2012年01月12日

続続・〈屁〉が文化となる一瞬の歴史の光芒

 放屁は個人的な生理の身体現象の一つであるが、それが社会(文化)現象になる段階とはどういうものであろうか。少なくともそこでは〈屁〉が他人どもを巻き込んで人口に膾炙(評判になる)しなければならない。たとえ口にしなくても暗黙の(正負の)評判というものが共有されないと社会現象にはなれないね。

 我々の〈屁〉が言葉で表現が結ばれるようになって久しいが、これは〈屁〉といえども個人の単なる異音異臭にとどまらず、社会現象化への道筋をたどっていったわけなのだ。やがて〈屁〉は江戸時代になって狂歌・川柳や黄表紙などの戯作へと大きく進出した。

 そもそも言葉の世界で〈屁〉は冷遇(無視)され、生理現象として最も蔑まれ、美意識においても花鳥風月とは最も遠い存在だった。それでも、それまで下々の民話や説話の世界では〈屁〉は滑稽味の要素として珍重されてはいたのだが、我々が〈屁〉をこいて笑ったり、恥ずかしがったり、興ざめしたり、怒ったり──といった、なぜだかわからないが〈屁〉が醸してくるストレートな感情がそこにはあったのである。

 江戸の〈屁〉はそういう感情をベースに(近代化の萌芽になる)人間観察と観念(思弁)化によって再構成されたものだった。

 黄表紙の創始者にして代表的な作家と目される恋川春町の『芋太郎屁日記咄』(1779年)は〈屁〉を題材にした作品。代表作ではないにしても注目作くらいにはなるだろう(か?)。国文学者の森銑三の感想混じりの要約を引用してみる。
 箕輪金杉の町はづれに住む芋売十兵衛と、その女房おゑごとが、或日うたゝ寝して、その昔の枯木に花咲き男から一子を授けられると夢見て懐妊する。おゑご栗の子芋のやうな男子を生み落す。「然るに不思議や、此子盥(たらい)の中ににて尻をもつ立て、一とひりぶつと屁をひりしに、その臭きこと限なし、金輪際までにほひける。その時此子盥の内にて、天に指さして、屁上屁我唯可屁糞尊と高らかに唱へる」その文句は、お寺の和尚に読んで貰ったら、「屁は上屁、わがたゞ屁糞尊かるべし」といふのであった。
 その子、生れ落ちてより五穀を食せず、たゞ里芋ばかりを食べて成人する。それで名も芋太郎と付けられる。長じて芋太郎は屁国修行に出づる。そこでお定りの道行の文句となるが、その文句が実にいい。
「まづ行き先を斬らんと、へたちの国の鹿島に詣で、行先屁臭い屁ん命と、丹誠芋に銘じて祈り、それより赴く国々は、芋ふさ、上総、芋づけや、佐野への小橋打渡り、屁ち前、屁ち後、甲斐、屁なの、屁なのなる浅間が嶽に立つ屁むり、屁むりくらべる富士の山、田子の浦屁を打過ぎて、岡屁、藤屁だ、だんだんと、長き梯子屁ひり上り、くさ津の宿に着きにける」
 そこで伯母を訪ふことがあつて、その地に逗留の間に、人々の持ち運ぶ芋の山を、おつ肌脱ぎて平らげた上、なほ曲屁をして見せる。
「東西々々、扨てこの芋食ひしまひまして、屁をひりまするところが、第一番に三番叟屁、その次に至りまして淀の川瀬の水車屁、獅子のほら入りほら返へし屁、猿猴(えんこう)の梢屁、ひだるいところへ食つたらよかん屁、腹の張る時ひつたらよかん屁、よかん屁よかん屁、曲屁の始まり、東西々々」
 一言注意して置くが、この作中の芋は、前にも見えていたやうに里芋であつて、薩摩芋ではない。安永の江戸には、薩摩芋はまだまだ里芋の上越すものとは、なつてゐなかつたのである。
 芋太郎くさ津で、三万三千三百三升の芋を食つて、一ひりすると、その勢の物凄さに、里人三人が屁くさい国まで吹飛ばされる。屁くさい国は百済国(ひゃくさいこく)のもぢりである。
 その屁くさい国での出来事は省略して、その国のあるじ王仁は芋太郎のことを聞いて、はるばる日本に渡来して、持参の品々を宮中に献じ、そこへ召されて至つた芋太郎が陽春白雪屁という曲をひると、その屁の暖かみで、帝の御秘蔵の浪華の梅が開く。王仁とりあへず、

 なには屁にさくやこの花冬ごもり
             今を春屁とかぐやこの鼻


 芋太郎は功に依つて北面の侍になされる。「されば今の世までも、うら屁、いん屁、ものの屁とて、子孫に苗字を残しける」
 かくしてまた芋太郎は、みことのりを奉じて、曲らぬ筆にて趣向をこぢつけ、上下二冊の草子として、世間に広める。この草子は皆屁のことばかりなので、これを屁草子と呼び、また臭草子とも呼んだが、あまりにその名がむさいというので、後にはいひ換えて、絵双紙、草双紙と呼ぶやうになつた。
 品のよくない題材を扱つて、他の作者だつたらどうにもならぬところであらうが、そこを春町が春町らしいものに仕上げてゐるのを及びがたしとする。これはこれで罪のない好作品を成してゐるのを珍重したい。
(「春町作黄表紙の鑑賞」から)

 芋太郎の物語は〈屁〉を滑稽味で捉えているだけではない。いにしえのうんちくを傾け言葉を重ねて遊びつつ、飾り立てた〈屁〉のストーリーへと駆り立てていく新興のエネルギーが充満している。幼稚な草双紙から一歩踏み出した黄表紙としての作品性を獲得しているのである。それも〈屁〉において仕上げているわけだから当時、結構受けた(社会現象化した)のではないだろうかねェ。

 前回紹介した『薫響集』(1757年)から平賀源内の『放屁論』(1774年)へと流れて『芋太郎屁日記咄』(1778年)へと至る江戸は、多分に〈屁〉が高揚し充満していたようなのであるよ。この段階の〈屁〉をめぐる視点は、ただの屁談義に対して時系列で次のように切り込み、再構成して展開させている。

 薫響集=理屈化(情緒的and理屈的)
 放屁論=観察化(理屈的and現実的)
 芋太郎=物語化(現実的and空想的)

 このカオスの流れの核心にあるのが、江戸の町に突如あらわれた曲屁をする屁放り男なのである。いやはや実際『放屁論』はその屁放り男の素晴らしいルポルタージュになっているのだ(参照)。その記録性の高さは特筆ものである。

 ところで『芋太郎屁日記咄』に出てくる王仁の歌は、古今和歌集の仮名序にある歌のもじり。渡来人の王仁が仁徳天皇に贈ったとされる元歌はこうである。

 難波津に咲くやこの花冬ごもり
            今は春べと咲くやこの花

 冬ごもりしていた花が春になって咲いたよ、という大意であるが、今年は日本が明るく花咲く年であってほしいと思う。
posted by 楢須音成 at 02:04| 大阪 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月14日

続・〈屁〉が文化となる一瞬の歴史の光芒

 激しく好き嫌いが分かれ韓流とか独裁(橋下流)とか連呼される社会現象というのは実に不思議だ。何かの出現に人はなぜ二派に分かれ、一様にそれぞれ二派の反応にうつつを抜かすのであろうか。それを社会の病理というのか心のビョーキというべきか、社会現象という老若男女の隠微なる狂態は一気に盛り上がったりするわけだ。そしてついに人気が失せ盛り下がってしまうと、好きも嫌いも長い眠りについて盛り上がることがなかったりする。

 こういう社会現象はときに支持(好き)派と不支持(嫌い)派が表裏でくっついていて、どちらにも痛くのぼせた人たちが跋扈する現象が見られる。面白いのは韓流や独裁のようにそれを毛嫌いする人たち(アンチ)が目立ってしまったり、逆にツイッターや子役人気のように大好きな人たち(ファン)ばかりが目立つものがあることである。

 まあ要するに、嫌いな人やモノが(跋扈するのが)許せないという衝動に駆られる人というのがいる一方で、たとえ嫌いでもそんなことはどうでもいい(無視していい)という人もいるわけなんだね。これを社会現象(流行)に対するアンチの中の関心派と無関心派と捉えると、どちらが優勢になるかは興味深いところだが、そもそも社会現象というのは、そういうアンチと一途なファンの総体なのである。

 そこで社会現象としての〈屁〉なのだが、もともと〈屁〉というものは、人前でこかないのは至極当然なのであり、声を出して〈屁〉と口にすることすら隠蔽してきたのであった。いわば〈屁〉はそもそもがアンチなのである。だから〈屁〉は表現(文字)の対象になることが極めて少なかったし、上流の上品な婦女子に及んでは〈屁〉をちょっとでも話題にするなど、とんでもないことだった(であろうな)。

 思うに〈屁〉にアンチがいるとして、それは関心派なのか無関心派なのかは微妙だね。一般にアンチは、口を極めて排斥するか徹底的に無視するかの二極を振幅するのであるが、どうも〈屁〉になると口にするのは恥ずかしく無視するにはとても看過できぬ現象(やむにやまれぬあの異音異臭)なので困る。もちろん、ファンというものはいるわけで、そういう「屁好き」がいないことには、このブログだって成立しないわけであるが、まあ何というか、人類の〈屁〉の歴史とは、日陰者のやめられない手遊びみたいなものよ。

 ともあれ進化とともに〈屁〉は少しばかり意識的な表現の言の葉に引っかかるようになるんだね。先に見てきたように〈屁〉の表現史は説話や民話の段階から連歌や誹諧を経て狂歌や川柳へと展開したのである。これは笑いをふまえて〈屁〉がほかの素材と同格の扱いを受けるようになったことを意味し、花鳥風月ではあるまいに生活実感の表現上の重要な素材へと昇格した。アホな、そんな大袈裟な素材であるはずがないと言う向きもあるだろうが、少なくとも以前より〈屁〉は素材としての多様性や存在感を増した。

 そこをふまえて〈屁〉は散文化されたのだ。説話や民話が(語りの次元では)単なる滑稽譚に終わるのに対して、この時期の散文は手が込んできた。というか、粋人が入念な理屈を用意して面白がっている。巷の屁談義を掻き集めて再構成するのである。この〈屁〉に向かっていく構成力が素晴らしい。つらつら考えてみるに狂歌も川柳も五音七音の一定の様式美を備えた構成力によって成立しているわけであるが、散文化された〈屁〉も入念に再構成されている。(もっとも、その入念さは速やかに陳腐化するのだがね…)

 さて、そういう一書が前回紹介した井本蛙楽斎(いもとあらくさい)の『薫響集(くんきょうしゅう)』(1757年)なのである。「薫」も「響」も何を意味するかは明らかだ。佳きカホリや良きヒゞキという花鳥風月(向き)の言葉を〈屁〉に用いる諧謔精神で成立しているのだが、全体は〈屁〉をあたかも風雅と見立てた歌論(もどき)というべき内容になっている。

