬式のときを除けば家庭において敗北した一家の主なのである。

 お奈良さまは自分の〈屁〉がもたらした結果を受け止めて、体調不振に陥っていたのであるが、唐七とのやりとりを深く受け止め、次第に体調は深刻になってくる。

 それを案じた妻との会話が何とも可笑しく哀しい。そこでは〈屁〉を無視したり排斥するのではなく、〈屁〉を〈屁〉として受け入れる人間(夫婦)愛(幸福)を提示しつつも、お奈良さまにあっては〈屁〉の「毒」が深く回ってしまうのである。


「(しみじみした会話が続いて)『私はあなたの言葉よりもオナラの方が好きでした。言葉ってものは、とかくいろいろ意味がありすぎて、あなたの言葉でも憎いやら口惜しいやらバカらしいやらで、親しみがもてないですね。そうかと思えば、見えすいたウソをつくし。オナラにはそんなところがありませんのでね』
 『なるほど。それだ。ウム。私たちは幸福だったな。本当の夫婦だった。ウム。ム』
 お奈良さまは胸をかきむしった。アブラ汗が額からしたたり流れている。目を白黒したが、抱きかかえる女房の胸の中へあおむけにころがった。そして、そのまま息をひきとってしまったのである」


 この作品では、一発の〈屁〉が世間や家族の中でもたらす波紋を、言ってみれば〈屁〉(の恥)を隠蔽する勢力と隠蔽しない勢力との闘争という形で、幾重にも重ねて描いているんだね。法要、家族、友人、夫婦といった社会の関係性において〈屁〉的現象が人間の意識の中で「取引」されていく様がリアルに描かれているのさ。

(ここで隠蔽とは、自分や他人に向けて〈屁〉の行為を禁止することだが、そういう規制の線引きをめぐる駆け引きが存在するわけだね。〈屁〉的現象はそうやって常に揺れ動いている)

 そして、言い訳じみた喧騒のような「取引」を尻目に、お奈良さまやその家族の存在感が、〈屁〉(の恥)をキャッチボールしながらひっそりと昇華されていくのである。

 一言=この作品は、社会に蔓延する〈屁〉の「毒」(恥の隠蔽を意図する勢力)に傷つけられつつも〈屁〉の愛の存在を提示し、社会から弾き出されてしまう純朴な男の物語であ〜る。
posted by 楢須音成 at 04:03| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月30日

〈屁〉が情の深みに現象するときがある〜

 エッセイにおける〈屁〉的現象もまた作品化の方向を示すのである。金沢恒司の『放屁学概論』(1956年)は〈屁〉をネタにしたエッセイ集であるが、首尾一貫した〈屁〉談義の終章で意外な物語を提示している。

 この本はエッセイ集として身辺の〈屁〉談義を100コマぐらい積み重ねて構成されている。もともと釧路新聞の連載なんだね。新聞記者である金沢の生活が身辺小説のような趣で伝わってくるのだが、連載の終わりの方で夭折した歌人の中城ふみ子が登場する。
 金沢と中城は古い知り合い以上の関係があったのさ。


「私(金沢)が十八。彼女が二十一、私は帯広で手広く雑貨商を営んでいる野江家(ふみ子の実家)で働いていたのである。つまりそこのお嬢さんが、ふみさんで私は、いわば小僧の立場であつた。そしてその小僧を何くれとなく可愛がつてくれたふみさんが、お嫁に行く晩、私は惜別の涙をみせまいとして倉庫の味噌樽の陰で泣いた」


 そのときから十五年ぶりの再会の機会が訪れる。中城はまだ無名で、札幌の病院で病床にあった。同じ札幌にいた金沢は出かけていく。


「ふみさんは至極元気であつた。昔のふみさんと寸分も変つていなかつた。美しかつた。私は乳ガンという病気の組成の恐ろしさを知らなかつた。余り元気なものだから、その調子ならもう退院出来るねなどと言つたりした。
 そして彼女がとつてくれた、親子丼をお互いつつきあいながら、昔の話に花を咲かせた。すると彼女は親子丼を食べながら、プクプクプクと、まるで水面に浮いてきたアブクのようなおならをした。
『だらしないな、ふみさん』
 私にはふみさんは姉も同然だつた。私は彼女の不作法をなじつた。
『すみません』
 彼女はそう言つて、ぴょこんと頭を下げた。言い訳はしなかつた。
 そのふみさんのおならが、彼女の乳ガンと直接関連を持つていることを私は知らなかつた。病窓を通してこぼれるような夏花が、ふみさんの背後で大きく展開していた」