 この『薫響集』は平賀源内の『放屁論』にも影響を与えたとされる。例えば冒頭の書き出しから飛び出す〈屁〉のもじりや、うんちく傾けた語りの調子は同類パターンである。このような諧謔は広くあったのだろうが、多くの同類ネタのバリエーションが当時の類書に出てくる。

 格調(?)高い『薫響集』の全体は「序」「古今放屁集」「屁放様(へひりよう)の伝」という三つの構成。漢文で著した「序」で〈屁〉を言祝いで伝を記す決意を語り、古今和歌集をもじった「古今放屁集」で〈屁〉をとらえる歌の極意を微妙に論じ、最後に「屁放様の伝」で後世に伝えるべき〈屁〉の作法を授けん―というものである。

 当時の古典の知識と巷の屁談義が混じり合って、まことにとぼけた論が展開する(参照)。注釈はしないが、例えばこんな感じ。(引用は『新編薫響集』読売新聞社刊から)
 ――そもそも、屁のさま六つなり。唐土(もろこし)の屁とてもかくぞ放(ひる)べき。そのむくさみのひとつには、
 添へ歌
  元日に匂ふこたつ屁冬ごもり
   いまを春べと放るやこたつ屁
 二つには数え歌
  われながら知らず放る屁のあやぞなき
   身にいたつきの疝気ゆえとて
 三つにはなぞらへ歌
  君にけさ貰ひし芋を煮て食へば
   恋しさごとに屁をや放らなん
 四つには(たと)へ歌
  世のなかに屁だねはつきじ蟻の穴の
   端の真砂は放り飛ばすとも
 五つには徒事(ただごと)
  あしき香のなきものならばいかばかり
   人の放る屁のうれしからまし
 六つには祝ひ歌
  この道にむべも富みけり小つづみの
   三つ地六つ地の曲放りをして
 といへるなるべし。

 古今集などの歌を下敷き(パロディ)にし〈屁〉の六つの様態に即して歌を示している。かくも細やかに生活感あふれる〈屁〉の観察にもとづいて「畏くも雲の上人より、賤山賤(しずやまがつ)までこの道を楽しむ」となるわけだ。そして今の世、学ばん人のための歌体の十体(じってい)をこう示している。
 幽玄の体(ゆうげんのてい)
  思ほえず寝る夜に放りし春の屁の
   おぼろに匂ふねやのあけぼの
 長高き体(たけたかきてい)
  風に放る野路のすかし屁空に消えて
   行方も知らぬわがかほりかな
 有心体(こころあるてい)
  小便に起きて放りたる折しもあれ
   月も山辺に有明のそら
 麗しき体(うつくしきてい)
  こらへかね芋かひ行けば冬の夜の
   尻風寒み屁をぞ放るなり
 事可然体(ことしかるべきてい)
  秋の夜にはだかのをのこ風寒み
   ひるや放屁(ひるへ)のくさみをぞ思ふ
 面白き体(おもしろきてい)
  やよおならいろいろ曲のなかりせば
   人の好みに何を放らまし
 濃やかなる体(こまやかなるてい)
  つつめども隠れぬものはすかし屁の
   もれてほのぼの匂ふゑり袖
 見る体(みるてい)
  小夜寒み雪に隠れて帰るさの
   道に梯子屁放るぞいみじき
 有一節体(ひとふしあるてい)
  寝がへりしまたも放り見んぬるま屁を
   小島の夜着に匂ひもらすな
 挫鬼体(おにをとりひしぐてい)
  板間屁はあたり厳しくひびくめり
   小袖も綿の中やたえなん
 この心持にて執行し侍るなり。放りやうは別に伝へ侍るなり。

 かくして作法に則る〈屁〉の放り方へと筆は進んでいくのだが、その筆法は例えば次の如し。
 ――貴人の御所望などありて放るときは、座より三足膝行して畏りながら放るべし。さて、裾のふはつかざるやうにして、勝手口まで膝退し、匂ひを払うべし。そのまま座に就き候やうにご挨拶ありとも達て退くべし。
 遠方へ屁を遣はすときは、一両日前なり五葷(ねぎ、にらなど臭い野菜)の類食ふべし。これ、匂ひを専らとする故なり、器は鳥の子紙を蝋打ちにして、わらび糊にて袋にすべし。放り入れやうに伝あり。
 屁種となるものは ―云々― (略)

 ナントまあ〈屁〉もいたく高尚(?)に語られるようになったものだ。今も昔も巷には屁談義が尽きないが、当時こういうふうに古典の知識なども動員し理論(理屈)をつけて語るところに道を見出していたのである。そして、これがまた面白可笑しい屁物語へとストーリー化の道にも進んでいた。筋の運びという結構にのせて〈屁〉が語られるときには、もちろん昔の物語をひねってパロディするのは必然だね。

 そのようなご時世においては〈屁〉は文芸の一潮流になっていたんだろうかねェ。そこまではいかぬ知識人の手遊びであったとしても、少しばかり話題や耳目を集めた社会現象として評価してもいいのではないか。嫌がられたり無視されたりする〈屁〉が何だかエヘンと輝いているみたいな…。
posted by 楢須音成 at 00:45| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月30日

〈屁〉が文化となる一瞬の歴史の光芒

 不倫は文化だと言った人がいたけれど、そんなことを言うのだったら、かつて〈屁〉だって文化になった時代があったのだよ。それはまあ、日本の〈屁〉の歴史の一瞬の光芒だったと思うのだが、それが18世紀半ばから19世紀にかけてのこと。それは〈屁〉が人々にもてはやされた希有な時代だった。

 江戸中期に諧謔的な文学が髏キした中で〈屁〉もまた一つの題材として注目されて、それは狂歌や川柳に脈々と流れていた。そもそも〈屁〉は口にするのもはばかられる事象であり、あえて言葉や文字で表現し(たく)ないものだが、これに言及する視点が確立しているのだ。

 屁をひつておかしくも無い一人者(柳多留三篇)

 いつそ屁をひると箕の輪へ返す也(柳多留十一篇)

 さらりと〈屁〉を話題にしているね。独身者が一人で〈屁〉をひっても何の動揺も感動もないのだし、臨時に雇った禿(かむろ=遊女に使われる童女)が〈屁〉ばっかりすれば閉口して箕輪(現在の台東区三ノ輪。遊女屋の寮などがあった)に返さざるを得ない。どちらも表現の底意は笑いにあるわけだが、その〈屁〉の笑いにのせて孤独や無邪気の振る舞いを描いてみせている。

 狂歌になると言葉遊びが過剰に出てくる。まあ、字数が多いぶん状況描写に肩入れするわけだから、少しばかり凝ってうんちくも傾ける。

 すかし屁の消易(きえやす)きこそあはれなれ
       みはなき物と思ひながらも(紀定麿)

 山ざとにしりごみしつゝ入しより
     うき世のことは屁とも思はず(四方赤良)

 おはしたの龍田がしりをもみぢばの
      うすくこく屁にさらす赤はぢ(蜀山人)

 紀定麿は「消えやすくかすかな透かし屁はおもむきがあるよなあ、実(み)はないんだけれど、身のおきどころもない」と、どうでもいいことに感動してみせ、ここでは〈屁〉の実体(?)である「実」と自分自身の「身」を重ねた複合縁語になっている。まるで〈屁〉を風流なもののように見立てて遊んでいる。

 四方赤良も蜀山人も同じ人(大田南畝)の別名だが、この人も随分〈屁〉にはこだわっている。「しり」と「屁」が縁語で「ためらいながら山里に入ったが、そもそも浮き世のことなんか何も気にしてはいないのだ」と(気にしていることを)あえて自省したり、秋をつかさどる祭神である龍田姫に縁づけて「龍田という名の女中が尻をもみもみして薄くも濃くもそっと屁をこく、秋も盛りのもみじ葉みたいな赤恥だなあ」と笑い飛ばす。「しりをもみ・もみじ葉」「うすくこく屁・薄く濃く屁」とか複合縁語を連想させ重層させて遊んでいる。

 こういう傾向は次第に散文に向かっていく。もちろん〈屁〉の話は古来から散見されるわけだが、大体において失敗(屁の粗相)談にみられるような素朴な滑稽味が主眼である。川柳や狂歌の表現性は滑稽味を前面に出しながらも、やがて〈屁〉を生活や人生や風流や言葉遊びの重要な切り札のように扱い始め、散文に向かった。

 この浮かれた世間で〈屁〉というものがどのように機能しているのか――そのような明確な意識化ではないにしても、うっすらと〈屁〉は観察の対象になっていく。この過程が散文化への方向を示していくんだね。次第に〈屁〉に対する言及が批評的になり、他方ではストーリーを夢想して物語っていくファンタジーへと方向をとっていったのである。

 江戸の〈屁〉の散文化には中国笑話をネタとして影響を受けた小咄もあるが、ここで注目するのは批評的な散文の登場である。そして、江戸後期にかけて想を練った本格的(?)な屁物語も登場してくる。これらの動きを年表風に並べてみる。◎は物語の類である。

 1753年  「放屁志」
 1757年  「薫響集」(井本蛙楽斎)
 1774年  「放屁論」(平賀源内)
 1777年  「放屁論後編」(平賀源内)
 1778年  「芋太郎屁日記」◎(恋川春町)
 1786年  「屁生物語」◎
 1798年  「臭気靡放屁倉栄」◎(錦森堂軒東)
 1796年  「諺下司話説」◎(山東京伝)
 1800年前後「屁法之巻」
      「河童の尻子玉」◎(十返舎一九)

 とまあ、こんな感じなのだが、もちろん有象無象の類書がたくさんあったのだろう。これだけ見ても同じ屁談義ネタの使い回しも多く、面白いとなればホイホイ広まるのが〈屁〉なんだね。現代的な著作権の意識はない。それまでの狂歌流の屁談義の集大成みたいな『薫響集(くんきょうしゅう)』では歌論の展開(かなり噴飯物である)がなされているが、ここに盛り込まれているネタは広く影響を与えている。

 そんな中で批評性が高く、他書にないオリジナリティにあふれて登場したのが、文才ある科学者だった平賀源内の『放屁論』である。当時流行の〈屁〉の記録(観察)がいきいきと埋め込まれているし、社会批評や自分語り(自己省察)といった近代性への萌芽までを含む。そして何が凄いって、そこでは現実に江戸の両国にあらわれた放屁男(へっぴりおとこ)が描かれたのだ。
posted by 楢須音成 at 14:48| 大阪 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月17日

補遺・お尻と〈屁〉のコラボが侮辱になるのは何でだろ〜ヵ

 いくら自分が相手を侮辱しようと思っても、相手がそれを感じてくれないことには、まったく意味がないだろう。相手のことなどお構いなしに、こちらに侮辱の意図があるだけで成立するものではない。何事につけ自分だけがご満悦している一方通行というのはよくあるのだが、侮辱に関しては、相手が保持している自己評価(立場)を毀損する示威に無理やり直面させてこそ意味があり、相手に被害性の心的動揺を発生させないと侮辱にはならないのである。

 このような一方通行がある場合には、相手が侮辱にいたく鈍感であるようなこともあるだろうが、侮辱する者が行為に及ぶ条件を独りよがりに主観的に構築していて相手に通じていないこともあるだろう。前回までに見てきたように、侮辱行為とは次の条件があって発生すると考えてきたね。

(1)不信・対立・断絶関係にある
(2)自己の意識が相手より高位である
(3)相手の社会的立場(評価)が低い
(4)自分の不完全性を意識または無意識している

 一般に侮辱するときは、相手の弱点(評価)をさらに貶める言葉や行動によって、相手の全体評価の毀損をめざしている。特に相手の羞恥心をかき立てる(恥をかかせる)ことにおいて顕著な行為である。それは相手次第で行為の意味合いが変わり、よくあるのは相手が強者なら当てつけ、対等なら意趣返し、弱者なら威圧といったいろいろな形をとるわけだ。

 そこでは自己の評価を貶めてはならないことが原則であり、陰に陽に常に自己の評価(立場)を高めたり誇示することが望ましい。つまりは相手を(バカにしたりコケにして)できるだけ否定することが必須なのである。

 こう見てくると、相手に尻を向け、突き出し、さらに〈屁〉をこくという侮辱行為は奇抜であり、どう転んでも恥ずかしくもあり可笑しくもある危うい行為だね。平時においては、そもそも人前で〈屁〉をこくなど自分の評価を下げ価値を貶めるだけなのだ。しかし、それが相手への侮辱になるという場合には(やっていることは変わらないのに)相互に心的な転位現象が起こっているわけで、当事者間の葛藤は並々ならぬものがあるといわねばならない。

 さて、恥ずべき行為を侮辱へと転位させる核心にあるものとして前回、侮辱する者の「自己の意識」の高位を動機づける次の三点を指摘したのだった。

(1)反撃の明確な動機
(2)貶める強力な意思
(3)誇れる完璧な制御

 例えば、日本書紀にある神話の世界の星神香香背男(ほしのかみかがせお)の状況をもう一度確認してみることにしよう。

 土着の神、星神香香背男は高天原の天孫ニニギの命の進攻を受ける。徹底抗戦するが、如何せん戦況は不利である。多分、滅ばされる。このとき星神香香背男は天孫ニニギの命に向けて尻を突き出し〈屁〉を嗅がせるポーズで侮辱したのであった。

 この構図はすべてに勝るニニギの命に対する星神香香背男の反抗である。神格も武力も劣勢にある弱者という立場においては、何が何でも自分を奮い立たせないと徹底抗戦も侮辱行為も不可能だが、このときは絶対に「自己の意識」を相手より高位に保たねばならない。(これは、いわゆる「自己意識」ではなく、他者に向けて自己を対峙させるときに必ず位置設定する意識の高低である。俗にいう「目上―対等―目下」というような関係性も一つの高低差)

 我々は相手が強者(つまり、自分が弱者)であっても、侮辱で相手を見下す(自己の意識の高位を保つ)ことができる。そのために必要な条件が(1)動機(2)意思(3)制御――の確保なのであるが、恥ずかしい振る舞いが侮辱的威圧になるためにはこれらは必須であり、なかでも重要な条件が(3)である。

 我々が〈屁〉をこいて相手を侮辱しようとして、恥ずかしがっては(自己の意識を低下させては)話にならないわけだが、自己の意識を高位に保つ条件となる「動機」「意思」「制御」のなかでも、羞恥に深く関与してくるのは「制御」なのである。

 もちろん、お尻を突き出して〈屁〉をこく侮辱行為の「制御」とは、お尻の制御つまり〈屁〉を(こいたりこかなかったり)コントロールできる確固たる自信をいうわけである。

 例えば勝負事は、やってみないと勝つか負けるかわからない(ので勝負する)のだが、強い奴は確かに強い。そういう強い奴ほど確固たる自信に満ちている。逆にいえば(露わになっていようが秘めていようが)自信に満ちていなければ弱いのである。この「強い」というのは勝負師の「強力な制御」のことであり、たとえ分野は限られても対象を支配下に治め、その分野をコントロールできる、身に備わった能力(制御力)である。勝つか負けるかは結果だが、強い弱いの真贋はこの制御力を保持する加減にあるのだ。

 これが羞恥心に関与してくるのは、負ければ恥ずかしく感じることからもわかるだろう。その恥ずかしさは自分が強ければ強いほど(つまり、制御力が強いほど)激しく感じるはずだ。相撲の横綱が格下の相手に負けるのは恥ずかしい。

 しかしその横綱も、体力や気力が衰えて制御力がなくなると、恥ずかしさを感じなくなる。弱くなって引退する横綱は(むしろ穏やかで)恥ずかしがっているようには見えないだろう。制御力がなくなると負けても当たり前なのであるから、勝たねばならぬと思い詰めたときほど恥ずかしさを感じなくなるのだ。しかしまあ、周囲や自分が体力や気力の衰え(制御力の喪失)を認めるまでは悩んだりもするのだろうけどね。

 ひるがえって〈屁〉はどうか。老人が〈屁〉をブリブリこいているのはよく見かけるよねえ。これは好んでワザとやっているのではなく、むしろ老化によって抑止する機能が身体的に衰えているのである。そして老人は、身体の衰えに見合って〈屁〉の羞恥心も薄れているのだ。若者の場合は〈屁〉をブリブリこくことは(老人より)恥ずかしい。若者は〈屁〉を我慢する制御力が体力・気力ともに旺盛だから、意識的にも無意識的にも〈屁〉などこかないのが当然なのである。

 制御力があるとなぜ恥ずかしさが募るのか。制御力があると〈屁〉は(こきたくても)隠蔽できるわけだが、そもそも普段から〈屁〉は表に出すべきものではない存在だね。健康な若者は誰だって普通のこととして〈屁〉を我慢しているはずである。高い制御力を保持して自在に〈屁〉を我慢している(やたら人前でこかない)のが当然の、若者らしい態度だ。このように高い制御力を保持しているにもかかわらず〈屁〉を取り外してしまう粗相は不用意の極みで実に恥ずかしい。特に美男美女の若者が最も恐れることである。

 誰だって美男美女は自他ともに完璧(高い制御力)が求められているから普段から〈屁〉などこかぬような顔をしているわけで、実際〈屁〉を人前でこかぬだろう。しかし、万が一〈屁〉を粗相しようものなら、美男美女は香ばしきあるまじき物体の発生元として羞恥の坩堝に突き落とされる。

 このことからわかるのは、高い制御力を持つということは反面、マナー、道徳、仁義、常識、美意識、宗教などなど――人生や世間のいろいろな意味(観念)が絡まってきて、それを「要求されている」ということでもあるんだね。制御力とは単なる身体的の機能ではなく、それによって観念的な目標を(世間から)要求されていることでもあるのだ。要求に応えられぬ逸脱は恥ずかしいわけである。(まあ、要求レベルの低い醜男醜女の〈屁〉になると自他ともにどうでもいいレベルであり、一向に関心が持たれなかったりする…)

 かくして人間の制御というものは羞恥に関与していることがわかるのだが、話をもとに戻そう。他人に侮辱行為をしようとするときには、自己の意識が高位でなければならなかったね。しかしこのとき、お尻を突き出していつもは恥ずかしく感じる〈屁〉をこくのである。では、何ゆえに制御力があれば〈屁〉は恥ずかしくないのか。

 ときに恥知らずなヘコキ男というような人が世間にはいるね。そういう人は〈屁〉をこくときどんな様子であろうか。観察すれば態度振る舞いに「私はこれから〈屁〉をこきますよ〜」というアピールがある。端的な動きとしては、お尻を突き出すとか、片尻を持ち上げてみたりするのである。あるいは「ドッコラ〜ショ」とか「一発いかが〜」とか、聞く方が恥ずかしくなるような狂態のかけ声をかけたりする。

 彼らはまさにこれから(自分の意思で)こくことを明示的にアピールしているのである。これはウッカリ粗相するのに比べたら恥ずかしくない。まさに制御力(ワザとやる)の誇示による無恥化なのだ。このとき〈屁〉は口笛がメロディーをコントロールするのと同じような扱いになっている。いやまあ、メロディーというわけではなく、ただ単に出すか出さぬかの制御なのであるが、もちろん〈屁〉で音曲を奏でられたら大いに自慢であろうさ。つまり、制御が精緻(完璧)になるほどに自慢であり恥ずかしくないのだ。

 しかし繰り返すのだが、制御が崩れたとき(粗相)の〈屁〉はたちまち反動的に恥ずかしい。完璧であればあるほど、崩れたときの羞恥は極点をめざすことになる。全勝の横綱が全敗の平幕にスッテンコロリンと不様に敗れるなどは、最悪の恥ずかしさの極みであろう。制御には(制御できない→失敗するかもしれない、という)表裏の関係の危機感が常に張り付いているのである。意識的にも無意識的にも、制御力の強い人ほど強い失敗の危機感(羞恥の奈落)が潜在しているのだ。
 
 ごく単純なレベルから、心身の制御というのは何かにつけ動物や人間を理解する原初的なキーワードなのである。それは些細なことでも、制御の失敗の危機感によって人間の羞恥にも関与してくる。制御できれば恥ずかしくはないが、制御できないと恥ずかしいという心的運動は表裏の関係で強くも弱くも機能している。

 ともあれ完璧な制御を手にしていれば何事も恥ずかしくはない(はず)。いわんや〈屁〉においてをや。粗相した〈屁〉は恥ずかしいが、ワザとこく〈屁〉は恥ずかしくないのである。

 さてさて、恥ずべき行為を侮辱へと転位させるためには恥ずかしがってはいられない。絶望的な状況の中で、新羅を侮辱した伊企儺(いきな)やニニギの命を侮辱した星神香香背男の行為は、まさに完璧な無恥化において遂行されねばならないのである。

 そもそも異臭異音の〈屁〉は不快で無作法であるがゆえに嫌われ忌避される。それはまるで不浄で性悪な疫病のようにおぞましがられ、耳を塞がれ鼻を背けられ隠蔽される。人間の行為の中でも〈屁〉は(意味ありげだが)まったく無益に意味のないものであって、清浄で潔癖な精神性からは遠い遠い存在なのだ。(といって〈屁〉が塩酸か硫酸のような劇物であるかというと、実際にはそれほどのことはないわけで、大半は少々の異臭異音であるに過ぎないのだが…)

 とにかくまあ、伊企儺や星神香香背男の追い詰められた状況下、そのとき所持している(意思的に制御できる)ものの中では〈屁〉が最も下劣なものであるには違いない。だから、そういうものを相手に投げつけることは侮辱以外の何物でもない。このとき平時においては単に無作法で恥ずかしい行為である〈屁〉が無恥化され、相手を脅かすものとなって位置づけられる。(相手もまたその状況下で最も下劣なものを向けられたと察知するのであるから、被害感をかき立てられる…)