 この頃、中城は病に呻吟しながら旺盛に作品を生み出していたわけである。ここで「おなら」は不思議な存在である。二人がここまで別々に積み重ねた時間を押し分けて「プクプクプク」と現象する「おなら」は、二人の人生のあらゆる意味(思い)を背負うんだね。(少なくとも金沢にとって)

 中城の「伝説」は小説を含めていろいろに流布しているけれど、読者はこのようなエピソードをどのように(中城ふみ子像として)位置付けるだろうか。アクビでもゲップでもイビキでもない、ほかならぬ〈屁〉であることによって特異な物語を提示するわけだが、金沢は〈屁〉を無視することはできなかったんだよ。


「それからそこばくの日が経つた。中城ふみ子は「短歌研究」の自選五十首の懸賞募集の一位を占めて、華々しく日本文壇に登場した。そして近く川端康成の序文で、彼女の歌集花の原型≠ェ早くも出版される運びとなつていた。
 中城ふみ子の存在は、早くも文壇ジャーナリズムの眼には、朔北の病室で乳ガンを病む、彼女に一様の好奇と驚異を以つて迎えられた。
 私は十日間程のヨテイで、千歳、室蘭方面に、リポートを取りにゆく旅装の姿で、彼女の病室を訪づれた。
『ふみさん、よかつたネ』
 私は彼女の首途を祝つた。ふみさんは別に歌集が出ることに感動しなかつた。
『出版社の方で題名を乳房喪失≠ノするつて言うのよ。いやだ。私は花の原型≠フ方がよい』
 と彼女は言つた。
 暑さが激しかつた。彼女は時折り、はばけるように苦しくせきこんだ。そして、それと同時に、彼女とここで会つた時と同じように、プクプクプクプクプクとあたかも水底から浮かび上がつたアブクのような、おならを、彼女はした。私は、もうそれを責めはしなかつた。
『ゴメンなさい。』
 彼女の方で、てれた。
 私は故意に鼻タボをくちゃくちゃにして犬のような真似をして言つた。
『匂うところを見ると、まだ大丈夫、そう簡単に死なないや。おならが生きてる。アセチリンの匂いと、お袋の肌の匂いを混ぜ合わせたような匂いだ』
『ウフ、恒司さんも大人になつた。何んだか知らないけれど、ありがとうと言うわ』
 彼女はそう言つて静脈のすけて見える白く小さな手を差しのべた。
 私は立ちあがつて握手した。ふみさんの手のぬくもりが、私には、かつてこの人に感じてはならなかつた女を始めて意識した。
 私は千歳で三日間滞在して、リポートをとると同僚のYと、室蘭に向かつた。
 室蘭での日程は二日で、ここでは主として室蘭水族館の魚族の生態をカメラに収めるのが目的であつた。そして後の五日間その日程を洞爺湖で過す事になつていた。その水族館のカレイの水槽の前に立つた時、私は生きたカレイの美しさに思わず足をとめた。あの平つたいカレイが水槽の底から、ひょいひょいと体をもたげて、ひらひらとアブクを立てながら水面に向つていくさまは、美保の松原で天の羽衣が天空に舞い上がつてゆくような幻想と似通つていた。アブクとカレイ。それは、私には中城ふみ子をほうふつさせた。
 私の同僚のYとの遊行の日程は終りに近づいていた。その最終日、私は洞爺の温泉でふみさんの死を知つた。死因は窒息死であつた」


 水族館の描写はやや上ずった感もあるが、余計な説明などいらない、そのまんまの情景で物語と化しているね。かくして、〈屁〉というものは濃縮した人生の時間を映して眩しく現象することだってあるのさ。

 一言=この作品を措いて、これほどに〈屁〉を美しく語った作品はな〜い。
posted by 楢須音成 at 08:14| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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