 彼らは十分な反撃の動機のもと相手を貶める強靱な意思をもって〈屁〉を制御するパフォーマンスを演じる。自己の意識の高位を不動のものとする核心的裏付けになるのは制御力の保持である。まるで〈屁〉を完璧にコントロールしているかのように振る舞うのだ。このとき動機・意思・制御は渾然となって自己の意識の高位を保ち、自分の〈屁〉を相手に叩きつける意味(侮辱)を持つのである。

 そのときの自己の意識の高位とは、窮鼠が猫を噛むというのではなく窮地に陥った猫が反撃に一発放つて噛みつくような心的境位であろうか。しかし、現実の客観情勢は圧倒的に不利な弱者の立場にあり、反撃手段の選択幅は狭まって絶望的な手詰まり状態なのである。だがしかしその窮地ゆえに、相手を侮辱する手段として〈屁〉があやしい輝きを帯びてくるのだ。もうそれしかない(ように思う)のだからね。

 かくして、この段階で〈屁〉が完璧な制御下にあれば〈屁〉は相手に対する侮辱行為として羽ばたくことができるのだ。これこそ(自ら恥をかくような行為で)相手に恥をかかせる究極の侮辱である。平時にそんなことをするのは絶対にありえない勇者や聖人であるような人が、あえてそれを行えば最大の侮辱行為として相手を脅かすのである。

 ──以上、ここまで理論的に説得しても決してそんなことはしない勇者や聖人はいるだろう。まあ、相手が嫌がるものをさらけ出して侮辱的に振る舞う場面はいろいろあるが、この場合は何しろ〈屁〉なのであるし、深刻さという点ではチト迫力に欠けるかもしれない。この世に完璧さというものはなかなか得がたいのだから、確かに〈屁〉による侮辱は物笑いの種になる余地を残すだろうねえ。しかしだね、そこで生まれてくる笑いがあるなら、それは世間に未練を残している凡人の証であ〜る。
タグ: 侮辱 制御
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2011年11月04日

最終・お尻と〈屁〉のコラボが侮辱になるのは何でだろ〜ヵ

 他者との関わりの中でも侮辱は人間に独特のものである。そこには人間につきまとう自己保存の心的運動(観念化)が独特な形で現れている。そして人が人を侮辱する行為の中に格別なものがあるとすれば、これはその一つになるのではないかねェ。

(1)お尻を向ける
(2)お尻を突き出す
(3)お尻を突き出し〈屁〉をこく

 この一連のポーズはただの動作ではないのだ。動作を続けることで次第にエスカレートする侮辱の表現になっている(場合がある)のであった。このポーズの意味するところは、こうだ。

(1)礼儀を無視しワザと尻を向ける侮辱
(2)狙って尻を近づける強く無礼な侮辱
(3)近づけた尻で放屁する超無礼な侮辱

 尻から出てくる糞のような汚穢は誰もが嫌うものであり、そんなものを相手に突きつけたり投げつけたりするのは、相手に対する侮辱になってしまう。同じ尻から出て嫌がられる点では、兄弟分の〈屁〉も同じということになる。そこで糞やら〈屁〉は普段は人前ですることは御法度だし、理由の如何を問わず決して表には出さないものなのであるね。

 しかし、糞やら〈屁〉を粗相すると恥ずかしいのである。なぜだろうか。まあそれは、誰もが嫌がる糞や〈屁〉の発生元(原因)になってしまうからだね。これは犯罪における犯人になるようなもので、倫理道徳にもとるという心的動揺を世間的には刺激される結果をもたらすことになる。

 このときの恥ずかしいという思いは心的運動を一定の方向へ動機づけることになる。恥ずかしさをまぎらす処理に我々は日頃から大変苦労しているね。大事な場面で〈屁〉をうっかりこいてしまおうものなら、これはもう千年に一度の不覚になりかねない。我々は恥ずかしさを逃れるために、心身ともに反応せざるを得ないのである。

 ここで糞と〈屁〉の違いを少し触れておきたい。糞と〈屁〉では恥ずかしさの構造が違うのであるが、ここでは次のことを指摘しておこう。

」=「糞」自体ではなく粗相が恥ずかしい
〉=〈屁〉自体も粗相も両方が恥ずかしい

 一般に糞は(屁より)臭いしバッチイし嫌悪の対象になるのであるが、だからといって糞自体は否定されていないのである。糞は人間の排泄物として(嫌々ながらも)有意味な存在として、処理され、観察され、活用される。このように人間の視野に入って意味を与えられ体系化される存在は、どんなに臭くてバッチクても存在自体は有意義なのである。だからこの場合、根源的な恥ずかしさの根拠は粗相という振る舞いにある。

 しかし〈屁〉は一般に存在自体がほとんど否定されている(何に役立っているのか、とんと無意味である)ので、まともに顧みられることがない。同じ臭さでありながら、糞のように有意味で臭いのと〈屁〉のように無意味で臭いのは天と地ほどの相違がある。根拠もなく不快を巻き散らす存在自体が恥ずかしいのだ。そんなものを身体に抱え込んでいることは生理上(万人共通だから)仕方ないにしても、そんな無意味なものを粗相しては恥ずかしさも倍加する。

 まあ、周囲の被害性というか鼻をつまむ度合い(嫌悪)は、固体で目にみえる糞の方が実害が大きいかもしれないね。何もしないといつまでも残っている糞と違って、やがて速やかに自然消滅していく〈屁〉の実害は小さいだろう。にもかかわらず、

意味のある「糞」=粗相すると(どこか体が悪いかと)人は心配をしてくれる
意味のない〈屁〉=粗相すると(我慢できないのかと)人のヒンシュクを買う

 という場面があるのは、存在の意味のあるなしによるからなのだね。かくして嫌悪は糞に軍配が上がるにしても〈屁〉は恥ずかしさで糞に絶対負けない。

 糞と〈屁〉の違いはともかく、他者の目を気にして恥ずかしいとき、我々の自己の意識は低位にある。これは他者が感じる不快を意識して忸怩たる思いになっている心的状態である。〈屁〉における恥ずかしさの根源は「他者の不快」の意識なのだ。このとき自己の意識は低位(眉をひそめた他者の視線を「感じる」状態)になっているのである。

 さて、侮辱行為としてのお尻の三拍子(1)向ける(2)突き出す(3)屁をこく――も、そこに侮辱の意図がなければ何とも恥ずかしい振る舞いになるものだ。ここで侮辱の四条件を確認しておくと、次の通りであった。
(1)不信・対立・断絶関係にある
(2)自己の意識が相手より高位である
(3)相手の社会的立場(評価)が低い
(4)自分の不完全性を意識または無意識している

 お尻の三拍子が侮辱行為になるとすれば、すでに見てきたように(弱者が強者を侮辱するときでも)この四条件は成立していなければならないのである。ということは、恥ずかしいという心的状態の「自己の意識の低位」と条件(2)の「自己の意識の高位」とが相反していることになるね。

 羞恥=自己の意識は低位にある
 侮辱=自己の意識は高位にある

 かくして、恥ずかしいお尻の三拍子を侮辱行為にするために、我々の自己の意識は低位から高位への転位をおこなっていることになるのである。

 では、何が原動力になって意識の転位が実現しているのだろうか。そもそも恥ずかしいというのは、粗相をしたことに発しているわけだが、この粗相とは身体的な制御不能に一時的に陥ってしまった状態なんだね。

 ちょっと話がそれるが、動物には自分の身体を制御する機能が備わっている。それは外界にも向けられるわけで、人間においてはそこに観念化の心的運動が起動してしまっているのである。例えば「制御」という機能は「支配」いう観念と置き換えられて語られたりするわけだ。

 我々の〈屁〉の羞恥はそういう観念化の心的運動の渦中にあり、そこでは〈屁〉を「制御できる/できない」という意識のシーソーゲームが繰り広げられている。とりわけ〈屁〉における制御は重要なのであって(なぜなら屁は自他に不快を与えるから)、こくのを我慢できるかできないかは人生の生き方・生き様・覚悟・克己などにかかわる(意識的にも無意識的にも)重大な関心事になるのである。

 この制御というものの喪失(粗相)が恥ずかしさの源泉になっているのだ。普通は我々は人前で〈屁〉をしないのが礼儀であり、たとえこきたくても我慢する克己心を持っているものだ。このとき我々は(あまり意識しないが)自己の意識が高位にある。ところが制御からの逸脱(うっかり粗相)があると、克己心は裏切られるね。このとき我々は深い喪失感にとらわれるが、それは自己の意識が低位に沈み込む落下感なのだ。

 目には見えず異音異臭である〈屁〉は他者に不快を与える。はなはだ不快な上に〈屁〉には人生における建設的な意味は何もない。自分がそういう〈屁〉の発生元、つまり〈屁〉そのものと化した状態が粗相(放屁)の瞬間である。それは他者の不快を意識する(他者の目線を感じる)奈落に落ちていく瞬間であり、奈落の底からは地獄の羞恥が吹き上げてくる。

 とまあ、どこぞの恥知らずのオヤジがブイブイこき出す〈屁〉の軽さからすれば、ちょっと大袈裟な説明かもしれないが、羞恥の基本構造としてはそういうことになる。以前に引用した話だが、羞恥が引き起こす我々の行動は時に事件となるのだ。
 ある良家の娘さんが結婚しました。晴れの結婚式で、花嫁になったその人が、放屁したのです。
 『出ものはれもの所きらわず』の諺もありますが、緊張したせいもあったでしょう。だいいち場所がわるかった。仲人などが、おやっと思う間もなく。花嫁の姿は席に見えない。花嫁姿のまま抜け出して、一目散に走りつづけ、木曽川に飛びこんだのです。
 岐阜というところは、織田信長に縁の深い町ですが、早くから城下町ではなくなり、町人の町になりました。四角ばったところもなく、自由の気があふれ、人情もよく、暮らしやすい。そんな町に起きた事件なのです。
 とにかく、花嫁さんはもとより、関係者にとっては、あきらめきれぬ、意外な出来ごとだったのです。
 昭和十五年の春でした。
(山名正太郎『屁珍臭匂臭(まるへちんぷんかんぷん)』1986年、泰流社刊)

 かくして、制御を失った〈屁〉の悲惨の中に、侮辱に転位する〈屁〉のヒントがある。すなわち制御があるうちは、花嫁だって美しく毅然と花嫁を演じることができたのである。自己の意識は高位に保たれたのである。戦争で制空権があれば攻撃の意識が高揚するのと同じだろう。これが制空権を失うと戦局は一変してしまうのだ。では〈屁〉を制御できて自己の意識が高位にあれば恥ずかしさはなくなるのか。

 結論からいえば、なくなる。なかには〈屁〉を制御できないのに自己の意識が高位にある(恥ずかしいとは思わない)人もいないわけではないけどね。しかし何はともあれ、制御できるのであれば〈屁〉に関して自己の意識の高位は保つことができる(はずだ)。

 要するに、制御していれば〈屁〉は出ない(こかない)のであるね。まあ、これなら自己の意識が高位に保てるのは当たり前といえば当たり前。腹に〈屁〉を溜めているなど誰も知らないわけだし、誰に迷惑をかけるわけでもないさ。

 ここで侮辱の四条件戻ろう。恥ずかしい〈屁〉では「自己の意識が相手より高位」という条件が合わなくなるのだったが、無様に〈屁〉をこいてなおかつ「自己の意識が相手より高位」であるためには、制空権ならぬ〈屁〉の制御権をしっかり保持していなくてはならないということなのである。

 そもそも侮辱というものが明確な(挑発的な)意思表明だね。その意思を〈屁〉の制御と一体化させることによって、あえて不浄の〈屁〉を相手に投げつけるのである。普段は恥ずかしい行為も、制御を手にしている(完璧にワザとやっている)という確信によって(このとき自己の意識は高位なので)侮辱の覚悟を示すことになる。普段は、意図しては絶対やらないこと(放屁)をあえてやるのだから、それは強烈な意思表明だ。

 お尻の三拍子はより強い意思表明へとエスカレートしていく過程である。侮辱の意思を相手に示している。それは別段、恥ずかしさを押し殺してやっているわけではない。主観的には何の羞恥もなく相手に向ける明確な侮辱行為なのだ。

 そして「喰らえ!」とばかり投げつけるものが〈屁〉であるということは、それがその辺にころがっている石ころであること以上の意味もある。何しろ相手がそれ自体を生理的に嫌がる異音異臭の〈屁〉なのである。

 しかし万が一、ここで〈屁〉の侮辱の最中に一点でも羞恥が紛れ込んでくると大変なことになる。お尻を突き出した自分にハタと気がついて「お、俺は何をやってるんだ!」という自意識が増殖し、相手に向けている侮辱の動機を圧倒してしまい、死ぬほどの羞恥にまみれるかもしれない。だから我々にとって〈屁〉で侮辱を成し遂げることは、我を忘れるほどの強い動機を必要とする困難な行為でもあるのだ。

 神話の中の伝説になった伊企儺(いきな)や星神香香背男(ほしのかみかがせお)の行為は勇猛で超人的なものだったに違いない。だからこそ下劣な〈屁〉によって侮辱が強烈に示される。こういう侮辱行為において〈屁〉の恥ずかしさから無縁になっているのは、次の三つを内外に強く示しているからだ。

(1)反撃の明確な動機
(2)貶める強力な意思
(3)誇れる完璧な制御

 このとき自己の意識は高みにあって下界を見下ろしているわけだが、そこには時々難点が生じてくる。動機・意思・制御に導かれるのは侮辱ばかりではないのである。お尻の三拍子がただの「お笑い」なのか痛烈な「侮辱」なのか、とんと区別がつきにくい状況もあるのである。それにまた、その場の侮辱に反応する当事者でもない限り、情景は滑稽化して物笑いの種になってしまう危険がある――。
 
 いやはや残念ながら、それが巷によくある〈屁〉の罪つくりなところであ〜る。
タグ: 侮辱
posted by 楢須音成 at 22:40| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 断片考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月23日

続続・お尻と〈屁〉のコラボが侮辱になるのは何でだろ〜ヵ

 誰かを侮辱する(したい)というのは誰にでもある性癖ではあるが、とにかく相手を見下し貶めて恥ずかしい思いをさせようとする行為である。まあ、陰湿に目立たないようにやる人もいれば、ド派手に手段を選ばない人もいるし、誉めているようで実は貶しているという何とも嫌味な人もいれば、小出しにジクジクとしつこくいつまでも続ける人もいる。

 これを〈屁〉の侮辱に当てはめてみると、尻を突き出して陰湿にすかす奴もいれば、ド派手にぶっ放す奴もいるし、こいてないようで実はこいているという嫌味な奴もいれば、小出しにブブ、ブブといつまでもこき続ける奴もいるという感じだね。つまり〈屁〉のスタイルが無限にあるように侮辱のスタイルは無限なのだ。

 こうした場合、その侮辱(の内容)が正しいとか正しくないとかは問題ではなく、侮辱する人にとってはその行為自体に価値があるのである。要するに侮辱する人はそれをやって必ず溜飲を下げている。溜飲(酸っぱい胃液)を下げると、なぜかすっきり心が澄み渡るんだよね。その身勝手な気持ちよさ。経験あるね。

 侮辱する立場からいえば、とにかく相手を困らせ辱めることが重要である。侮辱する論理内容が正しければそれに越したことはないが、それは必須ではなく、態度振る舞いが重要になっていて、言葉の意味よりは強圧的な響きだったり威圧的な行動だったりするわけである。逆に、そうやって溜飲を下げない侮辱なんてあり得ないのである。侮辱行為に思い入れが強ければ強いほど溜飲は下がりスッとするだろう。

 このように侮辱してスッとした気持になってしまうのは〈屁〉をこいてスッとするのと同様であり、尻を突き出して〈屁〉をこけば、これはもう二重にスッとするさ。侮辱の身体表現においてエスカレートしたこの「尻と屁」の基本形で気持と身体がスッとするとすれば(するほど)これはなかなかに強烈な侮辱行為といえるのである。

 もっとも、いくら侮辱する気持があっても相手がそれを認識してくれないのでは、溜飲を下げることにはならない。侮辱とは相互作用であり、また少なくとも相手または自分に被害意識が生起している状態でなければならない。

 さて、前回紹介した伊企儺(いきな)や星神香香背男(ほしのかみかがせお)の侮辱行為もまた相手を貶めることによって溜飲を下げる振る舞いである。

 伊企儺は新羅軍の捕虜となり無理やり尻をむき出しにされ日本にむけて「わが尻を喰らえ」と言わされる侮辱を受けるのだが、逆にその尻を新羅軍に向け「わが尻を喰らえ」とお返しの侮辱をしたのである。

 星神香香背男は高天原の天孫ニニギの命に攻められ徹底抗戦するが、このとき強大な敵方に尻を出して〈屁〉を嗅がせ(るポーズで)侮辱したのである。

 つまりこれらは、不利な状況下での反逆的な行為なのだよね。それも絶望的に不利なのだ。しかし(状況は変わらないが)まるで起死回生の一発(のよう)に振る舞っている。

 これは状況的には弱者による侮辱行為だね。立場の弱い者が強者に対して捨て身の侮辱行為をしているわけである。ここで疑問だが、侮辱とは相手を見下す必要があったのではないのか。強者は弱者を見下すが、弱者はどうやって強者を見下すのか。侮辱の条件とはこうだった。

(1)不信・対立・断絶関係にある
(2)自己の意識が相手より高位である
(3)相手の社会的立場(評価)が低い
(4)自分の不完全性を意識または無意識している

 このうち(1)はクリアするね。また(2)も状況は相手に圧迫されているとはいえ部分的・主観的には可能だろうと思われる。そこで、その自己の意識を高位に保っている根拠を検討しなければならない。それは(3)につながる構図になっているわけだが、伊企儺や星神香香背男は弱者の状況なのに強者を低く見る(評価する)ことによって、自分の高位を確保しようとしているケースなのである。

 伊企儺は捕虜になり敵の支配下(弱者の立場)にあるのだが、新羅を攻めている(征服しようとしている立場の)意識があり、新羅を(文化的弱者あるいは日本軍にいずれ撃滅される軍事的弱者と)見下していると考えられる。前提になるそういう潜在的優位性があれば逆境でも自己の意識を高位に保つことはできるだろう。

 相手を鬼畜と見なすような差別的な心情、自分が誰よりも高潔であるという道徳的な確信、自分は頭がいいとか美人だなどという自惚れ、恐れを知らぬ勇気ある振る舞い―等々においても、自己の意識の高位を保つことはできる。そして取り巻く情勢が自分に優位でなくとも、とにかく何か相手の弱点(侮辱のターゲット)があれば、それを過大に悪く悪く評価することで、逆境にあっても相対的に自己評価は上がってくるのである。

 また、条件の(4)は、まさに置かれた逆境こそが誰の目にも露見している自分の不完全性であり弱点であるから、痛烈に意識せざるを得ない。これは理想の状況とは遠くかけ離れ、何かを達成したり復権することは不可能な状況である。そんな逆境であろうと(潜在的優位性に励まされて)自己の意識が高位になればなるほど(相対的に)相手の評価は下がり続ける。かくして逆境に自己回復を求める(自分を高める)心的運動が切実化していくのである。こう見てくると伊企儺が侮辱行為に走る条件は整っているわけなのだ。

 また星神香香背男は支配の神に対して徹底抗戦するのだが、劣勢の中でニニギの命に尻を突き出し一発かましたのである。この状況も侮辱の条件になる不信・対立・断絶関係にあたるが、星神香香背男はもともと土着の神であるから、当然ながら自分の国を守ろうと決起しているわけである。

 ただ自己の意識が相手より高位であるかどうかは微妙かもしれない。中央の神に対して自分を格下の神であると思っているかもしれないからだ。現実問題として高天原の神となると異議を唱えようもない秩序の頂点にいるのである。その社会的立場はどうあがいても永遠に低くない。

 しかし星神香香背男にとって相手は強大で格上かもしれないが、依って立つ自分の国を守ることは道義であり、そこでは自己の意識は(相手に対して)高位になろうとする。有無を言わせず進攻してきたニニギの命の理不尽さ・強引さに対して決起することに、星神香香背男は悩みはしても何のやましさもない(はず)。進攻に対抗して(自分の国を守るという)道義があれば、むしろ(劣勢であればあるほど)自尊心や勇猛心は奮い立つ(場合がある)ものだ。このようなときに人が頼る道義とか正義とは強固なイデオロギーであり、それが崩れない限りは自分に非はない(と思い込む)ね。

 もちろん一方で、強い者には従わねばならぬという政治的現実を受け入れる卑下の意識(低位の意識)に甘んじる情勢判断はあり得る。この強い者に従って低位に甘んじる姿勢は並みの凡人にはごく一般的でありがちな態度なのであるが、星神香香背男のようにリーダーたらんとする者がそれに抗してあえて高位を取らんとする(破滅を辞さずに我を通す)態度はしばしば世間に散見されるところである。(人に代行=身代わりさせる見苦しいボスもいるが…)

 こういうヒロイックな態度は相手が理不尽(思い通りにならない)であればあるほど強く過激になり怒りをふくらましていくものだ。この段階においては、情勢判断ができない馬鹿なのか、あるいは信じる道義に殉じる崇高な英雄なのかは、第三者にはすぐには判然としないが、敵方に対して侮辱行為に及ぶことがあるという点では、どちらであってもよろしいのである。

 星神香香背男の場合には侮辱の条件(1)〜(4)のうち(3)において乗り越え不能の困難に直面したわけだが、相手は絶対的に社会的立場(評価)が高いのであるから、そういう強者に対して自己の意識を高位に保ち続けるためには、正しかろうが正しくなかろうが自分の道義を最大値にまで高めるほかない。道義を貫いて絶対の強者の社会的立場(評価)を下げる―という不可能への挑戦である。これはもう徹底抗戦(エンドレスの戦い)しかないのだ。

 このような(弱者の)徹底抗戦とは主観(希望)的には勝利の先送りであり、客観(絶望)的には破滅への突進である。希望と絶望が表裏になって緊迫しているそこでは、自己の意識が高位であり続ける心的状況が生起している。多くは下世話に自尊心とか勇猛心とか呼ばれるが、要するにメゲて落ち込んでいては戦えないのである。

 かくして伊企儺にも星神香香背男にも、侮辱の条件(1)〜(4)が同じように整っていることがわかるね。

 しかし両者の明確な違いは(3)にあって、それは戦っている相手への評価であったね。伊企儺にとっての新羅は(取って代わることのできる)相対的に優勢な敵だが、星神香香背男にとってのニニギは(取って代わることのできない)絶対的に優勢な神なのである。弱者の両者がそういう相手に対して自己の意識を高めようとする心的運動は似ているようで違ってくる。

伊企儺=自己の「潜在的優位」があるので、あえて相手を見下し馬鹿にする振る舞い(強者を見下す振る舞いをするということは、相対的に自己の価値を高めることなのであり、それは自らを相手以上の存在へと高めることである)
星神香香背男=自己の「顕在的劣位」があるので、あえて相手と同格以上の振る舞い(強者と同じ振る舞いをするということは、相手に同じ振る舞いをさせることと表裏であり、それは自らを同格以上の存在へと高めることである)

 この「優位」と「劣位」の心的な評価軸の違いがあるにもかかわらず、尻を突き出して〈屁〉をこくという侮辱行為が同様に発現するのは、どちらも結果的に自己の意識が高められているからにほかならない。

 ――いやはや、煩雑な議論をしてしまった。要するに、置かれた状況や〈屁〉の如何にかかわらず、侮辱の条件(1)〜(4)が整うと侮辱行為が発現しやすいのである。

 しかし、ここで再び〈屁〉の疑問が出てくる。どんなときでも尻を突き出して〈屁〉をこくのは、普通はとても恥ずかしい行為だよねェ。心ある人、品位ある人、プライドのある人がすることではないはずだ。それなのに、何でそんなことをすることが相手を貶める侮辱になるのだろうか。相手に笑われないだろうか。馬鹿にされないだろうか。
タグ: 侮辱
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2011年10月12日

続・お尻と〈屁〉のコラボが侮辱になるのは何でだろ〜ヵ

 人を侮辱する身体表現はいろいろあるが、相手にわざと尻を突き出し〈屁〉を一発ブウとこくのは人として最大の侮辱行為ではないか。まあ、最大は言い過ぎであるとしても、「尻(を向けて)と屁(をこく)」の結びつきのその瞬間には、激しく強く感情が揺れ動かざるを得ないだろう。こいた方もこかれた方もねェ。

 さて、前回整理したようにその身体表現の基本形はこうであった。
(1)お尻を向ける
(2)お尻を突き出す
(3)お尻を突き出し〈屁〉をこく

 このように次第に(1)から(3)へとエスカレートしていく様子を観察すれば、それは視界に音とニオイを配置して強化される、侮辱の意志や意図の表出になっているのだね。

 このポーズの基本形は(日本で)古代から意識(記録)されてきたのだが、そもそもなぜそれは侮辱行為になるのだろうか。尻を突き出し〈屁〉をこく行為は顔(表情)を見せずに、下半身の身体表現だけで侮辱を表出するものだ。そして、それを言葉ではなく生の〈屁〉の音(とニオイ)で際立たせるのだ。

 もちろん、これが侮辱行為であると断定できない場合も多い。いつも悪ふざけで(1)〜(3)をやっている人はいるし、無意識にボオッとしてそういうポーズになっている紛らわしい人もいる。人に向かっておどけてデカイ〈屁〉をこいて喜んでいても、相手を侮辱する気などさらさらない馬鹿者もいる。

 だから(1)〜(3)のポーズは実は多義的であり、侮辱であるかどうかは相互の判断を待って決定されることになる。一方が侮辱のつもりでも、もう一方が侮辱と思わない場合や、その逆もあるわけで、にわかには判断できない状況というものがいろいろ出てくるのだ。

 ところで、ちょっと話が迂回するが、侮辱(した・されたという思い)とはどういうときに生起するのだろうか。そこには心的な条件があり、相手を貶める・相手に貶められたという心的運動が発動しているのだった。そして侮辱された方が侮辱と感じない限り侮辱にはならないのである。侮辱の場面の基本は次の4つのケースに分けられる。

(ア)両者が侮辱(した・された)と思っている
(イ)一方だけ(仕掛けられたと思った方)が侮辱されたと思っている
(ウ)一方だけ(仕掛けた方)が侮辱したと思っている
(エ)両者が侮辱と思っていない

 特に問題になる(物議を醸してしまう)のは(ア)と(イ)の場合であり、侮辱されたと感じる被害感の申し立てや苦情によって、侮辱が成立してくるわけだね。(イ)では侮辱を意図していない相手のポーズに一方的に侮辱を感じてしまうケースで、案外これは多いかもしれない。(ウ)の場合は仕掛けられた方が〈屁〉とも思っていない(侮辱とは感じないとか、侮辱と感じても却下できる心的余裕がある)ので侮辱が成立してこないのである。

 侮辱のあるなしには相手との関係性が影を落としているわけだが、侮辱する方にしたら、根拠はともかく相手が馬鹿にすべき理由を持っていると感じられる存在になっていて、それは相手との不信・対立・断絶関係にある場合が多いだろう。(条件1)

 相手との関係性は、相手と向き合ったときの自己の意識のあり方を決めている。自己の意識は相手に対して高位、対等、低位という高低ランクを常に付随させており、〈屁〉が臭いなどと相手を馬鹿にしたり侮辱するのは当然ながら、自己の意識が相手より高位にあるからだ。俗にいう上から目線って奴である。(参照

     自己の意識=高位―対等―低位

 もともと我々は〈屁〉に限らず他者に対していつも自己の意識の高低ランクを生起させている。何につけそのつど生起する意識の高低ランクが相手の社会的立場(評価)に対して常にリンクしているのである。相手を侮辱する条件としては、自己の意識が相手より高位にある必要があるわけだ。(条件2)

 社会的立場(評価)とは、自他の社会的地位や職位などのように外からの評価ばかりではない。身に備わっている経歴・属性・性癖によっても評価される。さまざまの生活場面でいろいろな観点から相手との距離を常に測って多元的に評価する。そこで例えば、次のようなものも何かと評価の対象になるね。

     能力=優秀―月並―無能
     容姿=別嬪―人並―ぶす
     学校=一流―二流―三流
     運動=上手―通常―下手
     知識=豊富―凡庸―貧弱
     品性=優良―普通―下劣
     体力=頑強―平凡―虚弱
     貧富=金持―平均―貧乏
     屁臭=無臭―曖昧―猛臭

 馬鹿にしたり侮辱したりするのは「無能でぶすで三流で下手で貧弱で下劣で虚弱で貧乏で屁が臭い」というような極めて低評価の場合である。(条件3)

 しかし、人間がまったく無価値ですべて低評価ということはないわけで、多くは「一流の学校に通っているが、ぶす」「運動が上手だが、品性が下劣」「知識は豊富だが、学校は三流」「体力は頑強だが、運動は下手」「別嬪だが、屁が臭い」など、ある一面だけがほとんど言いがかり(難癖)に近い感じで抽出されるのである。

 さらによくあるのは、完璧に「無能でぶすで三流で下手で貧弱で下劣で虚弱で貧乏で屁が臭い」のであれば、絶対に馬鹿にされ侮辱されるのかというと、そういうわけでもないんだね。かえってそれがいとおしくて愛される場合もある(らしい)のが人間界の不思議である。

 その不思議は自分が「優秀で別嬪で一流で上手で豊富で優良で頑強で金持で屁が臭くない」というような高位にある(と思っている)傲慢な人にしばしば出現するアンビバレントな現象の一つだ。あるいはそれが当たり前すぎて、つゆ自分が高位にあるなどとはとんと自覚していない天真な人にも出現する。

 しかしまあ一般に「優秀で別嬪で一流で上手で豊富で優良で頑強で金持で屁が臭くない」と自分を思っているような人は「月並で人並で二流で通常で凡庸で普通で平凡で平均で屁が臭いような臭くないような」という(どうでもいいと見なす)人にはほとんど関心が向かないのに、必ずや「無能でぶすで三流で下手で貧弱で下劣で虚弱で貧乏で屁が臭い」というような人を毛嫌いする。これは自分の高位が必ずしも完璧でないところからきていて、「一流の学校に通っているが、ぶす」の人が「知識は豊富だが、学校は三流」の人を馬鹿にして侮辱するというような関係構造が潜むのである。

 こう見てくると、侮辱行為はまずは条件1〜3が有効に絡み合って実践されるものだ。つまり(1)何らか不信・対立・断絶関係にある相手に対し(2)自己の意識が高位にあり(3)相手に低評価のターゲットがある――そういうときに、侮辱が生起してくる契機があるということになるのである。そしてさらに、そこでは(4)自分の不完全性(不完全な自信)を意識・無意識している――ということが必要にして重要なのだ。

 どうやら相手への侮辱行為は、意識的であってもなくても、自分自身(の低評価なターゲット)への苛立ちを潜在させているものであるらしい。それが相手を貶めようとする動機であり、そうすることによって自分の(高位の)基盤をより固めようとする。

 ところが完璧に傲慢な人(強者)は侮辱には走らない(多分そんなこと思いつかない)し、完璧に天真な人(聖者)も同様なのだ。それは意識しようがしまいが自己評価が(なぜか)パーフェクトな人たちなのである。(まあ、真にそうである人は滅多にいないでしょうけど。ときどき勘違いの人や図々しい偽りの僭称者はいます)

 一つ注意すべきは、侮辱の条件になっている相手との関係性は極めて主観的なものだということである。相手との対立関係、自己の意識の高低、自他の評価などは自己保存の心的運動によって主観的に構成されるのだ。もちろん、客観性や共同性の裏付けとなる事実やデータや現象がインプットされるにしても、結果は人それぞれに過大な自己評価を中心に身勝手に関係性を思い描いているのが実相である。

 そういう意味では侮辱行為は誰にでも与えられている振る舞いであり、しかもかなり人間的(観念的)な営為なのだ。一般の動物はどんなに威嚇的であっても侮辱行為とは無縁なのである。

 さて、侮辱の心的構造の考察はここまでにして、再び〈屁〉の侮辱の身体表現においてエスカレートする基本形(1)〜(3)に戻ろう。理由は何であれ、お尻と〈屁〉がコラボするポーズは、時と場合によって強烈な侮辱になり得るのであるね。

 しかし、考えてもみよう。尻を突き出して〈屁〉をこくという恥ずかしい行為が、何で相手への侮辱になるのだろうか。それをやっている本人はちっとも恥ずかしくはないし、やられた方は最大の侮辱を感じるのである。そのときの〈屁〉とは何ぞや?
タグ: 侮辱
posted by 楢須音成 at 11:09| 大阪 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 断片考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月05日

お尻と〈屁〉のコラボが侮辱になるのは何でだろ〜ヵ

 表情とかポーズとかの身体表現で人を侮辱することがあるね。子どもがおどけて友だちをからかったり馬鹿にしたりしているのを見ると、それが懸命の全身表現であるのに気がつく。そのしつこさは、まあよくやるよとあきれてしまうくらいのものである。

 これが〈屁〉に関連する侮辱の身体表現といえば、相手にお尻を突き出して一発ブウと放つことだろうねえ。その見るにたえぬポーズたるや、まことに無礼千万である。そんなこと女性は(多分)決してしないだろうし、相手を侮辱するとはいえ実に恥ずかしい身体表現でもあるのだね。江戸の川柳にこういうのがある。

 尻を出す伊企儺(いきな)新羅を屁ともせず
             (尻と屁の結び)

 伊企儺は『日本書紀』に出てくる人物。欽明天皇のときの新羅征討の将軍で、難波の紀男麻呂の副将として新羅を攻めたが、敗れて捕らわれ殺された。こういう背景の事情がわからないと、尻を出すとは何のことやらわからないが、『日本書紀』では次のように描かれている。6世紀くらいの話である。
 同じときに捕虜にされた調吉士伊企儺(つきのきしいきな)は、人となりが猛烈で最後まで降伏しなかった。新羅の闘将は、刀を抜いて斬ろうとした。無理に褌(はかま)をぬがせて、尻を丸出しにし、日本の方へ向けさせて大声で、「日本の大将、わが尻を喰え」と言わせようとした。すると叫んで言った。「新羅の王、わが尻を喰え」と。責めさいなまれても前の如く叫んだ。そして殺された。その子の舅子(おじこ)も、また父の屍を抱いて死んだ。伊企儺の言葉を奪えぬことこのようであった。諸将もこれを惜しんだ。その妻の大葉子(おおばこ)も、また捕虜にされていたが、悲しみ歌って、

 カラクニノ キノヘニタチテ オオバコハ ヒレフラスモ ヤマトヘムキテ
 韓国の城の上に立って大葉子は、領巾(ひれ=肩にかけた飾りの白布。これを振るのは惜別の行為)をお振りになる。日本の方へ向って。

 ある人がこれに和して歌った。

 カラクニノ キノヘニタタシ オオバコハ ヒレフラスミユ ナニハヘムキテ
(全現代語訳『日本書紀』講談社学術文庫)

 伊企儺が捕虜になりハカマをぬがされ、日本に向かって尻を突き出して「わが尻を喰らえ」と言わされようとしたが、抵抗して「新羅の王。わが尻を喰らえ」と叫んで殺されたという故事である。

 敵にハカマをぬがされるという仕打ちは、自由を奪われ臀部露出を強制される屈辱だが、これに加えて尻を突き出し「わが尻を喰え」と言わされる侮辱行為も強要されているわけだ。しかし、新羅軍はこうやって捕虜を使って日本への侮辱を表現しようとして、逆に侮辱されてしまった。伊企儺は屈することなく尻と言葉の矛先を新羅に向けたからである。このため伊企儺は(子と妻も)殺された。

 こういう背景で川柳はできあがっているんだね。ここに〈屁〉が出てくる。まあ、伊企儺が〈屁〉をこいたという確証があるのではなく、新羅なんぞ〈屁〉とも思わなかったという表現で〈屁〉が出てきているのだが、ここで〈屁〉をこいても効果的な侮辱なのだね。

 さて、その場の状況にもよるが、相手に対して(意識的に・意図して)尻を向けることが失礼な行為であることは古代から意識されていたようである。まして尻を突き出すとかすれば、それは行為の悪意ある誇張と見なされる。

 これは単に背を向けるのとは違うね。背を向けるだけでは拒絶という意味合いだけで(失礼かもしれないが)あまり侮辱ということにはならないだろうが、意識して尻を突き出しているのなら侮辱になってしまう。いやまあ、向けているのが背中なのかお尻なのかわからない曖昧な後ろ向きの人はいるけどね。

 ともあれ、キッパリ尻を向けるのは大体において失礼ないしは侮辱ににじり寄る行為の始まりであろうし、尻を突き出すのは行為の誇張であるから意図を相手に示して侮辱に突入しており、そんな姿勢で〈屁〉の一発をこいたらもうハッキリ侮辱なのである。

 もっとも、音成がこういう行為を妻に向かってやったとしてもそれは侮辱ではないぞ。別に愛情とはいわないが、冗談ぐらいには妻は思ってくれるに違いない(はずだ)。侮辱が成立するには相手との信頼関係の欠如や対立関係が必要なのであるから。

 ここでもう一つ民話の事例を紹介してみよう。『知覧むかしむかし』(飯野布志夫著、2007年、高城書房刊)という本に鹿児島県知覧地方の民話が集められている。採録した民話を通して日本の神話と南薩摩の民俗との関わりを探っている本だ。
 むかしむかし、我が家(え)の辺りに、ヘノカガッショドン(屁の嗅がせよ殿)という方がおられました。この方は大変勇ましい方で、神様たちに向って尻を丸出しにして屁を一発かましたそうです。しかし、怒った神様たちは村へ攻めてきてヘノカガッショドンを退治して息の根をとめてしまいました。
 *ヘノカガッショドンはヘンカガッショドンと発音する場合もある。「へ」は『屁』、着物の裾をまくることを南九語で「カッショ」と言い、裾をまくったうえにさらに尻を丸出しにして後ろ向きになって臭いを嗅がせることを「カガッショ」と言う。よって、ヘノカガッショとは『臭い屁を相手に向けて一発かまして嗅がすこと』である。

 この民話と神話との関連だが、『日本書紀』神代編の神が次のように指摘されている。
 この民話の主は、支配者(神)に向って尻を丸出しにして一発屁をかまして徹底抗戦した反逆の神と考えられる。これに対応すると考えられる神話が日本書紀で伝えられているのが面白い。
 それによれば、高天原朝廷の天孫ニニギの命が猿田彦の道案内で中つ国へ進攻して、中つ国の神々を次々と成敗されていくのだが、最後の最後まで徹底抗戦して軍門に降らなかったのが星神香香背男(ほしのかみかがせお)と呼ぶ神である。その部分を日本書紀神代編より抜粋してみよう。
『一書に曰く、皆(みな)已(すで)に平(む)け了(お)へぬ。其の服(うべな)はぬ者(かみ)は、唯(ただ)星神香香背男(ほしのかみかがせお)のみ。故、加(くわえて)倭文神(しづりかみ)、建葉槌命(たけはつちのみこと)を遣(つかわ)ししかば服ひぬ。故、二神、天(あめ)に登るといふ。倭文神、此には斯図梨俄未(しづりかみ)とも云ふ。果(つい)に以ちて復命(かえりこともう)しき』
(以下略)

 高天原の天孫ニニギの命に徹底抗戦した星神香香背男(ほしのかみかがせお)が民話のヘノカガッショドンに相当するというわけだ。『日本書紀』ではお尻や〈屁〉のことなど明快に記述されてはいないが、ホシノカミカガセオ(星の神、香香背男)とは何ともそれらしい名前ではないかな。背中を向けてイヤなニオイを放っている連想がふくらむよ。

 この辺でまとめておくとこうなる。
(1)お尻を向けることは人に失礼な行為である。
(2)お尻を突き出すことは失礼を通り越して人を侮辱する行為である。
(3)お尻を突き出し〈屁〉をこくことは人を強く侮辱する行為である。
(4)以上の「尻と屁」の結びつきは古代から意識されてきた侮辱行為である。
(5)人間にとって最大の侮辱行為は尻を丸出しにして人に〈屁〉を嗅がすことである。

 いや、ちょっとまとめきれなくて表面的になっているな。つまり、なぜ(背中ではなく)お尻を向けることが侮辱につながっていくのか。いやいや、お尻を丸出しにして〈屁〉をこくという恥ずかし〜い行為をすることが、なぜ相手への侮辱になってしまうのか。疑問は解消されていない。伊企儺やホシノカミカガセオの気持になってみる必要があるな〜。
posted by 楢須音成 at 01:51| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 断片考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月01日

香ばしき〈屁〉の「にほひ」

 ふと自分の〈屁〉の臭さに気がついた瞬間は恥ずかしいものであるが、そもそも臭気(悪いニオイ)というのは相対的なものではあるし、無臭というものを知らないで辺り一面が悪臭の環境にいる限りはしぶとい耐性ができるのであろうし、井の中の蛙と同様に、そのゾッとする臭味もごく普通と思ってしまう人もいるのである。

 こうなると蛙の面にナントヤラであって、無臭ないしは微臭が標準になっている人には強烈過ぎるくっさい〈屁〉が漂う中で、まったく平気の平左で息を吐くがごとくに普通に重ねて〈屁〉をこくわけで、その鈍感ぶりにまわりはあきれるばかりである。

 しかしまあ、それはそれとして、まだ未開の国ヘッポンに黒芋船が来航したとき、あまりの臭さに民衆は最初は驚き辟易したものだったが、船は悪びれるところもなくブオーブオーと勇ましく黒い屁気を吐き出すものだから、これぞ天地開闢の香ばしき「にほひ」と思って受け入れたものである。

 受け入れるということは一種の耐性の発生であり、最初は毒でもそのうち無毒化していき黒芋を賞味して我が物(つまり、自在な放屁)としつつ、屁国強屁(屁の国は強く屁をこく)をめざして黒芋の大規模農園経営に乗り出していったのだが、黒芋に飽食するとその星では次第に〈屁〉は飽きられ、ついに忌み嫌われるようになり、やがて実はもともと〈屁〉は下品下劣なもの(否定すべきもの)だったのだという者もあらわれたのである。

 ヘッポン国の哲学者ヘガクッサによれば〈屁〉が臭いのは多分に精神的なものであるといい、臭いと思えば臭いが臭くないと思えば臭くないのであり、そこが貴殿の〈屁〉がひどく臭くても俺の〈屁〉は絶対に臭くない真理だと強く主張して放屁自殺してしまったのだが、多分にこれは黒芋の過食による考え過ぎが原因といわれているのである。

 惜しむべき哲学者ヘガクッサの崇高なる自殺は自らの浄化(無臭性)を願う切なる煩悶からきているわけだが、何しろ日頃ぶくぶく飽食してにおうので、どう薄めても飢餓の国から見れば幸福過ぎる飽食国民であるのは歴然としており、これがため(自省的・自虐的に)悶絶のやむなきに至ったものと考えられていて、その煩悶の一つが〈屁〉武装中立の国家体制への憎悪である。

 深く思弁を好む哲学者ヘガクッサは「にほひ」立つ〈屁〉武装中立などは絶対に認められなかったのであって、そういう屁和(へーわ)国家などありえないのであり、かくして〈屁〉の無臭性にこだわるあまりに精神は追い立てられていったが、その真っ直ぐな愚直さと類似の正義派はいたわけで、例えば隣国の新興〈屁〉武装行進国ハンリュの黒芋カオーのコマーシャルばかりを流して黒芋三昧だったオダイベテレビは、黒芋を憎むデモ隊に本社を十重二十重と囲まれて往生していたのである。

 こうした民衆の行動を〈屁〉の「にほひ」をめぐる混迷戦であると納得したのは哲学者ヘガクッサの息子で黒芋商人のヘガモットクッサである。

 黒芋商人ヘガモットクッサは、飽食して悪臭の〈屁〉をこきつつも〈屁〉を憎んだ父親の矛盾を強く強く感じて育ったこともあり、いつしかアンチな〈屁〉に引き寄せられてむしろ〈屁〉が大好きになってしまい、父親は軟弱にも「にほひ」を過大に妄想して自他に及ぼすその悪臭(妄想)に苦しんだのだと批判的に考えるに至ったのである。

 父親はしかし、単に苦しんだのではなく、無臭という倫理(観念)の高み(理想)にのぼることによって現実構成力(正義)を獲得しようとしたのであり、放屁自殺は純粋倫理の実現であったのであり、それはそれで自らの消滅と引き換えの美しい至誠の心ばえだった──と息子にして黒芋商人ヘガモットクッサはむしろ父親を尊敬したのである。

 ただし、オダイベテレビを取り囲んだ正義派(A派)は「にほひ」は忌避しても本当は黒芋(ハンリュ産ではなく国産)が大好きなのであり、激しくおのれの〈屁〉をにおわせているにもかかわらず国産の「にほひ」を極小に妄想することで至誠(無臭)を夢見ていたのであるから、決して放屁自殺などしない楽天な人々である。

 そもそも隣国ハンリュの廉価な黒芋カオーは食用のみならず〈屁力〉発電の有力な燃料になっており、〈屁力〉に依存するヘッポン国はその黒芋を大量に輸入してまかなっていたわけだが、一方で黒芋カオーがもたらす〈屁〉は正義派(A派)から「安かろう不味かろう臭かろう」の三拍子と評価されており、オダイベテレビが朝から晩までコマーシャルを流し続けたものだから、国民の脳が洗われ三拍子が日常化される危機とされたのである。

 だからといって、どっぷりと黒芋カオーのうま味に染まったオダイベテレビが視聴者洗脳を気にするわけもなく、「はいはい嫌なら食うな」「ブウブウうるさいだけ」「あれは精神的にアレだな」「仮想敵国を作ってうれしいか」「まるでミステリーな連中だな」「超右翼のレイシスト」とか、まったく取り合うこともなかったので正義派(A派)は切屁扼糞(せっぴやくふん=悔しくて切なくて屁をこき糞をにぎにぎ)したのである。

 このオダイベテレビの屋上にあるのが〈屁力〉による自家発電所で、独特の球形の発電体が黒芋カオーを燃料にして電力を生んでいて、それをもとに強力な電波を発していたのであるが、うかつにも正義派(A派)に取り囲まれたその騒ぎの最中に〈屁〉の猛臭の漏出事故を起こしてしまったのである。

 これはオダイベテレビによる意図的な漏出だともいわれているが、あまりの猛臭に驚き慌てた正義派(A派)は散り散りに飛散し、なかには鼻粘膜をただれさせ血を流し入院までする者も続出し、この惨劇に憤激して危機感を募らせた〈屁力〉発電反対の正義派(B派)が続々と全国から集結し「そ〜ら、そらそら、いわんこっちゃない、かねてより危険を警告していたはずだ」と示威の防臭マスクを付け、何はともあれオダイベテレビへの抗議行動に打って出たのである。

 黒芋商人ヘガモットクッサの観察によれば、こちらの正義派(B派)はあらゆる黒芋を全否定することにおいて父親の哲学者ヘガクッサと極めて似ているが、A派と同様おのれの無臭性の欠如(臭気)に対する自覚に乏しいまま黒芋を摂取する一方で「あらゆる黒芋を全否定している」ことに至誠を感じており、すべて悪いのは(自分ではなく)黒芋なのだから、決して放屁自殺することなど(黒芋を全否定しているがゆえに)あり得ない楽天な人々である。

 黒芋商人ヘガモットクッサは黒芋の市場原理に忠実な現実主義者であり、全国民の黒芋需給と価格のバランスにそって絶妙の商売繁盛の渦中にあったが、現実主義者としてこうした人々の動向に父親の自壊した姿を重ねつつ、だいたい三つの商品を使い分けて黒芋を売りまくってきたのである。

A派向け=国産の黒芋(歴史正統性)
B派向け=国籍不明にした黒芋(世界理念性)
オダイベテレビ向け=ハンリュ黒芋カオー(経済貪欲性)

 まあどれにしても当面、黒芋がないと人々は立ち行かない(黒芋が主食である)のであるから、そこに黒芋商人ヘガモットクッサは深く深く付け入って販売戦略を盤石にしているのである。

A派への戦略=「にほひ」を純潔化して〈屁〉の万世固有を称揚するアジテーション
B派への戦略=「にほひ」を理念化して〈屁〉を普遍性へと昇華するアジテーション
オダイベテレビへの戦略=黒芋カオー売り込みと引き替えにする〈屁〉のスポンサー

 踏んだり蹴ったりのオダイベテレビだが、何しろ利にさとい商業マスコミであるから当面この道はどこまでも続くと、大量の黒芋カオーをバラまきながら同伴文化人や芸能人を動員して狂乱のオダイベ祭りを開催中である。

 もちろん黒芋にまつわる楽天な人々を取り込んでいる黒芋商人はほかにもいて競争も激しいので、ヘガモットクッサは「にほひ」に手を加えるため研究を重ね、これまでの黒芋モダン焼から一歩抜け出た新商品の開発に取り組んでいるのである。

 ──名前だけは決まっていてその名は、ポストモダン焼。キャッチは、芋を喰らわば皮まで。
posted by 楢須音成 at 02:32| 大阪 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 独舌漫語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月19日

ガセネタの〈屁〉の真面目

 ガセネタというのは昔からあるわけだが、〈屁〉のガセネタというのはこれまた多い。巷にはウソかホントかわからないような話が充満していて、このブログで取り上げる幾多の〈屁〉の話も、事実性よりは虚構性が極めて高いものばかりといえるだろう。あるいは事実が針小棒大な話になっているのかもしれない。

 しかし、あなたにも私にも〈屁〉は厳然として存在するので、眉唾な話の中にも人生の真実味を感じてしまう、まったりとした味わいがあるね──まあ、こんなことを言うと、屁も〈屁〉の話も嫌う知人からは異常者と見なされるが、一般には〈屁〉の話はみんな好き(なはず)よねェ。

 福富織部の『屁』に著者自身がある〈屁〉の噂に関して警察に問い合わせた手紙が収録されている。これに対して回答があったのである。
 埼玉県下忍町(おしまち)に屁の営業を免許された者があると聞いて、早速照会して見た。

益々御清栄之段奉大賀候(ますますごせいえいのだんたいがたてまつりそうろう)、小生は大正五年に東京府立農林学校を卒業し、爾来(じらい)屁の研究に没頭致し居る愚人に有之候(これありそうろう)。仄聞(そくぶん)する所に依れば、今より六七年前に貴管内に屁にて歌を謡ふ名人あり、貴署より屁放りの営業を免許せられし由に候が、事実にて候や否や、乍御手数御回報相煩度(おてすうながらごかいほうあいわずらわしたく)、此段及照会候也(このだんしょうかいにおよびそうろうなり)。若(も)し事実とすれば、その出生地姓名許可証の写(うつし)等御承知致し度く候。
福富織部
忍警察署長殿

 これに関し下記の通り回答があつた。

 回答
本日十九日付ヲ以テ御照会ニヨル放屁名人当署管内ニハ差当リ(さしあたり)該当者無之(これなし)、従テ営業免許等ナシタル事実更ニナシ。尚(なお)貴殿ニハ農林学校を卒業シ、屁ノ研究ヲセラルゝ趣ナルモ、当忍町ニモ大分希望者有之候條(これありそうろうじょう)、貴殿研究事項大要折返シ御回報相煩度、此段及回答候也。
 追テ添付二銭切手一枚本件ニ使用ス

 つひにこの問答は要領を得ずにしまつたが、該警察の労を多とする。

 織部が〈屁〉で音曲を奏する人物がいると聞いて問い合わせをしたわけである。地元の警察から営業免許を貰ったというのだから、天幕興行でもしていたのだろうか。まあとにかく、そういう屁芸の人物がいたという噂を織部は聞きつけ、その者の出生地、姓名、許可証の写しを欲しいと大真面目に申し込んだ。

 織部は随分期待して回答を待っていただろう。しかし警察署の回答は、そういう人物はいないというものだった。傑作なのは、逆に織部に問い合わせをしていることだね。農林学校を卒業して屁の研究をしているそうだが、忍町にもそういう希望者が大勢いるから、研究内容の概要を回答して欲しい、というのである。

 警察署長の関心は屁の研究に向かったわけで、どういう根拠か織部を説得するように希望者多数と言ってはいるが、署長自身が興味津々の様子だ。(あるいは、単にあやしい奴と思ったのか)

 織部はこのほかにも、伊藤国太郎という浜松の芳川村に実在したと思われる屁芸の名人について村長に問い合わせている。このときは実在は確認したが、村長は「放屁云々はいざ知らず」と回答している。伊藤国太郎は屁国先生とも呼ばれたというが、織部は直接会って記述しているわけではない。(この屁国先生については1990年代に松沢呉一が取材を試みている=参照

 さて、〈屁〉で芸をする人についてはこれまでに何回か取り上げてきたのだが、過去において日本ではどの人も詳しい人物像はわからないのである。ビジネスになった〈屁〉の芸人は洋の東西ではフランス人のジョゼフ・ピュジョール(19世紀)、日本人の福屁曲平(18世紀)が世界歴史の記録に残る双璧のようだが、フランスの場合は人物が特定されて医学研究まである。日本では平賀源内ほかが記述して実在はしたらしいものの、本名すらわかっていないのである。(参照

 日本で歴史上の〈屁〉の芸人は、名前や芸風については伝わっていても、実在の特定や詳細はわからないのはなぜだろう。〈屁〉の話題(の人)は屁のように立ち消えになってしまう。(参照

 現代日本にも〈屁〉の芸人はいて、佐藤清彦の『おなら考』(1994年)で元新聞記者の著者が取材している。これはこれまでの〈屁〉の芸人についての記述の中では最も具体的で詳しいものだろう。テレビなどにも登場し(音成は観ていない)、最近まで活動されていたようであるが、やはり〈屁〉だけでビジネス芸の確立は難しいようだ。

 ──話がそれてきた。
 あちらに〈屁〉の芸人がいると聞けば早速、問い合わせるのが織部の探求心なのだった。織部が『屁』をまとめるにあたっては、噂の真偽を直接確かめる探求心(取材)が所々に発揮されている。

 そういう真面目がまた笑いを誘うのも〈屁〉というものの姿なのだな。つられて署長も反応してる。ガセネタの〈屁〉に二人とも腹の中では笑ってたのかもしらんが。
posted by 楢須音成 at 01:38| 大阪 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 閑話一発 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする